もうドレスは破らないでよ!(サスサク)
任務に失敗して、彼の正体がわかって数時間。あのひとはもうこの世にいない。
「………」
サクラは黒のイブニングドレスを着ていた。
彼にプロポーズをされた思い出の店で、グラスを手に左眼から零れた涙を拭う。
胸元は大きく開いてスリットも深く、白い膚が映えてよく似合っているが、黒いドレスはサスケと並んでこそ映える色だった。これは喪服だ。
「一人でそのドレスを着るなと言ったろう」
殺したと思った夫との再会にサクラの瞳が瞬時に乾く。
「踊るぞ」
サスケの強引な誘いに彼女は逆らわなかった。
しおらしい態度にサスケは鼻白んだ。絡めた指を軽く捻る。サクラは痛みに眉を顰めたが、それでも彼女は逃げない。サスケが逃がしはない。
最初で最後のダンスだ。今までは人前で彼女の体と寄り添うことに抵抗があったが、湧き上がる感情のままに細い体を壁に押し付ける。男の膂力はサクラの体を容易く翻弄する。
痛みに呻く彼女の表情に暗い笑みを浮かべた。そら見ろ。こんなに華奢な体で殺し屋だと? おまえの命なんて、花みたいに脆いもんだ。
興奮のままに体を寄せる。サスケの変化に気づいたサクラの怪訝な顔に、「それは生身のオレだ。」わざと下品に言い捨てる。
サクラは寝室以外の場所をいやがるが、サスケはひと目さえなければいいと考えていた。いつも。
殺したいのか犯したいのか分からないまま、嬲る言葉で責めればサクラは悲しげな顔をして、サスケの腕から逃れた。
「あいつの涙は、……毒だ」
これ以上狂わされてたまるか、呟きは新たな爆破音に消えた。
「…二度もオレを殺そうとしたな」
ジャケットを脱ぎ捨て、サスケはサクラを追いかけた。
PHONE IN THE CAR
互いに家へと車を走らせながら、サスケに問われた言葉にサクラは戸惑いつつ答えた。
「あなたのことは、なんてハンサムなターゲットなのって思ったわ」
初めて素敵だと思った、生まれて初めて好きになった男のひと。
子どものころの夢、好きな人と結婚してお嫁さんになること。夢が叶うなんて、嘘みたいに幸せだったわ。でも、それも終わりよ。
全部告白してあげる。
殺し屋なんだものね、わたしたち。
「あなたと初めて会ったとき、わたしハネムーンの最中だったの」
「あ?」
「仕事上のことよ。別の戸籍も用意して、無垢な花嫁の振りをしてベッドでグサリ。っていう完璧な計画」
「……おい」
「何よ」
「おまえ、オレとやったとき初めてだったろ」
「…そうよ。相手の男が仕事で合流が遅れたから、あの日はフリーで、遊ぶのはちょうど良かったのよね」
「ヴァージンだったくせに」
「ヴァージンだったから、ちゃんとターゲットを手玉に取れるか不安だったけど、おかげでセックスを経験できて、問題なく任務を遂行できて助かったわ」
任務の最中に出会った彼女は初々しく、ベッドのうえでサスケの思うままに跳ねた。
「まさかあの後すぐ他の男にその体を抱かせたっていうのか」
「いいえ。幸いなことにいいオジさんだったから、あなたみたいにがっついてなくて、おまけに我慢するのが大好きな性質だったから、お預けされるのが快感なのよね。いよいよというときに殺ったから、自分が死んだことも気づいてなかったわよ」
「…そいつは幸せな最期だな」
死者への嫉妬が沸き立つ。
この殺意は誰に対するものだ?
「わたしもそう思うわ」
「じゃあ、オレと再会するまで誰ともセックスはしてないんだな」
「アナタ、前にもそれ聞いたけど、体に聞けばわかるって自分でも言ってたじゃない」
「確認だ」
おまえの体は初めて会ったときからオレのもんだろうが!
