うちはの三つ巴、「断片 2」
サスケが自分の家に泊まる気だとわかり、サクラはようやく覚醒した。
覚醒したが何もできなかった。
サクラは一人娘で同い年の男子との交流はほとんどない。お、男の子ってどうやって寝るの?
わかりやすく眉をへたらせるサクラなぞお見通しとばかりに、サスケは表情も変えなかった。
「オレのことはいい。ソファでも借りる」
事も無げに答える。
「ここはおまえの家だ。オレのことは気にしなくていい」
「でも、」
「おい」
「……」
「落ち着くために家に帰ったんだろ。おまえは普通に過ごせ。明日にはここを出るんだぞ」
「…はい」
サスケの気遣いを理解すると、ふわりと温かな気持ちがサクラを包んだ。
言葉はちょっと怖いけど、このひとって本当に優しいひとなんじゃ……。
屋敷でインドラと食事を取ったときと同じような、自分以外の熱を思い出す。他者の温度はこの世界に自分ひとりではないことを教えてくれる。
心が軽くなれば体まで少し楽になった。
「サスケくんの言う通りにするね。ありがとう」
「………」
いいから目を冷やせと追い立てられ、冷蔵庫からアイスノンを出して目に宛てる。お茶も出していないことに気づいてペットボトルを渡せば、彼が受け取ってくれてほっとした。
サクラはシャワーを浴びて服も着替えた。サスケは既に就寝の準備を済ませていたらしい。ラフな格好だったので服も同じまま、羽織っていたシャツを一枚脱いだだけだ。サクラはTシャツにハーフパンツ。一応スポブラもつけて、男子と一緒でも平気な格好にしてみた。これならサスケと一夜を過ごしても良いと思う。いよいよ寝る段になって、サクラは思い切ってサスケに頼むことにした。
「あの、ほんとにソファで寝るの?」
「ああ」
「じゃあ、わたしも一緒に寝る」
「は?」
「だってわたしのご主人様だし、お客様なのに、ソファなんて良くないよ」
「…あのな、」
「ね、そうしよ。わたし部屋から布団もって来るから、それで一緒に寝よう」
湯を浴びながら考えていたことだ。サスケがソファで、自分だけが部屋の布団で休むなんてやっぱりダメだと思ったのだ。だけどサクラのシングルベッドは狭い。部屋に彼を招き入れるのは少し恥ずかしい。居間に布団を持って行けば一緒でも良いと思えたのだ。
「オイ、」
「わがままでごめんなさい」
サクラは腫れた目蓋で頭を下げた。
「……わがままなのか」
「う、うん」
「そんなに一人がいやか」
「……うん」
「……」
「……ごめんなさ」
「わかった」
「……」
「それなら聞いてやる」
サクラの部屋から布団を持ってくるのはサスケも手伝った。
「おやすみなさい」
「…ああ」
居間を片付け、ソファの前を広くしてマットと布団を引く。同じ布団で寝ることは断固拒絶したサスケはタオルケットだけを借りて、ソファに横になった。これが二人の妥協点だ。
その背を見つめながらサクラは目を閉じる。
パパ、ママ、サクラはこれからサスケくんと一緒だから安心してね。
サクラは朝まで夢も見ずに眠った。
サスケはあまり眠れなかった。彼はまだ中学一年生の子どもであり、若い男の子である。問題はソファの寝心地だけではない。
サクラはうちはの屋敷に戻り、先輩メイドに挨拶に向かった。
「春野サクラです。よろしくお願いします」
「のはらリンです。よろしくお願いいたします」
昨日ベッドで眠っていたサクラに声をかけた女性がリンである。
リン達使用人はインドラから『春野サクラ』はうちはサスケの妻になる少女だと言われている。彼女の両親が事故で他界したこと、今後はサスケと同じ中学校に転校し、屋敷に住むという話も聞いた。
従って彼女はメイドではなく未来のうちは一族であり、リンにとっては主人格に当たる人物だが、サクラは低姿勢にメイドの仕事について質問してくる。これはつまり未来の女主人として使用人の仕事を覚えるという、そういう心積もりなのだろうか。
見目は可愛らしく、言動はしっかりしていかにも真面目そうだ。黒と桜。サスケと並べばさぞかし似合いの好対照だろう。インドラは炯眼の持ち主で、ついでに面食いなのかも。
「あの、サクラ様」
「えっ、な、なんでしょう」
「仕事についての説明は以上になりますが、この後のご予定は如何されますか?」
リンの口調は当然ながら丁重なものであった。サクラはドキドキしながらも、自分も同じように、できるだけ丁寧になるよう気をつけて答えた。
「ご予定、ですか? あの、わたしにもできる仕事があればお手伝いしたいんですが…」
「サクラ様、仕事をなさるのですか?」
