【始春】きみにあげる
誕生日プレゼントが届いているので事務所へ寄ってほしい。
月城から連絡が来たのは雑誌のインタビューと数本分の広告撮影が終わった頃だった。
去年は朝から連絡が来ていたけれど今年はだいぶ遅い。月城も忙しいからと思いながら事務所に顔を出した春は、連絡が夜になった理由を悟る。月城と並ぶ人物とは視線を合わせるだけにとどめ、ひとまず月城と挨拶を交わす。
「おつかれさまです」
「おつかれさまです。遠回りさせてしまってすみません、本当は寮まで届けるつもりだったんですが……」
「とんでもない。いつも月城さんにお任せしてしまっていてすみません」
「僕は嬉しいのでお気遣いなく。今年はプレゼントだけじゃなく、春くんも寮までお届けします」
「ありがとうございます。……で、始はなんでそこにいるのかな?」
「おつかれ、春」
月城の隣に立っているのは始だった。軽く手を挙げ始は笑いかけてくる。
「タイミング的にお前を待った方がまとめて送ってもらえそうだったからな」
「始は用事あったっけ?」
春が把握している範囲では今日の始は事務所へ寄る予定はなかったはずだ。首を傾げる春に足元の紙袋を指さした。
「ああ、始の分か」
「そういうことだ」
定期的にファンからの手紙やプレゼントは受け取っているが、このところ移動の多い仕事ばかりだったせいもあって始は事務所へ寄る余裕がなかった。今日ならば確実に春へのプレゼントを届けに月城が車を出すとわかっていたから寄ったのだろう。春を呼び寄せたのも、始ひとりよりも春とふたりの方が月城に運転させてしまう心理的負担を軽減できると踏んでだろう。
それからもうひとつ。現場で誕生日ということもあって色々な人からプレゼントを受け取った春の両手は大きな紙袋でふさがっている。始はこれも見越していたはずだ。
「余計な重しが増えますけどよろしくお願いします」
月城へ笑顔を向けた途端に始が仏頂面になる。
「おい、余計な重しってなんだよ」
「あれ、自覚あったんだ? 180超えの男が増えたんだもの、重しでしょ」
「それを言うならお前だって180超えてんだろ。むしろ俺よりでかいくせに何言ってんだ」
「ざーんねーんでしたー。春さん、最近体重を減らしました」
ふふん、と胸を張れば始が底意地の悪い笑みを浮かべる。
「ってことは筋肉を落として脂肪が増えたってことか? へえ、安い肉から高い肉へ転向か。ブヨブヨになってたら次のライブまでに絞り上げてやる」
「ちょっと! 人聞き悪いこと言わないでくれないかな!」
春の叫びにこらえきれなくなった月城が笑い出す。多少の悪ノリはしていたものの、そこまで月城が笑うとは思わずふたり同時に咳払いでごまかした。
「ええと、すみません」
「いえいえ、こちらこそ」
笑いがおさまらないまま月城が歩き出す。
「行きましょうか。春くん宛のプレゼントはもう車に積んでありますから」
よろしくお願いします、と始と揃って頭を下げた。
月城と始の手を借りて部屋まで運んでもらったプレゼントは段ボールで何箱もあった。わざわざ誕生日当日に届けられたプレゼントだからと事務所の人達が仕分けまでしてくれたらしい。心遣いが嬉しくて、何度も月城に礼を言う。
「それから、これは僕からです。誕生日おめでとうございます、春くん」
小振りの紙袋を手渡され、春の胸は熱くなる。
「ありがとうございます」
「それじゃあ僕はこれで」
お茶の一杯でもと引き止める始と春に手を振って月城は帰っていく。
まだ仕事が残っているに違いない。
申し訳ないという思いは仕事で返すそうと心に誓う。いつも思っているが、春にできることはグラビを担当できて良かったと、誇りだと月城に感じてもらえる仕事をするしかない。
