九龍まとめ「晴れのち晴れ」
(鎌治)
彼が来た日はいつも晴れだった。気がする。
そして、彼が居なくなった日も、晴れだった。これは確実。
彼は、いつも天気みたいに変わりやすい、晴れのようにおおらかで、曇りのように本性を知らせず、雨のように可哀相で、ああ、僕は彼がいなくては、変化できないのかもしれない。
いいや、そんなことは、ない。だって、彼が変化し続けたことで、僕も変化し続けた。ああ、よかった。彼の記憶だけでも残してくれて。
まだ、いつまでもきっと晴れの日には君を思って、あのヘタクソな勝手な鼻歌を思い出すだろうけど、それはこれからきっと、僕がちゃんとした自分でいられるためには守り通さなければならない記憶なんだと思う。
今度こそ。
「真夜中のパーティ」
(3-C三人組)
題名を知らないが、あの有名なキャンプだホーイという間抜けな字面の曲を八千穂と歌いながら九龍はカレーを作っていた。
遺跡の中で。
「あのよお、」
「え、どうしたの甲ちゃん。一人で落語始めちゃった?」
「こわい話をしましょうか?」
「あの世―」
「お前ら一辺マジで蹴られて死んでみるか?」
「「うそうそゴメンゴメン」」
一斉にあやまる二人を見て嘆息をつく。
「あのな、九龍。なんでカレー作ってんだ」
「え? だっておなかすいたって甲ちゃんがいうから」
「待て。俺はリアルにここで作れとはいってない」
「だって、食材手に入ったし」
「化けモン調理に使ってんじゃねええええ」
八千穂がカレーをかき混ぜた瞬間、ボウン! という音と一緒に煙が舞い上がった。
「あれのどこがカレーだあああ!!!」
「だめだよやっちー! 丁寧にかき混ぜないと!」
「え! 私力強かった?」
皆守はなんといえばいいのか、わからない。八千穂の力ならきっと自分も死ぬだろう。
結局、目の前にカレーの形状をしたものを提出された以上は、彼は手を出さずにはいられなかった。その後あるもの全てを使ってそのカレーには粛清を下したが。
「ジングルベル、まだ鳴らさないで」
(皆守、八千穂/未来捏造)
また今年もこの季節がやってきた。
この時期になるといやでも思い出す。思い出させられる。高校時代の仲間たちはこの時期になると嫌がらせのように昔話をはじめ、バイトでは飲み会が入り、大学のゼミ仲間も連日ゼミ室と寮での飲みに引っ張り込もうとする。それを虚ろな目で見つめるのは4年生だけだ。
今朝も昨日の酒にうなりながら携帯に応じると、八千穂の声だった。朝から二日酔いで八千穂。恐ろしい組み合わせだ。
『おっはようございま~す』
「お前はサザエさんか」
『機嫌悪そうだね』
「うっせー。二日酔いだよ」
『あーやだやだ。一匹狼だった皆守くんもついに人に流されるようになったのね』
「黙れ。何の用だよ」
『あのね、かまちーと一緒にクリスマスしたいねって言ってたの』
「はあん」
『もうっ!! 皆守くんも参加なの!!』
「決定事項じゃねえか!!」
『そうよ。いなかったらさびしくて泣くから』
「最悪だなお前」
『九ちゃんも来てくれるって』
「……断固行かん」
『やだー、きてー』
「ふざけんな!!」
『だっ』
そこで突如途切れる携帯。
プープーという音を見ていると、皆守は朝から体が重たくなっていくのを実感した。そういや連日でかけていてここ最近充電していなかった。
アイツと過ごすクリスマス。最悪じゃねえか。
「虫食いの記憶」
(九龍、皆守)
鉛筆の先をなめてから文字を書くのが九龍の癖のようだったけど、実際にその手が握っているのは大方ボールペンであってなめて書き味が変わるわけでもないと思う。
大体、生まれてこの方日本で暮らしていてそんなオッサンじみた癖というのならまだしも、ずっと海外暮らしの若造が何やってやがる、というのが本音だ。
彼の歴史と行為が結びつかなくて、違和感よりも愉快さが勝っている。
似合わない動作と、似つかわしくない経歴が全くの異国で(といっても彼の血の国なのだが)融合しているのを今俺は見つめているのだ、と皆守はカレーを食べながら思った。
だが、メモを取っている九龍はよく目に付いて思い出すのに、彼がメモしていた中身については全く知らなかったことに気がついたのはほんのさっきだった。
「体温の欠乏」
(皆守、八千穂)
「寒い」
いつもはこのセリフをいうのは自分のほうなのだが、自分が寒くなくて他人がそれを発すると変な感じがした。
「ふうん」
「冷たいなあ」
「なんだよ、寒いのは俺の態度か」
「違うけど」
そして後ろに回って座ると八千穂は両手を俺の腰に回した。まるで人形でも抱きかかえるような格好で。
「八千穂さん、これは何事ですか」
「寒いんだってば」
「だからって、お前なあ」
「男の子って体温高いよね。皆守くん、低そうなのに」
「ほっとけ」
だが、八千穂は更にその手を強くする。
「寒いのは、仕方ないよね。だって、二人で守ってくれてたのに、減っちゃったんだもん」
「手の話じゃねーのかよ」
俺は仕方ないので八千穂の手を握ってやると、その手はそそくさと離れていく。
結局求められているのはあくまで温度だけであって、「触れ合い」はいらないらしい。
「そう言うくせに」
(皆守、八千穂)
君のことを考えているからね、と念を押された。
「知ってる」
「わかってない」
そしてきっちり俺を見ては小さくため息をつく。それは白いもやとして姿を現して、そしてまた消えてしまった。今度は溜め込んで何を言うかとこちらが構えてしまうくらいに。
「ほんっとーに、わかってない」
成長しないのは、お前も同じだろうが、とは言い返せない。
だが、お前の“見ている”の意味と俺の“見られている”ではきっと意味が違うし、お前の言葉に隠れた様々な気持ちが当たり障りのない言葉となっていることに俺は耐えられないのだ。
「打ちのめす君の言葉」
(皆守、八千穂)
また行くあてのない自分たちはブラブラと街を歩いて買い物をしたあと自宅に戻った。
「私は、ね」
「うん」
適当な返事を返す皆守を八千穂も見ていない。
「皆守くんのそばにいるんだ」
それを聞くたびに思うのは、そうして八千穂を縛り付けているのが自分との約束ではなく、自分の知らないうちに九龍と交わされたであろう会話のことだった。
「笑って許してあげたかったのに」
(八千穂、皆守)
「もういいよ」
なにがどういいのかさっぱりわからなくて私は素直に彼を見た。
「もういいんだ」
「なにが?」
「お前は」
「うん」
「俺を許さなくていい。」
そしてかの手は私の頭のお団子をぐりといじった。再びあの冬がめぐってきて、今度は二人だけで変わらぬ街を歩いている。あの時だって街を歩いてはなかったけれど。
「言ってることがよくわからないよ」
「お前は俺を許していない。ほんとうは、知ってた」
彼はその手を少し下におろして私の冷えたほっぺたに触れた。
