Let's hooked up. こんなときに言うのもおかしいが、と前置きをひとつ。
今ぐらいしか言えないからな、とふたつ。
「早く言え」
ランサーは弓兵の重い口に
業を煮やしてせっついた。座って丸くなった背中がさらに丸くなる。
怪我からくる発熱とは違う熱っぽさに、疲労とは違う全身の倦怠感。これが
戦場で敵を前にしていたなら、この程度の不調などどうということもなかったのだが。
冥界から齎される熱病は攻撃であり、
ここは戦場と言えなくもない。が、戦いに赴くものはマスターひとりで、大多数のサーヴァントは己との戦いを
強いられた。絶対安静を掲げた
鋼鉄の天使によってベッドへ投げ込まれたくなければおとなしくしているほかない。
うんざりしていた。体を動かして紛らわせることもできない。
加えてこれだ。
「その、だな」
アーチャーは自身のうなじに手を滑らせた。首が痛むわけでもないだろうに手のひらを当ててランサーから顔を背ける。
発熱する体を少しでも冷まそうと選んだ場所は極寒の外が見える大窓の前だった。腰かけて、窓に背中を押しつけて、すぐぬるくなる窓ガラスに後頭部を押しつけていたところにアーチャーがふらりとやってきた。
ランサーが手を伸ばしても届かない距離をあけて赤い礼装が腰を下ろす。
まどろっこしい
前置きはそれからすぐだ。沈黙を気まずく思う間柄でもないだろうに。
ランサーには視線を向けないまままどろっこしい話が続く。
「私は、……君を」
「…………」
「好ましく思っている」
「…………」
「…………」
『だからなんだ』と言わなかった選択に理由はない。しいてあげるなら頭が鈍っていたせいだ。
好ましく思っている。そうか、ありがとよ。──で?
「それだけだ」
邪魔をしたなと言ってアーチャーは立ち去った。
後にはランサーがひとり残された。
*
思うに、あの男も熱で馬鹿になっていたに違いない。でなければ
自分にわざわざ好意を伝えなどすまい。
「クー・フーリン」
呼ばれて振り返る。
離れたところから近づいてくるアーチャーの目はしかし、ランサーではないものに
注がれていた。その視線はランサーの頭上を越して奥へ。
アーチャーは
食堂のテーブルを二つ通り過ぎたところでようやくランサーへと目を向けた。
「どうした」
問いかけは、キャスタークラスで現界した自分から。
「ああ。このあいだの──」
赤い礼装がランサーの横を通過した。
自分の隣に立って話す。
「…………」
ランサーは無言で席を立ち、とっくに
空にしていた夕食のトレーを厨房横にある返却口へ押しこんだ。食堂をあとにする。
おもしろくない、と感じることがおもしろくない。
キャスターの
自分を呼びかけた理由は話があったからで、他意はないだろう。おそらく。ほかに何かあったところで愚かしく駄々をこねる真似はしない。
子供じゃあるまいし。
──とはいえ、どうにも腹の底が落ち着かない。
「……叔父貴でも誘うか」
戦闘訓練のために設けられたシミュレーションルームはいつの時間も人がいる。そう簡単に発散できないフェルグスはよく見る顔の一人だった。
緩く曲がった廊下には珍しく誰の姿も見られない。女や子供、作家のサーヴァントは自室に戻っている時間帯か。作家陣はいつでも籠っているが。
目的地を決めて進む。
歩く先にサーヴァントがひとり、ランサーに背を向ける格好で立っていた。刈りこまれた白髪と腰から下肢を覆う礼装は、見慣れた男とよく似ている。
「──よお」
ランサーは数秒開けてから、そこのアーチャー、と呼びかけた。
銃撃は直線で、
避けるに易い。──などと思い込ませて背後から弾が飛んでくるのだから油断できない。
硬い建物ばかりで土のないフィールドを指定したのは
エミヤだ。ランサーとしては多少強引に誘った手前、おまえさんの好きな
場所でいいぜと促したわけだが、「光の御子はどこで戦おうと勝算に変わりはないと。大した自信だ、うらやましいよ」冷笑をぶつけられた。
男が選択した
近代都市空間は死角が多い。ビルの群れが天を突く。時間帯は月のない夜。
「チッ──」
ランサーは舌打ちをひとつ。斜め上空から撃ちこまれる銃弾を前に走り抜けることで空振りさせた。
アーチャーの影を追ってビル側面に近づき、跳躍。足形をつけて体を宙に持ち上げる。
弓兵のクラスでもあっちとは異なり銃を扱う男は、ランサーからその姿を隠すことで場の
主導権を維持した。直接斬り結ぶことを徹底して
避ける。面倒極まりない相手だ。
隣接するビルの壁を足場に三角跳びで
上る。
錆びた手すりがぐるりと囲む屋上に着地。
相手の姿は──
「!? おいマジかっ」
向かいのビルにあった。銃口がランサーを向いていた。口から出た文句は、そこに込められた魔力を感じ取っての反射だ。
接近戦を主とする
槍兵が一瞬足を止めるこのときを狙っていたに違いない。
ルーンによる結界を展開するだけの時間はない。離脱するにも遅い。相討ち狙いで
大軍宝具を放つにもやはり遅い。
半身失うくらいは覚悟の上で飛び降りた。近代建築物が魔術の暴力にどれだけ耐えられるか──
