Log21-2【根/※khED後ヨハカノ】
ヨハンが、大きな布を抱えて帰ってきた。
商店街から町はずれのここまで、円筒状に丸めたそれを、わざわざ。――カノンの心のうちに少しずつ積み重なっていた違和感は、ついに確かな疑問へと変わった。
長く滞在する予定の町にて、カノンらは宿ではなく空き家を借りていた。成り行きで喰鬼から助けた裕福な商人が、偶然にも居を移したばかりだったのだ。こちらが泊まる場所を探している旨を伝えると、とんとん拍子に話が進んだ。
さて、処分予定の物しか残っていなかった部屋である。さいわいにも必要最低限の家具はあったが、新たにいくらかものを増やすのは自然な流れであろう。
買い足すのはもっぱらヨハンの役目だった。カノンは文句を言わなかったが――最初に引っかかりを覚えたのは、彼から、肌ざわりのいい絹の寝衣を渡されたときである。
下着を新調する際に、店内でカノンはそれを手に取った。着心地がよさそうだった。しかしふだん寝間着がわりにしている適当な服はまだ十分着られたから、けっきょく棚へ戻したのだ。未練はなかった。流浪の身に、持ち物は必要最低限でいい。
だというのに、どうしてわざわざ買ってきたのかとヨハンに問えば、「一、二か月でも、睡眠の質が良いに越したことはないだろう」と返された。自分の健康にやたら気を遣うのは昔からである。そのときは納得して、深く追求はしなかった。
それで味をしめたのか。
食材の買い出し、喰鬼討伐の帰途、あるいはひとりでにふらりと外出して、さまざまな品を持ちかえってくるようになった。
花びらを漬けた化粧水に美容液、蜂蜜を使用した香りのいい髪油。踵は細いが美しい靴。ぴったりの高さの食卓椅子。あたらしいマグ。等々。
そして極めつけは、今日の土産である。
「ここを借りるのはせいぜい二月だって話だった」
カノンはぽそりと呟く。
やや間があってから、どこか怪訝そうな色をたたえた目に見下ろされる。というのもカノンは、ソファに腰掛けて本を読んでいたヨハンの、肘と膝のあいだに横から脚を差し込み、そのまま仰向けにくつろいでいた。
「その通りだが」
視線はそのまま、読み終えたものを反対側へ置き、空いた手で足首のあたりを撫でられた。他意は感じられない触れかただったので、ひとまずは放っておく。
「まさか〝忘れた〟訳ではあるまい」
「ああ。話もちゃんと聞いてた」
「であれば何が気掛かりだ?」
「いつもなら小さなことでも聞いてからにするのに、なんで勝手に寝具を変えたんだ」
かかえにくそうに寝室まで運ぶすがたは少し滑稽だったが、それはさておき、敷布を替え終えたヨハンは、部屋から出てきたところであっさりとした説明をくれて終いだった。肌ざわりが良く、ついでにすぐ乾くらしいという。しかし元からあったものに不便など感じていなかったのだ。旅では野宿や安宿も珍しくないのだから、ヨハンも同様だろう。良くも悪くも普通の布地だった。
ヨハンから言葉に迷っている気配をかすかに感じて、カノンは畳みかける。
「それだけじゃない。肌や髪に使う溶液も、踵が高くて細い革靴も、椅子も、マグカップも。僕に相談したら断られるとわかってて、勝手に買ってきてるんだろ」
華奢で割れやすい容器に入った花のエキス。きちんと湯あみをしてから馴染ませる必要のある香油。戦うどころか走るのにも向いてない靴。おかげで背中は攣らないが持ち歩けない食卓の椅子。ヨハンと色違いで揃えられた、一点に草花の装飾があしらわれた陶器のコップ。
「近いうちにここを出ていくのに、明らかに無駄だ。一体なにがしたいんだ?」
詰めるように言えば――ヨハンは拍子抜けしたように声をもらした。
わかっていないのか、と零す。
「だから聞いてる」
