Not falling in love…(七班男子とサクラ)頭のうえに乗せられた手のあたたかさに、泣きそうだった。
ナルトとサイ
「サイ、オレ最近サクラちゃん見てるとドキドキすんだけど、なんでだと思う?」
七代目火影にちょっと相談がある、と言われて人気のないところに連れ込まれれば、緊張とは縁遠いサイでさえ身構えた。なのにこの内容か。
「どんなへまをしたんだい。サクラだって誠心誠意をこめて謝れば、ナルトが相手でも拳一発で許してくれるんじゃない」
棘のあるアドバイスだがサイに悪気はない。ナルトを殴るサクラなんてデフォルトだ。わざわざ影分身でなく本体だと言うからどんな深刻な問題が起きたかと思えばいつものことか。
「あ~、謝ったほうが良いかぁ。まぁサクラちゃん細かいこと気にしねえしな、それが一番いいのかも」
力のない声によほどのことを仕出かしたのか。サクラは怪力だ。細身の体は鍛えられてはいるが決して筋肉隆々というわけではない、むしろ細い。あの体のどこからと思うが、チャクラコントロールの賜物らしい拳は一発で岩を砕くし生身の体にくらったら火影といえどやばい。
「そもそも、何があったんだい?」
「だからオレが理由を知りたいんだってばよ!」
「どういうこと? サクラを怒らせるような真似をして、バレるのが恐いって話じゃないのかい?」
二人はまさにケンカするほど仲が良い、本に書いてある通りの親密さなのだ。
てっきりナルトが何か間抜けなミスをしてサクラを怒らせるとか、それかいっそ無茶な仕事ぶりのせいで不摂生をしていることを咎められそうだとか、そういう話だと思ったのだが。
「ちっげーっよ! こないだうちで預かってたサラダを迎えに来たサクラちゃん見たら、なんか体に雷落ちたみたくドッガーンって来たんだってばよ」
ようやく話の核心である。わけが分からないが。
「なんだいどっがーんて、火影になっても相変わらずおバカだね」
「おまえは相変わらず口がわりーっつの。だからぁ、サクラちゃんの顔見たら、体に雷撃くらったような衝撃を感じたんだってばよ!」
語彙が足りないのはご愛嬌。それにしても、顔を見たとたん体に雷と言えば先日読んだ外国の本にあった描写と同じだ。それは、
「それは、恋? なんてね。ハハッ」
「やっぱりそうなのか!?」
サイの軽口にナルトは顔色を変えた。
「え、冗談でしょ、」
「…おっ、おまえの冗談笑えねーってばよ!」
ナルトはうろたえた。顔は青くなり、すぐに赤く変わった。
そんなはずはないと思うのだが恋と言われた途端幼いころに感じていたあのくすぐったい気持ちがまざまざと蘇る。なんだこれ。
「いや、キミ顔真っ赤だし、なんだかほんとに恋する男みたいだけど、一体どうしたのさ」
サクラ相手に恋とか、今更だろ。
サイもまたナルトに対し遠慮など何もない。火影である現在の立場とかサクラが人妻でありナルトの親友のサスケと結婚していて可愛い娘もいてちゃんとしっかり幸せな家庭を築いているという事実があるのに、恋なんて、恋なんて、恋?