「つめてえ」
「寒いもん」
「だから、無理に、許そうなんて、思わなくていい」
「許してるよ」
「許さないでくれ」
そして指が目の下をこすった。
「泣き虫」
「許してるもん」
「うん」
「私は、ぜったいに、皆守くんの、味方だから」
きっと、彼は私が彼を許していないから一緒にいるんだと思っている。違う、そうではないのに。
私は、彼を、今度こそこちら側に繋ぎとめるために、共にいるのだ。過去を想うのではなく、共に未来を見据えるために、私は今度こそ、彼を引き止める。だから彼と一緒にいて、彼を見つめ続けなくてはならない。
そのために、涙はすこし邪魔だったけど、彼が優しくなるので放っておいた。
「17才」
(八千穂、鎌治)
「あ、そうか」
「うん。実はね」
学生手帳を閉じると、八千穂は鎌治へと返した。
「まだ、17歳なんだー」
「だからやっちーとは丸々一歳違うでしょう」
「うん。そうだー。あーほんとだー」
「逆に実は夷澤くんとはあんまり変わらないんだよね」
「へーへーへー! そっかあ。そうだよねー」
早生まれの割りには身長だけはすくすく育ったものだと思う。強くはないけれど、それでも運動も出来るし、重い病気だってもっていない。すこし邪魔なときはあるけれど、この体は嫌いではなかった。
「卒業したら、私なんてまたすぐに誕生日なのに」
「そのときにはお祝いしようね」
「しようしよう!! 皆守くんが同じ4月だから一緒にお祝いね」
「そうしよう! 三月、四月と、続いていていいねえ」
「お花見とかもしようねえ」
「2月になったら、梅とかも見に行こうねえ」
「水戸とか行っちゃってさ、おいしいもの食べようね」
「カレー以外も食べようね」
そして二人はにこにことしている。ここに、もうひとり、いればいいのに。そう思っていても、声に出さずともわかっている。
「九ちゃんから、プレゼント、来るかな」
「きっと来るよ」
「かまちーのときにきたら、きっと私にも来るよ」
「じゃあ、僕で、試そう」
「九ちゃんの、愛」
「ああ、君が好きだ」
(皆守、八千穂)
「こういうのはおかしいんだって、言われちゃった」
「は、何が?」
皆守は珍しく意気消沈した八千穂を見た。ベンチの端と端に座った二人は傍からみれば仲のいい恋人同士に見えなくもないが、その様子は別れる寸前である。
「彼氏でもないのに、いつも一緒にいるっておかしいって。彼氏でもないのに、夕飯作ったり、作ってもらったり普通はしないって。彼氏でもないのに手繋いだり腕組んだり、やっぱりおかしいって。あと、なんかいろいろ言われた」
「はー、へー」
「あ、全然聞いてない」
「聞いてるよ」
「嘘ばっか」
八千穂はそしてまたいつものように皆守の手を包むように握った。
「わかってもらえないんだ。私が皆守くんと一緒にいる理由を」
「お前は俺のためにいるんじゃないんだろ。俺といれば、九龍との関係が途切れないから、ここにいるんだろ、お前は」
「ひどい言い方するね、皆守くんも」
「九龍だって、同じさ。アイツだって、俺といれば、俺のそばにお前がいれば、お前のことを忘れないとでも思っている」
「でも、私も九ちゃんも、皆守くんのこと、大事だよ?」
「知ってる。でも、その裏に考えてることがあるのも事実だろ」
「そうなのかなあ」
「そうなんだよ」
だから、俺たちの関係はややこしいんだ。とは、さすがに皆守はいえなかった。
「九ちゃんに、会いたいよう」
そうやって泣くのは、いつも俺の前のくせに。
「左手がいつか手放したもの」
(皆守)
それは、忌まわしい匂いを放つラベンダーではなく、握りたくもないペンではなく、震える手をごまかすためのジッポでもなく、常に食しているカレーでもなく。
得られないと思っていた、信頼そしてそれ以上の親愛。むしろ愛だったのだろうか。
もしかしたら、それは愛だったのかも。
それは、裏切りによって手に入れ損ねてしまったのだ。
その裏切りは自らの。
「右手がいつも欲しがったもの」
(九龍)
それは、銃ではなく、火器でもなく、剣でもなく、爆弾でもなく。
たった少し、ほんの少しの絶対的な愛だった。
決して裏切らない。
絶対に手に入らないと知っているのに。もしかしてもっていたのに、幼すぎて、忘れてしまったのかもしれなかった。もうここにはなくて、そしていまだに目指している。
「悲しいかと言うその声が」(九龍、八千穂)
記憶にある涙はもう薄れていた。
「俺は、泣いてるのか」
「泣いてるよ」
「なんで、俺、泣いてんの」
「辛かったんだよ、九ちゃん」
「どこが。辛くなんて、ないのに」
「自分じゃ気がつかないことだってあるんだよ」
「だって、別に、さっきまで、なんともなかったのに」
「がんばってたんだね。皆守くんの前じゃ、隠してたかったんだね」
八千穂の手が九龍の頭を抱え込むと、九龍はその胸に大人しく抱かれた。涙が止まらなくて八千穂の腰に抱きつく。子どもの時ですらこんな泣き方したことないのに、いまさら、なにを、とは思っても、とまらないものはとまらないのだ。
「皆守くんと、闘うのは、辛かったね」
「辛くなんて、ない」
「仲良かったもんね」
「アイツが、悪い」
「うん、皆守くんが、ぜーんぶ悪い」
「ちくしょう、俺は、どうして」
「九ちゃんは、よく耐えたね」
「アイツを、殺せなかった」
「うん。よかったんだよ、それで」
知っていたのに、それなのに、こんなにも苦しい。気づいていたのに、それでもこんなに悲しい。悲しいも苦しいも辛いもいままでわかってなかっただけなんだろうか。あまりに鈍いからわかってなかったんだろうか。わかった途端にこんなに体が重くなるなんて、笑い話にもなりゃしない。
「これからの身の振り方について」
(九龍、皆守)
「皆守が、俺と一緒にくればいいのに」
「ざけんな」
「そうしたら、俺、きっと使い物にならなくなるね」
皆守は嫌そうな顔を九龍に見せ付けた。そうだろう、皆守が九龍と一緒に行くというのは、九龍の孤独を埋めるための道具に過ぎない。
九龍の大部分を形成する「孤独」を奪ってしまえば、きっと九龍はもう「九龍」じゃない。
「そしたら、今度こそ俺がぶっ殺してやるよ」
「ああ、へえ、ふうん」
「信じてねーな」
「信じないもーん」
九龍はさっきのお返しとばかりにおかしな顔を見せた。それを見て皆守が素直に笑うのを見て、こいつは変わった、と思う。
皆守はもう人を殺せない。正確には、自分の大切な人間を殺せない。
それは、九龍が与えたものではなく、かの思い出の人のおかげ(それをおかげと呼ぶかは人によって意見は分かれるだろうが)だと思っている。
だから皆守は人を最終的に裁けないし、自分が傷つきたくないから、他人を傷つけるマネもめったにしない。例外は九龍くらいのものだ。九龍と皆守の関係は、互いの傷のなめあいと傷つけあいで成り立っている。
