THE WHISPER 生者のフリをすること。
魔術の行使は極力控えること。
宝具はもちろん使用禁止!
頭身の縮んだレオナルド・ダ・ヴィンチから『くれぐれも!』と念押しされたが行動に縛りを課せられることなど今に始まったことではない。生前から──それどころか死後においても、あまり振り返りたくない記録がボロボロある。
無抵抗な目撃者をただ殺す。相手の能力を測ったら撤退する。面白くもないそれらの命令に比べたら、先の
三か条などかわいいものだ。
「なんだかねぇ……」
思い返して、ランサーは中身のない感想を呟いた。持て余し気味の腕を組み、壁に背を預けたまま肩をすくめる。水気のない土壁が擦れてザリッと乾いた音がした。
家具どころか床板も壁紙もない、素材が剥き出しの部屋は、部屋というよりも明るい洞穴といった印象を受ける。当然のごとく窓も扉も存在しない。もとはあったのだろうとは、床に散らかったガラス片と木屑によって推測できたがその面影は四角い穴だけだった。
乾燥した空気に鼻腔が乾く。退屈だ。立っているだけでやることがない。
「動いた」
「やぁっとか!」
斜め下方からの報告を受けて腕組みを
解き、ぐっと背伸びをしてから外を見た。しゃがんだアーチャーの頭の上から顔を出す。
枠のない元窓から見える景色は黄土色に濃淡をつけただけで、焦点が吸い寄せられるような特徴がどこにもない。土埃によって空まで茶色がかって見える。
水分の抜けた土地だ。アリ塚のような建物に人の姿は──人どころか、生き物が動く様子は窺えないものの、鷹の目が捉えた以上は事実だろう。
「
合図を確認した。こちらも動く」
アーチャーは右耳に片手をあてて宣言した。
立ち上がるその姿はいつもの赤い礼装ではなく、外と同じ
土埃色をしたジャケットにズボン、それから白髪を同色の帽子で覆っていた。靴だけは見覚えがあるものの、服装がまるで違うせいで見慣れない。
「ランサー」
呼びつけられると同時にゴミを放られた。──いや、ゴミではない。手のひらを広げてみれば、それは小さな機械だった。
槍を抱き両手を空けて、人差指と親指だけで摘まめる黒い塊を顔の前に掲げ見る。
「なんだ、こりゃ」
「
通信機だ。通常のそれとは違い、アトラス
印の特別性だそうだ。サーヴァント同士の波長によって通信する、……そうだな、外付けの念話のようなものだ」
「はー」
耳につけろ、と言うアーチャーの真似をして右耳に捻じ込んだ。若干の違和感を覚えはするものの、すぐに慣れるだろう。
妙な感覚は右耳よりもむしろ、
「聞こえるか」『聞こえるか』
二重に届く声のほうだ。
ランサーは鼻面に皺を寄せた。不満げに唸る。耳からむしり取るまではしなかった、床に踵を擦りつけた。
「こいつはつけにゃならんのか」
「サーヴァント同士で意思疎通をするには不可欠だ。マスターの指示があれば別だが、個別に動き、かつ連携を取ろうとする以上は何かしらの伝達手段がなければどうしようも」
「あーあーあー、わかった! わかったから頭の中でまでぎゃんぎゃん言うんじゃねえ」
「……君が説明を求めたんじゃないか」
文句を言われたが、ランサーとて言い分はある。ただ耳にするだけならまだしも長々と頭の中でまで繰り返されてはたまらない。
言っておくが君の声もうるさいからな、とアーチャー。その苦情は、今度は頭の中でだけ聞こえてきた。
肩越しに視線を向けられた。
弓兵の背中を見て、
「──なるほどな」
ランサーは納得の声を漏らす。
直接聞こえるせいで二重音声になるだけで、声を抑えて──あるいは聞こえないくらい遠くで──話す分には問題ないと。よくわかった。“外付けの念話”との説明がしっくりくる。
『理解が早くて助かるよ』
こちらが把握したと見るや、アーチャーは片頬を吊り上げた。揶揄は頭に響くだけで聞こえてこない。唇は微かに動く。
ランサーは追い払うように手を振るジェスチャーで作戦開始を促した。
見慣れない服を着た、カルデアにいるうちにすっかり見慣れた背中に続く。
