ジンライム リエラは愛らしい、と。
その通りだ。
なにが、どこが、と説明するまでもない。彼女が詳細を望めば言葉を尽くして証明するが。
とはいえ今ここでそれを口にするのは避けたい。俺が知る彼女の一面は、中にはおまえが知らぬこともあるだろう。そういった類いのものは、せっかくならば独り占めしたいと思う。
不思議なものだ。彼女が俺に向ける慕情は唯一無二であると、魂を以て知っていてもなお、月下の影に特別を見出す。
……「本当は具体的にすぐ出てこないだけなんじゃないか」。好きに思ってくれてかまわない。だがリエラにそう思わせてしまうのは、困る。
リエラ。耳を貸してほしい。
魔にとって酒精は毒と扱われ、摂取した途端〈静寂〉の体内であれば消滅するのが基本とのことである。
しかし旅の最中のみならずこれまでユクシルに酔ったようすがなかったのは、単純にリエラへの気遣いだった。
職場の食事会や友人との飲みでは意図的に毒として処理せず、あえて気分を任せるという。それが望まれる場では、好ましき〈星〉たちに合わせているらしいと告げ口があったのだ。
伴侶との席では対応を変えていることを察した友人による報告は、リエラの胸のうちに一抹の寂しさと幾ばくかの嫉妬を生んだ。
もしも隠したいのではないのならば、自分にも見せてほしいと思った。
幼稚な独占欲のようなものは、嫌であれば断ってくれるだろうというあまやかな信頼を前提として、リエラにそれを口にさせた。一度だけでいいから酔っているところが見たいと。
「うまく伝えられているだろうか」
「つたわってる、だから、もう大丈夫」
「まだだ。足りていない」
落ち着いた、けれども芯まで穏やかに響く低い声が、リエラの耳元に甘いことばを落としていく。
肩に回された手が引き寄せる力はいつもと変わらず、しかしどうしてか逃れるという発想を丁寧なしぐさで思考の埒外に追いやってしまう。
リエラはされるがまま、二人掛けの席で隣を見ないようにしながら、ただ酒を口へ運ぶだけのからくり人形となっていた。
カットしたライムの添えられたグラスは中身が氷だけになると、女将が何も言わずに新しいものへ変えてくれる。一度だけ彼女の顔を盗み見たが、かつてなく饒舌のユクシルをあきらかに面白がっていた。
――こうなるだなんて聞いていなかった。
たしかに金髪の友人は、酔ったユクシルは何もかも口に出してしまうのだと言った。そうはいっても、もともと素直な物言いをする伴侶であるから、甚だしい変化はないとリエラは解釈したのだ。
結果、葡萄酒を数杯飲んだユクシルは、文字通りすべてを聞かせてくるようになった。
日ごろから言葉の間やしぐさで雄弁に語ってくれるため「可愛い」のひとことでも十二分だというのに、微酔いの愛しき闇魔は、その結論が導かれるまでの思考をつまびらかに披露するのである。
どこが、なぜ、ゆえに、かわいい。等々。
そうして散々口説かれた果て、かろうじてリエラができたのは「いつもこんな言わないのに」と呟くことだけ。
ユクシルは常に思ってはいると事もなげに返した。
「元来の性質か、あえて音にする発想というに至らない。俺が十の言葉を紡ぐために費やす時間で、おまえの声を一でも多く聞きたい。だから今だけだ」
もう、いっぱいいっぱいだった。
ずっと顔があつくて頭までぼんやりとしてくる。このままでは彼の調子に呑まれてしまう。まだ手遅れではないつもりのリエラは意を決して隣を見た。
途端、すこぶるととのった顔で視界を占拠される。
いや――他が目に入らない。無骨ではないが線のしっかりとした輪郭、通った鼻梁に意志の強さをあらわす眉、それと喧嘩しない切れ長の左目。造ったように綺麗な表情には無駄がなく、愛しいひとの顔がこんなにもかっこいい。
「その……こうなると思ってなかったから。女将さんの前だし恥ずかしくて。いまはもう止めてほしいの。でも」
片目がゆっくりとひとつ瞬く。
かげを落とす銀糸は、深い夜の穏やかな眼差しによく似合っている。
「うちに帰ったら、たくさんしてほしくて」
そう言い終えてリエラは、自分が思いもよらないせりふを口走っていることに気が付いた。
しかしそれもどこか他人事のようである。訂正する気が湧かない。そもそもなにか間違っていただろうか。いいや、何も。
膝の上に置かれたままだった手に、ユクシルの空いているもう一方が覆うように優しく重ねられる。
もはや言葉はいらない。
リエラはこくりと頷いて、それからなんとなしに視線を卓へとやった。グラスには一、二口ほど中身が残っている。すっかり飲み切ったつもりでいた。そういえばこれで何杯目だったか。