「お前の言ってることなんて信じられるか、バカチンめ」
「おーおー、言ってくれるじゃねえの? トレハン野郎が」
「もう、またケンカばっかしてんだから。人がちょっと目はなした隙になにやってんの」
「「だって、コイツが」」
「はい、ケンカ両成敗!」
そして八千穂は二人の手を取って重ね合わせた。
「お手手のしわとしわを合わせて、しあわせ~」
「「長谷川かよ!!」」
もうなめあいにも傷付け合いにも正直慣れきってしまった。
「僕が去ったあと」
(九龍)
お前が生きててくれればもうなんでもいい。
そうとまで思ってしまったことが不覚。バカ。畜生。
だってお前が自らの手で命を落そうというのなら、俺はすぐにでも飛んでいって俺がこの手でてめえの頭をぶち抜いてやるのに、と思って、でもそれは一度やり損ねてしまっていることを考えると、やっぱり俺はアイツには生きていてほしいんだ。
アイツがいないからって世界は滅びないし、俺の生活に支障はないし、なんの問題もないけれど、俺がまた涙を取り戻したのはアイツの存在のおかげで人間に戻れたのはきっとアイツのおかげ。アイツ自身の口からもっと早くにアイツの苦しみを取り除けなかったのかと柄にもないことを考えては思い直して俺は思う。
やっぱり皆守なんて殺しておけばよかった。
アンビバレンスな感情なんて、もてあまして、俺は少し弱くなった。だけど、同時に思う。お前もこの裂かれる気持ちを持って苦悩してたんだと。
やっぱり皆守が生きててくれればなんでもいい。
「意味の無い会話」
(九龍、皆守)
「俺は、お前がだいきらいだけど、すっごく気になるんだよね」
「はーへー、そーですかー」
「おい聞け甲太郎」
「いやだ」
九龍は皆守の頭を捕まえて、ベッドに倒れこむ。
「ふざけんなよテメー! つかアブねーだろアロマに火つけるところだったんだぞ!!」
「まあ、なんとかなるよ。トレハンなめんな」
「お前が俺をなめるな」
「約束は破るし嘘もつく」
(九龍、八千穂、皆守)
「九ちゃんはうそつき」
「突然どうしたの?」
九龍は突如ふくれっつらをして九龍を睨みつけた八千穂を呆然と見返す。校舎から寮へと帰るだけなのに寒くてたまらない。自分の肩を抱くように包んで歩いている九龍の後ろの八千穂は、ぐるぐる巻きにしたマフラーからかろうじて少し赤い鼻が見えた。
「だって、うそばっかなんだもん」
「ええ、信用ないな」
「ないよ」
「じゃあどうすりゃいいのさ」
「わかんないけど」
そして八千穂の冷たい手は九龍の学ランの裾をきゅっと握る。後ろ手に九龍はその手を握り締めていつも通りに(小さい手)と思って、そのまま繋いで寮まで歩こうとした。
「おまえらなにやってんの?」
呆れた声に振り返ると皆守が珍しくカバンを持って足踏みしながら二人を見ていた。
「電車ごっこ」「汽車ぽっぽ」
「合ってないぞ、お前ら」
ごまかしすらもボロボロで、それでも八千穂は精一杯笑って皆守に近づいた。
「皆守くん、なんでそんな一人でエキサイトしてるの」
「寒いから早く帰るんだよ。帰らないなら置いてくぞ」
「よし、じゃあ、競争!! 一番最後のヤツ、ジュースおっごりーー!!」
「あ、このやろ!! ずりっ!!」
慌てて三人わーっと校庭を駆け出した。八千穂は皆守の声をかけるタイミングにいつも感服している。
ありがとう、無駄な約束を、押し付ける前で。
「切ないとまではいかないども」
(皆守、鎌治)
本当は彼のことをずるいと思っていた。
「僕は、皆守くんみたいになりたかったよ?」
「はあ?」
「だって、皆守くんははーちゃんと仲よかったから」
「お前だって、アイツがやたらと頭撫でたがって大変だったじゃねえか。無理にかがませてさ」
「ね。そうだったね」
彼のいない屋上で、それでも皆守くんは屋上へ行く。僕は彼の代わりに皆守くんの隣にたった。彼よりも少し背の高い皆守くんの身長を見下ろして、やっぱり全然違うなあ、と思うのだ。
「なんで、俺なんだよ」
「え?」
「なんで、俺みたいになりたかったんだっての?」
「だってさ」
思い出すのは、いつも彼の後ろ姿。遺跡で、校内で、寮で、マミーズで。
「僕も、皆守くんみたいに隣に並びたかったんだよ」
いつも後ろに控えていた僕。手を引っ張ってもらっていた僕。危険があれば、彼が守ってくれていた。彼に危険が近づけば僕がその手を引っ張った。その位置に一番近かったのはきっと僕だけど、それでもやっぱり皆守くんの位置に憧れた。
「なんだよ、お前の場所が一番いいだろ」
「そうでもないよ」
「横にいるとな、アイツの毒に、やられるぞ」
そういえる彼らの近さは、本人は気がつかないものらしい。
「「連れてって」 そう言いかけて唇かんだ」
(九龍、八千穂、皆守)
一番言ってはいけない言葉を言いそうになって、慌てて笑顔に変える。
「なに、どうしたの?」
その変化には鋭いせいで、あっさり気づかれて仕方がないのでふくれっつらをしてみた。
「そんな顔しても駄目」
「いたいいたい」
両頬をつねられて、むかついたので九ちゃんの頬もひっぱっていたら突然ぱっと離されて、体が反動で倒れそうになった。そして両手を捕まえられて、しっかりと支えられる。嬉しくて笑った。
「ほら、やっちは笑ってないとやだよ」
「なんだ、そのナチュラルなたらしっぷりは」
座って様子を見ていた皆守くんが即座に突っ込んで、今度こそ私はちゃんと笑えた。
「消えやしないのに」
(九龍、八千穂、皆守)
「俺、お前らのこと、大好きだなあ」
「キモ」
「どしてそこでそういうこというかなあ、いいこと言ってんのよ俺?」
「うざい」
「私も九ちゃん大好きだよ」
「あれ、皆守は?」
「もちろん大好きだよ」
「甲太郎くん、お返事は?」
「うるせ」
九ちゃんはしょっちゅうこうして「好きだ」ということを確認しては、言ってくる。
「そうやって、また照れてー」
「ほんとにてめえは自意識過剰野郎だよ」
「褒め言葉?」
「んなわけあるか」
九龍のこの確認は、つまりはいついなくなってもどの段階でも自分の気持ちは俺たちに「肯定」していた、と言いたいのだろう。
「あー、俺、幸せだなー」
「「おおげさ」」
彼のあまりにも過剰な愛の表現は、おおげさで。
ヤツのあまりにしつこい意思表明は、ギャグにもならず。
((そんなに言わなくたってわかっている))
言われたことは、そんなに簡単に、忘れやしない。
「廻り年」
(皆守、八千穂)
さすがのいつも混雑しているこの街も、元旦の空気の中ではしんとしていた。
隣を歩く八千穂はいつものようにポテポテとした足取りで皆守の後ろを着いてきているが、たまに寒い寒いという声がしていた。
「そろそろ休もうよー。お茶にしよー」
「さっき神社で休んだばっかだろが。屋台でがっつきやがって、みっともない」
