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    先生と先生と師匠百音が気象予報士講座のスクーリングが開始する週は、菅波は登米勤務だった。土曜の初回授業に向けて、その週の平日は講座の予習に取り組む。教材が届き、恐る恐る冊子を開いた百音は、意外と内容が分かることに安堵したところで、菅波から受講における予習の大切さを滾々と説かれている。その週の勉強会、講義受講の前提となっている基礎理解の復習と、スクーリングの時間割に沿った予習で過ぎている。

    よって、初回のスクーリング受講の次の週は菅波が東京勤務。事前に受講内容の復習・予習プランが組まれていて、
    百音は平日夜に、粛々とそれに沿って復習・予習を重ねた。日々、菅波に進捗報告のショートメッセージを送り、菅波からはたまに短文の返信があるか、ないしは既読が遅れたころに着くだけつくか、という程度。以前から、東京勤務中は当直を含む連勤も多いことは聞いていたので、百音も返信の有無は気にせず、とはいえ報告はきちんと、と送っている。

    翌週はまた菅波も登米勤務。月曜朝に菅波が登米夢想に出勤すると、中庭のウッドデッキを掃除していた百音がホウキを片手に駆け寄ってきた。

    「先生、おはようございます」
    「おはようございます」
    「今日もよろしくお願いします」

    勢いよくぺこりと下がる頭に、菅波もぺこりと下げて応じる。下げたのと同じ勢いで百音の頭が上がると、ホウキの柄を両手で握りしめた百音が、きらきらとした顔で菅波を見上げる。

    「先週と先々週のスクーリングで、すっごくよくわかったところと、すっごくよくわからなかったところがありました!」

    『すっごくよくわらなかった』のが何かは分からないが、少なくとも、何が分からないかが分かる程度には正しく講義を受けられたのだ、ということは分かる。悪い滑り出しではなさそうだ、と菅波は、なるほど、とうなずいて見せた。

    「では、後で何が分からなかったのか、確認しましょう」

    菅波の言葉に、百音は勢いよく、よろしくお願いします!とまた頭をさげ、では!と元気よく掃除に戻り、出勤してくる森林組合の職員たちに、おはようございます、と声をかけている。その中庭の景色に、ほぼ日に当たることもなく、昼夜なく巨大な空調の効いた屋内で過ごす東京勤務との落差を感じながら、菅波も今日の勤務を始めるか、と準備室の戸を開けた。

    その日は訪問診療の急な延長や呼び出しもなく、予定通りに菅波が椎の実を訪れると、百音もちょうど退勤して森林組合の戸を施錠するところだった。二人で定位置に座れば、いつも通りの勉強会の時間が始まる。早速に、朝、百音が話していた『すっごくわからなかったところ』がなんだったのか、と菅波が水を向けると、百音は、あの、テキストのこごで…と、自分のテキストとノートを開いて菅波に差し出した。

    菅波は、テキストとノートにざっと目を走らせ、講義の内容と、そのあと講師に質問をして分かったところ、質問をしても分からなかったところ、を百音に一つひとつ聞いていく。聞き取った内容をホワイトボードに記載しながら、菅波自身の理解も深めつつ、論理が飛躍する個所を紐解こうとすると、その思考過程を一緒になぞる百音が、あ、つまり、寒暖差に傾圧帯と層厚差のバランスですか?と、口を開く。それを聞いた菅波が、ああ、そうですね、だから…とホワイトボードに追記をしていくと、30分ほどで、傾圧不定波について、温帯低気圧と前線の形成から、西風成分の東西流から南北流への変化まで、一連のロジックが完成した。あぁ、そうかそういうことでした!と百音が深く納得し、菅波もナルホド、とうなずいたところで、百音が改めて板書内容をせっせとノートに写す。

    ノートの作業が一段落したところで、百音がふむ、とうつし終えたノートを眺め、そしてとっくりと菅波の顔を見る。もういいですか?とホワイトボードを消そうとした菅波が、その目線に気づいて、どうしました?と軽く眉を寄せた。

    「まだ、消したらだめでしたか?」
    「え!あ、いいえ!だいじょぶです。もう、全部写したので」
    「そうですか。では」

    イレイサーを勢いよく動かしながら、まだ百音の目線が自分から外れないことに、菅波が首をかしげる。

    「どうかしましたか?」
    「なんか、スクーリングでの先生の講義も分かりやすかったし、今まで勉強してきたこともちゃんとつながりが分かって、ああそうなんだ、っていうことも多かったし、講義の後先生に質問できるのも、スクーリングの良さだなって思ったですけど、こうやって先生に相談できて、先生と一緒に考えるのって、先生の講義を受けるのとは全然違う、すっごい分かった感があるな、と思って…って」