何の連絡先も聞かずただ名前だけを別れ際に尋ねた女。あんな土地で男にナンパされるのを待ってたって言うのか。
桜色の髪の女の名前がサクラなんて、体よくあしらわれたかと思えば再会し、もう一度尋ねれば、やはり彼女はサスケの花だった。
すでに彼女に溺れていたサスケはなんて良い名前だと思い、彼女にもそう伝えた。女の名前を褒めるなんてサスケの人生で初めての経験である。彼女ははにかんだ笑みを浮かべ、腕のなかできゃらきゃらと笑っていた。
血塗られたサスケの人生でこんなにもキレイな生き物と触れ合うことなんて、死んで生まれ変わらなければ来ないと思っていたが、天使だと信じて疑わなかった女は自分と同じ毒蛇の牙を隠し持っていたというのか。
サスケは彼らの愛の巣に向かった。
FIGHT IN THEIR HOME
ネクタイを締めたまま、ドレスに身を包んだまま二人は銃口を向け、拳を握り伴侶相手に暴力を振るい合う。頬が切れ、痣ができ息が乱れても屈しない。
にやりと唇を歪ませて、好敵手をうかがう。
貞淑なはずの妻が意外なほど怪力であることは知っていたが、サスケを一瞬でも昏倒させるとは面白い。
「もう一度だけ確認するが、まさか今も偽装結婚なんて真似を仕事でやっているのか」
「やってないわよ! うちのチームは理性的なの。事前の調査から決行までオールクリーンよ。ばかな男と接触なんてする必要ないもの」
「八年も騙され続けたバカで悪かったな」
「何を聞いていたのよ! アナタとセックスしたのも再会したのも全くの偶然よ!」
頭に血が昇っていたので思わず本音が漏れた。
「へぇ」
サスケの機嫌が上昇したことに、サクラは気づかない。
彼女はサスケとは反対に実戦では昂揚するタイプだ。だからこそ事前の計画を入念に準備する。
「第一あなたみたいな男と仕事だけで八年も付き合えるもんですか、」
「なに?」
「アナタって変態じゃない」
「……」
サスケの機嫌がやや下降したことに、サクラは気づかないままだ。
「わたし、あなた以外の男を知らないから、初めてのときもあれが普通なのかって思ったけど、今まで見たどんなターゲットよりあなたったら粘着質でしつこくて、セックスを仕事でするのは絶対止めようって思ったわ。絶倫だし体力はあるし絶対一回で終わらないし、わたしが泣いてるのを見て悦んでるの、知ってるんだから」
否定はできません。
「しかも気絶しても変なことしてるでしょう」
「おい」
「初めて抱かれた夜は本気で食べられるのかと思った。――男はイった後が一番無防備になるって言うからそこを狙うつもりだったけど、あんな真似をされたら殺す前にこっちがおかしくなっちゃうもの。だからターゲットもさぁいよいよっていう時に仕留めることに切り替えたら、嘘みたいに上手くいったわ。ハメたくて我を忘れるって感じ。あなた以外の男って皆そう」
「…オレとのセックスがそんなに気に入らなかったのか」
「逆よ!」
サクラは真っ赤な顔で積年の不満を訴える。
「サスケくんの体が、あなたの愛撫が忘れられなくて長期任務の夜に体が疼いたこともあるのよ! わたし不感症じゃないのって言われてたのに、自分が信じられなかった。しかもあなた、わ、わたしにやって見せろって、あ、あんな恥ずかしい真似を、何度も、わたしが自分を保つためにどんなに必死だったか、」
ベッドでサスケに組み伏せられる度、サクラは夜に死んで、朝生まれ変わったような気がしていた。心も体も。
だけど初めて体を合わせた夜に、一目惚れをした男相手に仕事でなくヴァージンを捨てたかった彼女は、セックスに興味のある奔放な女を演じて見せた。
それからは男の欲望に付き合うのに必死で、うまく本音を言えないでいたのだ。
「サスケくんのばか! へんたい! どすけべ! あなたなんてだいっきらい!」
ガシャン!
