今夜も眠れない東海林の骨折は全治1ヶ月と判断された。
ギブスが外れるのも2週間はかかると言われて、正直ショックだった。これまで大きい怪我や病気をしたことがなかった東海林にとって骨折というアクシデントは大きく頭の上にのしかかってきた困難の様に思えた。
さらに利き手である右手を怪我してしまったせいで、普段当たり前にできたことすらままならない。
こんな時に当たり前の生活がどれだけありがたかったのか身をもって知る。
「マジでさートイレもまともにできないわ、ご飯もスプーンとフォークでなんとか口にできる状態だし、仕事もろくにできないから何日か有給取ったりで…早く治ってくれないかなー」
東海林は里中に電話で愚痴をこぼす。
「でも大前さんがいるから大丈夫だよ、東海林さん」
「あいつはさ、冷たいんだよ。家のことは基本やってくれるけどさ…あーんしてくれって言ったら虫ケラでもみる様な目で拒否するんだぜ!まぁ最終的には食べさせてくれたけど」
「東海林さん、それもうのろけだよ」
里中はそんな2人の姿を想像して笑顔になる。骨折と聞いて心配していたが、春子が一緒にいるなら大丈夫だと安堵していた。
「里中さんに何を言ったのですか?」
電話を切り、ベランダからリビングに戻ると春子は話の内容が気になるのか東海林に問いかけた。
「いや、別に。骨折した愚痴だよ」
「そうですか…また余計なことを言ったりしてませんか?」
「言ってねーよ、お前が色々とご奉仕してくれることとかは…」
「そっちじゃありません!!怪我の原因です、あまり余計な心配をかけさせてはいけませんよ」
「お前…やっぱ賢ちゃんには気を使うんだな」
「そうですね」
「否定しろよ、ばか!!」
東海林は左手で春子の頭をコツンとつついた。自分のことを1番に思ってくれているとわかっているのに、なぜか親友に妬いてしままう。
たまにはもっと優しい言葉で包み込んでくれたらいいのに。
「もういい、今日はこのまま寝るぞ」
「おやすみなさい」
「いいのか、夜のお楽しみはないんだぞー」
「ええ、私は今からパズルをしますから」
相変わらず目も合わさず冷たい態度をとる春子に業を煮やし、1人寝室へと篭ってしまった。
春子が素直になれないのは、好きの裏返しだと理解してるものの、時々は優しくしてほしいと思う。
本当に困った時に助けに来てくれる強さも好きだけど、体が使えなくて弱ってる時に迷わず手を伸ばしてくれる優しさも欲しい。
春子と一緒になってから、どんどん自分が我がままになっているような気がした。こんないい歳したおっさんが情けないと思うがきっと春子への想いがどんどん募っているからなんだろう。
自分ばかり好きみたいで、みっともない。そんな気持ちを抱きながら今日はもう寝ようと布団をかぶって目を閉じていると、ドアの開く音がした。
春子が入ってきたのだろうか。また喧嘩になるのもしんどいな、そう思い東海林は寝たふりをして寝息を立てた。
春子が少しずつ近づく気配がした、ベッドが揺れて隣に横たわる感触も伝わってくる。
狸寝入りを気づかれないよう、東海林は意識を鎮めてゆっくりと呼吸する。と、その時首筋に生暖かい感触が伝わった。そして唇にも春子の唇が重なってきた。
逸る鼓動に気づかれないようわざとゆっくり鼻呼吸をしていると、唇は離れて少し上から春子が囁く声が聞こえた。
「ごめんね、もっとやさしくなりたいのに…」
そんな言葉を聞いて、寝たふりなんてできるわけがなかった。
「春子!!」
思い切り声を張り上げて起き上がると、春子は驚きのあまりベッドから転げ落ちた。
そして東海林を見つめて頭をブンブンと回している。
「そういうことは起きてる時に言え!!」
ひどく動揺している春子の前で東海林は顔を近づけて命令するように言った。
「私は何も言ってません!!」
「うそつけ、このあまのじゃくめ!」
「まさか寝たふりを…なんて卑怯な」
「卑怯なのはそっちだろ」
もしかしたら寝ている間に、こんな風に素直な春子が隠れていたのかもしれない。そう思うと今夜は眠れない、そんな気がした。