「またお母さんみたいなこと言ってるんだから。そんなんだからオカンって言われるんだよ」
「言われてねえし、いってるのはお前と九龍だけだろが」
いつもより静かなくらいで、人ごみも街並みもさほど変わらない。
年末も忙しかったし、年明け後の休みも短い。部屋の掃除も終わらなかったし、年賀状もすでに何年も書いていない。返事を書くのも億劫だ。
なにも日常と変わらないような正月のあっけなさに、年を一気にとった気がする。
「ほんっと、変わんねーなー、正月ったってもさ」
「しょっちゅう顔合わせてるしね」
「ほんとだよ」
そういって、八千穂は皆守の横に並んだ。寒いよ、とまた文句を言う。
「早く帰ろう。っていうか、もう飽きた」
「おま、なんだその自己中っぷりは!!」
「今日はカレー食べないの?」
「珍しいじゃないか、お前からカレーなんて」
「ほら、正月食のほうが飽きるっていうか」
それなら、と家の食材を思い出しているが、横の八千穂はまた今年もこうやって彼らと変わらない毎日を過ごすのだ、と思うと、いつも味の変わらないレトルトカレーのような日々だと感じた。
そして、たまには、ゴージャスに。
「もどらないのは君じゃなくて」
(皆守)
隣にあったのは濃密な空気感。あいつの存在感はそんなようなものだ。ただの空気。
ただし、まるで人のように重くて濃かった。少なくとも同じ人間とは思えない。
そういうと、よく八千穂と取手は笑った。
「同じ人間に見えないのは、君もでしょう」
それは言外の言葉なのか。
俺の思い込みから来る、俺の心中なのか。
それに対して、俺もまた笑うしかないのだ。
ぽっかり抜けた穴が寂しさみたいな曖昧なものだとは、いつまでも信じたくないために。この隙間を後生大事に抱えたくない。
今日も俺たちはいつもの店でカレーを食べて、あいつの日本人顔でカレーを食ったことがないとのたまった瞬間の話をする。
そうすると、少しだけ、その空気感もまた、笑う気がするのだ。
「確認」
(九龍、皆守)
九龍は真っ暗闇の部屋の中、少し上にいるベッドの中の皆守を睨むように見つめている。皆守が寝たのを見計らって鎌治が自分の部屋に戻ってから、すぐに明かりを消して自分も部屋の主の意見をものともせずに勝手に持ち込んだ寝袋にくるまったが、全く眠れる気配がない。
こんな日は珍しい。普段は目を瞑れば仮眠するのはすぐに出来た。そう訓練していたし、逆に簡単に起きることができる。寝つきが悪いと寝起きも悪くなる。睡眠不足は、トレジャーハンターの敵なのだ。
(バカだなあ、眠れないなんて。なにも考えなければいいのに。そうすれば簡単に眠りに落ちる。毎日そうしているじゃあないか。なあ、なんで眠れないんだ。お願いだよこんな暗闇で静かでは、俺がなにを考えているのか、まるで漏れてしまいそうじゃないか。
ああ、誰か、この闇を切り裂いて)
バカなことを考えているのは自覚しているが、このままねっころがっていても眠れないのもわかっているので、とりあえず上半身を起こした。
(ここは、皆守の部屋。隣で寝ているのが皆守。俺の、友達)
状況を分析する。ひざを抱えて体育すわりをして、頭を抱え込んだ。
(俺は、葉佩九龍。職業トレジャーハンター。年齢詐称。好きな食べ物はシチュー。最近はカレー。でもさすがにちょっと飽きてきた)
自分は誰か。
それがわからずに冷や汗をかいて夜中に飛び起きたことは一度や二度ではない。眠れない夜もこうして自分が何者なのかを確認するのは、独りになってからの九龍のくせであった。
今度は立ち上がって窓を開けてみた。寒いくらいの風が吹いて半そでの格好で鳥肌がビビっと立つ。ううう、となにやらわからない声を出して、頭を出して月光りを浴びた。
月の光を浴びると、なにかが変わる気がする。その下では俺は高校生ではない。トレジャーハンターである、とはっきりと自信を持っていえるのだ。それなのに、こういうときの月というのは、ただ自分のちっぽけさを強制的に確認させる逃げようのない暴力だった。振るわれる暴力に対抗する術がないとき、九龍はものすごく泣きたくなるのだが、泣き方がわからない。涙が出た記憶は父親が死んだとき以降は存在しない。泣こうと思っても、涙は出ないし、涙は枯れたのだ、というのが九龍の言い分であった。そうでなければ、その人間的な行為をすることのできない自分は、まさに人間外である、と追い討ちを受けている気分だった。
「まぶしい。それと、寒い、バカ」
皆守が寝起きのかすれた声でさらに布団に丸まる。
「甲ちゃん、俺の名前、呼んで」
「きもい」
「そんな名前じゃねー」
ガバっと皆守の上に乗っかると、下から抗議のつぶれた声がしたが、皆守の肩口に顔を押し付け表情を隠した。ああ、泣きたい。「きもい」なんてわかってる。俺もお前にそんなこと言われたらまず殴る。
「なに、お前どした」
「なあ、名前呼んでください」
「おい」
「お願いします」
「九龍」
「うん」
「葉佩」
「うん」
「葉佩、九龍」
そうだ、俺は、葉佩九龍。
「九龍。眠い、重い、どけ、ついでに死ね」
右足で九龍のケツ辺りを容赦なく蹴りつける。変な体制から蹴っているわりにはずいぶん痛かった。なんだこれ、アレか、ツンデレってヤツか、これは照れ隠しか。
再び寝袋に入り込みながらつぶやく。
「眠れなかったんだ。でも永久睡眠は嫌だ」
「いいから寝ろ」
「そうね、もう寝る」
「なんだよ、眠れんじゃん」
「うん、なんか、眠れそう。今何時?」
皆守は手探りで携帯をあけ、光に目をしばたかせた。
「3時40分。ざけんな、ねみい」
「俺は、九龍だ。大丈夫、起きても、九龍。ね、皆守」
「あーもーお前マジわけわかんね。俺は寝るからな」
「うん。おやすみ。俺も眠るよ」
今は、安心して眠れることを思い出したのだ。隣には自分の名を言ってくれる人がいる。文句を言いながらも、たたき起こせばきちんと名前を呼んでくれる。自分を「葉佩九龍」と名づけてくれる、人がいる。
目覚めても、そこはきっと同じ部屋。同じ呼吸。同じ空。同じ言葉。
まだ自分はきっとここにいる。
思い出すのはかすれてしまった記憶を何度も再生しているうろ覚えの最後の涙の味。あのときの思い出は何度も何度も再生されてしかし感情は流れることはない。また自分をごまかすには、名前という一つのものにすがるしか彼に道は残されていないのだ。
「記憶の底」
(九龍、皆守)
あーあ、校則違反しちゃったいっけないんだー。
ふざけてそういったら隣の皆守は寝タバコならぬ寝アロマをしながら面倒くさそうにこちらを気持ち悪いほどぎこちない動きで見た。
「頼むから、俺の部屋で吸うな」
九龍はそれを無視してニコリと笑ってタバコをクセッ毛に吹きかけた。そしておかしな悲鳴を上げてバタバタと頭をはたく皆守を横目に、つけたばかりのタバコをもったいないと思いながらもグリグリと携帯灰皿に押しつぶす。ここではタバコを買うのも一苦労なのに。