撃沈。
ナルトはしゃがみこんだ。そのまま床に手をついてしまいそうに体が重い。
サクラとナルトは仲が良い友人同士だ。遠慮のないその様子は姉弟のようでもある。それはサクラとサスケが結ばれナルトが火影になっても変わらない。十二の歳からの付き合いだ。比喩でなく血と汗と涙を供にした、本当にかけがえのない心から信頼する仲間なのだ。
あの大戦のあとサスケもいない木の葉の里で二人の仲を取り沙汰する噂もあった。同期は誰も意に介さなかったがサイは彼らの同期ではない。
サイはナルトがサクラを好きなことを知っていたし、サクラがサスケを愛していたことも知っていた。
男二人に女一人か。
一応自分も彼らと同じ第七班の構成員ではあったが、サクラのことは確かに他の人間よりも大切な存在として特別な枠組みのなかに入っていたが、自分は彼女を愛しているわけではない。初めてできた大切な友人ではあるが、それはつまり性別が異なるだけで、彼女の位置はナルトと同じだ。義兄以外に初めて心を通わせた相手だ。
だから彼らの色恋には何も言わないでおいた。本にもそういった問題は立ち入らないほうが良いと書いてある。
と言っても、男としてナルトの方に肩入れをしていたのは事実だ。
サクラには幸せになってもらいたい。だからこそサクラにはわるいが、その相手はサスケではない方が良いと思っていたのだ。
結局サクラは初恋を実らせ、ナルトも他の女性の手を取った。
今ではどちらも幸せそうだし、いまだに二人はとても仲が良いし、まぁそういう形もあるのかと思った。男女の友情というやつだ。(本にもそういう場合があると書いてある。)
だがこの有り様はなんだ。
「うあぁ! シカマルに言われたら立ち直れねえと思ったけどサイに言われてもきつい。おれってばヒナタがいるのに、あの長い髪がさらっと流れてるのをみると、なんかこう眼が追っかけちまって、頭がぽーっとしちまうんだってばよ」
「ヤバいねそれは」
「マジか」
「マジだよ」
へなへなと崩れたナルトに付き合ってサイも腰を下ろす。イイ歳して人気のない場所で野郎二人、声を落としてヒソヒソとコイバナ? か。
「ええと、君ってロングヘアが好きなんだっけ?」
「わっかんねー。好みとかあんま考えたことないってばよ」
「じゃあ、いのの髪についてはどう思う?」
「いのの髪ってどんなだっけ?」
「…長いよ」
「う~、あんま覚えてねえな。面白い髪型ならともかく、ゲジマユは、マユゲだしなぁー」
「わかったボクの聞き方がわるかったよ。ナルトが初めて意識した女性はどんな子? 子どものころ特に親しかった女性はどんなタイプだったんだい?」
「…サクラちゃん」
「…ええと、じゃあ、いま最も親しい女性は?」
「……それもサクラちゃんだってばよ」
「ほんとに? サクラ以外に誰もいないの?」
「だから! オレにはガキのころからサクラちゃんしかいなかったんだってばよ!」
今はすっかり賑やかな七代目火影として立っているが、彼の幼少時代は寂しいものだった。
「それは詰まらない人生だったね」
サイとて過去を思い返せば似たり寄ったりの境遇だ。だからと言ってしおらしい態度は見せないのがサイの良いところである。
「つまんなくねえ! サクラちゃんは昔っから笑ったり怒ったりしてすっげえ可愛かったし、サクラちゃんがいたからオレも落ち込んだりへこんだりすげえ忙しくなって、あとすげえ楽しくって、頑張ろうってマジ思ったんだからな」
たぶんナルトにとってのサクラ、もしくは七班という存在がサイにとっての義兄であったのだろう。わからなくはないのだ。
「だから今もサクラに弱いんだねナルトは」
「うっせーぞ。おまえに言われたくないってばよ。じゃあサイはいんのか親しい女性ってやつ?」
「………いの」
「ずりーってばよ! そんならオレだってヒナタが一番に決まってんだろ」
うずまき家はうちは家に負けず劣らず亭主元気で留守になりがちであるが、可愛い子どももいて円満な家庭である。木の葉の里のほとんどがそうだ。体が資本の忍者は若いときが働き時だ。仕事の出来る男は駆り出され、女はしっかりと家庭を守る古風な家が多いのである。(そのうえで任務に赴く優秀なくの一も多い。)
「別にボクはいいだろ。でも火影のキミは問題じゃないか? 親しい女性って本当に他にいないのかい?」
「今はマジで仕事の付き合いって感じで、ここんとこ仕事関係なくしゃべったのっつったらサクラちゃんしか…」
「………」
「………」
「ボクも、いのの他に親しい女性の友人と言えばサクラだけだね」
沈黙のあと今気づいたとばかりに洩らしたサイに、ナルトが詰め寄る。
「おい、それってどういう意味だってばよ」
「ちょっと、サスケじゃあるまいし。なんでキミが喧嘩腰なのさ」
「オレはサスケがいない間、サクラちゃんを守る義務がある」
「なんで?」
新三竦みの一人と言われ誉れ高い医療忍術の第一人者と謳われ、里一番の怪力かもしれない彼女になんでだ?