「はい。その……、サスケ様のことは私がやるようにとインドラ様に言われてますので、ぜひやりたいです」
「……」
なるほど。あのインドラのことだ。未来の夫の身の回りのことは妻に任せるといった古風なことを言い出しそうだ。
リンは思案した。うちはサスケはインドラが連れてきた少年で、気難しくも賢い美少年で、未来のうちは家を担うのだと言われている。彼は別に孤児ではなく、両親も健在だというのにだ。
使用人であるリンには理解できないことだが、うちは家ほどの名家にはままあることらしい。
リンもまた家族がおらず、うちは家に将来を見込まれ援助を受けている。同年のはたけカカシも似たような境遇で、大学を飛び級で卒業した彼はすでにオビトの補佐に付いている。
本家の一粒胤であるはずのオビトは本気さえ出せば出来る男だが、いまいち頼りないところのある大会社のボンボンだ。そしてサスケの登場である。
「………」
リンはサクラを見つめた。
ピンクだしサクラだし、可愛い女の子だ。こちらは女同士、仲良くやろう。
リンは笑顔で答えた。
「それでは、サスケ様のお部屋についてはサクラ様にお願いしても宜しいでしょうか」
「はい! がんばります」
二人はまだ誤解があることに気が付いていない。
「サスケ様、失礼いたします」
緊張気味のサクラはエプロンを身につけ、まずはサスケのご機嫌伺いをすることになった。彼は日々の雑務は不要だと言って使用人が立ち入ることを良しとしない。掃除をすることは許されているが、今は夏休みなので平日の対応に少し困っていたところだ。
「お飲み物はいかがですか」
よく冷えたアイスティーと茶菓子を持って、サクラはメイドらしい仕事が出来て少し嬉しい。
紺のフレアースカートにチャイナカラーの白いシャツはノースリーブだ。胸まで隠す真っ白いエプロンはリンが新品を持ってきてくれた。
自分もリンと同じ制服を着た方が良いのでは尋ねたら、それはやめた方が良いと言われてしまった。考えてみれば中学生が働くことは問題があるかもしれない。いかにもな服装はしない方が良いのかな。でもこんな立派な場所をデニムでうろちょろするのも如何な気がする。サクラの思う仕事着ファッションはリンも賛同してくれたから、変じゃないはず。
「一つだけか」
「え?」
「おまえの分は?」
ええと、
「ごめんなさい。今持ってくるね」
どうしよう失敗した。ドキドキと苦しい胸を落ち着かせるようリンに相談すれば、彼女は笑顔で同じものを用意してくれた。
同じカップと新しいお菓子。これで良いだろうかとサスケの顔を窺う。
「ん」
サスケくんはお煎餅を手に取ると私にも勧めてくれたので、一枚戴く。
「美味しいね」
お醤油が効いてて、少し辛くて、たぶん良いところのものだ。
美味しいけど、舌がぴりぴりする。サスケくんは平気なのかな。飲み物があって良かった。
アイスティーはすっきりした味。茶葉とか何か、きっとこれも良いものなんだ。
リンさんが出してくれた甘くて美味しいお菓子も、悩んだけれどお腹いっぱい食べてしまった。見た目からすごく美味しそうで、食べたらやっぱり美味しかった。サスケくんが甘いものを嫌いなんて言うから、ついもったいなくて。でもわたし、お客様じゃないのに良いのかな。
食べ過ぎを嘆いていたら、サスケくんと一緒に夏休みの課題をすることになった。彼が言うには、頭を使えばお腹が減るって。
サスケくんもリンさんも優しくて、私はお屋敷のお手伝いをちょこっとするだけの居候。すごく親切にしていただいて、赤の他人なのに甘えてる。何故かサスケくんは私が遠慮すると機嫌がわるくなるのだ。
優しいサスケくん。家族をなくした女の子にとびきり親切なサスケくん。
こんなに優しくされたら、……困っちゃうよ。
サクラは新学期の前に伸ばしていた髪を切った。これは彼女の決意の現れだ。
夏休みの間に両親の法要も一区切りがついた。サスケもインドラも、仲良くなったリンまで一緒にお墓参りをしてくれた。新しい学校ではあまりサスケに甘えすぎないよう、勉強に励んで、お屋敷の仕事ももっとお手伝いできるようになりたい。
長い髪のお手入れなんてしていられない。もっと早く切ろうかと思っていたのだが、踏ん切りがつかないでいた。今がちょうど良い機会だと思ったのだ。
「変かな?」
「…いや」
サスケくんに短い髪を見られるのは照れくさかった。インドラ様に見られるのも緊張する。マダラ様はたぶん、気づきもしないだろう。
リンは、もったいないけれど短いのも似合うと言ってくれた。
うん、がんばろ。
新しい学校に行く日の朝、サスケくんがインドラ様に叱られたと聞いたけど、どうしたんだろう……?