In law東海林が社長賞を受賞して2ヶ月が過ぎた。あれから周りから称賛の声を浴びて少し天狗になっていたが、時間が経って冷静になり仕事に対して気を引き締めようと思い改めた。
そしてプライベートでは春子と結婚することになり、めでたく入籍し新居で暮らし始めたばかりだった。
新婚旅行にはいかないが、そのかわり今度東海林の家族と日帰りで日光まで出かけることになっていた。春子は結婚前の食事会以来家族に会うのは2度目となる。
「やっぱりサルは見ておきたいよな」
パソコンで日光の観光地を検索しながら東海林は言った。
だが後ろでコーヒーを入れている春子が
「日光と言えば東照宮でしょう、サルは凶暴なのでご両親には危険です」
東海林の意見を否定してきた。
「大丈夫だよ、人馴れしてるだろうし。それともお前サルに噛まれたことでもあるのか?」
「サルなら芸を教えたこともありますが何か?」
「そんなことまでやってたのかよ!!お前マジで何者なんだ!!」
コーヒーの芳しい香りが流れてきた、春子はコーヒーカップを2つトレイに乗せてテーブルに置く。
東海林はブラックでそのまま口にする。
なんだかんだいいつつも結婚して、春子が自分の家族と一緒に出かけることが嬉しくて東海林は浮かれていた。
家族との食事会でも春子は両親からも受けがよく、姉や弟も喜んでいたのできっと仲良くやっていけると思う。
家族のいない春子は、東海林家の家族の一員になりどう思っているのだろう。同じように喜んでくれていたら嬉しいのに。
春子はミルクを追加したコーヒーを口にする。
そして東海林が見ていたパソコンの中身を覗き込む。
「猿はこちらが威嚇しなければ素直でかわいい生き物です。観光客が騒いだり目の前で飲食したりするから攻撃するんです。猿をみてはしゃぐあなたのような人を」
「失礼だな、俺はもういい年したオヤジなんだから猿見てはしゃいだりなんかしねーよ」
「とにかく、東照宮だけは外さないでください」
「…それ、お前が行きたいだけじゃないのか?」
パソコンのキーボードで東照宮と打ち込みながら東海林は呟いた。
旅行の前日、春子は家に帰って準備をしていた。
日帰りとはいえ移動時間も長いので、車の中で退屈しないようにガイドブック、寒くなりそうなのでひざ掛けを数枚、そして東京土産も用意していた。運転は東海林がすると言っていたが、自分も交代してその間家族でゆっくり車内で楽しんでもらいたい。東海林の姉は下の子も連れてくると言っていた。小5のかわいい女の子、何をすれば楽しんでくれるだろうか。
そんな思いを巡らせながら春子は知らぬ間に笑顔でバッグに荷物を詰めていた。
用意を済ませて夕飯を作ろうと台所へ向かった時だった。ポケットの携帯が震えて、手にすると画面には東海林の名前。通話をタップして
「もしもし」
そう言うと向こうから少し小声で
「春子か?あのさ…明日なんだけど」
東海林が何か言いにくそうにしている様子が電話口から伝わってきた。少し嫌な予感を抱えながらも耳を傾ける。
「ごめん、今日急にキッチンカーの事でトラブルがあって……明日取引先と話し合わなきゃいけないんだ」
それを聞いて、春子は明日の旅行が中止になるのだと理解した。
「わかりました、それでは明日は中止と言う事で」
そう言って電話を切った。
しばらく電話を手にしたまま考え込む。楽しみにしていたが、仕事なら仕方ない。またの機会にすればいい。
春子はそう言い聞かせて、台所へ向かった。
「あのさ…怒ってる?」
夕飯を取っている間ずっと無言でいる春子にどこか罪悪感を抱いた東海林は恐る恐る問いかける。
「怒ってなんかいませんが何か?」
「よかったらさ、俺抜きで行ってもいいんだぞ。運転が大変なら電車でもいいし」
「結構です、家族旅行なのに家族が1人でも抜けていたら意味がないでしょう」
「家族……そうか、そうだよな」
東海林はその言葉に少し救われながらも、リビングの端に置かれたままになっている膨らんだバッグが目につくたびに、胸が針で刺されたような痛みに襲われた。