「なんでって、サスケが頼むぞって言ったんだってばよ」
「それってサスケに言われたから? そこに君の意志は?」
「あるに決まってんだろ。サクラちゃんだぞ。オレが守らないで誰が守るんだよ」
「そこが問題なんだよナルト」
あんなに強くても女性だというだけで庇護の対象として見るのは男達のわるい癖だ。いや、ボクは彼女が強いことをサクラバカの二人よりちゃんと理解しているし、とても頼りになる仲間だということをたぶん二人よりもよく知っている。
それでもバカ二人が盲目になる理由もよく分かるのだ。だってやはり彼らは(このボクも含めて)男なのだから。
「ナルト、これはゆゆしき事態だよ。ボクはまぁいいけど、君は重症だよ」
ただし旧七班の男は(もしくはサクラも)愛情表現がちょっとおかしい。
「サクラにははっきり振られたんじゃなかったっけ?」
ナルトは潔く認めた。
「振られてる。これ以上ないくらい振られてる。しかもオレの初恋まで否定されてるってばよ。そんなん恋じゃねーって言われて、」
「ひどいねサクラ」
「ひどいってばよ」
男のため息は深い。その話をナルトから聞かされたとき、サイは心から同情した。女性の心理というやつは理解しがたい。サイが知る限りサクラはいいやつで、ことナルトの扱いもちょっと暴力的だなと思うけど、信頼していることは痛いほど伝わる。
だからたぶん、サクラは珍しく、ナルトに対してちょっとだけ遠慮したんだろう。後で考えると、グズでタマなし野郎のナルトもわるい。サイの乏しい人生経験からそう判断していた。
そのせいで今、ナルトが初恋をぶり返しているのかと思うと、本当に不器用だと思う。
だけど彼女はいつだって大切な存在だ。彼女の言葉には逆らえない。第一、サクラの一番そばに居られない男が何を言っても、所詮は負け犬の遠吠えなのだ。
「うう、こんなときにサスケがいねえのがわりい。知ってるかサイ、あいつがいるとオレってばサクラちゃんに名前すら呼んでもらえないんだぜ。ぐ、自分で言ってて泣けてきたってばよ」
彼女はとても一途で素直だ。清々しいほど周りの崇拝者など見ないし聞こえない。
「サクラのそこが好きなんだろ」
「おう。大好きだってばよ」
それでも構わなかった。幼いながら好きという感情を、付随する喜びや悲しみを驚くほど鮮やかに見せてくれる彼女が可愛いかった。ナルトが初めて守りたいと思った女の子だ。
「不毛だね」
「だから、」
あきらめたんだ。
今になって、自分は何をドキドキしているんだろう。これが何であれ、とにかく変なんだ。
サイに言っても解決しないことはわかっていた。ただ胸のうちがいっぱいになっておかしくなりそうだった。だから吐き出した。
カカシ先生がいれば真っ先に相談したいのに、師は自分で解決しろと言わんばかりにそばにいない。
こんな気持ちでは楽しい我が家にも帰りづらい。男なら正面突破しかない!
既に何度も玉砕をくらってる相手だが、それだけに彼女のパンチには慣れている。それに彼女から、ばかねぇ、と言って一発殴られれば、なんか目が覚める気がする。
わりいサスケ。なんかオレ今テンパってる。決しておまえのサクラちゃんとどうこうなんてマジで欠片も思ってないってばよ。だけどもオレを殴り飛ばしてくれるのは、おまえが里にいない以上サクラちゃんしかいないだろ。サイの拳はなんか軽いしシカマルの説教じゃいまいち物足りない。
だからと言って開口一番、
「サクラちゃん! オレを、オレを殴ってくれってばよぉお!」
なんて科白を火影様が言うのは問題だ。
「仕事のしすぎか。サクラ、ちょっと息抜きさせてやってくれ」
有能な相談役はわかっているのかいないのか、さくさくと仕事の調整をしてサラダはテマリが預かるようにしてうずまき家にも連絡を入れ、経費で支払いのできる居酒屋を手配した。
ごちゃごちゃ言うナルトを適当にあしらい、サイまで呼んで影分身じゃなく本体が行けよと言ってくれたのはめっちゃ嬉しいけどよ! そんなことでオレの悩みは解決しないんだってばよぉ!
