どれだけあなたのことを秋雨前線が関東を通過すると気象予報士が言っていた。だが寝坊してバタバタと用意していた耳には届かず傘を持たずに出かけてしまった。
そして外回りから帰る途中に雨にやられて、屋根のあるビルに一時避難してやむのを待っている。
「やむどころか、土砂降りになってきてるな…」
東海林は腕時計をちらりと見て、いつまでも雨宿りしている暇はないと雨に濡れながら会社へ戻ることにした。
鞄の中には取引先との大事な契約書が入っている、これを濡らしてしまってはいけないと背広を脱いで鞄を覆う。
そして水たまりを跳ねるように、走り出した。周りは傘をさして悠長に歩いている、何だか1人仲間外れにされたような気分だ。こんなことならちゃんと天気予報を聞いておけばよかった、そんなことを考えながら走っているとー。
「東海林課長!!」
目の前に黒い傘をさし歩道の真ん中を陣取っている女が飛び込んできた。
「とっくり!?」
その女、春子は東海林に自分がさしていた傘を差し出すと
「大事な書類を濡らされては困るのでこれで会社まで戻って下さい」
突然の行為に反応が鈍くなる。なぜここに春子がいるのか、なぜ傘が一つしかないのか…そしてひとつの答えを出した。
「お前、俺と相合傘したいのか?」
「やめてください、私はこれで帰ります!!」
そう言って後ろに隠してあった透明のゴミ袋をかぶって、春子はくるっと背を向けた。
「ちょ、待てよ!そんな恥ずかしい…」
言い切る前に走り出した春子にその声は届くことなく姿はあっという間に見えなくなった。
「何なんだよあいつ…」
東海林は取手に消えないよう刻まれた大前春子の文字を見つけてニヤリと笑った。そしてその地味な黒い傘をさして歩き出した。
「大前さん、さっきはありがとう」
東海林は傘を直接返すため、春子のデスクの前に立っていた。
「別に業務の一環なのでお礼は不要ですが」
春子はパソコンの画面から目を離さずずっとタイピングを続ける。
「かわいくないねー相変わらず」
そう言いながら東海林は傘を春子のデスクにかけると、ポケットから小さいペットボトルを取り出す。
「よかったら飲めよ、また俺のせいで風邪ひかれちゃ困るから」
春子の右手に熱が伝わってくる距離で置かれたのはゆずしょうがティーと書かれたコンビニ限定のホットドリンクだった。
春子は目線をそちらに移して、少しだけ顔が綻んだ。
「お前、こういうババくさいの好きだもんな」
「ババなのはあなたの頭じゃないですか?」
「誰がトランプのジョーカーだ!ったく相変わらず生意気な女だな…」
ぶつぶつ呟きながら東海林は自分の席に戻った。
春子は顔色ひとつ変えず仕事に従事する、けれど心の中は少しだけ暖かくなっていた。そういえば昔よくゆず茶や生姜湯を東海林と一緒に飲んでいた気がする。
今日も窓の外で雨が降った時に、ふと東海林が戻ってくる時間じゃないかと予感した。気がつくと勝手に足が動いていた。
どうして長い間離れていたのにこんなにお互いわかり合えるのだろう。
その答えはまだ、お互い出さないまま今日もまた同じフロアで仕事する。