月城の乗った車が見えなくなり、始とふたりで寮内へ入る。
「ありがとう」
プレゼントを運び入れる手伝いをしてくれた始にも礼を言うと、大したことじゃないと返ってきた。
「春」
「なに?」
「部屋で待ってろ」
プレゼントを持ってくると言って始はさっさと自室に消えてしまう。春の予定を聞きもしない。
もっとも、夕食の時間をとっくに過ぎているので春も自室に戻るつもりではいたのだけれど。
始のためにお茶を用意するかとケトルに水を入れ始めたところでドアがノックされた。
「開いてるよー」
キッチンから声を上げれば、少し置いてドアが開く。
「お茶をいれるから座ってて。紅茶がいい? もう遅いから番茶がいいかなぁ」
「俺がやる」
手ぶらで始がキッチンへやってきたので春はおや? と思う。視線をソファの方へ投げれば、きれいにラッピングされた直方体が見える。先に置いたのか、と春は納得した。
「じゃあ、お願い。始の好きなお茶にしていいよ」
戸棚のどこに茶葉がしまわれているのか始はよく知っている。おまかせしますとキッチンを離れた春はソファに置かれたプレゼントへ手を伸ばそうとした。
「春」
制止の呼び声がした。振り向くと、そっちは後だと始が首を左右に振る。
「せっかく運んだんだ、そっちが先だろ」
「りょーかい」
始の気遣いに感謝して、『手紙』と側面に書かれた段ボール箱を開ける。わぁ、すごい、と知らず感嘆が漏れた。
色とりどりの、きれいで可愛い手紙たちがぎっしり詰まっていた。片手で掴めるだけ掴んでソファに座る。
誕生日おめでとう!
ハッピーバースデー!
手紙やカードを開くと春を祝う言葉が溢れ出す。シンプルだけれど美しいカード、キラキラに溢れたカード、オルゴールつきのカードや派手な装飾のついた手紙まで。すべて春に宛てられた祝福のメッセージだ。
嬉しくて嬉しくて、ひとつひとつ丁寧に読んではありがとうを唇に乗せる。差出人には聞こえなくても、声は空気に溶けて風に乗り、いつか届くと春は信じている。
段ボール箱の半分ほどを読み終えた頃、小さな音が聞こえて慌てて春は顔を上げた。
「どうぞ?」
テーブルへマグカップを置いた始が春の隣に腰を下ろす。やわらかな香りはカモミールだった。夜も遅いからという気遣いなのか、手紙に興奮をおさえきれない春へ落ち着けというメッセージなのか。
「ありがとう」
濡らさないよう手紙をテーブルへ置いてマグカップを手に取る。始も同じように自分のマグカップを傾けた。
始からのプレゼントを渡す気はまだないようで、どうぞの言葉を受け取り春は再びファンレターを読み始める。段ボール一箱分の時間を始は待ってくれるのだろう。明日の仕事は昼過ぎからだから、寝る時間を気にしないでいいという判断かもしれない。
「その手紙」
十通ほど読み終えて再びマグカップを手にした春に始が口を開く。長く美しい形をした始の指先は春が手にしている手紙を指している。
「他の手紙もそうだが、日付指定されてるんだよな」
「うん。ありがたいよね。……とても嬉しい」
消印のついていない手紙はプレゼントと一緒に送られてきたのだろう。それらも今日届いているということは、春の誕生日に合わせて発送されたに違いない。わざわざ日付指定をしてくれる手間という愛情が春に幸せを運んでくれる。明日以降もたくさんのプレゼントが届けられるのだろう。それも嬉しい。アイドル弥生春を愛してくれる人たちの気持ちが嬉しいのだ。
「おまえが手紙を読むたびにありがとうって言うだろ?」
「え? ああ、うん。単なる自己満足だけどね」
それがどうかしたのかと春が問う前に始がやわらかく微笑む。
「隣で聞いている俺も嬉しいんだ」
