寝癖 愛染国俊は、この本丸に二振り目に顕現した男士だった。
初期刀の加州清光は少し小柄で二振りでがんばろうな、といった最初の声が少しだけ震えていて、彼もまたきっと緊張していたのだと後になってわかった。
見た目を気にする加州は、国俊の世話をよく焼いた。元々そういう性分だったらしく、すばしっこい短刀を追いかけ回しては主から伝授された「人間らしい」生活を国俊にも教え込んでいった。
死に際がいつも近かった最初期の頃、戦に行く前の準備は入念に行っていたが、その時に言われた「死んだ時にみっともない格好じゃ、俺が浮かばれないよ」といって、寝癖を直してくれた。それからは寝癖がついたら加州のところに駆け込んだ。本数が増えてきて忙しくなっていたが、加州は毎回呆れた声で「またぁ?」と片眉を上げながら言うのだが、断られたことは一度も無かった。
「かしゅうきよみつと、あいぜんくにとしは、なかがいいですね」
そういう拗ねたような今剣の言葉に得意気になっていた。
大和守安定が来たのは比較的早い頃合いだった。
いっつも短刀の世話を焼いてた加州は安定と一緒にいることが多くなった。加州が「安定」と呼ぶから、みんな同じように「安定」と呼ぶものが多かった。
とても優しくて、やはり短刀たちには人気だった。
ある日、いつも通り寝癖を直してもらおうと加州の部屋に行こうとしたが、その前の流しのところで安定の髪を梳いている加州を見た。とても優しそうな顔をしていた。安定は起きたばかりという表情で、そうされるのが初めてではないようだった。
自分の頭も跳ね散らかしていたけど、そこに割り入るほど国俊は鈍ではない。
気付かれないように走り去るのは得意だ。すぐにそこから駆け出した。どこに行けばいいのかもわからないけれど、もう足が勝手に動いていた。
多分、前なんて見ていなかった。突然、ダッシュはなにかにぶつかって終わる。
「ごめん! 愛染くん、大丈夫だった!?」
「燭台切さん……、俺のほうこそごめん……」
「なにか、あった?」
最近来たばかりの太刀は、ここでは初めての大きな刀だった。
「なにも」
「……そう」
「髪が、うまく直せなかっただけ! こんな頭で主さんに怒られちゃうかな」
そういってそろそろ始まる朝礼の場所に向かおうとしたら、その大きな身体からは想像出来ないほど優しく肩を掴まれた。
「僕が、直しても、いいかな?」
それからは、燭台切が朝に国俊の髪の毛を整えてくれるようになった。
「俺が、噂の貞ちゃんだ!」
太鼓鐘貞宗が来た時、国俊はもうその続きがわかっていた。
その日から朝燭台切のところに行かなくなった。伊達の刀たちは大きな刀が多いから燭台切が世話を焼くのは太鼓鐘だけだった。別に太鼓鐘は国俊よりも大きな短刀だったし、自分なりのこだわりの強い刀だったから燭台切の手なんてほとんど必要なかったはずだが、やはり風呂上がりに彼の髪を乾かしている燭台切を見て国俊は自分の判断が正しかったことに安心した。
誰かの世話になるのは、その相手の重荷にならない程度で十分だと思った。
一緒に身を寄せ合っていた今剣も今は三条として割り当てられた部屋に石切丸と一緒だった。
蛍丸も、明石国行も、全く来る気配が無かった。
「じゃーん。真打登場ってね」
蛍丸が、ついにやってきた。
嬉しくて、飛びついて、国俊よりも小さな蛍丸は国俊をそれでもその力で支えてくれた。
「国俊!」
「遅いんだよ!」
そんな減らず口がすぐに出てきたけど、国俊は今までにない笑顔で、頬が痛いくらいだった。蛍丸も、にこりと微笑んで「俺も、嬉しい」と笑った。
粟田口部屋に居候していたが、ようやく「来派」の看板を掲げてあてがわれた部屋で二振りで出陣以外の時間を過ごした。
いつか蛍が来たら自分が世話を焼いてやるんだ、と思っていたから、はみがきの仕方も、風呂の入り方も、布団の敷き方も、みんなみんな国俊が教えた。最初からいる刀だから、いろんな刀に教えてきていたし、とても滑らかに説明が出てくる国俊を見て、蛍丸は、自分がくるまでの国俊の時間の重さを感じた。
「刀だった時は、時間なんて感じたこともなかったのに、人になると不思議だな」
「寝たらあっという間なのに、ごはんを待て! ってされてる時ってどうしてあんんなに長く感じるんだろう」
「長谷部さんの話が長いからだろ?」
「ねえ、国俊、また最初の頃の話してよ」
「蛍、それほんとに好きだな」
小さい布団をくっつけて身体もくっつけるようにして眠りについた。
お互いについた寝癖はそれぞれが解かし合う。それでもあまり器用ではなかった二振りは揃って共用の流し台に行くと、清光や燭台切が目が合うとニコニコとしてやってきて二振りの頭に少しだけ水をつけて優しく豚毛のブラシでとかしてくれる。清光は、新撰組が揃った頃合いにいつの間にかそう呼ばれるようになっていた。