ナルトの叫びは黙殺された。
現・七班での食事はただただ楽しかった。
もやもやそわそわ。
ナルトが妙に尻をむずむずさせて居心地わるそうにしていたのは最初だけ。
「なんかわかんないけどシカマルが支払いは気にするなって、」
サクラは初めから上機嫌だった。幼い子を持つ母親というのはたまの外食が沁みるものだ。しかも今日はナルトとサイという異性ながら気の置けないメンバーで、女子会も良いが、仲の良い男友達との同期会というのも乙なものだ。
いの達女子メンバーではチョイスしづらいこってり系だって、食べられなくなったら男どもが片付けてくれるだろうと遠慮なく注文する。
仕事のことや子どもの話、ナルトは野菜を食べろ、サイは陽に当たれなど、酒とともに食べたり飲んだりどうでもいい話まで大いに弾む。主に話すのはサクラとナルトだが、サイもほろ酔いになりうっすらと頬に赤みが差して、KYかつ下品な合いの手も軽く窘められては笑いに変わる。何の問題もなかった。めっちゃ楽しい。
「ん~、」
サクラは伸びをしたついでに無造作に髪留めを取った。
はらりと長い髪が肩に流れて広がる。
ナルトが何を見て固まったのかサイにはよくわかった。
頬を染めて眼を見開いたまま固まるナルトに少し酔っているサクラは機嫌良く声をかけた。
「なに、あたしの髪がきれいだから見とれてんのナルト」
「うん!」
少年のように屈託なくナルトは答える。自制は何も働かなかった。
サクラの様子からこれは良いのだと心が滑り落ちる。
「昔っから思ってたけど、やっぱりサクラちゃんの髪スッゴくきれいだってばよ!」
思うままに胸の内を吐くことができて嬉しいのだろう。澱みなく褒め称えるナルトの様子はサイでさえ微笑ましく見えた。
「ナルトはほんと素直ね」
髪は女性の美しさを現していると言ってもいい。褒められていやな女はいない。サクラの手はナルトの額の前で一度止まり、そのうえにある黄色い頭をくしゃりと撫でた。酔っていたのだ。
「サッ、サクラちゃん!」
「なぁに?」
ナルトは酒のせいだけでなく耳から首まで真っ赤になっている。
「今の、もっとやって…」
何を言い出すかと思えば、サイは少しだけ酔いが醒めた気がした。ずいぶんとばかなことを言っていると思ったが、意外にもサクラは、
「いいわよ」
と言って手を動かした。
「火影の仕事もがんばってるし、ナルトはいいこね」
サクラの力強いこぶしは平時にはただの優しい女の手だった。
長い薄紅色の髪、優しい手のひら、はにかむ男。
酔っ払いのふざけた光景をサイは黙って眺めていた。なんだばかばかしい。ナルトは幸せそうだけど、サクラの相手はサスケで良かったのかも。
サイは自分のコップにある酒を飲み干した。苦い。
「ちょっとサクラ、」
「なによサイ」
「ボクにもそれやってよ」
ポーカーフェイスに近い無表情のくせに、サイは酔ったような声色でねだる。
「いいだろ、ナルト」
弱みを握られているナルトは嫌そうな顔で黙っている。
酔っ払い三人の顔は一様に赤い。
こんなばかな申し出をしてもサクラの拳は唸らない。酒は偉大だ。
「二人とも今日は甘えたね。変なの。別にいいけど、サスケくんには絶対内緒よ。あのひと拗ねるとたいへんなんだから」
彼女の最愛の男の名前に、声にならない落胆が男どもの胸に浮かんだ。
ほんとサスケは幸せ者だよ。サイはたぶん今初めてサスケを認め、そしてこの場にいない彼を残念に思った。
サクラは男二人の頭を容赦なく撫でている。めったに他者に触れられることのない場所で感じる温もりに、寂しい子どもだった二人は顔をあげられない。この場にいればサスケも、彼女からこうして慰められるのか。
