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    忘れたいのに「あなたの忘れたいことは、何ですか?」

    妙齢の女性が肘を突きながら訪ねてくる。そこは薄暗く紫色のカーテンで囲まれた、一見怪しそうな場所。
    学校の机のような大きさのテーブルを挟んで、その女性と東海林は向き合っていた。
    一息ついて口を開いた東海林は
    「大前春子を忘れたいんです」

    そう答えた。




    1時間後、その怪しい店の扉から外に出た。地下一階にあったその場所から狭い階段を登り地上に出る。
    空を見上げると雲ひとつない晴天だった。さっきまでの闇の世界が嘘のようだ。


    「ああ、なんでかわからないけどすごく心が軽いな…」

    東海林は空に囁くようにそう言った。



    その足で東海林は里中賢介の店へと向かった。
    昼をまだ取っていないので何か食べて帰るついでに伝えたいことがあった。

    さっき催眠術で、忘れたいことを忘れることができたと言うことを。


    「東海林さん、こんな時間に珍しいね。仕事は?」

    「今日は時間休取ったんだ、久しぶりに新宿に行ったよ」

    里中のほかに店員の千葉がいた、今日は井手と福岡は休みらしい
    千葉が水を運んできた、明るい声で

    「東海林さん、今日のおすすめは『春子おばさんのアジフライ定食』です」

    そう言うとメニューを広げて目の前に置いた。


    「アジフライかー…春子おばさんってここで調理してる人?」


    その言葉に里中と千葉はわざとボケているのかと思った。
    だからあえて何も言わずに注文を聞いて、奥の厨房で里中がアジフライを揚げる。

    おしぼりで手を拭きながら、東海林は周りの様子を見る。
    もう一時を過ぎていたからかランチのピークは過ぎて、客は自分以外に2組だけしか居なかった。
    若いOL風の2人組に、作業着を着た男性1人。どの客もアジフライを頼んでいた。やはり看板メニューだからだろうか。

    しばらくすると東海林の前にも熱々のアジフライが乗ったトレイが運ばれてきた。ご飯に味噌汁、サラダにひじきの煮物がついている。

    「いただきます」

    手を合わせて、真っ先にアジフライに食らいつくとサクッと音を上げて衣と中のジューシーなアジの身が口に広がった。

    「うまいな、さすがおすすめだけあるよ」
    東海林は厨房からカウンターに戻ってきた里中に絶賛する。
    「ありがとう、今日は大前さんが仕込みを手伝ってくれたから」
    その名前に全く思い当たる人物がいない東海林はきょとんとした顔で尋ねる。

    「大前さん??」

    その様子を見て違和感を覚えた里中は恐る恐る訪ねた。


    「東海林さん、大前さんって大前春子さんのことだよ」

    「……………誰それ?」

    長い間を置いて、東海林は疑問を投げかけた。まるで自分がその人物を知っているかのような発言に戸惑いを感じていたからだ。

    そんな東海林の様子を見て、不安になった里中は
    「東海林さん、大前さんのこと忘れたりしてないよね?」
    不安を払拭するため確認した。ところが返ってきた返事は
    「何言ってるんだよ、賢ちゃん。そんな人会ったこともないよ」
    真面目な顔でそう話す東海林に、里中は不安を隠しきれず眉をひそめた。まさか記憶喪失だろうか、それならなぜ大前春子の事だけ忘れているのだろうか。里中は東海林の記憶を確かめるために質問を投げかけた。
    「東海林さん、自分の職場の会社名は?」
    「何言ってるんだよ、S&Fに決まってるだろ」
    「じゃあ東海林さんが旭川で見つけてきたお菓子は?」
    「黒豆ビスコッティだろ?」
    「じゃあ特Sハケンの大前春子さんは?」
    「だから大前春子って誰なんだよ!」
    東海林は笑いつつも本当に知らない人のように振るまう。
    ますます里中は不安に感じ、奥で仕事を終えて帰ろうとしていた春子を呼び出した。
    春子はエプロンを脱ぎながら億劫そうに店内へ入ってくる。
    「…何ですか、私はもう帰るところなんです」
    「ほら、東海林さん大前さんだよ」
    「へー、この人が…はじめまして大前さん」
    東海林は物珍しそうに春子を見つめていた、その視線に春子は冷たい目で
    「何言ってるんですか、このくるくるパーマは…髪だけじゃなく頭もくるくるになったのですか?」
    いつもなら怒って言い返すはずだと里中は期待したが
    「え…この人初対面でこういうこと言っちゃう人なの…?賢ちゃんよく雇ったな」
    若干引き気味の態度を示したせいで、里中は顔を青くして、春子は鼻をヒクヒクさせていた。
    「この人…本当に私の事を忘れているんですね」
    記憶喪失のことについては呼び出されたとき里中から少し聞いていたが
    春子はまだ半信半疑だった、自分を忘れているフリをして気を引こうとしているのだ、と。
    「東海林さん、ここに来るまで階段から落ちたりボールがぶつかったりしていない?」
    里中が訪ねると、東海林は思い出したように
    「そうだ!肝心な話忘れてた、俺さっき催眠術かけてもらったんだよ!!
    それで本当に忘れたいことを全部忘れたみたいでさぁ~何を忘れたかったかも覚えてないんだよ」
    笑顔で晴れやかに話す東海林とは対照的に、里中と春子はその事実を知り
    まるで人形のように瞬きもせずしばらく固まっていた。