二振り以外にも、脇差たちは弟分たちの世話を焼き慣れているからか、キョロキョロしてると誰かがやってくれた。
時々は蜂須賀が、宗三がやってくれた。みんな、戦場にいる時よりもずっと柔らかい手をしていた。
その度に、朝食を食べながら国行の手も、ああやって柔らかいのだろうか、と想像するようになった。
「どうもすいまっせん。明石国行言います」
明石国行が顕現した。国俊がどんなにがんばっても三条大橋では顕現せず、結局鍛刀だった。蛍丸はカンストし、国俊は修行を終えていた。二振りの寝癖は、自分たちで十分に綺麗に直せるようになっていた。
「遅い!」
「国行〜!」
「お、なんや二人ともおるんやないか」
「遅すぎる!」
「ちょ、やめ、痛っ!」
二振りで細長い国行の足を叩いたり、蹴ったり、今まで来なかった怒りをぶつけていたが、だんだん弱まった動きは、それぞれくたりとして、しゃがみ込んで視線を合わせた国行の肩に、それぞれ寄り掛かった。
「堪忍な。ずいぶんよう待たせたようやね」
「ほんとにな」
「うん」
国行の声が少しだけ震えていた。
「一緒にがんばろうな」と言った、加州清光のように。緊張しているのだと、この時、すぐに国俊にはわかった。そんな機敏がわかるほど、それほど長い事、人型を模していたのだと今更気づいた。そして、そんな国行を、ずっと待っていた国行が来たのだという実感が、沸いた。
あんなに探しても、来なかったくせに。
両肩に子どもの頭が乗っていても、しゃがんでいる不安定な姿勢でも、国行は二振りをしっかりと支えてその頭をギュッと抱きしめてくれた。
ああ、これが、「明石国行」という刀なのか。
ようやく、足りなかったものが、ピタリとハマったようだった。
ゆったりとしていると感じていた来派の部屋が、急に狭くなったように思えたことが、嬉しくてたまらなかった。
国行は朝が弱い。いつも子どもたちに起こされて、寝る前に三振りで翌日の服を枕元に用意して寝ているのに子どもたちに蹴飛ばされた服を拾い集めるところから始まる。その間、子どもたちはすでに準備を終えているので、国行を追い立てるだけだ。
朝が弱くても、部屋を出る前に必ず国行は二振りの頭を確認した。
「なんで一晩でこんなんなるん? ちゃんと乾かしてんのに? おかしいやろ? 芸術か?」
いつもブチブチと文句は言うが、決して疎かにはせず、二振りの小さな頭を大事そうにブラシで撫で付ける。
「はい、出来ました。男前の完成や」
そういて、すぐに国行が国俊の髪の毛をボサボサにかき混ぜるのが癖だった。
「はい、これな」
「へいへい。毎回、毎回……」
最初に修行を終えた国俊は、夜戦部隊の副隊長だった。場合によっては隊長も務める。国行と蛍丸は当然昼戦だ。昼間は国俊が見送り、夕方になると今度は国俊が見送られた。
昼の出陣前、国行はいつも二振りにヘアピンを付けさせる。
朝自分で付けたものを外して、もう一度。
国俊と蛍丸はあまり抵抗感はないが、国行は他者に身体を触られるのはあまり好まないので、こんなことをするのは二振りにだけだ。それが少しくすぐったい。
「なんで自分で付けられるのにいちいち外すんだよ」
「いった! 国俊、もうちょっと優しゅうしてや。
ええやろ。国俊にやってもろたら、愛染明王の加護がつく気がするやん」
「あ、それ、すっごくいいじゃん! じゃあ、俺も! ね、国俊!」
蛍丸も国行のヘアピンをつけ、すぐに国俊に帽子を差し出す。
「ええ……? そんなんでいいのかなぁ?」
「ええんやええんや。こういうんは気の持ちようやで」
「そうそう」
そういって、すっと頭を差し出す蛍丸の髪の毛は綺麗に癖毛が跳ねている以外は整っている。いつも毎朝国行が直してくれるから。きっと自分の頭もそうなのだ。
その丸い頭に、優しく、そっと帽子を載せる。この小さな身体の、大きな刀に、愛染明王の加護がありますように、と。
自分で整える国行の頭だけは違う。その代わりに、国行にヘアピンを留める。
愛染明王と、刃こぼれを治す蛍の加護が、ありますように、と。
「それじゃ、二人とも気をつけていってこいよ」
国俊が載せた帽子を、目深に被り直して、蛍丸が「まかせろ!」というように力こぶを作った。国行もヘアピンの位置を少し直して、国俊の、寝癖のない、癖っ毛の頭を撫でて、出陣していった。
「国俊ー! 軍議始めるよー!」
「おう! 清光ー! 準備は?」
「厨いって、燭台切がお茶の準備してるから手伝ってきてー! 俺は主呼んでくるからー」
「はーい!」
勝手知ったるこの本丸の二振り目に顕現した愛染国俊の頭には、もう寝癖が残ることはない。