いや、もしかしたらサクラは、もっと優しい手つきで、とっくにサスケにも同じことをやっているのかもしれない。たとえばそれは裸になって、行われる場所は寝室かもしれない。
でも、ぼくたちだってサクラに頭を撫でてもらうことは可能なんだ。それが彼女の夫がこの場にいないせいだとしてもね。
すっかりサクラの手にとろけてしまったナルトは畳のうえに崩れて落ち、彼女の膝先に頭を投げ出した。
「ちょっと、膝枕はしないわよ」
「へへへ、もう十分だってばよ」
膝に触れるか触れないかでナルトは自分の腕を枕に横になる。
「眠いの、ナルト?」
尋ねるサクラの髪がナルトにかかるように、さらりと揺れた。
ナルトは己が何に囚われていたのか理解した。
イルカやカカシ、自雷也にだって撫でられたことはあるのに、どうしてこのやわらかな手にだけ眼の奥が熱くなるのか。なぜ彼女の長い髪にこうも胸が締めつけられるのか。
「かーちゃん、」
ぽつりと零された言葉には、甘い響きがあった。
ナルトの言葉にサイは内心でひどく納得した。自分もナルトもそれを知らないまま親になったのだ。
そうか。この温もりの気持ち良さは母親への甘えだったのか。
「ずいぶんでっかい息子ね」
小さく呼んだ声に、サクラはもう一度ナルトの髪を、優しい手つきで撫でた。
「あんたみたいな図体のでかい息子はいやねえ。そうだ、おねえちゃんにならなってもいいわよ」
口では否定しながらもサクラの手は優しい。ナルトはすぐそばに来たサクラの髪をそっと握った。
いっそ膝枕もしてやれよとサイは思ったが、言わなかった。
邪魔をしたくない。珍しくサイは空気を読んだ。
「私も一人っ子だったし、サイも弟ね。いのとケンカして困ったことがあったら、相談にきてもいいわよ」
自分も同じところに入れてくれるのか。歳のこともあって自分では兄のような気でいたのだが、内心ではすごくすごく嬉しかったので、そこはどちらでもいい。跳ねる心のわりに頬の色は少しも変わらずに済んだ。
「そんなの、とっくの昔に頼りにしてるよおねえちゃん」
サイのはにかんだ笑顔はサクラの母性をくすぐる。
「あら、けっこういいかも。サイにおねえちゃんて呼ばれるの」
「サクラちゃんおれはおれは!」
ナルトも顔を上げた。
「おねえちゃん、よ」
容赦がない。
「サ……、サクラ、ねーちゃん」
「ヒナタのことでも何でも、困ったことがあったら、サクラ姉さんに相談しなさい」
サクラの無邪気な言葉は、確かに喜びだったのだ。
「あら、もしかして弟のナルトのお嫁さんなんだから、ヒナタもわたしの妹? やだそれかわいい」
「……うぅ、」
「どうしたのナルト?」
「サクラちゃん、おれよりヒナタのほうが可愛いんだ」
「当然でしょ」
「オレのほうが、サクラちゃんと仲良いのに、」
「ばかねぇ。あんたと班を組んでたのは誰よ」
「サクラちゃん」
「サクラ、ボクは?」
「サイも七班だもの。決まってるじゃない」
「うん」
「同じ班の仲間は、やっぱり特別よね」
「うん」
「じゃあ、ヒナタより、オレのがカワイーだろ」
くすりと笑うサクラは赤い頬をしたまま微笑んでくれた。
「うん。かわいいかも」
そんなこと、酔った赤い頬で、酒にゆるんだ瞳をして、きれいな長い髪を遊ばせて言うのは、ずるい。
「二人とも、ヒナタといのに頼んだら? 膝枕とか。」
おねえちゃんからの忠告よ。
「それで耳掻きなんてしてもらうと、すっごい幸せな気持ちになるんだから」
すかさず入ったサクラの惚気に酔っ払いどもはただ笑った。
幼少期から思春期に青春期にいたるまで、けっこう灰色だった男二人の偏った憧れなんてものは、女の子の笑顔一つで捻り潰されるわけだ。
これでいいんだ。
だってこの気持ちが恋じゃないなら、一生きみを大事に想っていてもいいんだろ。
