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    いつか何処かの(警察連中を見た訳でもねえのに、カラス一羽が飛んでるってだけで神経使っちまう)

     内心でそんな悪態をつきながら、エキニシィは足早に古びたマンションへ入っていった。コンクリート打ちっぱなしの無機質な階段を軽やかに登っていって、そのまま脇目も振らず扉に鍵を差し込む。上下二つに備えた鍵穴全てを開錠し、滑り込むようにして中へ入り、間髪入れずにまた鍵をかけてチェーンロックも抜かりなく。静寂に包まれた暗い玄関で暫し立ち呆けて、そこでようやく、ゆっくりと安堵の息をつく。
    ……今はここが、地球上で唯一安心出来る、二人の居場所だ。

     エキニシィが感じていた緊張感の原因は、数日前に二つ向こうの街で起こった傷害事件にある。それなりに平和だった場所で発生した出来事が衝撃に残った事は間違いないが、今回は、その首謀者の正体が大変な問題だった。眉間に寄った皺を指の腹で揉み込む。
     キズ持ちだったのだ。何のコミュニティを利用して通じたのか、彼らは同類を伴い、犯行を結託して一般人を襲ったのだとニュースに報じられている。結果として、付近に暮らす人々は今まで以上にキズ持ちの存在に神経質にならざるを得なくなった。
     素性が公になった事などこれまでに無かったが、もしも一緒に暮らす男がキズ持ちであると知れては、いつかの時よろしく、また海を越え、国を越える面倒な事態になるかもしれない。
     そういう事で、あれからは仕事を終えてから帰宅するまでの間に、周辺に警察や、キズ持ちを察知するカラスの群れがいないかの確認をしていたのだ。それまで張り詰めていた心身の強張りが、この居場所に満ちる、慣れ親しんだ二人の空気に溶けて少しずつほどけていくのを感じる。

     ──キズ持ち予備軍と診断を受けてからというもの、エキニシィは義務教育さえ済まない歳から社会に冷遇され、元より険悪であった家族からも遂に見離された過去がある。この世の中は歴史の変移と共に多くの多様性を見つめ直してきたが、キズと、キズ持ちに向ける視線だけは、ただ一向に冷たくなるばかりであった。
     頼れる者も使える物も手元には無く、ならばどのような悪事に手を染めようとも独りで生きていかねばならないと決心したのは十五歳の頃。そこで彼は一人の青年と出会った。黒い髪に白い肌、冷ややかな落ち着きの中に何処か見過ごせない危うさを孕んだ、"黒髪の彼"。

     あの男は、目深にフードを被り直し、ナイフを握り込んだエキニシィがリビングに忍び込んだ段階で、既に血塗れになって倒れていた。辛うじて繋いだ食料も金銭も底を尽き、空腹に耐え兼ねて殆ど衝動的に侵入したこの家は、無用心な事に、施錠されていなかった。留守であれば最善。誰かがいたなら、その時はやるしかない。強盗をすると腹を括ったなりの覚悟は決めていたが、これはあまりにも想定外の事態だった。
     先客がいたのか、誰かの怨みを買ったのか、あるいは盗みを働こうと決意する前にエキニシィが選択しかけた事を、実行してしまったのか。一瞬、視界がくらりと揺れた。
     予想のつかなかった光景に生唾を飲みながら、今ならば安全に室内を物色出来たものを、その足はゆっくりと、床に転がった男の元へと引き寄せられていく。
     見たばかりの印象なので正確には測りかねるが、年頃はエキニシィよりも少しばかり上、といった所だろうか。だらりと投げ出された手足は長く、体躯はスラリと細い。いわゆる男らしい厳つさからはおよそ遠く離れて、繊細で綺麗な作りをしていた。
     こいつは自分とは違う世界の人間だ。エキニシィは直感的にそう感じた。こんな状況下で悠長に他人の印象を語るのは不謹慎だが、眼下に倒れるこの青年は、深窓で一日中静かに本を嗜んで、知識によってしか知り得ない世を憂う。そんなイメージを抱いたのだ。
     凶器の類いは自分が持ち込んだナイフ以外に見当たらないが、血の気の失せきった蒼白の相貌は、刃物か何かで掻き切られた首筋から噴き出した血痕がまばらにこびりついて無惨に汚されていた。明らかに手遅れと思えたそれの目の前でそっと膝をつき、恐る恐る伸ばした手で男の肩を軽く揺すってみる。一度二度と揺らした身体は、ピクリとも反応しない。
     死んでいるというならば、絶好の機会では。
     エキニシィは脳裏をよぎる思考を確かに認めつつ、次の瞬間には「おい」と、無意識に男へ声をかけていた。何度となく呼び掛けた声は、一瞥しただけで分かる殺風景な部屋によく響き、ややあって、死んだと思われていた身体がぶる、と痙攣する。
     喉を反らしてか細く咳き込み、苦しげに寄せられた眉と生理的に流れたであろう涙までとを凝視した時、自分の悪どい決意などこの程度のものだったのだと、エキニシィは口の端を歪めながらスマートフォンを取り出し、救急車と警察へと電話を繋いだ。
      手短に、あくまで自分は男の友人として部屋を訪れた体を装いながら状況を説明する最中、伏せられていた男の瞼が開くのを見ていた。涙に濡れた瞳は髪の色より一段と暗く、焦点の合わない虚ろな眼差しをエキニシィに向けている。
    『………きみは……?』
     掠れた声音に敵意は感じられない。自らの身に何が起こったのかも全く理解していなさそうな様子に、それはこちらも同じだと、思わず心の中で苦笑してしまった。
    「…命の、恩人」
     おんじん。小さな声でおうむ返しするのをやんわりと制止して、とりあえずナイフで服の袖を幾らかの長さで切り裂き、男の首の傷に押し当てる。消毒だの止血だの、そうした知識は分からない。分からないが、何もしないよりはマシだと考えた。痛みに呻く男をそれとなく励まして、あとはもう、何ともなれ、だ。