現代武器と服で武装している以上、霊体化はできない。
『拠点地下施設への到達。これが第一目標だ』
前を行くアーチャーが止まったのを受けてランサーも足を止めた。靴底が砂利を擦る。
住民を無くした市街地は建物の抜け殻が並ぶばかりで命がない。街中央にある古代の神殿が
武装集団に占拠されてから過疎化した、らしい。──分析はダ・ヴィンチによる推測だったが、アーチャーは支持した。
特異点の反応は、その地下神殿深くから。ダ・ヴィンチは続けて魔術師の関与を想定した。一方でアーチャーはこれを否定。
アサシン単独による潜入と制圧とを提案した。
『だが、我々の
任務は別にある』
メインミッションの実行部隊はアサシンだ。ランサーもそれは承知している。先ほどの合図はアサシンが指定ポイントに到達したことを示していた。
アーチャーとランサーに課せられた作戦行動は、
『陽動だ』
──思い出す話とアーチャーの声が重なった。
『つまり派手に暴れろってことだろ』
『敵も馬鹿じゃない。陽動と気づかれて内部の守りに回られては厄介だ』
『じゃあどうするって?』
軽い問いかけに、アーチャーが口の端を上げた。ランサーからはその背中しか見えないが、口角を歪めた
表情が想像できた。
『なに、簡単だ。進撃すればいい』
立ち止まった背中が先を走り、距離を開けた。
廃墟を抜けて敵拠点まで近づきつつ、敵にわざと姿を捉えさせる。
少人数の不自然さは進攻の早さで有耶無耶になる、とは弓兵の言葉だったか。ランサーは「雑な作戦だな」と素直な感想を述べたが無視された。
鉄屑となった車の横を通り過ぎた。傍の建物はまるで巨大な爪で抉り取られたように半分だけ崩壊して中身を晒す。放棄されてしばらく経っているのだろう。
『我々に与えられた任務は“敵を引きつけること”だ。誘い出して無力化する。対象は多ければ多いほどいい』
おびき寄せられる敵が増えればその
分、内部の守りは手薄になる。アサシンが動きやすくなる。結果として、目的達成の成功率が跳ねあがる。
そうは言うが、とランサーは眉根を寄せた。
『敵、つったところで人間相手じゃあなぁ』
『やる気が出ないか?』
『アサシンに任せておきゃあいいじゃねえか。魔術師はいないんじゃなかったか』
ただの人間がどれだけ詰めていようとサーヴァントの敵ではない。ましてやアサシンならば、その
気配遮断でもって姿を見られず到達地点まで達することなど造作もないはずだ。
前を歩く弓兵が立ち止まったのを受けてランサーも足を止めた。その肩越しに見える先は
開けた場所だ。身を隠せる死角がない。
『そうだな。
魔術師は、いない』
含みのある言い方だ。
『だがおそらく──』
私の勘が正しければ。そう続いた言葉は爆風によってちぎれ飛んだ。
広場が土煙で覆われる。
『来たぞ、構えろ!』
言われずとも。しかしランサーの手にある獲物は愛槍ではなく、軽くて持ちがいのない
機関銃だ。事前に
訓練させられたものの、どうも慣れない。
不満を見透かしたように、『後ろから撃つなよ』アーチャーが軽口を叩いてきた。
『サーヴァントにゃ効かねえだろ』
『たわけ、服に穴が空くだろう』
『そっちかよ』
煙が晴れる。
広場の景色は、中央に焼きついた焦げ跡以外に変わりがない。
「──上だ!!」
ランサーの警告より早く、アーチャーが
空を撃った。
弾丸は狙い違わず、屋上から現れた敵影を貫通。落下してくる塊はランサーの頭上から滑空して広場へと不時着した。
ドローンだ、とアーチャー。
それは大きな昆虫のようだった。艶のない黒色をしたフォルムは実在する
生物に似せたのか、寄っただけか。
撃ち落とされた一機は斥候だったらしい。
左右に建つ屋上から、『おいおい、随分話が違うじゃねえか』同型の
物体が複数体、現れた。
苦情を言いたくもなる。腹に機銃を抱えたそれらは機動性の高い狙撃手だ。
『羽虫は構うな、特攻をしかけてくるヤツから撃ち落とせ!』
アーチャーはその長い脚で、すぐ横にあった扉をぶち抜いた。屋内へ退避すると同時にそれまでいた地面が細かく跳ねる。