サスケは持っていた銃を壁に投げつけた。グラスワイン酒瓶にガラス製の瀟洒な戸棚が音を立てて粉々になる。酒好きの彼の数少ないお気に入りの場所だったのに。
サスケの眼の色が変わっている。
「確かにオレは変態かもしれねぇな」
こんな汚れた手でおまえの細い首に触れることに、背徳的な歓びを感じていた。
「…お互い殺し屋なんだ。銃を向けるのもナイフを突き立てるのもいい。毒を仕込むのだって有効かもな。オレには効かないが。――だがな、おまえのその口で、このオレに向かって嫌いだなんて言うのは許さないぞ! いいかサクラ、よく覚えておけよ。そんなわるいことを言うおまえの唇も、舌も、その白い歯の一本一本も全部、念入りに可愛がって二度と逆らえない体にしてやるからな」
繰り返し仕込まれた体の芯、下腹部がぞくりと震えた。
サクラは蠢く恐怖を振り払って男を睨み付けた。妻の表情にサスケは笑う。
「そうだ。そんなに華奢な体で、だめとか嫌とかうるせぇくせに、最後までオレにつきあう体力があったんだったな。体の相性は最高だし、なんてオレにぴったりの女かと思ってたんだ」
「わたししょっちゅう気絶してたじゃない!」
「気持ち善すぎてイきまくってただろう」
「そうだけど、あなたがわたしを獣みたいな体にしたのよ!」
「おい、煽るのもいい加減にしろ」
「煽ってないわよ! 勝手に盛らないで!」
「犯されたいのか殺されたいのかどっちなんだ」
「わたしが、あなたを殺すのよ」
「オレは誰かに指示されるのが嫌いだ」
「協調性ないもんね。友達も少ないし、自分の性的嗜好についてもっと反省してっ」
二人はもう一度殴り合った。
互いの隙をついて銃を向ける。
指一本で終わりだ。
刹那、猫科の獣のようにしなやかな殺意を漲らせたサクラの瞳は、ただ真っ直ぐに男を見た。
サスケの殺意に感情はない。彼が熱くなるのは仕事ではないのだ。
冷たい表情、恐ろしい深淵の眸。
極端なほどの激情を持っているくせに、ときに冷淡な態度を見せる。サクラはそのどちらのサスケも好きだった。
瞬きにも満たない刹那で自分の心に気づく。女の心はそう簡単には変えられないのだ。
照準を外し彼女はつぶやいた。
「うてない」
サスケは声を荒げた。
「だからおまえは駄目なんだ! 撃て!」
銃を持つ手が落ちる。
「撃ちたいなら、撃って」
彼女の声は静かだった。
サスケの眉間は殺意とは異なる感情に歪んでいる。感情を持つ彼は、もう殺し屋ではなくなってしまう。
男の変化にたまらなくなって、サクラは夫に近づいた。
途端にサスケの手は銃を放し妻の体を引き寄せた。女の唇に喰らいつく。
二人は互いの服を脱がせ始めた。
ようやく犯せる。サスケは噛みつくようにサクラの唇にむしゃぶりついた。
あんなに文句を言っていたサクラは、しかし喜んで男の熱を迎え入れた。
結局二人は夫婦なのである。
***
「そうだサクラ、おまえが結婚した男の名前と社会保証番号を教えろ」
「? もう死んでるのよ」
「死んでも許さん。結婚に至るまでどんな接触をしたのかデータを浚って確認する。結果如何によっては――、おまえの体に再度お仕置きをするからな」
「アナタってほんと、死神っていうより蛇よね。…言っておくけど、黙ってやられないわよわたし」
サスケとサクラは薄く微笑む。
腕利きの暗殺者夫妻の、眸のなかに棲まう物騒な色は驚くほど似通っていた。