    「…ただいま」
     控えめな挨拶と共にリビングに入るが、パッと見た限り男の姿はない。時刻は夏の七時を越えた辺りなので日はまだ高いが、じきに日も降りて完全に暗くなる。にもかかわらず部屋はどこも電気が点いていない様子なので、男はエキニシィに黙ってまたもや勝手に外出したか、体調を崩して自室で休んでいるかのどちらかだと推測した。西日の強い窓のカーテンだけ素早く閉めて、そのまま隣のキッチンへ向かう。冷蔵庫から冷やしたビール缶を取り出すと、シンクに凭れながらその場で一気に飲み干してしまった。酒も煙草も荒れていた両親を思い起こさせるので苦手だったが、あれから色々とあって生活を共にするようになった男が嗜むのを見ていたら見事にハマってしまった。
     人間とは容易いものである。それか、自分だけが。
      空になった缶の中身を綺麗に洗ってゴミ箱へ投げて、水で軽く口をゆすいでからエキニシィは男の自室に向かった。あの男は自分が作るか忠告でもしないと中々食事を摂らないので、家にいるなら夕食の支度をしたいと思ったのだ。調子が悪いと言うならば、あとで簡単に食べられる献立にすれば良い。玄関から向かってリビングが手前、次にエキニシィの部屋が、男の部屋はその奥にある。なので自分の部屋は早々に通りすぎるはずが、その直後視界の端に見えた違和感に気付く。扉が微かに開いていたのだ。
     エキニシィは扉を半開きにして部屋を移動したりはしない。戸締まりを疎かにするのは、昔から男の方だった。訝しげに片眉を上げながら、音を立てないようにして扉を開く。

    「…………」
     案の定と言えば案の定だが、そこにはエキニシィのベッドで寝息を立てる男の姿があった。出逢った頃から十年は優に経っているはずなのに、精悍さを増し、余計な事ばかり考えては苛立ちを覚える様になったエキニシィとは対称的に、彼は何一つ変わらず若々しい、綺麗な姿のままだった。
     毛布はだらしなく床に垂れ落ちた状態で、横たわって眠る男の肌は日焼けもなく真っ白であるのが今更嫌に目に入った。居たたまれなさから視線を逸らす。男の肌が血の気を得るのは、喜びや興奮を感じた時や、そうしてくれと望まれた時、微かな高揚を覚えながら細やかな傷痕をその身につけてやる時くらいなものだ。男がエキニシィの部屋で寝るというのは、大概、そういう時だった。半ば生理的な欲求で男に手を伸ばしたくなった一瞬の邪念を恥じてか、さながら蝿を振り払うように目の前を手で乱雑に払う。無論周りに蝿などおらず、あるのはエキニシィの、些か下卑た情動だけだった。

     それはそれとして、男は一度眠ってしまうと中々起きない。いつからここで寝ていたのかは分からないが、折角心地好く夢の中にいるのを、やれ飯だと起こすのは忍びなく思われた。安らかな表情を見る限り、追憶に苦しんでいるような様子にも見えない。エキニシィは不意に男の、緩く開かれた左手に自分の左手を滑り込ませた。努めて、疚しい意図などない。肉の柔らかさが伝わる程度の加減で緩く握り込んでみると、即座に確かな強さを伴った男の細い手がエキニシィの手を握り返す。
     え、と声が漏れ出た。黒曜色の瞳は変わらず瞼に伏せられたままだが、唇が明確に弧を描いて、笑っている。狸寝入りをされたのだ、とエキニシィが頭を掻いたのと同じくして、男がそっと目を開く。喜びを湛えて緩んだ頬に、健康的な赤みが差していた。

    「……おかえり。俺のエキニシィ」
    侍騎士アマド Link Message Mute
    2022/03/27 10:44:04

    いつか何処かの

    エキニシィと黒髪の彼の追憶。
    ぬるめのBL描写あり。

    イメージBGMはFor The People/Sami Elu

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