「てめーふざけんな!! 匂いつくだろ!!」
「いいじゃん、もうこの部屋アロマ臭すごいよ」
「だからタバコと混ざると耐えられねーっつってんだよ日本語理解しろ日本人だろ!!」
「育ちも生まれも日本じゃないもーん」
「うっぜー、ほんとうぜー」
そうして今度は機敏な動きで外に面した窓を開けた。秋の涼しい、というよりもむしろ寒い風が入ってきて皆守はさっさと布団にくるまる。すばやくアロマは消して、体を猫のように丸めてベッドに納まると、利き手だけ出してヒラヒラと振り「帰れ」とだけ言った。
「えー、まだノート写し終わってないから駄目」
「持ってけ、ノート」
「やだよー、一人の部屋は寂しいよー」
「一人であんなキモイ遺跡に潜るようなヤツがなにを言う。帰れ。お前がいるとろくな事がない」
ちぇ、っと言いながらも帰る準備はしないで改めてタバコに火をつけた。カチッというジッポの音に反応した皆守はすぐに口を挟む。
「人のジッポ使ってんじゃねーよ」
「今度オイル買ってやるから」
そして勝手に持ち込んだ小さなちゃぶ台(通販で買ったらしい)に向くとさっさとノートを写しはじめる。
最初からそうやって素直にやればいいんだ、と皆守は思ったが、素直じゃないのは両方ともで、九龍がおとなしくなるとコリコリと鉛筆の音しかしなくて(なぜか九龍は今日は鉛筆を使っていた)、肌寒さが逆に心地よく布団に包まっていた目を出してうたた寝始めた。
九龍のタバコの匂いが少し流れてくる。ラベンダーの香りが消される前に、追い出してやろうと思ったけれども、布団にはラベンダーの香りがくっきりと残っているから案外タバコは気にならなかった。
「昔はさ」
つい声に反応してピクリと体を揺らすと、それを相槌と見たのか九龍は小さく煙を吐くタイミングに合わせて話す。
「こんなもん絶対吸うか、って思ってたのになー」
こりこりこり。
「気がついたら、手持ち無沙汰になると、吸いたくなんのね」
こりこり。
「これを吸うことは、俺が、何かになろうとしていることなんだろうか」
まったく動かない皆守を今度は寝ている、と思ったらしく九龍の声は独り言らしく自問で終わった。九龍は人がいるときにわざわざ声に出して独り言を言う。
だが、本当に一人のときにはきっとこの男はなにも声を出さないのだろう。
銃で撃たれても、骨折をしても、蹴られても、殴られても、声も上げないというのに、この男は、自分の独り言を声に出すことで自分の考えを確認して、その想像力に潰されないよう他人にまで聞かせている。
結局独り言をいうのは、九龍の弱さの表現で、唯一彼が高校生と並んで違和感のない部分であった。
「知らねーよ、お前が誰でも」
こり。
「甲ちゃん、起きてたの」
「起きてますー」
「お前、うざいね」
そして九龍はタバコを消した。九龍が笑ったんだと皆守は直感した。
そして皆守は思う。九龍のタバコを吸うのが、自分と同じ、誰かを忘れないためのモノであったなら、ヤツを縛る過去はどれほどのものなんだろうかと。中毒と化しているそれをやめることは難しく、脱却することは厳しい。
九龍が何になっても、そんなものどうでもいいと言える自信を、ラベンダーからもらう皆守にはタバコを吸うな、という資格はないと自ら思考を断ち切った。
「しずくの向こうに歪む」
(3-C三人組)
ザーザーとスコールのような雨が朝から連休だというのにその全てを台無しにするために降ってきた。先ほどまで電話で話していた様子だと実家の方では雨は降っていないらしい。同じ東京都なのに、なんだその違いは。
だが、それだと多分すぐにこの暗闇は晴れるだろう。別段雨が嫌いなわけでもなく、かといって好きでもない。さらにつけくわえると出かける用もないのでいつもやってくる招かれざる客たちも面倒くさがってやってこないだけいつもより気分はいいと言える。
母親の気遣いはわかるが、いつまでもかかる長い電話のせいで熱くなった携帯を自分の身体と一緒にベッドにダイブ。した瞬間に早速ブーブーと強い振動を手のひらに感じて続いて耳元で流れた着メロに顔をしかめた。
『もしもーし、やっちーでーす』
「なんだよーもー。うっさいな」
『なによー、どうせ皆守クンなんて寝るしかすることないんでしょ? あ、もしくはカレー食べてた?』
「バカ。もうおやつの時間だ。で、何の用だよ。ノートなんて貸さんぞ。むしろ貸せ」
『あのさあ、九チャン、いる?』
「は? ここにはいないけど」
『昨日から連絡がつかないんだけど』
「それくらい、なんてこともないだろ?」
疑問をそのまま口にしていつものクセでアロマパイプに手を伸ばした。ジッポが見つからずについ舌打ちをしそうになって電話を顎で押さえていたことを思い出した。
『ね。九チャン、探しにいこう?』
「はあ!?」
突然の申し出はいつものこと。そしてそれに対しての回答もいつものもの。
「いやだ」
『やだー』
そして、さらに付け加えると、このやり取りのオチも決まっている。
「……うっせえなあ、もー、わかったっつーの。十分後に、西口玄関前。遅刻厳禁」
『ついでに火気厳禁ね』
黙れ。いつだって俺はこの女とあの男には敵わない。そんなことくらいはわかっている。
スコールはあっという間にやんでしまったが、それでも流れた雨の量はひどく、自分の服全てをびっちょびちょにしていってくれた。
頭から不快に垂れてくる雫を口の周りは舐めとって、目の辺りをごすりとこすれば、塩分が含まれていたような錯覚を起こす。雨は、泪という感傷を引き起こしてくれるから好きだ。
流れることのない泪を思い出す。それはどんな形? それはどんな色? どんな味? うそ、それは知ってる。全ての起源、海の味。
両の手のひらをじっと見ては、貧乏を嘆くのではなく、その力の無さを嘆く。別になにがあったわけでもないが、至らなさを感じると、そこに立っているのがつらくなる。
連休などというものがあるのを知ったのはつい昨日で、学校の雰囲気全体が浮ついてるからなにかと思えば、休みということで空気が軽かったようだ。
この“監獄”からは出られないのに。そして薄く笑うといつも皆守は眉間にしわを寄せる。それが楽しくて僕はまたアイツが嫌がりそうなことを言う。いつか、あの眉間にしっかりとしわが刻まれてしまえばいい。そんな変化も自分がいた証しになるのだ。それを考えると楽しくなる。俺がいなくても、あいつにはしわが残される。
この無気力、無力は皆守が感じるものときっと同じもので、アイツがなにもしないのはコレを感じているからだろう。そしてアイツは気付いている。この苦痛は、なにかをすればする程、より一層強くなることを。ある意味アイツはとても賢い。
そしてあがくことが大好きなMっ気溢れる俺としてはその状態でどこまでいけるのかを試しつづけている。きっと壊れるまで続けるだろう。壊れても続けるのかもしれないが。
