【リョ菊】今日が終わる前に
デジタル時計がゼロを並べた瞬間、菊丸の携帯電話は賑やかに震え始める。
部活の仲間、同級生、先輩や後輩も、学校外の友人も、日付が変わるのを待ち構えていたのだろう、誕生日を祝う言葉が雨のように降り注ぐ。
ひとりに返信している間に数人から着信が入り、未読のメッセージが増えていく。
おめでとう、ありがとうを繰り返し、軽快にタップしていた指が疲れた頃にようやく菊丸は気がついた。
「……おチビ、寝てんのかなぁ」
誰からの祝福も嬉しい。それは本当だ。
けれどどうしたって越前リョーマは特別で。
可愛い後輩で、頼もしいチームメイトの彼は菊丸の恋人でもある。だから電話だっていの一番にかけてくると思っていた。
それなのに、越前からのメッセージも電話もいまだに来ない。
よく寝る子だし仕方ないのかな、と菊丸は小さなため息をついた。日付の変わった今日は部活がないから、学年の違う菊丸と越前は約束をしない限りは会うのは難しい。
だからこそ越前から欲しかったのに、ともう一度ため息をつく菊丸はヨシと切り替えた。
もらえないのなら、菊丸からもらいに行くまでだ。
「寝よっと!」
勢いよくベッドに潜り込んで菊丸は目を閉じる。
おめでとう、をねだる気満々だった菊丸はことごとく空振りに終わった。
教室も、屋上も、裏庭も図書室も何もかも。
どこへ行っても越前はいなかった。正確には、さっきまでいたんですけど、という答えが返ってくるばかりだったのだ。
結局、学校では一度も越前とは会えなくて、家族が祝ってくれた夕食もほんの少し寂しかった。
どうしたものかと唸る菊丸の携帯電話が震えたのは、風呂も済ませて寝ようかという時間だった。
画面に表示された名前に慌てて飛びつく。
「おチビ!」
『………っ、す』
あまりの勢いに電話の向こうで越前はひるんだらしい。ごめんなんて菊丸は言ってやらない。
「今頃にゃんだよ」
精一杯の不機嫌さを混ぜる菊丸の耳に、すみません、と越前の殊勝な声が響いた。
『言い訳するわけじゃないんすけど、家の用事があって……』
ま、言い訳だよな、と菊丸は思う。思うけれど越前の声が聞けただけで気持ちは軽くなってしまう。仕方がない。好きな相手の声を聞いてしまえばそれだけで満足してしまうのだ。
『先輩』
「んー?」
『誕生日おめでとうございます』
「ん、ありがと」
いつもより柔らかな声が耳元で広がる。くすぐったさに口元は自然とゆるんでいく。
『今、時間あります?』
「時間? あるけど、にゃんで?」
『じゃあ外、出てきてよ、英二先輩』
「……は?」
慌てて窓を開ければ思いもよらない人影が下に見えた。
『プレゼント持ってきたんで』
「今行く!」
パジャマを脱ぎ捨て急いで着替える。廊下ですれ違った兄に首を傾げられたが、すぐに戻るとだけ言って菊丸は玄関を飛び出した。
「おチビ!」
夜だから大声を出すわけにはいかず、けれどめいっぱいの気持ちを込めて越前に抱きついた。
「先輩」
菊丸を抱きとめる越前は、よしよしとなだめるように背中を撫でてくる。
「遅くなってすみません」
「ほんとだよ。探したんだぞ」
「はい」
堀尾たちから聞いたと越前は言い、もう一度すみませんと謝ってきた。
「それよりもっかい言ってよ」
謝罪の言葉よりも言うべき言葉があるだろうと菊丸が催促すると、越前がいつも以上にふわりと笑った。
「誕生日おめでとうございます」
「ありがと」
ぎゅぎゅっと抱きしめた体はあたたかかった。
「本当は電話もしたかったんすけど」
スケジュール的に無理だったので、と日付が変わった直後の電話がなかった理由もぼんやりとだが伝えてきた。けど、と越前は続ける。
「今日すぐは、きっといろんな人が英二先輩におめでとうって言うだろうから、ちょっとだけいいかなって思ってました」
「? にゃんで?」
首を傾げる菊丸に、越前が視線をそらしながら答えた。
「俺は、アンタの一番でないといやなんで」
「…………そっか」
零時ちょうどのメールも電話も、他の人と同じ行動だから埋没してしまう。菊丸がまとめて扱うような性格ではないとわかっていても、他の誰かと一緒なのは越前としては嫌だった、ということらしい。
「だから、今日の最後に英二先輩におめでとうって言うつもりでした」
家の用事で会えないとわかっていたから尚更こだわったらしい。
しょうがないやつだなーと菊丸の口元がゆるんでいく。
「泊まってきなよ」
「え?」
「兄貴がいるからなにもしないけど、でも泊まってきな」
菊丸の唐突な誘いを越前は一度受け止め損ね、けれどすぐに掴み直した。
最後におめでとうを言うのが越前ならば、日付が変わるまですっとおめでとうを言い続けて欲しいだなんて、菊丸のわがままを越前は嬉しそうに受けとめた。
誕生日おめでとう、とまた越前が言い、そして愛していますと甘い言葉がひそやかに続いた。