    「おい…二人ともどうしたんだよ」
    フリーズしている二人を起こそうと東海林は手を叩きながら二人に近づく。
    「東海林さん…何で忘れたいなんて思ったの!?
    大前さんとの時間はかけがえのないものだったじゃないか!」
    正気を取り戻した里中は、東海林の両腕を掴み眉を八の字にしながら訴える。
    だが東海林は意味が分からず、その手を掴み
    「賢ちゃんどうしたんだよ、固まったと思ったら泣きそうな顔で怒るし…あの人になにか言われたのか?」
    そう言って春子のほうを見ると、まだ無表情だったが体が少し震えていた。
    その顔を見た瞬間、東海林の後頭部がズキッと痛んだ。
    「ごめんな賢ちゃん、ちょっと頭痛くなってきたし今日は帰るわ」
    東海林は会計を済まし店を出ていった。

    その後、いつの間にか客がいなくなり里中、春子、千葉の三人だけになりどんより
    重たい空気が流れている。
    その空気を払拭しようと動いたのは千葉だった。
    「東海林さん、催眠術で大前さんの事忘れちゃったんですねー本当にそんなことが
    できる人がいるなんてびっくりですよねー…」
    だがそれが余計に傷口に塩を塗ってしまった。
    「本当に…私の事を忘れたいだなんて…私だって忘れたいくらいです」
    3人ともなぜ東海林が春子の事を忘れたいのか、理由が全くつかめずにいた。
    東海林は春子の事が好きなんだと里中と千葉は思っていた。
    そして、春子も東海林は自分の事を忘れずにいる未練がましい男だと思っていた。
    だから余計に腹が立っていた。

    「…このままでは許せません!!」
    春子は店を出て東海林の後を追いかけた。

    店から500mほど離れた橋の上を東海林は歩いていた。
    東海林は春子のような強気な女性が里中と働いていると知り一抹の不安を抱いていた。
    「賢ちゃん、大丈夫かな…あんな怖そうな人」
    川面を見つめながら呟いていた。
    その先にはスカイツリーが見えて、雲を突き刺していた。
    その少し濁った雲を見つけ
    「あれ…なんか天気悪くなってきたか?」
    また独り言をつぶやいていると、後ろから大声で名前を呼ばれた。
    「そこの東海林武、止まりなさい!!」
    ビルの壁に反射してこだましたその声の主は、春子だった。
    東海林は振り返り困惑していると春子からカツカツと近づき、至近距離で
    「私の事を、忘れたというのなら…思い出させてあげます!!」

    そう言うなり、春子はつま先立ちになって東海林にキスをした。



    その瞬間、スカイツリーの空にはガラスがひび割れたような線が描かれた。
    時間差でゴゴ…という音が2人に耳にも流れてくる。
    そして、同時に東海林の目の前に何か浮かんできて、東海林はとっさに春子をはねのけた。
    唇に手を当てて、俯いている東海林を春子は目をそらさずじっと見ている。
    気が付くと二人にも空からの雨がポツポツと落ちていた。

    「思い…出した」
    東海林は蟻がつぶやくようなトーンで言った。

    ー三日前の夜、仕事が遅くなり里中の店も閉店した頃だと
    東海林は差し入れをもって店に向かった。
    そして暗い店内を遠めに見て、裏口から入ろうと正面からぐるりと回って
    裏口のほうへ向かった時。
    ドアの前で里中と春子がキスをしていたのを見てしまった。
    薄暗かったが、春子の背中が伸びて里中の顔に向かっていたそのシーンが
    ずっと頭に焼き付いて離れなかった。
    東海林は気づかれないようその場を離れた、その後家に帰って朝になっても
    その場面が頭から離れなくて苦しかった。

    春子は里中が好きなんだと思い知らされ、どうしようもない絶望感に襲われて
    里中に嫉妬してしまう自分が嫌で仕方なかった。
    14年もずっと思い続けて、それでも届かない思いを抱えながら過ごしていくのは
    もう限界だーそんな時、会社のハケンの子から新宿に有名な催眠術の店があると
    教えてもらった。

    忘れてしまったら、きっと楽に生きていける。

    そう思って催眠術で春子の事を忘れたのに、こうも簡単に思い出してしまうなんて。
    やり場のない感情が地面に点をつける雨のように東海林の中にも振ってきた。
    ゆっくりと春子を見つめると、春子は相変わらずの無表情で立っていた。
    この女にキスなんかされなければ、思い出すことはなかったのに。
    そもそも里中にキスしていたくせに自分にも平気でキスができるなんて
    意味が分からなかった。

