Log19-5 苔むす倒木に腰をかけ、短剣の刃にまとわりついた血液を拭き取る弟子のすがたを正面から見下ろす。
空では雲が退いたのか、葉の隙間から細い光が地に届く。ところどころ照らされて、ヨハンはそれに気がついた。
「左頬に血飛沫が」
カノンはいったん作業をやめ、目の下を擦った。しかし狙いは若干外れ、斃したばかりの喰鬼の体液は付着したままである。詳細に位置を教えるよりも、きれいにしてやったほうが早い。ヨハンは手袋を外し、地面に片膝をつく。
「この程度の量であれば影響も受けぬであろうが、念の為だ」
カノンの顔に手を添え、白く透き通るような柔肌についた汚れを、親指でぬぐった。
落ちたぞ、と教えてやると、不自然にやや間が空いて返事がかえってくる。
「如何した」
「大したことじゃない」
手を離せば、カノンはゆるゆると首を横に振る。
「ひとの体温でもきっかけになって思い出すってことを、いま初めて知った」
少年は、忘却を知らぬ稀有な〈星〉だ。
記憶している情報と類似する体験をした際、場合によっては、瑕疵なき追想をしてしまう。つまり自分が肌に触れて、カノンは親に抱きしめられる景色などを脳裏に見たのだろう。
正確にはその温度に対する感想を以て、ということだろうが。
「今まで気が付かなかったというのも不思議だ」
「そうか?」
「お前を取り巻く環境が激変して以来、一度も人膚に触れずにきたわけではあるまい」
カノンは視線を右下のほうへやった。少し黙り込んだのち、得心したような声をかすかに漏らす。
「さわられたことは何度もあったが、気色悪いだの不快だの、そんなのだけだった」
……ヨハンはもう一度、こどもの頬にふれたくなった。
なぜだと自問するが、答えるに窮する。
何かわかるだろうかと試しに手を伸ばせば、端正な造りの顔は怪訝そうに、みるみるうちに険しくなった。
「なにやってるんだ」
「さてな」
「からかってるんじゃないだろうな」
「無論だ」
まだ、振り払われる気配はない。カノンが拒絶を口にするか、糸口をつかむか、いずれかまで触れていようと思う。
【いただいたお題で師弟】