    『先生』の語が乱発された百音の発言の意図を、しかし、菅波は難なく理解し、アプローチが異なりますからね、とうなずいた。

    「スクーリングの講師の方はその道のプロですし、教えるべき体系がしっかり頭の中に入っているわけで。僕はあくまで、永浦さんの疑問に一緒に取り組むしかできないですからね」

    それが、私にはやっぱり必要なんだな、って思いました!と百音が言うので、それなら何よりです、と、スクーリング通いを始めても勉強会は続けたい、という百音の願いを請けた菅波はうなずいた。そうしたら、関連問題でまだ解いていないこの演習8をやってみてください、と菅波が出題して、しばらくの自習モードになる。菅波も、スマホのタイマーをセットして、持参の論文を広げると、椎の実にはしばらくの沈黙と、百音の問題を解く筆記の音だけが響いた。

    30分してスマホのタイマーが鳴り、百音が演習で解いた問題を菅波に説明して答え合わせをすると、ちょうどいつもの休憩時間のころ合いに差し掛かった。二人で淹れた椎の実ブレンドでひと息つくと、百音がマグを両手をもって、しみじみという。

    「スクーリング通いだして、講師の先生方のお話もとっても分かりやすいし、面白いから、もっと頑張ろう、って思えるんですけど、やっぱり、私の気象の勉強の先生は、先生だな、って思います」

    と言ったところで、百音はふと気が付いた顔になる。

    「あの、私、今、たくさん『先生』って言っちゃったんですけど」
    「言ってましたね」
    「意味不明でしたね」
    「いや、まぁ、大体文脈でわかります」

    というか、さっきもそうでしたよ、という菅波の冷静なツッコミに、百音はそれも先生っぽい、と笑う。

    「うん、やっぱり、スクーリングに通い始めても、私の気象の勉強の先生は、先生です」

    百音が納得したように言う様子に、菅波は手にしていたマグを置いて、両肘をついた。

    「永浦さんの気象の勉強を僕がお手伝いしてきたことは事実ですが、永浦さんにとっての、気象の勉強の先生は、ほかにいると思いますよ」

    百音が首をかしげると、菅波が小さく笑って口を開く。

    「永浦さん自身です」

    菅波のとんちのような言葉に、さらに百音の首の角度が深くなる。

    「僕が茶道をかじったことがあるのはご存じですよね」

    以前、森林組合の商談に絡む茶会で、怪我をしたサヤカの代打に菅波を巻き込んでおり、百音はそれを思い出してこくりとうなずく。

    「かじった折に習った心得に、こういうものがあるんです。『その道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ』」

    菅波の言葉に分かったような、分からないような、と百音があいまいにうなずく。百音が分かり切っていないことを読み切っている菅波が、続けて話をする。

    「その道に入らんと思う心、つまり、それを学ぼう、という心、そのものが、自分自身の師匠である、と、いうことで、自分で学ぼうとする心こそが学びにとって一番大切だ、という意味です。永浦さんは、自分から気象に興味をもって、自分から学び始めて、自分でスクーリングに通うことも決めた。それらすべての決断が、何をおいても、一番に永浦さんの師匠たるものだと、僕は思います」

    その言葉に、百音は、自分の今までの努力を菅波が全肯定して後押ししてくれていることを感じ、唇をむぐむぐさせながら、黙ってうなずく。

    「まぁ、自分にも戒めになるわけですが」

    と菅波が少し照れたように首をかき、百音はもう一つうなずく。さっきの、もう一回教えてもらっていいですか?と百音が言うので、菅波が、利休道歌と呼ばれる百首の教えの筆頭の歌を再度詠ずると、百音がそれをノートに書きつける。書きつけた歌を、百音が嬉しそうに眺めるのが、なんだか菅波には気恥ずかしく、コーヒーを飲んで間を埋めようとしたところ、思ったよりも冷めていなかったそれに、あちっ、と声が漏れ、百音がくすり、と笑う。

    スクーリングと勉強会と自習と。先生と先生と師匠との百音の気象の勉強は、もうしばらく道が続いていくのであった。
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    2024/06/23 17:52:29

    先生と先生と師匠

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