踏み入った一階は、さっき出てきた即席の拠点とは異なり暗く、空気も湿っていた。窓の部分に木板が打ちつけられているせいだろう。隙間から外の光が漏れる。部屋の奥にも部屋が続く。
先を行くアーチャーから指示が。
『
二手に分かれる。
目的地は、──わかるな?』
先行する背中が歩調を緩めて振り返る。ランサーはその横を追い越した。奥にある階段を駆け上がって二階から三階まで走る。
『アサシンの気配を目指して行きゃあ間違いねえだろ』
タタタ、と遠くで銃声がした。アーチャーが迎撃した音か。
『
まあそうだ』
肯定する言い方に含みを感じたもののランサーは片眉を上げるに
留めてやった。挑発にのるよりまず聞くことがある。
行き着いた三階はだいぶ開放的だった。壁に等間隔に空いた大穴が屋外との境をなくす。滞空中のドローンが外に見えた。
安全装置を外して銃口を向ける。引き金を引く。軽い武器は軽い反動を伝えて、ドローンに穴を開けた。一連の動作は階下にいる
教官から叩き込まれたばかりの付け焼きだ。
落下する塊と入れ替わりに三体増えた。腹の機銃は最初からランサーを向いていたが、直線の銃撃は避けるに容易い。
弾道を見送りながら、アーチャー、と呼びつけた。沸いてくる虫を撃ち落とす。
『説明しろ』
『聞いたところでやることは変わらないぞ』
『ハエ叩きなんざ退屈で仕方ねえ』
『ラジオ代わりか?』
まあいい。承諾ののちに轟音が届く。
元窓の外に黒煙が立った。
爆発音は鼓膜を直接震わせた。インカム越しではないその正体を、ランサーもすぐに理解した。させられた。現れた羽虫が高速で──生身の人間ならば避けられない速度で──足元めがけて飛来し、激突。爆発した。
ヒュゥ、と口笛を鳴らす。
「派手だねぇ」
ランサーは埃が舞う中を駆けて跳んだ。光の眩しい外へ。
隣接する
建物の壁を蹴って上昇。重力に逆らった浮遊感に
内臓が浮く。
出たばかりのビル壁面をまた蹴って、三角跳びの要領で隣の屋上に着地した。
『ランサー』
呼びかけは、
『当たっちゃいねえよ』
『
人間の域を超えるなよ』
心配ではなく小言だった。
ランサーはむっすりと口を曲げた。
この程度で互いの身を案じるなど実力軽視も
甚だしい。調子に乗って返したが、小言であって当然だ。
気が抜けている証拠だと、小さく息を吐いた。愛槍の代わりとして握った
銃把から力を抜く。
砂の混ざった風が髪を引いた。土埃色の土地を見渡して目を細める。
ラジオ代わりの
通信機から響く低音が腹の底をざらりと舐める。
『拠点に詰めているのは、おそらく
霊子ハッカーだ。
魔術師もいるかもしれないが──』
ドローンは、ハッカーによる遠隔操作を受けている。
機械越しの目と耳によって我々の行動はすべて記録され、解析されているだろう。神秘の秘匿はレイシフト先でも可能な限り敷かれるべきだ。なぜなら一度、白日の
下に晒されたが最後、情報は拡散・共有され、微小特異点がどう揺らぐかわからない。
ランサーはようやく合点した。
薄々わかっていたことではあるものの、相手が人間では、英霊が
英霊としての力を振るえなくとも無理はない。ましてや弓兵の言うようにどこに目があるかわからない状況ならば、
生者として事態解決に当たることも止む無しか。
増援が現れた。滞空からの機銃掃射で足元の床に穴が空く。
いくら来ようと無駄なものを。
『この時代の
大源は枯渇している。だから再現性はないはずだが』
「お、っと。なんだ?」
カチン、と手元から音がした。引き金が
空を切る。
『弾切れか』
インカム越しに察したアーチャーの指摘に、おう、と頷く。撃ち落とされるはずだった一機からの攻撃をバックステップで回避。
『銃は捨てるなよ。
胸にマガジンポーチがあるだろう、
再装填のやり方は』
頭蓋に朗々と流れる
話は聞き流した。羽虫からの銃撃を走ってかわしながら、床から抉りだされた石片を拾う。
ドローンから距離を取って停止、振り返って一投!
