皺を伸ばす 寝る直前になって、シャツのアイロンがけを忘れていたことを思い出した。
今日は久しぶりに遠征に行って、その後は当番ではなかったものの、つい厨の手伝いを申し出てしまい、なんやかんやで遅くまでみんなで話し込んでしまった。錬度が上限となっている光忠はほぼ毎日のように厨にいて、備品や在庫の管理などにも携わっており、ほかにも関わる男士たちからの意見を聞く暇があるとついつい熱中してしまう。負担ではなく、毎日刺激的な変化として受け入れているし、よりよくしたいと素直に思っているからだ。
他にも本丸運営についてはみなで色々話し合って決めたが、特に大々的に面積を取っているのが堀川国広が管理する「クリーニング室」だ。
当初は普通に洗濯当番としてスタートしたが人数が増えるにつれよりしっかりしたルール作りと洗濯機周りの設備投資を求められ、凝り性だった堀川によっていまや立派なクリーニング屋として開業出来る設備が整っている。部屋は大きく二部屋に別れ、奥には業務用の大型洗濯機と乾燥機があり、プレス機まである。手前側には、自分で洗いたいものや急遽出た洗濯に対応するため、家庭用の洗濯機が数台、乾燥機が設置され、中心には大きな作業台があり、アイロンが自由に使えるようになっている。部屋の中だけでは収まりきらず、外には戦場帰りに足が洗えるよう、また汚れがあまりにもひどいものやビニールシートなどが水洗いできるような洗い場があり、古くなったがまだ使える初代洗濯機もある。手洗い用の桶や洗濯板も基本的には外置きだ。そのまま流し台や物干し場まですぐに行けるような設置となっていた。
設備の管理は堀川だが、洗濯したタオルやシーツの配布や、備品の管理は青江が管理しており、自然と現在は脇差たちが協力しあって厨以外の備品管理を一律に行っている様子だった。掃除道具やトイレットペーパーなどの消耗品なども彼らに聞けば大体のことはわかる。ほぼ生活を脇差に握られているといっても過言ではない。
アイロンは、主に現代風の服を来ている太刀たちが使うことが多い。こだわりが強い者は自分で購入しているが、多くのものは業務用で洗濯されて適度に皺が伸ばされたシャツをそのまま着ていることが多かった。
だが、光忠は当然細かい皺をよしとするような男士ではない。上にジャケットを着るからいい、というものではないのだ。
いつだって、カッコよくて決めておきたい。自分が人型を得た時から思っていることはぜひとも実行したい。
アイロンは自室にあるのだが、シャツの受け取りは個々人がクリーニング室に取りに行く決まりなので、もう寝ようと布団に入ったところだったが、観念して再び眼帯を付け直した。
*
「ビックリした……」
「そらこっちのセリフですわ……」
クリーニング室に入ると、奥側のアイロン台に灯りが付いていた。誰かの消し忘れかと思ってそちらに向かうと、まさかいたのは明石国行だった。
「なんで手前でやらないの。こんな暗いところでよく見えるね」
「手元見えたらまあ別に大丈夫ですわ」
「誰もいないかと思って驚いたよ……。ああ、だから奥の方にいたのか」
「そうやって勝手に考え読まんといてくれます?」
「だって明石くんは答えてくれないから」
各刀派ごとに並べられたラックから自分のシャツを探す。やはり少し細かい皺が気になる。一つあったが、それにしてももう少し枚数があった気がする。もう少し探そうとキョロキョロしながら他のラックを探すついでに明石の隣の席のアイロンのスイッチを入れた。
「え、なんでここでやるん?」
「え、だってまだやるんでしょ? なら灯りここ付いてるし」
「はあ、まあ、そうでっか」
「自分のは、やらないんだね」
「……」
わざわざ言わないでくれ、という無言の訴えを無視してその手元を見る。
明石がアイロンをかけていたのは、蛍丸のシャツだ。すでにいくつかきちんと終わったものが綺麗に畳まれている。そばには愛染のものと思わしき小さなTシャツもある。
「自分のはかけないの?」
「いらへんやろ。次の出陣も決まってへんし。……どうせ上になんぞ羽織るんやし、皺も気にならんような着方しかせんのですわ」
「でも、二人のはやるんだね」
微笑ましい照れ隠しに、ニコリと笑うと、表情は即座に嫌そうなものへと変わった。その苦汁を嘗めたような顔のまま、「あの」と彼の手がアイロンを置いた。
「燭台切はんのは、こっち」
「え?」
明石の足元にあったカゴに置いてあったのだろう、差し出されたそれを見ると光忠のシャツがきちんとアイロンをかけられて綺麗に畳まれていた。
「明日出陣やのにここにあるんはおかしい思っとっただけです」
「参ったな……。大きな借りが出来ちゃったね」
「アホなこと言わんといてや。ただ、口外したらあきまへんで。
ついでに、貸しが気に食わんならうちのチビどもの好物でもおやつに作ったってください」
「そういうところは本当にブレないなぁ」
その時、全く静かだった廊下からヒソヒソとした気配が広がった。
「夜戦部隊や。ようやく帰ってきましたな」
手慣れた仕草でアイロンの電源を落とし、使っていた証拠を隠滅していく。ついでに光忠のアイロンをかけそこなったシャツもまたラックに戻されてしまった。
「明日やればええでっしゃろ」
「助かったよ。ありがとう」
なんで、こんな夜遅くにいるのか少し不思議だったのだが、納得してしまった。
愛染が帰ってくるのを待っていたのだろう。太刀は夜は目が見えにくい。それでも、一つ一つの廊下の電気をつけては消してゆっくりと歩いていくのだろう。
「じゃあ、早速借りを少しだけ返すよ」
「はい?」
「それ、部屋の前に置いておけばいいかな? 持っていったら、愛染くんにバレちゃうでしょ?」
明石の手から小さな服をさっと奪う。ようやく、明石が少しだけ、口元を緩ませた。
「よう、気の付くことで」
「君こそ」
そしてクリーニング室の主電源を落として、二振りで別々の方向に向かっていった。
離れた後で背中から「国行! こんな時間になにしてんだよー!」という短刀の声が聞こえる。きっと適当な言い訳を話している明石の声は聞こえてこなかったが、うるさいと怒る長谷部の声や他の短刀たちの笑い声がさざ波のように広がった。
今度、機会があれば、一振りだけ皺のシャツにも、アイロンをかけてもいいかもしれない、と光忠は思った。
来派の部屋の前にそっと服を置いて立ち去ると、眠気は急激にやってきた。
明日、このシャツを着るのが、少し惜しいと思いながら眠りに落ちた。