その結果として、きっとすでに泪は出てこないに違いない。
「このトレハン野郎」
わざと大きな声で恥ずかしい呼び方で呼んでやるとすぐにパッと振り向いた。その反射神経に隣の八千穂は「ほう」という感じのため息のようなものを付いたが、俺からすれば、いつも敏感な小動物並の神経使って部屋に入った時点でどれだけの人数がいてそれは誰なのか判断するようなこの男が、わざわざ呼んでやらないと気が付かないことが驚愕だ。
振り向いた九龍は一瞬だけ呆然とした顔をしたが、すぐにいつものような笑顔を浮かべて俺たちに手を上げて近付いてきた。まだ霧のような雫が中を待っているようで髪の毛が湿るのが嫌で俺は校舎から出たがらない。まっすぐ向かい合うと九龍はなんでもないように言った。
「や。どうしたの、お二人さん」
「どうしたの、じゃないよ!! 昨日からずっといなくって、心配するでしょう!!」
心配されるという意味のその言葉にひどくこいつはいつも安心したような口をするが、いつもその顔はやり切れなさを含む。なんでいつも純粋に全てを受け取れないんだ。いやそれは人のこと言えないのはわかってるけど。そうだ、俺たちはお互いにそういうことばかりに気が付くから、互いがムカつくし、それでも側にいる。
そして八千穂はいつもその事実を突きつける。だから俺たちは側を離れられない。
「帰ろう、九チャン。風邪、引いちゃう」
「うん、帰ろう」
どこに、コイツは、帰るのだろう。帰る場所なんて無いくせに。
まさかと思ったが、八千穂と皆守が迎えにきた。皆守はイライラした顔をしている。
俺は、素直に二人に従って、まっすぐ、“帰る”。頬の筋肉を矯正するのが難しかった。嬉しさに引きつりそうになるのと同時に泣きそうな涙腺は、同時に活発な動きをしようとするから、不本意ながらに表情を押さえ込んだ。おかげで、きっと俺の顔は複雑な余韻を残しているだろう。
八千穂の手を取って階段を降りた。この手を引いているようで、本当は俺は導かれている。同時に後ろに立つアロマの香りは、残り香で動物のようにマーキングしているようなものでやはりその匂いを追いかけているんだ。
どこに行くのかもわからないので、たまには大人しく手を引かれることにしたら、前よりずっと気難し屋になったのであった。
「ひとりよがりな夜には」
(九龍、皆守)
「こいつぁ、一体どういうつもりだこんのバカ」
『あ、今短い中にも溜めいれたでしょ。つっめたいな~甲ちゃん、いいじゃないたまに電話するくらい』
「たまになら構わねえよ。悪いとか言ってねえだろ、だがな電話するときには相手の時間も気にしろよ」
『あ、俺、今日本』
「お前三回くらい死ね」
『ひどっ!!』
「マジ死んでくれないか? 俺の安眠のために」
『やだよ、俺の安眠のために電話してんのにどういうことだよ』
「俺だって嫌だ、ふざけるな、俺は眠い」
『だって、眠れないんだもん! しかたないじゃん!!』
「仕方ないじゃねえよ! いつもみたいにネットしたりゲームでもしてりゃいいだろうが!!」
『ゲームやりすぎた!! ネットったって協会のHP見てるだけで有料じゃんかよ!! 亀は早すぎんだよ!!』
「そこがウリなんだろうが」
『えー、そうやってさあ、ノッてるときに常識人に戻るの、やめてくれないか?』
「改めて言われても」
『あー、眠たくなってきた』
「そりゃよかったな。俺はすぐにでも寝たい」
『まってよ、まだ、待ってよ。ねえ、皆守』
「あんだよ」
『眠そう』
「眠いっつってんだろ!!」
『怒るなよ。あー、皆守起きててよかった』
「起こされてんだよ、お前にな」
『声がきけてよかった』
「へえそうですか」
『顔見れたらいいのになー。いい加減PCにカメラ繋げてよ』
「やだ」
『いつか、忘れちゃうよ? 俺、お前のこと』
「じゃあ、忘れる前に電話すりゃいいだろ」
『うん』
「じゃあ、もう俺寝るから」
『うん』
「素直だなオイ。まあ、いいや。じゃあな」
それでも、顔はもう思い出すのはぼやけてきてるよ。俺がお前の存在を忘れるのはいつかとおびえているのに、お前は簡単にその柵を越えていく。だから惹かれる。だから妬ましい。
「あなたのために祈るのに」
(皆守、八千穂、取手)
「これははーちゃんのために作ったんだ」
「へえ。すごいねー。作曲だって」
「へー」
「「棒読みすぎ」」
鎌治が二人の顔を見ながら演奏を続ける。
「わーすごーい。見ないで弾くんだ!」
「だって、パソコンだってそうじゃない」
「なるほど」
鎌治の指は繊細に動いて音楽を奏でる。その音楽を奏でたのは彼がいなくなったあの日以来。明日卒業式を迎えるので、そのための最後の練習だった。お決まりの卒業ソングを弾いていると八千穂が小さい声で歌っている。
「やっちー、もっと大きな声で歌いなよ」
「ええ、やだー恥ずかしいなあ」
「大丈夫大丈夫」
『今、旅立つ時』
それだけの歌詞に深い意味をこめてしまう。自分たちと彼との別れはとっくに終わっていて、自分たちが旅立つのが遅いために彼においていかれた形になった。
「歌なんて、なんでこんな年にもなって歌なんて歌わされるんだかよー」
「皆守くんはね」
「でも、皆守くん」
「なんだよ」
「歌は、祈りだよ」
僕らの卒業だけれど、それでもやっぱり彼の卒業でもあるんだと思う。彼からの「卒業」。
僕らは明日、全てのつながりを絶つのだから。
「これはもはや最期にも似た」
(鎌治、リカ)
彼はやってきたのも突然なら、やはりいなくなるのも突然だった。
僕の人生を大きく狂わせて、それ以外の人たちのいろんなことも狂わせて、そして彼は去っていった。
僕はまた、楽しくピアノを弾くことが出来る。また、バスケを楽しめる。彼が与えてくれたのは、素直に楽しんでいいということと、そして、出会いを喜ぶことだった。
「素敵な曲ですのね」
「ありがとう。これは、はーちゃんが好きだった曲なんだって」
「まあ、そうだったんですの?」
「大変だったよ、曲名はわからないし、作曲家もわからなくて、はーちゃんの鼻歌から探し出すのは」
「ふふふ。九サマらしいですわね」
「ねえ、そうだね」
僕の周りには、何人もの人が集まってきてくれるようになった。僕は、人の中にいても、もう昔ほど恐れることはしない。
「出会えて、よかったのよね」
そう椎名さんは、確認するように、同意を求めて僕を見上げた。僕は椅子に座っているのに、彼女の背が低いからそれでも少し僕のほうが高いか同じくらい。きっと彼女のくせで見上げている。
「そう。出会えてよかった。はーちゃんと」
別れは、確かに辛かったけど、それでも、僕はよかった。
別れることを悲しんで後悔するより、出会ったことを大切にしていたい。
きっと、そうすることで、彼があのとき僕に叫んだことへの答えになるのだろう。