    「あんた…何考えてるんだ」
    「ショック療法です」
    「ショック療法って…賢ちゃんから頼まれたのか?だから嫌でもハエにキスしたのか?」
    「…私の意志でしたまでですが、何か?」
    春子は睨みながら東海林に言う、その目が心をえぐられると東海林は思った。
    「…意味わかんねーよ、お前のやってる事が!!お前は賢ちゃんが好きなんだろ!?
    だから一緒に仕事してるんじゃないのか、俺に中途半端に関わってくるの…やめろよ」
    怒鳴ったと思えば途中からか細い声になり、最後には涙声になっていた。
    気が付くと涙が頬を伝っていた、けれど雨のせいか涙と雨粒の違いが判らなかった。

    「どうして…私が里中さんを好きだというのですか?」
    春子は東海林の言葉に少し動揺していた。
    「どうしてって…見てたらわかるよ、賢ちゃんにはいつも優しいし
    店のオープンにも駆けつけて、手伝ったりしてさ…それに、見たんだよ
    お前と賢ちゃんがキスしてるところを」
    「……は?」
    雨はどんどん強くなり2人を濡らす、けれどお互い傘をさしたり屋根のある
    場所へ移動することなく橋の上に佇んで話し続ける。
    「私は里中さんとキスなんてしていません」
    「…何言ってんだ、三日前の夜に見たんだよ。裏口の前でキスしてるところを」
    三日前の夜と言われ、春子はその日の事を思い出そうとした。
    確か、片付けて店を出るときに目が痛いというので見ていたら
    まつ毛が右目に入り込んでいたのでハンカチで取っていた。
    「……それは、見間違いです。顔を近づけていたのは目の中に入った
    異物を取るためです」
    「え…?」
    「私は里中さんのことをいい仕事仲間と思っていますがキスはしません」
    東海林は間抜けな返事をして、春子から告げられた真実を聞きしばらく考え込んでいた。
    あのキスは誤解だった、ただの勘違いだった。
    最初からその場で確認していればこんなに悩むことはなかったのに。
    だからと言ってまたいつもと同じようにとは思えなかった。
    自分の中で春子の存在がどれだけ重たかったか、催眠術をかけてもらい
    忘れたときのあの爽快感から、思い出し雨に濡れてずっしり重くなったスーツを
    背負っているこの心の変化で思い知らされた。


    「悪かったな…勘違いして」
    東海林は急にヘラヘラ笑いながら話し始めた。
    「でも、お前が賢ちゃんを大事に思ってるのは知ってるから…しばらく
    店にはいかないわ、悪いな」
    目をそらして、足を180度曲げて、東海林は橋の向こうへと歩いて行った。
    その背中を小さくなるまで春子は追うことができず見つめ続けていた。

    どうしていつもこうやって、すれ違ってしまうのだろう。
    里中の店を手伝っているのは東海林に会えるから、さっきのキスも
    昔キスされたときの事を思い出してほしくて自分からしたのに。
    どうして東海林は自分が里中を好きだと勘違いしているのかわからなかった。
    春子が呆然と立ちすくんでいると、ピピピ…と千葉から着信があった。

    「もしもし」
    「大前さん、東海林さんの記憶喪失どうなりました??」
    「………」
    春子は何と言っていいかわからず無言のままだった。すると業を煮やしたのか
    「もーーーっ、大前さん私エスパーじゃないんですから!思ってる事
    言ってくれないとわかんないですよ!!」
    そう言われて、春子はやっとやっと気がついた。

    好きな気持ちが伝わっていないのは、言葉にして伝えていないからだ、と。
    気づいてよとただヤキモキするだけじゃ相手には伝わらない。
    東海林は何度も自身の想いを伝えてくれていたのに
    いつも、いつも逃げていた。
    「大前さん?どうしたんですか?大前さーーー…」
    春子は電話を切って、東海林のもとへ駆け出した。

    もう地面には水たまりができて、春子もずぶぬれだった。
    けれど今は雨を拭くよりもしなきゃいけないことがある。
    全力疾走で駆け抜けて、あっという間に東海林に追いついた。
    無言で、背中からタックルすると足を滑らせ二人とも地面に倒れこんだ。
    東海林は突然の事に驚き鼻の穴が大きくなっていた。
    「とっくり…まだ何か言いたりないのか?」
    東海林は尻もちを突いたところを撫でながら言った。
    「はい、言いに来ました」


    春子は濡れた唇にもう一度口づけて、東海林の瞳に映る自分を見つめながら言った。
    「あなたが好きです」


    春子の口から出てきたその言葉で、東海林はまた別の術にかかってしまう。

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    2021/01/15 12:41:40

    忘れたいのに

    東海林の苦しみを楽にしたくて。


    #ハケンの品格 #二次創作 #東春

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