翌日、昼過ぎに東海林からメールが届いていた。
「夕方には仕事が終わるから銀座で夕飯でも食べないか」
春子は東海林からの気遣いを察して
「わかりました、お店が決まったら教えてください」
そう返事した。本当はあまり出かけたい気分ではないが夫の思いやりを無視するのも心許ない。
春子は片付ける気にならなかった旅行バッグを開き片付けようとした。すると、あることに気がついた。
昨日入れていたはずのあれがないー。
東海林が指定してきたのは銀座にあるくずし割烹の店だった。「予約したから店に直接来て欲しい」とメールがきたので、携帯で場所を確認して春子は6時過ぎに店の前に着いた。すると入口で東海林が待ち構えていて、春子を見つけるなり手を大きく振ってくる。
「お待たせしました」
「おお、っていうかお前いつもより小綺麗な格好してるな」
「銀座と聞いたので」
「そこまで高級な感じの店じゃないんだけどな…まぁいいや、入ろうか」
東海林は春子をエスコートしながら個室に案内してくる、風情のある和風の建物の廊下は少し軋む音がした。
そして個室の前につき、東海林がゆっくりとふすまを開けるとー。
目の前には、東海林の家族がいた。
父、母、姉にその子供、弟の5人。ウエルカムドリンクを飲みながら春子が来るのを静かに待ち構えていたようだ。すると後ろから東海林が大きな声で
「サプラーーーイズ!!」
どうだ驚いたかと言わんばかりの顔で春子の方を見ている。
春子はどう反応していいかわからず、とりあえず家族に挨拶をして一礼した。
「春子さん、こんばんは」
「今日は日光に行けなくて残念だったけど、代わりに食事しようって武から言われたの」
「春子ちゃん、うちの子が早く会いたいってうるさくて」
「はるちゃーん、また面白い話聞かせてー」
「兄ちゃんが驚かせようって言うから、だまっててすみません」
家族それぞれが春子に声をかける、春子は1人ずつに返事をしたかったが、長くなると思い
「皆さん、お忙しい中お時間をとっていただきありがとうございます」
深々と一礼すると、東海林に背中を叩かれた。
「家族なんだから、そこまでよそよそしくしなくていいんだよ」
ふっと軽い笑顔を見せて、座敷に腰掛けるよう促してきた。春子はゆっくりと歩いて座布団に腰掛ける。
すると東海林の両親の後ろに、昨日バッグに入れたはずのお土産が袋ごと置かれていたことに気がついた。
やはり東海林が持っていってたのか、春子は昼間にバッグからお土産がなくなっている時点で何かあるなと感づいていた。でも、あえて気づかないフリをしている。
旅行へ行けなかったのは残念だがこうやってまた会う機会を作ってくれたのだから。
食事会は3時間ほどだったがお酒も入り盛り上がって終了した。東海林の家族はみんなユーモアがあり明るくて楽しい。こんな仲のいい家族といたから、東海林はまっすぐな性格なんだろうと感じる。それが少し羨ましくも思う。
「春子さん、お土産も用意してくれてありがとう、今度こそ東照宮行きましょうね」
東海林の母は春子の手を握りそう約束を交わしてくれた。
その手の温もりが優しくて、思わず涙が出そうになったが必死でこらえながら
「ありがとうございます、お母様もお体に気をつけてください」
そう伝えて名残惜しい気持ちを残しつつ銀座をあとにした。
帰りの電車の中で、2人はつり革にぶら下がりながら窓の景色を見ている。そして東海林が春子に目線を落としながら話しかけてきた。
「今日はごめんな、でも少しでも喜んでほしかったからさ、サプライズできてもらったんだよ」
「そうですね、驚きました」
「お前がさ、昨日家族1人でも抜けていたら意味がないって言ってただろ。そう言われて嬉しかったんだ」
「私も東海林春子ですから」
そう言うと春子はそっと東海林の手を握った。
「休日返上でお仕事お疲れ様です、明日の日曜はゆっくりしましょう」
電車がカーブを曲がる、少し揺れた体は繋がれた手で支えられた。そして気がつくと窓越しには繁華街のネオンが浮かんでいる。2人の住む街まではあと3駅だった。