「っし、命中!」
ただの石は狙い違わず敵機を貫き、撃ち落とした。銃などよりよほど手ごたえがある。
『君なぁ……』
呆れた声音はまるで見ているかのようだ。──と思えば、そのとおり見られていた。
いつのまに屋内から出ていたのか。広場の先まで先行した弓兵からは、屋上にいるランサーの姿など丸見えだ。ランサーは、その白い頭が左右に振られる様を確認した。
『ランサーからアーチャーにクラス変えか?』
『ハッ!』
鼻を鳴らす。足元の石を拾って投げてまた一機。
『これなら文句ねえだろ』
ただの投石だ。弾切れもない。
『再装填も教えたはずだが?』
『面倒くせえ』
『…………』
高性能な
通信機は、アーチャーのため息までクリアに脳内に響かせた。
終幕はあっけなく訪れた。
『逃走したか』
『なんだ、潰しがいのねえ』
握った石を捨てる。巨大な岩山のごとき神殿にいざ乗り込もうというところでおたのしみは取り上げられた。
『野蛮だな。進攻したのはこちらだ。むしろ、逃げるだけの冷静さを保っていたことを褒めるべきだろう』
作戦終了を告げるアーチャーがその肩から力を抜く。インカムに手を当てて頷く様を見るに、アサシンか、あるいはマスターから連絡を受けているのだろう。ランサーは横の鉄塊に腰を下ろした。
拠点にいた人間は逃走した/見逃した。──つまり、アーチャーの見立てが正しかったということだ。
魔術師はいなかった。メイガスも、ウィザードも。
いたのは反体制派を掲げるハッカーが数人。古代神殿に埋没した
資源の使い方に気づかないまま、ドローンによる消耗戦を仕掛けるしかできない小物だけだ。
通信機を耳から外す。腿を肘置きにして頬杖をつく。近づいてくる弓兵を待った。
「んじゃ、帰るとするか」
「…………」
「なんだよ。まだ何かあるのか?」
黙って顔を見合わせてくるアーチャーに、ランサーは眉をひそめた。
ごっこ遊びも最初のうちはその新鮮さで楽しめたが飽きがくる。
「ああ……。いや、ない。戻ろう」
アーチャーは小さく
頭を振り、笑みを見せた。帽子を取る。魔術で顕現させた小物は手品のように掻き消えた。
見上げるランサーは目を眇めた。砂埃を含んだ風が白髪を撫でる。
「……昔を思い出した」
視線に耐えかねたのか。あるいは郷愁でも感じたか。アーチャーはぽつりと、「こんなふうに、誰かに任せることはなかったな、と」笑みのような、自嘲のような、曖昧な表情を口の端にのせた。
ランサーには何かを任された覚えがない。そこで“頼る”と言えないところがこの男らしいとも言えるし、面倒な性格だとも思う。
鉄塊から腰を上げた。追ってくる視線を見返しながら顔を近づける。
「帰ったらメシにするだろ」
「ああ。──なんだ、リクエストでもあるのか?」
「まあ、そうだな」
弓兵の肩に腕を回す。
額を寄せて、
瞳を覗き、キスでもするように顔を傾けて囁いた。
「終わったら部屋に来いよ」
戦闘から帰ってすぐだろうと、どうせこの男は厨房に立つ。それをどうこう言うつもりは毛頭ないし、ランサーとてうまいメシが食えるのだから文句もない。
が、そのあとの時間に予約を入れておかなければダメなことは、短くもない現界の中でよくよく思い知らされていた。
「物足りなければ
模擬戦闘につきあうが」
「それも悪かねえが」
張りあいのない敵に物足りなさを感じもしたが、それよりも。
「耳の中でぼそぼそ話されちゃあな、勃ちもするだろ」
責任とれよと押しつけた。