七班の皆は家族もできて、それぞれの仕事に忙しくしていても特別だった。
生死を供にした班員というのはそういうものだ。
サクラはまるで彼らの師のように優しく仲間を眺めた。
男とは違うものを女は俯瞰する。
ほんとばかね。女には色々とつきあいってもんがあるのよ。だからあんたたちはわたしの弟。それでいいじゃない。
弟なんて好待遇、二人だけなんだから、感謝しなさい。
寛大な奥さんにもね。
七班は今もとっても仲良しです。
サスケ、帰って来てさっさと加われ。
なかなか帰って来ないので嫁が会いに行きました。
おまけのサスケ
「サスケくん!」
約束の場所に勢いこんで現れたのは妻のサクラだった。
「サクラ…?」
「サスケくん、会いたかった…!」
この腕の強さは本物のサクラだな。
混乱しながらも抗えない強さで縋りついてくる妻を、サスケは思い切り抱きしめる。
「伝令は、おまえなのか?」
「うん。近くの里に任務があったから、ナルトに頼んでやらせてもらったの。はい、これが伝書よ」
機密性の高い情報を誤りなく手渡す。
サスケは小さな巻物の内容を眼に焼き付けるとすぐに消し炭に変えた。これでサクラの任務はほぼ終了だ。単独での薬草採取という自由度の高い任務も、あとは帰りに必要な分を持って帰るだけに済ませてある。
二人はもう一度寄り添った。
「ずいぶん髪が伸びたな」
「うん、ちょっとね」
サスケの無事を祈って髪をずっと伸ばしている、とは本人にも言えない。だって本当の願い事はひとに言ったら叶わなくなるという。
分かりやすい変化だが、指摘されて嬉しいサクラははにかんだ。
自分は髪こそ伸びたが他は何も変わらない。でも彼は会わないあいだにますます男振りが上がったようだ。厚みを増した体は鋼のように硬くなり、鋭い眼は瞳力とは関係なくサクラの心を惹きつける。
わたしの旦那様は素敵。やっぱりわたしはサスケくんが大好き。居ないあいだも思い続けた心が一層強くなる。サラダのことを知らせたくて、どうしても姿が見たくて、ナルトに頼んで会いに来て良かった。
「そうだ。サラダの写真があるの。アナタに見て貰おうと思って、とっておきの可愛い写真なの」
黒い髪を母と同じように斜めにわけた少女が、写真のなかから微笑みかけている。
「ね、すっごく可愛いでしょ。我が娘ながらあまりの可愛いさについついぎゅーっと抱きしめちゃうのよ」
「…おまえ、ほどほどにしろよ」
つい先ほど同様の洗礼を受けたところである。
「もう可愛くてね、つい。あ、この写真アナタにあげるわ」
「いや…、これは家に飾っておいてくれ」
「えっ、でも、」
「顔を見ていたら会いたくなる」
サスケとて好きで家に帰らないのではない。心の内では常に家族を想っている。
「……ごめんなさい。今日も、急に会いに来たりして、」
「おまえが謝ることじゃない。驚いたが、オレも二人の顔が見たかった」
「サスケくん、」
「おまえ達の話を、もっと聞かせてくれないか」
「うん!」
サラダは可愛くて、賢くて、ほんとうにいい子よ。流石サスケくんとわたしの娘ね。今はメガネをかけさせてるの、眼を大事にしてくれるといいんだけど。
それでね、あの、もう治ったんだけどね、サラダがすごい熱をだしたときがあって、命に代えても守ると決めているのに、少しだけ恐かった。絶対に治ると信じていたけど、サラダの熱が下がったときにサスケくんの顔が思い出されて、たまらなくなった。
サラダは無事で、今はすっかり元気なの。わたしも毎日充実している。
でも会いたかった。サラダといっしょに待ってるつもりだったけど、どうしても会いたかった。
サラダのこと、里の話、必死で話すサクラをサスケは優しい顔で見つめる。
