HBD Ekkinisi「せっかくお前の生誕を祝える日だというのに、要求したプレゼントは私と過ごす時間だなんて」
目まぐるしく過ぎ去るビル群を流し見ながら、クレトは殊更に大袈裟なため息をついた。相手の出方によっては、新しい銘柄の煙草が欲しいとか、新しい場所を探索したいとか、多少無理のある難題だろうと意気揚々で叶えてやる気でいたのに。臍帯のキズが漆黒の尾を引き、風を切りながら、今二人は街の空を駆けている。
クレトと、エキニシィ。互いにとって半身にも等しい存在だ。
この二人が共に一日を過ごす、というのは、何も今日に限らず、クレトがこの街で目覚めてから欠く事の無かった日常。息をするために空気を吸うのと同じ程の当たり前で、意識を向けて考える必要さえない事柄だと認識していた。倹しくていとおしい男の価値観は称賛に値するものの、クレトにとっては腑に落ちない願いであるのもまた事実である。身を翻し、世界が逆転。灰色の空を眼下に眺めてから、もう一回転。数羽のカラスが後をついてきているようだ。臍帯をしならせて牽制したのち、未だに何も喋らないで前を見ている男の手を握る。少しと待たずに握り返された。
「そんなもの、わざわざ願わずとも常に叶えられているではないか。私のエキニシィは随分と欲に欠けるんだね?」
七月二十六日、この世界に生まれた男。何もかもを切り裂くキズ持ち。クレトは誕生日の主役を、本来ならばもっと盛大に、心を込めて祝いたかった。
「充分欲張ってるよ」
そうした心情と裏腹に、当のエキニシィはこれ以上望むべくもないといった風にクレトを振り返る。なるほど、機嫌が良いのは間違いない。眉間のシワは、些か観察眼に欠けた彼から見ても確かに、普段よりずっと少なく思えた。
手袋越しに伝わる体温はいつも温かく、触れ合った指が伝える感触はいつだって優しい。クレトに紡ぐ声音もまた然り。エキニシィはモノクルを押さえながら何かを言おうとしたので、臍帯の浮力を少しばかり強めてやった。これならば速度を上げて飛翔しようが、モノクルは二人の只中にたゆたうだけ。まかり間違っても飛んでいったりはしないだろう。
ありがとう。どういたしまして。
むずがゆい笑みを浮かべて、二人が笑った。
「俺はさ」
意を決したようにしてエキニシィが唇を開いた。クレトは先を促し、頷く。
「うん」
風を切る音、カラスの鳴き声さえ両者を取り巻く世界から消え去り、辺りはしんと静まり返る。
「一つの事しか考えてない。お前と一緒にいたいって事。生きてる限り、……死んだ後も」
「うん」
「だから」
風に弄んだままでいた、繋いでいない手が伸ばされる。クレトも宙ぶらりんだった手を伸ばした。
「他の事を捨てたりしても、これだけは、絶対に譲らないから」
「勿論」
繋がれた両手を見つめながらクレトは想いを馳せた。二人きりで往くこの世。二人揃って逝くあの世。誰かが脇腹をくすぐりでもしたか、唐突に笑みが零れた。キズ持ちはカラスに食われ、骨身も遺さず名ばかりの墓標に示されるだけ。それでもエキニシィは、一緒だと言う。
侍騎士アマド
「それもきっと、楽しそうだ」