『うるせえ! 行くなって言われりゃ行くに決まってんだろ!!』
『だって! お前が、待ってんだろ!!』
『死ぬのは怖いけど! お前だって殺すの怖いんだろ!!』
『だから、俺が今行くから!! だから、泣くんじゃねえ!!』
『命かけて、止めてやる!!!』
思いによって、思いは生まれる。
だから、これで会えなくなっても、僕は後悔しないよ。ありがとう。
僕は、ちゃんと、出会いを守って生きていく。奏で続ける。
出会いを誇りに。
「いつかは」
(九龍)
本当は夢見ていた。
いつかは、俺も八千穂みたいなかわいい彼女を得ること。
いつかは、俺も皆守みたいな親友を得ること。
いつかは、俺もみんなで一生笑いあえることに疑問を抱かないことを。
いつかは、俺もなにも気にしないで食事を取ることを。
いつかは、俺もただ赴くままに瞳を閉じて睡眠をむさぼることを。
いつかは、俺も、親父のように、子どもを持つことを。
だけど、知ってる。
俺はそれらを得ないだろう。
ただ、今はまだ。今はまだ、俺は何も持っていない状態で自分の愚かさに「愚者」という言葉の意味をかみ締めて自分の身に擦り込んでいる。それでも夢見ることをやめてしまったらきっと簡単に俺はこの世から消えてしまえるから、それだけは持っていることを許している。
ただ、普通の人間になることだけは許さないで、俺は、俺のためだけに生きている。
いつかは、この記憶を預ける人間を心の隅で求めながら。
「生きる心臓」(皆守)
「生きている」
声に出して再度愕然とした。
というか、当たり前のことだったのだけど、夢に見て死ねるように何度も何度も死ねばいいと口に出していたのにやっぱり暗示は暗示で効果はなかった。
あの女が死んで、しかし、俺は生きている。
また朝を迎えた。
だが、あの女は死んでいる。
しかし、俺は、生きている。
今までは簡単にできたことなのに、一体どうしてあの女の死は耐えられないのだろうか。不思議だ。俺は、なぜ、殺せなくなってしまったのか。
疑問ばかりを抱えている。なぜ、俺のために、死んだのか。俺は、それが耐えられない。俺のために、なぜ。気に食わない。俺のために? 嘘をつけ。結局てめえの自己満じゃねえか。お前が俺を縛り付けるための一つの方法だろうが。お前がいなくても、俺が絶対逃れられないようにするための、一番最適な方法じゃねえか! 俺は、それにまんまと嵌まったとでもいうのか!!
だが、それは事実。
俺は、なにも出来なくなってしまった。誰かが、俺の間違いとあの女の勘違いを他人の目でぶっとばしてくれたなら、俺はもしかして、動けるようになるんだろうか。結局、俺は、他人にすがるしか方法はないのか。
俺は、いまだ、生きている。
「俺だけが、生きている」
悔しいのだ。ただ、単に、自分の思い通りにならない命が。
「裾を掴む子供のように」
(皆守、八千穂、鎌治)
下から上目遣いで見つめられると動きにくい。とはいえ、自分の身長ではほとんどの人間が上目遣いになるのだけれど。
「ねえ、かまちー」
名前の「鎌治」の発音ではなく、「ちー」の部分を「くん」とか「さん」とか「ピー」とかみたいな接続詞というか変化形の言い方で八千穂は鎌治のことを呼ぶ。
「なんだい? やっちー」
自分が呼ぶのはここ最近やっと言えるようになったあだ名で彼が使っていたものだ。
「なんか、広いよねえ」
「うん。そうだね」
彼らがいるのは皆守の部屋なのだが、部屋の主はいない。ジャンケンに負けてジュースを買いに行っている。一人部屋なのだから本当はこの部屋に三人もいれば広くはない。そもそも鎌治は普通の人よりも大きいのだ。彼女はそれを差し引いても「広い」と言った。
「皆守くん遅いなー。ジュース忘れちゃったのかなあ」
「たった三本だけだよ? いくら皆守くんでも」
「なかなか取手も言うようになったじゃないか。『いくら皆守くんでも』なんだって?」
皆守が帰ってきて二人に紅茶とコーラを投げる。慌てて受け取る二人はヘラヘラと愛想笑いを浮かべた。
「そこまで人の話きいてないわけじゃないよねーって」
「そしてごまかしもうまくなったな。そこに関しては褒めてやる」
「あ、あははっは」
ドスンと、机の前の椅子に腰掛けると買ってきたコーヒーを開けた。
「うっわー、噂には聞いていたけど、本当にやるんだ。アロマとコーヒー」
「でしょ? 意味ないよね。それ」
「うるせーなー。人の嗜好にいちゃもんつけてんじゃねーよ」
それを見ていた二人はニヤニヤしながら皆守を見ていた。
「それにしても」
「うん? 何? 皆守くん」
「この部屋、なんか広くないか?」
広いわけはない。
だが、たった一人分の空きが出来ただけで、誰もが心に隙間があることに気がついた。
「偽りのヒーロー」
(皆守、九龍)
ばあか、と口の形だけで作って皆守へと向けたその顔はどうすれば他人が心底苛立つだろうかというのをよく考えた上での表情を作ってたので、結局皆守は我慢できずに九龍に向かってすばやく蹴りを入れた。
「いったい!! 死ぬ!! マジいったい!!」
「しね」
「お前が死ね!!」
ことの始まりはどうでもいいことでついさっき話していたことなのにもう思い出せない。
「俺は意見を変えないぞ!」
ああ、思い出してしまった。
「俺は、助けた人間のことなんて全く考えてないんだよ」
「そうかい、そうかい。だから、俺に何がいいたいんだてめえは」
「俺は遺跡に潜るのは、たまたま皆を救ってるのであって、救済が真実ではない、という話だよ」
「だから、いったいそれが俺となんの関係が」
「だから、俺は、誰のヒーローにもならない」
そして突きつけられた指はあさっての方向を指した。
「人生は短い」
(八千穂、九龍)
あいしているよ、と何度も何度もうわごとのようにいうものだから、その言葉になれきってしまったけれど、日本人の多くはその言葉は簡単には発しない。ある時彼に「なんでそんなにあいしてるっていうの?」ときいたみたところ
「だって、明日にはもういえないかもしれないよ」と平然と返ってきて、そんなことをいう日本人もなかなかいない、と改めて八千穂は思った。
「言われるの、嫌い?」
「ううん、大好き」
「俺も。言うのも、言われるのも」
「九ちゃん、あいしてる」
「俺も」
どこまで本気かもわからないけれど、片言の言語で「あいしてる」とつぶやいたら明日死んでもいいとちょっとだけ思った。
「たいせつなうた」
(皆守、八千穂)
音痴だってことは周囲も自分も周知のはずの自分がはなうたを歌っていて、それに気がついたときついお玉をカレー鍋に落した。なんの曲だか思い出せなくて、それでも覚えているフレーズ。聴いたことがある。長い間聞いていた気がする。結局作り終わるまで何度も繰り返す。自然にのどを鳴らさないで流れる歌は、正体がわからなくて少し気持ちが悪くて、しかし体になじんでいた。