弾んだ声で娘の話をするサクラの姿は彼の寂寥を慰めるのに十分だった。変わりなく妻が自分を愛し、信頼しているというその眼差し、一挙一動を焼きつけんばかりに見つめる。彼女の生き生きとした顔を見れば満たされた。
ただし、サクラの話が一段落するとサスケは一つだけ妻に注文したいことができた。
サクラは頼もしい妻であり、この世で唯一愛する女性だ。家のことも娘のことも、彼女に任せれば何一つ不安はなかった。今日このとき、その姿を一目見るまでは。
「サクラ」
「はい」
「おまえ、里に戻ったら髪を切れよ」
「ええっ?」
サスケのために伸ばしているのに、本人に駄目だしをされては敵わない。
「ごめん、サスケくん長い髪ってきらいだった?」
どうしよう。願掛けだったけど、こうして無事な姿を見られたのだから、切ってもいいかもしれない。(わたしったら結局子どものころと変わらないわね。)
途端に泣きそうになったサクラの頬を軽く撫でると、サスケの手は彼女の髪に流れて一房をつまみ上げた。
「長さは関係ない。オレはおまえの髪が好きだ」
「あっ、ありがとう」
「なのにオレが見ていないところでおまえの髪を、他の人間が好きに見ているのかと思うと腹立たしいだけだ」
「えっ」
「里の男に嫉妬しそうだ」
「サスケくん……!」
二人きりになるとサスケはサクラに優しく、自分の想いにひどく正直だった。
男の性格を思い出し、(サラダの話がしたかっただけなのに、)サクラの心臓は早鐘を打ち出している。
「サクラ、おまえはここにいつまでいられるんだ」
「えっと、往復で4日の行程を組んでるから明日の朝まで自由にできるわ。巻物の運搬は隠密だから、薬草取りを隠れ蓑にするようにってナルトに言われて、ここには休憩に寄ったってことね。あの、サラダはアカデミーの林間学校に行ってるから一週間は戻らなくて、今朝も電話で話したけど、結構楽しんでるみたい。あの子ほんとに優秀なのよ」
「里を出て、ここまでの時間は?」
「今日が、二日目です」
軌道修正は効かなかった。
「それにしては汗の匂いがしないな」
汗の匂いチェックされてた! サクラの体温は一度上がった。
「昨日は宿を取って、その、シャワーを使ってきたの」
サクラの声は小さかった。
「オレは今朝、川で体を洗ったところだ」
サスケの声は低い。
「あ、でもわたしがいつまでもここにいちゃ変じゃない」
「情報はもうオレの頭のなかだ。警戒する必要はないだろう」
「そっか」
「ああ」
「………」
「………」
沈黙が二人の体温をどんどん押し上げていく。
「事の前にためらうところは変わらないな」
「だって、……まだ明るいんだよ」
「小屋があって良かったな」
サスケの言葉を聞いて、サクラはせまい小屋のなかですぐに終わるであろう鬼ごっこを始めた。夫の考えていることがわかるというのもよりけりだ。
「ね、サスケくん落ち着いて。あんまり、激しいことはしないで」
「まだ何もしてねぇだろ」
「だって、しそうだもん。お願いだから、歩ける程度にして」
「…ダメなら近くまで送る」
恐ろしい宣言にサクラは震えた。だめ、今日のこと、サラダにはやっぱり秘密にしよう。
「あっ」
二人の攻防はサスケがサクラの腕を掴んだところで終了だ。
軍配がどちらに上がるかなんてわかりきっている。サクラとて本気で逃げたわけではないが、サスケの言い方がいやらしくて、さも当然のようだったので、あまり褒められた行為ではないのだと促したかったのだが。
「おまえは本当にこういう前戯が好きだな」
「ぜっ……サスケくんのへんたい!」
これが前戯だなんてどうして思えるの? そんなふうに格好良く笑ったりして、アナタは相変わらずいじわるだわ!