だから春が手紙を読むことに没頭していても離れなかったし、構えと言わなかったらしい。何が面白いのかと首を傾げたくなるが、春自身も始がファンレターを読んでいるときの優しい表情を見るのが好きなので、始も春のそれを眺めていたいと思うのかもしれない。
「誕生日だけじゃないが、毎年この日は特に、おまえがたくさんの人に愛されているってことを実感する。それを俺は仲間として、相方として誇らしく思う」
年々増えていく手紙やプレゼントは人気のバロメーターなどではなく、これらの向こう側にいる人が与えてくれる愛情そのもので幸せだと春は思う。
始はそれを誇らしいと言う。
「たくさん、愛されてるな、春?」
言い聞かせるような始の言葉に春は強く頷いた。
アイドルでい続けるのは楽しいことばかりではない。何度も挫けそうになったし諦めようとも思ったときもある。悔しさで眠れない夜もあれば自分への失望に押し潰されそうになった夜もある。
それでも春は諦めなかった。
ただひたすら前を見据えて、光を目指して。一緒に歩んでくれる仲間を信じて、手に手を取り合って、少しずつ進んでいった。
まだ思い描く場所にも、こうなりたいという自分自身にも程遠いとわかっている。それでもそんな春を、成長しつつはあるけれど未完成なアイドル弥生春をこんなにもたくさんの人が好きだと伝えてくれる。
「うん。俺、愛されてるねぇ」
愛されていることに素直に頷けるようになった自分もいて、それも嬉しいことのひとつだ。与えられる愛を今の自分はきちんと受け止められる。目尻を下げ、始にもありがとうと伝えた。
「始が少しだけ前を走ってくれていて、でもずっと隣にいてくれるからだよ」
この人を支えたい、この人をもっと輝かせたい。そしてその隣で自分もずっと笑っていたい。いつも、今でも、これからも。強く強く願っている。
始が手を伸ばしてくる。
「誕生日おめでとう、春」
優しく春の髪をかきまぜながら始が微笑む。
「ありがとう」
もう一度礼を言い、そっと唇を触れ合わせた。
「はる」
ほんの少しためらってから始は春を抱き寄せる。耳元で熱を孕んだ声がする。
「一時間でいい。俺に時間を寄越せ」
「始?」
情事のお誘いなのは春もわかっている。誕生日にお互いを求めあうのも毎年のこと。それなのに今年に限ってどうして時間を限定させるのかと春は目を瞬かせた。
「手紙を読み終えるまで待つつもりだったんだ」
段ボール一箱分を待ってくれるつもりなのかも、という春の予想は当たっていた。けれどがまんできなくなったらしい。誕生日当日に届けられた手紙は当日中に読みたいだろうからという譲歩にしても、一時間とは。
小さな笑いをこぼし始を抱き返す。
「一時間で足りるのかなぁ?」
時間がなくて、でもどうしても欲しくて繋がりあったことは何度かあったけれど、そうでなければ始は好きなだけ春を欲したし、春も限界まで始を求めた。明日の予定は比較的余裕があって、だからこそ始が一時間で満足も我慢もできるとは思えない。
「お望みならいくらでも?」
始の唇が蠱惑的な円弧を描く。
ああ、これは誤解されたなと春は苦笑する。一時間では足らないと春が誘いをかけたと思われた。
まあいいか。
言葉ではなくキスで始に答えを返す。
始に求められるのはとても嬉しい。誰よりも何よりも最優先で始の想いに応えたい。与えあう喜びも、愛されることは才能なのだと教えてくれたのも始なのだから。
せっかく淹れてくれたカモミールがもったいなかったなと呟く春をソファに押し倒しながら始が微笑む。
「来年はエスプレッソか濃茶にするか?」
情欲を孕んでいるのに澄みきった美しい紫の瞳にゾクリと全身が震える。取り上げられた眼鏡はテーブルへ置かれ、春の首筋を始の指先が流れていく。
やっぱり一時間じゃ足りないよね。
言いかけた言葉は重ねられた唇に押しつぶされた。