「皆守くん、それ、なんの歌?」
「わからん」
「ああ、でも、私もそれ、知ってる」
そうして彼女は少しの間一緒にハミングをした。
「あ」
「わかったのか?」
「うん」
そういう彼女は曲名を言おうとしない。おかげでわかってしまった。
「そうか」
「そうだね」
「バカみてえ」
「うん」
それはもうここにはいない彼が適当に歌っていた中身の無い歌だった。彼の正体のように中身の無い、歌だった。
「月夜」
(皆守、取手)
そういえば、彼のイメージは明るい太陽なのに、浮かんでくるのは夜のときばかりだ。
そんな話を彼の元相棒に言ってみれば短い嘆息。
「そらそうだろ。だって、トレハンの仕事は夜しか出来ねーじゃねーか」
「まあ、そうなんだけど」
そうじゃなくて。
なんていうか、こう。
「背徳感?」
「アイツに? そんなものあるような神経が見当たらないな」
「相変わらず厳しいねえ」
普通の人間だからこそ持ちうる、あの独特の人間くささ。
墓に入り込むという姿に潜む、あの後ろめたさの具現化なんじゃないか、とは、実際自分が墓に入り浸るようになってから感じていたことだったんだろう。
「その友情、プライスレス」
(九龍、皆守、八千穂)
「ていうかさ、皆守は卒業できるの?」
突然振られた話題のあまりのひどさにとりあえず無言で遠慮をすることなく足を振り下ろしたが、九龍は寸でのところで避けていた。
「ちっ」
「いや、ちっ、じゃねえって! なにそれ! ちょ、謝れよ! 俺に! ねえ!」
「やだよ。ていうか死ねよ」
「ほんと仲良いね~」
「「よくねえよ」」
八千穂は手に持った牛乳をおいしそうに飲む。いつも九龍はそれを見て八千穂は可愛いからグルメリポーターをやればいいのにと思う。俺が見る。
皆守はあと一口だったカレーパンを含んで、八千穂の牛乳を勝手に飲んだ。
「大体な、俺の卒業が危ういなら大和だって、お前だって同じくらい出てねーだろうが。なんでもかんでも俺のせいにするんじゃない。
俺はちゃんと計算しながらサボってるんだ」
「自分のコーヒー飲んでよー。あとそんなの自慢しないの。そんなことに頭使うくらいならちゃんと出なよ! そのほうが早いじゃん!」
「似たような労力だろ」
「甲太郎―――!!!
おま、おまえ、おま」
突然わめき始めた九龍を、気持ち悪いもののように皆守は見詰め、八千穂はポカンと口を開けてみていたらやっぱり皆守に「頭悪そうだぞ」といわれてカコンとアゴを締められた。八千穂はそういう皆守はお母さんみたいだと思う。
九龍はというと、引き続き皆守を指差しながら何かに憤っている。
「お前、仮にも女の子の飲み物を奪うとは何事だ!!」
やっといえた九龍の言葉を聴いても、二人はまったくびくともしない。
「お前のほうが失礼じゃね? 仮にも、って失礼じゃないか? なあ、八千穂」
「嬉しそうに言わないでよ。皆守くんこそ失礼だわ」
ふん、とそっぽを向くと、どことなく冷静さを取り戻してきた九龍がそれでもぶつぶつ言っている。
「だって、お前ら、ダメだよそんなのお父さん認めないよ、やっちーはまだうら若い乙女なわけよ。甲太郎、お前はもう少し女の子に優しくしなさい。ていうか、間接チッスはダメだよ。ダメだ! そんなのダメだ!」
「九ちゃん……」
「九龍、お前、変なもん食ったのか。また拾い食いか。地上にないものは食っちゃダメだといっただろう。お前のほうがダメだ。お前の存在がダメだ」
「おい、最後のダメ出しなんか違ったぞ。俺をダメだしするなコラ。
えー、なに、気にしてるの俺だけなの、っていうかやっちー少しは怒りなよ。君は少し無防備だ。俺はやっちーが心配だよ」
「別に同じもの飲むくらいいいんじゃないの?」
「日本はおしまいだ!!」
「うるせえぞ、似非日本人め。俺ら生粋の日本人がいうんだ。てめえがマイノリティなんだから、大人しく退け」
「八千穂が心配で俺は国に帰れない」
「九ちゃん日本が祖国じゃないの?」
「俺は無国籍なんだよ☆」
「どこの三世だよ」
九龍はそしてニコニコして八千穂のお団子頭を撫でた。皆守はそれを見るたびに九龍はこの学園を去ることを名残惜しいんだと感じる。お気に入りの八千穂を可愛がっている様子は滑稽だが、その輪の中に自分も含まれていて、その可愛がりの対象にしっかり入っていることには本人は露とも思っていない。
「八千穂が心配だなあ」
「繰り返すな」
「いいじゃない」
八千穂は少し乱れた前髪を携帯の画面で直しながら微笑んだ。九龍は生粋の日本人の顔をしながらやはりたまに発音が違うのを見てやっぱりこの人は自分たちとは次元が違うところにいて、学校に任務で来ているのであって、一緒に卒業はしていけないことを時々思い知らせてくれる。皆守は九龍といることで傷の舐め合いみたいな痛みをこぼしているが、それがなくなったときの彼の行き場は過去に戻るのか未来に進むのか、それは皆守と同じように取り残される側の自分が決定打になるのだと感じていた。
今も、九龍の学ランに隠れた背中にはマカレフがくっついているのだろう。足にはナイフが隠してあるし、彼のHANTは始終彼の見た情報を収集しては解析を続けている。
この人がいなくなったとき、その特異な存在によって浮き彫りになった自分たち、という人間性をどこに向かわせればいいのかと思ったとき、きっとそれが卒業なんだと思って、そのときには、きっと皆守は普通の人間のように誰かと一歩を踏み出せるかもしれないし、八千穂は世の中を退屈という言葉以外で表現できるようになっているかもしれない。
すべてが始まったのは九龍が転校してきてからだったのに、改めて始まりを告げるのは彼がきっと、いなくなったことでその空間が生まれて、そこに自分たちがなにかを埋めようと動き出すことしかない。
今は、九龍が自分たちを守ってくれている。
だけど、それがなくなったときには、自分たちが立ち上がるしかない。
「だって、九ちゃんが守ってくれるでしょう?」
わかってて、いっているけれど、そんなことはありえなくて、それでも九龍はあの人の良い笑顔で笑うだけで応えないのをみて、皆守はやっぱり最高に苛立ちが募っては九龍を殺したくなる。
それでも、八千穂がガマンをしているのを見ると、やっぱり九龍の跡をついで彼女を見守らなくてはならない気持ちも少しはあるので、黙ってみていることにする。そして九龍の代わりとして彼女を利用はしたくはないが、きっと八千穂は彼の代わりになろうと身をやつす。
九龍の手は今度は八千穂の手をとって、その小さい手の冷え性にいつも驚くが、軽く握って得意の笑みで逃げている。
「きっとね」
もうすぐチャイムが鳴る。
やっぱり、卒業なんて気にしないで、もう1限サボることにした。
三人、口にしなくても、そう思ったようだった。