「…でも、サスケくんだって好きでしょう」
じゃなきゃ絶対に笑顔なんて見せないし、問答無用で押し倒すのだこのひとは。
「オレが好きなのは、」
おまえのその表情だ。
「………」
やっぱりへんたいだ!
サクラは蛇に睨まれた獲物の態で、身も世もないような心地で抱きしめられている。本当に久しぶりなのだ。彼の前でどうやって丸裸になっていたのか、うまく思い出せないでいる。
「もう一つ聞きたい。おまえ、アレを持って来てるか?」
Q:アレって何ですか?
A:お察しください。
※注(旅先でかなり久しぶりに突然奥さんと再会した二十台の男性が痛切に身体のある部位の前後運動をしたくなったとき、風呂入ってないシャワーも使えない状況で衛生面などを気にせずにゃんにゃんするときにあると便利なものです。川で水浴びをしたとしても――汗や埃を流していたのはとても良いことだと思いますが――出来れば石鹸などを使って細部まで清潔にすることをオススメします。
妻であるサクラさんは医療忍者ですし、旦那様の性癖――性格や好みは弁えておられますので、夫に訊かれるまでは何も言わないつもりできちんと用意されていたようですね。流石です)
「………一箱もってきたよ」
それだけあれば十分だ。
夫が大事なところで冷静であったことを知り、妻がこっそりと用意周到だったことがわかり、ようやく両者の合意が得られました。
サスケは大人しく腕に収まった妻の額に遠慮なくキスを落とした。思えばこの場所は幼いころから本当に彼のために用意された広さだった。旦那ご愛用である。
初めて彼の指が彼女のそこに触れたときからサクラにとって前髪はかくあるべき形になったのだ。
妻のそれが夫の愛情に応えるためのものだということは、サスケは十二分に分かっている。だから一目見ただけで、サクラの気持ちが分かるのだ。いつまでたっても可愛いやつ。
妻の美しい長い髪を垂らした姿もたいそう好ましく、サクラの変わらぬ容姿に満足もした。あとは味わうばかりだ。
サスケの口付けは額に留まらずにサクラの目蓋のうえ、目尻から鼻の横、撫でるように頬のうえを移動し、下唇を舐めて妻の震えを引き出すと、小さく開いた唇のなかへ舌が忍び込んで、サクラの瞳から涙が零れ落ちるまで口内を貪った。
人目がないとき彼はとても濃やかに愛情を表現する男で、更に言えば彼は、妻であるサクラと二人きりになると性欲スイッチの入る意外に分かりやすい男だった。
待ち合わせ場所が小屋だと聞いて、サクラは何を持って行くべきか真剣に悩んだのだ。
さて、ここからは夫婦のフィーバータイムです。
二時間ほどさらにお察しください。
申し訳ありません注はございません。
ただ二時間後に三十分の休憩を挟んで第二戦があったことを付記しておきます。
第二戦は一戦目に較べるとスローテンポで事が進み、おおよその時間は三時間半ほど掛かりました。なお、始まった時刻はまだ陽が登っておりましたが、結界で対処しましたので詳細はほんとうにわかりません。
ちなみにサイが想像したことは半分は当たっている。サクラは寝室ではない場所でもサスケの頭を優しく撫でるし、サスケもまた同じことをする。
裸になって、寝室ではない場所でも。
それではあしからず、平にご容赦ください。
***
「あれ、サクラちゃん髪切ったの?」
「うん!」
にっこり満面の笑顔で答えるサクラをナルトもまた気持ちの良い笑顔で迎えた。
彼女の髪を斬り、断ち落とされた髪を燃やし尽くしたのが夫の所業だというのは彼らの愛娘も知らない夫婦だけの秘密である。
木の葉の里は平和で、忍びの父親たちは体を張って忙しく仕事をしているが、どこの家庭も円満で、くの一もまた賢い働き者ばかりである。
未来は眩しいほど輝いている。