「そう、だったな。お前は」
自身の額に手をやって、ヨハンは小さく嘆息する。
「居心地を良くし、此処を離れ難い場所にしてやろうと企んだが……我としたことが、少々急いた」
ばつの悪そうな口調だった。あるいは少しだけ拗ねている。この男が? いいや、ヨハンには意外とそういう面がある。やや嫉妬深い気質の延長だろう。ではいったい、何に対して。
カノンはぐっと眉間に皺を寄せて、考え込んで、やがて懐疑の念まみれの答えを絞り出した。
「僕といっしょに暮らしたかった?」
足首の骨を、うすい皮膚ごしに軽く爪で搔かれた。反射で足がぴくりと震える。
「永久にとは言わぬ。旅を止めるつもりも毛頭無い」
「うん」
「だが、羽根を伸ばせる拠点が一つくらい有っても良いだろう」
真鍮色のまなざしは、視線の先にあるものを射止めるようにも、慈しむようにも見えた。
「さて、当初のような空の住処でも、お前は肯いたか?」
続けて投げかけられたヨハンの問い、もはや断定に近いそれは、カノンの疑問を解決するに十分だった。
だから自分に相談もせず、せっせとあれそれ買いそろえていたのか。ヨハンはずいぶん先走ったものだと思う。こちらの考えを口にしたことがないにしても、そもそもよほど酷い部屋でもなければ、宿に文句をつけたことは今までないのに。
呆れを含む息を呑みこみ、結果としてカノンは平生どおりの調子でこたえた。
「おまえが僕のことを考えてくれてたのは、わかった」
もちろんヨハンが揃えたものはどれも、おそらくはそれなりに気に入っている。色違いのマグなどは、洗ったのち乾かすために並べると、思わず苦笑してしまいそうになるほどである。
「でも、まともな寝床があって、おまえがいるなら僕はそれでじゅうぶんだ」
彼がそれを望み、提案していたならば、うなずかない理由などどこにもない。実際は褥どころか雨風を凌げる場所と天秤にかけても、きっとこの男のそばを選んでしまうだろう。
彼に関わる記憶は、棚にしまわれた冊数を数えるのがばかばかしくなってくるが、それでもだ。
「とは言っても、そういうつもりなら好みのものが多いに越したことは――……なんだその顔」
見あげていた男が、なんとも形容しがたい表情を浮かべた。かと思えば何かを言いかけて押し黙ってしまう。
カノンは正面からそれを見て心情を読み取ろうとし、手をついて体を起こすと同時にヨハンの腕の下から脚を抜いた。
その瞬間、ヨハンの膝のうえへ引き上げられるように抱きすくめられる。
……いったい突然どうしたのか。やや強引に抱き寄せられたからだは、その微妙な体勢もあって、抵抗しないかぎり身動きが取れない。
カノンはされるがままの状態で、おとなしくヨハンの返事を待つ。
「お前は、己が発言の趣意を理解していない」
「答えになってない」
「訂正する。威力、または価値を理解しておらぬ」
「なんだそれ」
「飾らず白状するならば、如何しようもなく堪らなくなった」
吐息とともに発せられたせりふが、カノンの耳元をくすぐる。
いまいち判然としないが、ヨハンの言い直した内容からして、自分が発したことばが本心であることは伝わっている。まあいいかと、カノンはわずかに頬をすり寄せた。
肩と腰にまわされた手が熱くてかなわなかった。
「……今、その様な真似をされると、お前の意図せぬ衝動の抑えが利かなくなるのだが」
「こっちは首から上しか動かせないんだ」
「そうではなく」
「せっかくいい寝具に変えたんだろ。移動しないのか」
問えば、ヨハンは低く唸った。
堪能する余裕などない、と呻くようにつぶやく。けれどそう言いながら抱擁を解いて、背中と膝の下に手を差し入れてくる。
カノンはわずかに目を細めて、その腕に身をゆだねた。