背後で、空が輝いた。
ランサーが一度足をつけたビル屋上は蒸発した。
銃口の向きが少し下に傾くだけでランサーも末路を同じくするはずだったがしかし、そうはならず。原因は、ランサーを挟んで他方から飛来した矢の大群だ。
弓兵のいたビルに無数の風穴が
開いた。魔力を放ったところだけが無事だった。銃口を下ろすエミヤオルタの姿が見える。
「アーチャー!」
ランサーはコンクリートの地面に立って空を見上げ、声を張った。呼びかける先は二丁拳銃の弓兵ではなく、
「──なんだ、ランサー」
スカした
表情で姿を見せた
赤い弓兵だ。
乱入者は肩をすくめた。キザったらしく両腕を軽く揺する。
「おたのしみの邪魔をしたかな」
「オレはつあわされただけだ」
返答はビルの上から。
エミヤオルタはランサーを一瞥してから背を向けた。じゃあな、とひとこと残して姿を溶かす。
『お役御免』と言うようにあっさりシミュレーターから離脱した。
あとにはランサーと、乱入してきた弓兵の二騎が残される。
「……なんの用だ、弓兵」
槍の石突で地面を叩く。戦闘の邪魔をされた怒りは不思議とない。生死をかけた死闘であれば違ったが。
弓兵の手にはいつもの見慣れた双剣ではなく、黒い大弓が握られていた。あっちの弓兵を妨害した矢がこの男によるとは疑いようもない。
アーチャーは眉をひそめた。
「
模擬戦なら、私でもよかっただろう」
「ああ?」
その返事は槍兵の問いかけに対する答えとはちぐはぐな内容だったが、咎める色を帯びていたせいで、「テメェは槍なしのオレと話してただろうが」ランサーは疑問に思うより先に反射的に言い返した。
「燻製肉を食べるか聞いただけだ」
「なんだそりゃ、アレにだけ」
「君が勝手にいなくなったんだろう」
肉の
出所はキャスターだ。
アーチャーはランサーの言葉に被せて、だから先に聞いたまでだと、眉尻を吊り上げて言い重ねた。
閉じた口元がむすりと曲がる。
「……なんだ、そりゃ」
ランサーはさっきと同じ言葉から力を抜いて繰り返した。
なんだそりゃ。なんだその言い方は。まるで拗ねているみたいじゃねえか。──男の調子がおかしいと、ここでようやく気づく。
本人に自覚はないようだが。
「なんだ、とは? 君が最後まで人の話を聞かないから」
「あー、いい。そこはわかった」
仮定を咀嚼しきる前に弓兵の言葉を聞いてはうやむやにされてしまう。少し黙れとでも言おうものなら逆効果だ。そのくらいは承知していた。
だから、
「で? おまえさんは何しに来た」
ランサーはさっきの問いをわかりやすく言い直してやった。
アーチャーは眉間の皺を深くした。
「……何」
「
こんなところにたまたま迷い込むわきゃあねえよな。オレに何か用か」
「…………」
ランサーの視線を受けて身じろぐ。
そろって口を閉じれば居心地の悪い沈黙が落ちた。
現実にあって現実ではない世界に人はいない。都市を再現しながら生きものの存在しない空間は二人きりだ。音がない。
空気があるため完全な無音ではないものの、音も熱も、発生源はどちらかに限られた。
大弓を手放して空いた手をゆるく握っては開き、口元を撫でて言葉を選ぶ。慎重に考えようとしているが、落ち着きがない。
「──肉を、君も食べるかと」
「おう」
「
仮想空間から魔力を感じて……」
「へえ?」
「……君が、アレといるとは思わなくて、だな」
「なるほど」
「……、……君は意地が悪い」
「ふはっ」
最後には苦々しい非難とともに睨まれて、ランサーは我慢できずに吹き出した。
仮想空間は広大な密室だ。逃げ場がない。それを、遅ればせながら理解したのだろう。アーチャーの話では『ランサーを追いかけて飛び込んできた』と白状したに等しい。どんな言い訳を並べようと。
「ハッキリ言われなけりゃ、わからねえからなぁ」
ランサーは朱槍を消した。弓兵との距離を詰める。
「ひとをおちょくって遊ぶ趣味があったとはな。愉しそうで何よりだ」
では、とアーチャーは背を向けた。
そのまま本気で離脱しようとする体に抱きついて阻む。肩に腕を回して顔を寄せる。
「待て待て、拗ねるな」
「拗ねてなど」
「アーチャー」
呼びかけた声は、笑えるくらいあまったるい声だった。わざとではない。
ランサー自身も驚いて唾を飲むくらいに意外な声音をしていたが、耳元に吹きこまれたアーチャーは猶更だったらしく、ぎしりと固まった。
数秒の硬直から解けたのちにランサーを横目で睨む。
「──貴様」
「からかっちゃいねえよ」
先んじて否定する。遊んでいるつもりもない。拗ねきった男に振り払われないよう肩を抱く手に力を込めた。
熱で馬鹿になっていたせいだと思っていた。あれから何もなかったから。──しかし、どうやら思い違いだったらしい。
「肉な、肉。食わせてくれよ」
仕切り直しとばかりに明るく告げる。顔を覗く。
槍なしの
自分が持ち込んだという肉を口実にわざわざ探しに来た男は数秒、
「…………」
むくれた
表情でランサーを睨みつけ、貴様が食われるほうだ、と鼻を鳴らした。
「ハッ!」
かわいげのないくちに噛みついてやったら血の味がした。