Little by littleある日、常務から呼び出された。
パソコンで顧客管理をしていた東海林はデータを保存してパソコンにロックをかけて常務のいるミーティングルームに向かった。
その呼び出しがいいことか、悪いことか、どちらかわからず期待と不安を胸に抱えながら廊下を歩いて行く。
「東海林課長、どこに行きました?」
「常務に呼び出されてましたよ」
「珍しいですね、常務からって。まさか昇進ですか?」
「もしかしたらそうかもな、キッチンカーの事業もかなりうなぎのぼりらしいし」
そう営業部の連中が噂していると、奥から東海林が目を腫らした状態でやってきて思わずぎょっとした。
ショックで泣いてしまうことがあったのだろうか、まさかまた改竄でも…営業部の面々は心配になりわざと明るい声で東海林を迎えた。
「東海林課長!どうしたんですかー?花粉症ですか??」
「そうそう、秋にも花粉症があるらしいしなぁーー今日も痒いなあー」
そんな様子を見て、東海林は目を丸くして
「どうしたんだみんな、わざとらしく喋って」
「…いや、人生いろいろありますよ、諦めずに頑張りましょう」
「お前ら…何か悪いことでもあったと思ってるだろ?実はな……」
その言葉に一斉に唾を飲む。
「社長賞、取ったどーーー!!!!」
まるで映画ロッキーのように両手を上げて東海林は雄叫びをあげた。
その言葉で周りからも歓声が湧く。
「マジですか!?やったじゃないですか!!」
「おめでとうございます!!」
「東海林課長の努力が実って俺も嬉しいです!!!」
中には涙ぐむ社員までいた。
「ありがとう、俺もその話を聞いた時感極まって泣いちゃってさ…本当に、みんなの協力のおかげだよ…ありがとう!!」
東海林は目を潤ませながら、感謝の言葉を述べていた。すると奥にいたハケンからも拍手が沸く。
「東海林課長、おめでとうございます」
「それで授賞式はいつですか?」
「そう、授賞式!!来月の10日だそうだ。みんなも参加してくれるよな?」
「当たり前だろ!!営業部総動員で祝おうじゃないか!!」
宇野部長も泣きながら東海林の肩を何度も叩いた。
「部長、ありがとうございます!!」
そんな華々しい場面をじっと奥で見つめる人物がいた。
「……おっそ」
そう呟いて別の場所から戻ってきた春子は、その場に戻らずまた別の場所へと向かっていった。
「おい、とっくり!!お前何サボってんだ」
「遅めのお昼休憩です」
「あ、ああ…そうか、それよりさお前にいい知らせがあるんだけど…」
東海林は嬉しさを隠せずニヤニヤしながら春子に社長賞のことをつげようとした、そして以前約束した「3ヶ月以内に社長賞を取れたら結婚する」ということを確認するためにさっきから春子を探していた。
すると、春子は一枚の紙を東海林の目の前に差し出した。
「お約束通り結婚しますので、こちらにご記入お願いします」
その大きな紙は東海林も1度記入したことがある『婚姻届』だった。
あまりにもの衝撃に、目が点になっていた東海林に春子は続けて語り出した。
「結婚の契約期間は3ヶ月、ただし更新するかどうかは2人で決めさせて頂きます!婚姻届は社長賞の授賞式が終わってから出してください」
「…ちょっとまて、3ヶ月って…更新型の結婚!?」
東海林は春子の契約内容に納得いかない様子だった。
「はい、3ヶ月で離婚することもあり得るということです」
「何でだよ、結婚までハケン形式なんかにしたらお前また急にどこかへ行くんじゃないのか!?」
「それは2人次第です、あなたのそばから離れたくないと思ったら更新しますしあなたが私を嫌いになったら契約解除します」
そう告げた春子の顔は、名古屋で再開した時のようなどこか吹っ切れたような表情だった。
「今更嫌いにならないし、離れたくないって思わせてやるよ…結婚して下さい」
そう言って右手を差し出した。
「…よろしくお願いします」
春子も右手を出して東海林の手に重ねる。触れて気がついたがてのひらにはすごい汗で濡れていた。
「スピーチは私が考えます」
「いや、俺が考える」
「あなたに任せたらまた笑いを取りに行ったり余計なことを言いそうです」
「笑いを取りにいって何が悪い?おめでたい席なんだから和やかなムードにするのは大事だろう?」
「これだからくるくるパーマは…」
「髪の毛は関係ねぇ!!」
東海林の部屋で2人はスピーチについて押し問答していた。
春子は婚姻届を渡した翌日から東海林の家に住んでいる。新居は入籍してから探そうと言うことになった。
そして何故か今日の夕飯は赤飯だった。お祝いと言えば赤飯でしょうと春子が手作りしてくれた。ばーさんかよと悪態をつきつつも東海林は心の中で小躍りしながら米粒一つ残らず食べた。
こうやって仕事以外でも一緒にいると、昔名古屋にいたことを思い出す。あれからずいぶん遠回りしてしまったと思う、2人ともずいぶん年を取ってしまった。
それでも、ずっと夢見ていた春子との結婚が現実となってまだ正直実感がない。婚姻届を提出すれば結婚したと思えるのだろうか、それとも結婚式を挙げたら思うのか…。
結局口論の末、東海林の考えたスピーチを春子が添削することになった。春子は
「苦肉の策です」
なんて言うけど、東海林は全部直されるんじゃないかと少し不安だった。
どうか春子との結婚についての下りだけはボツにされないようにと思いながら、東海林は手を伸ばしてテーブルに置かれた右手に触れた。