【始春】嫉妬の手前 バラエティ番組の収録中、合図ともに赤く点灯していたカメラのランプが消えた。セットを交換しますというスタッフの声に出演者たちはスタジオ内の待機スペースへと移動する。
春は用意されていた飲み物を手に取り、隅で小さく息を吐き出した。今回は珍しく始と一緒の出演で、それ自体は嬉しいものだったが振られる話題やテーマがやや対応しにくいものだった。春自身はどうにかなるものの、始は返答に窮することが何度かあり、さりげなく、でしゃばりすぎないように助けるのは少しばかり疲れた。
始をサポートすることに疲れるのではない。むしろ春にとっては嬉しいこと、楽しいことだ。ただ、始を困らせようとする司会者の意図があからさますぎた。それが番組として面白い方向にいくのであれば歓迎なのだけれど、今日はやや度を越しているようにも感じる。意地悪したいわけではなく、いじり甲斐があると思っていることはわかっているが、事務所として、アイドルとしての睦月始のイメージとは違う方向に行くのは避けたかった。始の意外な一面を引き出すにしても、彼のファンが喜ばないのでは意味がない。
セットの交換が終わった後の展開次第では対応の仕方を変えようか、とコップに唇をつけながら春は音にならないよう唸る。
カツン、とヒールの音がひとつ聞こえ、視線を向けると春の隣に共演者の女優が立った。
「お疲れさまです」
にこやかに春を見上げながら、彼女は声をかけてくる。深い紅に塗られた唇がきれいだなと春は思いながら軽い会釈を返す。
「おつかれさまです」
「この番組、セットの交換が他より多いから大変ですよね」
「そうですねえ。スタッフさんたちも準備が多いって言ってましたけど、……」
何度か同じ番組に出たことはあるものの、そこまで親しいわけでもなく、かといって会話ができないほどの距離があるわけでもない。邪魔にならないよう待機スペースの隅で、女優と当たり障りのない会話を春は続けていた。
ふいに春の腕に彼女の指先が触れる。
首を傾げる春に彼女が微笑む。美しい唇は笑みを浮かべるとさらに美しい。芸術的だなと春は思う。
「弥生くん、あのね……」
「春」
芸術的な唇が動き出した途中で背後から声がかかった。ディレクターに呼ばれていた始が戻ってきたのだ。
「始」
呼び返し、すみませんと女優に会釈する。
「ええ……」
途中で申し訳ないけれど用があるみたいなので、と春が言えば彼女は小さな困惑を残しつつも他の共演者へと歩いていった。
「どうしたの?」
何かあったのだろうか。わずかに機嫌の悪い始に、ディレクターとの話で何か言われたのかもしれないと春は身構える。サポートしすぎたと叱られるのか、それとも別の何かか。
「お前なぁ……」
春の問いかけに始が嘆息する。そして春が持っていたコップを奪い取り、中身を一気に飲み干してしまう。
「始?」
そんなに喉が乾いていたならと始の分の飲み物を取りにいこうとしたら春を始が止めた。
「違う」
「なにが? というか、飲むのはいいけど俺に押しつけるのやめてくれない?」
空になったコップを戻され、春は苦笑する。けれど苦笑したいのはこっちの方だ、と始が春を睨みつけてきた。
「何を話していたんだ」
「話? え、俺?」
聞きたいのはこっちなんだけどなあとぼやきつつも春は答える。今は先に答えないと始の機嫌が戻らないだろう。
「たいした話はしていないよ。彼女、前回も出演していたからそのときの話とか、そんな感じ」
「……へえ。遠目からは、またお前の天然タラシが発揮されてるように見えたけどな」
「始?」
「もう少し距離を取れ」
それは始との距離ではなく、さっきの女優とのことだろうか。考えて、ああ、と春は笑いを含んだ息をこぼした。
「大丈夫だよ。そこはほら、アイドルとしてちゃぁんとわかってますから」
たとえ相手から強い好意を向けられたとしても、噂を立てられるわけにはいかない。捏造されることだってよくある世界なのだ、用心を忘れたことはない。
けれど始は深いため息をつく。
「お前はそのつもりなんだろうが、傍から見ればまだ近い」
「そっか、気をつけるよ」
リーダーの忠告を無視する気はさらさらない。頷く春の頭に始の手が飛んできた。
「適当に流しておけばいいとでも思ってるだろ、お前」
「そんなことは……って、痛い痛い!」
「セットが乱れるから大して力は入れてねえよ」
「その大して、が俺にとっては結構な痛さなんですけどね?」
春の悲鳴に何事かと周囲が視線を向ける。アンクロを食らうところを見たことのある人はまたかい、などと笑っている。さっきまで春に話しかけていた女優は初めてだったらしく、目を丸くしていたが。
「それより始、俺たちも向こうに行こうか」
流れ的にふたりだけで話しているが、本来ならば若輩の身だ、積極的に他の出演者とコミュニケーションを図っていかなければならない。春の言葉に頷く始に、ひそやかに耳打ちをした。
「今晩、始の部屋に行ってもいいかな」
始の眉が片方だけ持ち上がる。意味を込めてのおねだりを、始はきちんと理解していた。珍しいなと視線だけで語る始に春は微笑む。
単に見た目の良さで興味をもたれたのか、恋愛感情のかけらでも抱いていたのか、実際のところは春は知らない。春自身は危険性を感じていなかったけれど、始がいらつきを覚える程度には春と距離が近かったのであれば、やることはひとつしかない。
自分の行動が原因なのだから、恋人である始の機嫌を直したいと思うのは当たり前で、それができるのは春だけだ。ついでに言えばこのところ始と甘い時間をもつことも少なかったので春にとっても望ましい。
「始が嫉妬するの、こういうところで見るのはなかなかないからねぇ……って、痛い痛い!」
再びアンクロを受けつつも、こんなことで自分への独占欲を見せてくれる始が嬉しくて笑ってしまう。
「弥生くんってマゾ体質なの?」
司会者にそう振られたのは休憩明けすぐのことだった。セット交換前の始への対応が難しい質問よりは遥かにマシだと内心で喜んでいたのも悪かった。顔に出ていたらしく、司会者どころか複数の出演者からもつっこまれる始末。
「始からだけですよ」
口を出かかった言葉は始のひと睨みで飲み込んだ。
痛すぎるのは嫌だけど、始にされることなら大体のことは嬉しいだなんて、確かにマゾ体質なのかもと春は思った。