【始春】He kissed me good-night. 仕事をするにはまったく問題ない。
だけど気持ちは沈んだままでどうにもならない夜もある。
昔はひとりで処理できていたのに最近はそれすらできなくなっている。弱くなったなあと思う。どうやって取り繕っていたんだっけ。誰とも会わずに引きこもっていたような気もするし、ひたすら仕事を入れて意識を反らしていた気もするし。
今はもう、どうしていたかがわからない。
夕食後、なんとなく動きたくなくて共有ルームにいたら、何かありましたか? って駆が優しく聞いてきてくれた。
「なんでもないよ」
「まぁそう言うと思いましたけど、全然なんともない顔してないですからね」
「それは困ったな」
「困りましたねぇ」
ちっとも困っていない顔で駆が笑う。駆のキラキラが俺の気持ちを少しだけ持ち上げてくれる。
一緒に生活していると些細なことすら見つけられてしまうから、というのは言い訳かな。言い訳にしてしまいたいんだろうな、今の俺は。
「春さん、俺のとっておきを貸してあげます」
そう言ってフワフワのタオルケットを渡してきたのは新で。触ると気持ちがよくて、ザリザリしていた俺の心が柔らかくなっていく。
「このところ忙しかったからお疲れなんですよね。昨日から雨も降ってますし。……大丈夫、寝たら元気になりますからね」
気にしすぎないでと俺の頭を撫でて眼鏡を外していくのは恋だ。お兄ちゃんの手は優しくてほんのちょっぴり泣きそうになる。
「春さん、どうぞ」
ふわりと甘い匂いのするマグカップを差し出したのは葵くん。両手で持つと身体から余計な力が抜けていく。ホットミルクをひとくち飲んで、俺は首を傾げた。
「はちみつ? ……あ、チョコレートだ」
「実はどっちも入ってるんですよ」
今の春さんには甘々がいいかなと思って、と言ううちの王子様の笑顔はもっと甘い。
「ありがとう」
それだけ言うのがせいいっぱい。
愚痴を言いたいわけでも嘆きたいわけでもない。俺を見て、ただ傍にいてくれる4人が今の俺にはとても大きい。
弱くなったなと思うけれど、甘えていいんだよと言ってくれるみんながいるから、まぁいいかと思えるようになった。
「戻りたくないなぁ」
ひとりになるのがちょっとだけ嫌で。そうこぼした俺に、はい、と駆が手をあげた。
「今日はここで皆で寝ません?」
「いいね、かけるん!」
「旅行みたいだね」
「でも……」
「春さん」
明日が早いはずの年少さんたちに俺が言おうとしたら、新がしーっと人差し指を自分の唇に当てた。
その仕草がやけに大人っぽくて、ああ、新もこんな顔ができるようになったのかと妙に感心してしまった。
そうして俺が何も言えない間に、みんなが簡易マットや毛布や掛け布団を持ち寄ってくる。
共有ルームは広いベッドルームに変わった。
ついでとばかりに俺から鍵を取り上げた駆がホケキョくんの世話をしに行ってくれて、着替えのパジャマも持ってきてくれた。
交代で洗面所へ行って寝支度を整える。その間も誰かが必ず俺のそばにいてくれる。
そうして気づけば5人で布団の上に転がっていた。
「そうだ、春さん、今日の俺はラッキーさんなんで寝る前にラキバしておきます?」
一番端にいた新が起き上がる。そうだったっけ、と思いつつも新が広げた両手はとても魅力的だった。
「ありがとう。じゃあ、葵くんも一緒だ」
俺の隣できょとんとしている葵くんを巻き込んで新に抱きつく。
「俺も俺も!」
恋が右手を挙げて後ろからぎゅうっと抱きついてきた。少し強めのハグに背中まで温かくなる。
「春さん、俺が抱きついたらアンラになっちゃうかもしれませんけどいいですか?」
ほんのちょっぴり控えめに駆が聞いてくるから俺はうなずいた。
「もちろん。駆がここにいてくれることが、俺にとっては何よりもラッキーだよ?」
手を伸ばせば嬉しそうに駆も抱きついてきた。
「さすが誑し王……」
恋のつぶやきはわざと無視する。だって本当のことだからね。
ぎゅうぎゅうと抱きつきあっていたら沈んだ心は軽くなっていく。たくさんの優しさとあたたかさが酸素みたいに身体の中を駆け巡る。
「ありがとう。みんな大好きだよ」
「俺たちも春さんのことが大好きです」
成人して、それなりに大きい男たちが笑いながら抱きあうなんて、傍から見たら滑稽かもしれない。だけどひとりではどうにもできない気持ちも、一緒にいてくれる仲間がいるから救われる。こんなに幸せなことはない。
そのまま5人でゴロゴロと布団の上を転がっていたら、共有ルームのドアが開いた。
「ただい………………何をしてるんだ?」
仕事帰りの始がドアノブに手をかけたまま固まっている。
始のこんな顔を見るのも珍しいから俺たちは声を立てて笑った。
「始さん、おかえりなさい」
「おつかれさまです、始さん」
「今日はここでお泊り会です!」
「お待ちしてました! ささ、どうぞ!」
年少さんたちの言葉にどういうことだと始が俺を見る。吐息を漏らすように笑って俺もお泊り会ですと答えた。
ぎゅうぎゅうと抱きあっている俺たちに、いつもだったら顔をしかめる始が今日は何故だかおとなしい。
「わかった」
頷いて、支度してくるとだけ言って自分の部屋に消えていった。珍しいこともあったものだ。
しばらくして共有ルームへ戻ってきた始のために、恋が駆の方へ寄る。当然と言わんばかりに俺の隣へ始を押し込んだ。
「それじゃ電気を消しますよ」
リモコンを手にした恋が照明を消し、全員並んで横になる。
いつもより間隔を詰めて、俺がみんなの体温を感じられる距離で。
暗闇の中、俺じゃない誰かの寝息が聞こえてくる。それが泣きそうなほどの安心を俺に運んでくれる。
眠気がやってくるにはもう少しかかりそうだなあ、なんて思っていたら横から始の腕が伸びてきた。
腰に回された手が、ぐい、と俺の身体を始の方へ引き寄せる。
呼びかけようとした俺を制して、始がぽんぽんと俺の背中を優しく叩いた。
「おやすみ」
そう囁いて頭にキスをひとつ。
ああ、そうか。始も気がついてくれたんだ。
単純だと笑ってくれて構わない。
それがだめ押しで俺は眠気と握手した。