【ゆく妖】微妙な19のお題:12【秋葉原独白】【12. きみと共有するものは、空気とことばと、それともう一つ】
最後の決戦まで、あと数時間を切った。やる夫自身が事前にできることは全てやり尽くし、あとは五郎さん達の号令を待つだけだ。
電子の海を漂いながら、かしゃり、かしゃり、と遠い過去の、親友との思い出をスライドで表示させる。
高校の入学式、並び立つ同級生たちの中でも頭ひとつ抜き出ている長身が真面目くさった顔で棒立ちしている光景。
体育祭、クラス対抗リレーのアンカーに選ばれたあいつが一着でゴールテープを切り、よくやったとクラスメイトに胴上げされているところ。
学園祭、一緒に入ったお化け屋敷に本気でビビって足が竦んでしまったやる夫に、「俺がついてるから大丈夫だろ、常識的に考えて」と優しく手を握ってくれたこと。一緒に見た演劇があまりにも感動的で二人して男泣きに泣いて、終わった後も勢い余って抱き合いながら泣きまくったせいで、クラス中どころか学校全体から「あいつらデキてるんじゃね」疑惑を立てられたこと。
修学旅行、行き先はハワイに決まり、テンション上がりすぎて無駄に買い物しすぎて、二人してフラフラになりながら大量の荷物を担いでの移動を続け、日本に戻ってきた途端一緒に筋肉痛でダウンしたこと。ハワイの動物園のアバウトさに思った以上にツボを突かれて、思わず五周もしてしまったこと。
卒業旅行、今度は国内でと一緒にドライブがてら日本一周の旅に出て、各地でたくさん撮ったツーショット写真。運転免許を取ったからと調子に乗った挙句にスピード超過で警察に捕まり、二人して必死に謝ったこと。名物のアイスが美味すぎて色んな味を試そうとして、その後当然とばかりに二人してトイレの住人になったこと。
馬鹿な思い出ばかりで、思わず笑う。同時に、こうして写真を見ながら思い返すと、あの頃は本当につかず離れず一緒にいたんだと改めて実感できて、鼻の奥がツンと痛くなった。
なんだか未だに信じられない。一度ぎゅっと目を閉じて、次に目を開けたら自分は肉体をもってあのアパートのベッドで眠っていて、リビングでは「おはようだろ。ようやく起きたか、寝ぼすけめ」なんて呆れたような困ったような、微妙な顔で笑う同居人が目の前でコーヒーを飲んでいる――そんな幻想を、完全には拭いきれていないのだ。
そんなことはあるわけないとわかっているのに。二日前に五郎さんたちから真実を知らされて以来、今日まで散々、あいつが――やらない夫がやってきたことを目の当たりにしてきたというのに。
あいつはもう自分がよく知っている「親友のやらない夫」じゃない。厳密にはもう人間と呼べない、最凶最悪の魔術師であり殺し屋。
…何度己にそう言い聞かせても、駄目だった。どんな姿を見ても、彼の本質がどうであったとしても、自分が今まで見てきた彼のすべてが偽りであったとは……どうしても思えないのだ。
いつまでも続いていくと信じて疑わなかった日常が、突如失われた瞬間の喪失感と絶望。それは、それまでの日々が充実したものであればあるほど強くなる。やる夫自身も、つい二日前に味わわされた感情だ。
ならば、と思う。……ならば、彼にとってはどうだったのだろうか?
五郎さんたちから聞いた話と、この電子の海から集めた情報、そしてこれまであいつと過ごした日々を思い返す。アメリカに留学する以前のあいつは、間違いなく普通の人間だった。何もかもが一変してしまったのは、留学中にトライアドの連中に拉致されてから。
ならば、あいつが味わった絶望とはいったいどれほどのものであったのか。当たり前にあった「日常」が「常識」が「平穏」が次々に壊されていった、あいつの心の傷は、どれほどに――。
『うく、うくく……分かった。やっぱり、これが世界という奴なんだな。どこまでも俺を馬鹿にして貶める……こんな世界……』
あれほど世界を憎むようになる前に、一言相談してほしかった。そう思わずにいられないのは、やる夫のエゴでしかないんだろうか? だって憎むのなら、滅ぼしたいと思うのなら、何故トライアドの連中だけをターゲットにしなかった? それとも世界ごとでなければ、あの連中をどうにかすることなんて出来ないと思っていた?
