【始春】きみといっしょに ダンスレッスンを終えて帰り支度をしている春に始が声をかけた。
「春、足はまだ平気だな?」
「うん、平気だけど、どうかした?」
合同舞台で身に纏う衣装は普段のライブ衣装とはくらべものにならないほど扱いが難しい。特に今回は底の厚い靴で踊るものだから、足への負担も大きい。
けれど稽古序盤ではふらついた足元も、今やすっかり慣れたものだ。レッスンを終えたばかりで疲れはあるが、始に心配されるほどじゃない。
春を見つめていた始は短く頷いた。
ごまかしていないか、顔を見て確認するのはやめてほしいと思いながらも、始にそういう癖をつけさせてしまったのは春の落ち度だ。文句は言えないと始の 探るような視線を甘受する。
「ああ、もしかして寮に帰る前にどこか寄りたいとこでもあった? ショッピングモールを全フロア制覇はさすがにしんどいけど、そうでなければ大丈夫。おつきあいしますよ?」
自主練でないことは、始が先に着替えているからわかっている。何か買い物、あるいは行きたいカフェがあるのかもしれない。
春の予想は少し違った。
「天気が良いからな、少し遠回りして帰らないか」
「いいね。室内に引きこもっているだけじゃ健康に悪いし、運動しますか」
「さっきまでしてただろ」
空気を吐き出すように笑う始に、そうだった、と春は笑い返す。
「もうちょっと待っててね」
「早くしろ」
「はいはい」
言葉のわりにはのんびりした表情の始に背を向け、春は止めていた着替えの手を動かし始めた。
11月も間近に迫り、冬へと向かっているはずの気候はまだ穏やかだ。
自分の中で課題にしていた箇所をクリアできた喜びもあって、春の足取りは軽い。
軽いから、つい鼻唄が漏れてしまう。
「ごきげんだな」
隣を歩く始が短く笑う。
「うん。今日も充実したレッスンだったからね。それに、始といっしょに一日中レッスンをして、その後でこうやって遠回りしながら帰るのも嬉しいし、そりゃあ春さん、ごきげんです」
「そうか」
「あれ? もしかして始もごきげん?」
「は?」
「だって、いつもだったら『そういうことを軽々しく言うな、この天然タラシ』って殴るか蹴るかするでしょう」
「おまえなあ……」
呆れた声を出しながらも始は視線を春から前方へと戻した。やはりいつもと違う反応に、何かあったのかなと春は予想する。
無差別に問いただすのは好きじゃない。
始が言いたいなとか、春に聞いてほしいなとか、そういうときにだけ聞いてあげたいと思っている。だから始の沈黙に合わせて春も口を閉ざした。
「……昔を思い出したんだ」
横断歩道を渡り、ブロックひとつ分を歩いてから始が話し出す。相変わらず春を見ないのは、意識が過去を向いているからだろう。
「昔?」
「ああ。おまえが、……そうだな、俺がおまえに叱られたのを思い出した」
「叱られた? 俺に?」
「ああ」
まったくもって身に覚えがない。
なにもかも背負いこもうとする始を諫めても、始に強い印象を残すような叱り方をした覚えは春にはなかった。
首を傾げる春を始は笑う。
「『俺に合わせようとしなくていい。始は始のやりたいように踊れ』って、覚えてるか?」
春の口調を真似た言い方をする始に、春は数秒の間を置いてから頷いた。
「ああ……うん、言ったね」
ミニライブの練習で、始ほどには踊れなかった春の動きを考慮して手数を落とそうとした始に言ったことがある。
「俺を甘やかすのは今じゃない、とも言ったかな?」
「言ったな。一番効いたのは、俺たちは誰に向かって踊るのか、だったけどな」
まだ十代で、踊るための筋肉もついていない春には難しい振りが多かった。できなくはないのだけれど、美しくもかっこよくもない。練習中に撮影した自分の動画を見ても、ただ踊っているだけとあからさまにわかってしまい、ひどく悔しかった。
ユニットあるいはコンビでのバランスが悪いと判断した始が春に合わせようとした。
手を抜いたわけではなく、完璧さを手放したわけでもないとわかっている。個が目立つよりも全体としての美しさを始は優先させたのだ。
けれど春は我慢できなかった。
己の非力さが始から手足をもぐような結果になってしまうのだけはだめだった。ファンに、これからファンになってくれるであろう人たちに始とユニットの素晴らしさを伝えられない悔しさが春を奮い立たせたのだ。
「今回も同じようなことをおまえは言ってたが、昔と違って今はすぐ横にいるから頼もしいなと思った」
「……え、」
必死に足掻いて始の隣に立とうとした日々は、今も続いている。
けれど昔よりも、先を行く始に追いつく時間は短くなった。始はいっさい妥協していないから、己が成長した証でもあるのだ。今日クリアできた課題というのは、始との掛け合い部分でもあったから、始にそう言われると余計に嬉しい。
嬉しいけれど、恥ずかしい。
ぐ、と地面を蹴る足に力を込める。
「おい、春」
急に歩速を速めた春を慌てて始が追いかける。
赤い顔は始に気づかれているから意味がないのだけれど、不意打ちで食らうのは遠慮したい。
「春」
「急にデレるのやめてください」
「今なら甘やかしてもいいと思ったんだけどな」
昔の話を持ち出され、恥ずかしさがさらに重なった。
けれどどうしたって嬉しいに決まっている。
ときに並んで、ときに追い越し追い抜かれながら、始といっしょに前へ進む日々が春の幸せなのだ。
「はーる」
あっという間に追いついた始が通りがかったカフェを指差す。
「行くぞ」
「……はぁーい」
話題を変えてくれたつもりか、あるいは遠回りな帰宅を引き延ばしたいのか、春にはわからないけれどどちらでもいいかと頷いた。
始といっしょなら、どんなところだって楽しいのだから。