…いくら考えても、答えは導き出せない。あんなに側にいたのに、今じゃもう彼の本心を理解できない。想像はできても、その想像が間違っているかもしれないという疑惑がどうしたって拭えない。
高校時代から、ずっと仲良く過ごしてきた一番の親友。この世で一番信頼し、家族を除けば彼以上に大切に思える相手などこの世のどこにもいないと言い切れるほどに、かけがえのない存在。
高校を卒業して以来、距離こそ遠く離れていたものの、心だけは互いに誰よりも近くにいるはずだと、互いが他の誰よりも至上の存在なのだと思っていた。あいつが日本に帰国して、ルームシェアを始めてからはなおさら。喜びも悲しみも感動も怒りも苦しみも幸福も、いつだって一番近いところで分かち合ってきたはずだと、誰よりも互いをわかりあっていたはずだと、信じて疑わなかった。
それなのに、今の自分たちの間には何もない。彼と自分は次元という大きな壁によって断絶されているばかりか、親友という肩書きも絆も――今でも彼を親友だと思う気持ちに変わりはないけれど――共有できているとは言い難い。
今、確実に彼と共有していると言い切れるものは、地球という空気のある星で生きていることと、同じ国の言葉を話しているということ、その二つぐらいだ。そんなの、見知らぬ赤の他人と何が違う?
「…やらない夫…」
ぽつり、とその名を呼べば、彼の姿が鮮明に浮かび上がる。ほんとうに、ほんの三日前までは当たり前みたいに一緒にいたのに、一緒にゲームしてバカやって喧嘩して、どこにでもいる普通の友達同士だったのに。どこから、間違えていたんだろう。
あいつの異変に気がつけていたなら、せめてあいつの笑顔の裏にあった深くて強い、世界そのものに対する憎悪を見つけられていたなら、今の自分達も少しは違っていたかもしれないのに。
…どんなに悔やんだところで、もう引き返せないことはわかっている。きっと、十数年前のあの日、アメリカに留学するやらない夫を見送った時から、歯車は狂い始めていて。それに気がつけなかった時点で、詰んでいた。
『まさか、お前も……俺の敵なのか?』
ああ、敵だよ。それはお前が世界を滅ぼす道を選び続ける限り、絶対に変わらない。始まりがなんであれ、そこに至るまでどんな理由があったにせよ。お前は、人を殺しすぎたんだ。だからやる夫は何があってもお前の「敵」以外の何者にもならない。
…今だって、お前を大切な友達だと思う心に変わりはないけれど。出会ったときから今も、きっとこれからもずっと、お前はやる夫にとって、この世で一番大切で大好きな親友だ。
だけど……たとえお前にとっての「世界」が忌むべきもの、滅ぼすべきものでしかなかったとしても。やる夫にとっては、お前と出会えたこの世界は、愛おしむべき大切なものなんだ。この世界を滅ぼそうとするのなら、誰であろうと許せない。それがお前自身であったとしても、だ。
だからこそ、やる夫はお前を止める。己の手で、ぶん殴りに行けないのは残念だけど…どんな手を使ってでも、絶対に世界を滅ぼさせはしない。
――なあ、やらない夫? お前とやる夫が今確実に共有しているものは、きっと空気と言葉、その二つだけなのだろうけれど、それでも、もしも――
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「今から戦うのは…そうしないと世界が滅びるから、じゃないみょん。みんなが……一緒だから」
「じゃあ、行かないとな」
「行きますか」
「行くとしましょう……ちょっとそこまで、世界を救いにね」
皆の号令が、聞こえた。一度ぐっと歯を食い縛り、目を閉じる。瞼の裏に浮かぶお前の表情は、今まで一番多く見てきた――優しい笑顔。
…なあ、お前を止められたら、最後にもう一度その笑顔を見れるかな。今度こそ、最後に何か言葉を交わすことができるかな。
今更どんなにあがいたって変えられないのなら、それでもいい。変わってしまったものを引き止めて取り戻すこともできなくていい。この電子の海の中、やる夫は永遠に後悔し続けるだろうけど、もうそれで、いい。
未だに現実味のない出来事に翻弄されるばかり、後悔と自責と郷愁でぐちゃぐちゃの心。それでも、今でもお前をこの世で一番大切だと思う心に変化はないから。
『俺を……見ないでくれ……! これは違、お前にだけは……見られたく、なかったのに……』
…だからもしも、もしもほんの僅かでも、お前の心のどこかにもやる夫の存在が残っているのだとしたら。だからこそ、あれほど悲痛な声であんなことを言ったのだとしたら。
それなら、お前と共有するものは、空気と言葉と、それともう一つ――この、どうしようもない胸の痛みを、お前も抱えていてくれればいいと、やる夫はそれだけを願う。
――さあ、戦場へと降り立とう。やらない夫を倒し、世界を救うんだ。それだけがきっと、今のやる夫ができる唯一の、親友への謝罪であり餞なのだから。