サスサクワンライまとめ十三題0927-1230(修正あり)
(ワンドロライ企画参加SS)
玉の緒の 絶えてみじかき 命もて 年月ながき 恋もするかな(紀貫之)
サクラは長い間苦しい恋をしていた。
思い出の少年は強く男らしく優しかった。自分はそれだけで夢中になって、彼の苦しみを何も知らずにずいぶんと時間を無駄にしてしまった。
この三年で必死に修行をしたけれど、自分はあれから少しでも彼に近づいたろうか。
伸びた髪がサクラの肩で揺れる。
どうしようか。最初に伸ばしていた理由は彼のため。今はただ髪を切る暇もないほど修行が忙しいだけだ。たまの休みも薬草取りや忍術書を読みふける毎日に、髪の長さが時間の経過を知らせてくれる。
サクラにはどうしても叶えたい目的があって、やりたいことばかり溜まっていく。
休みの日にまで人気のない場所を探して修行に励む。薬草を探して知識を蓄える。難しいと言われる忍術書を読んで、誰も教えてくれない事実を頭に刻んでいく。
そして見つけてしまった探し人に、サクラは震えた。
「怪我をしてるのね」
「サクラ……」
目的の彼は背が伸びた以外は変わらぬ眼差しをしていた。サクラなんて見るほどの価値もない。感情のない黒い眼。
離れていこうとする彼の利き腕が血で汚れているのが見えて、ぐしゃぐしゃだった心が冷えて固まった。
今なら自分が治せる。サスケは険しい顔でサクラを睨んだが、彼女が冷静に怪我の治療だけを行うのを見て腕を任せてくれた。
普通の怪我ではない。薬か忍術で不自然に焼きただれて痺れた痕に、サクラは顔を顰めた。
「これは時間が必要ね。包帯で外部に触れないようにして、しばらくこの腕は使わないで」
「腕一本ぐらい何でもない」
「サスケくん、治せるものを放置するのは良くないわ」
「フン」
「何もしないから、言うことを聞いて」
一緒に里に帰ろう。どうしてこんな怪我をしたの。ずっと心配してた。あなたに会いたかった。
叫ぶ心の声は何一つ言葉にできなかった。
数日の間、サクラはサスケの治療を続けた。サスケの居所は知れなかったが近くに休むところがあるらしい。サスケは片腕でも修行のようなことをしているらしく、サクラの指示通りに大人しくしてはいなかったが、サクラが明日もここに来ると言えば拒絶しなかった。
翌日再び会うことができたとき、サクラは喜びで顔が崩れないように気をつけなければいけなかった。
治療のあいだ中サクラの心は千々に乱れた。彼を奪った敵を倒し、なんとしてもサスケに戻ってもらうつもりであった。しかし現実には彼を見て言葉を失い、怪我を見て顔色を変え結局何もできないでいる。
サクラが状況を問えばサスケは不機嫌に口を結び、離れていく素振りを見せる。サクラは怪我の治療にかこつけて、なんとか彼との時間を引き延ばしている。それだって体力を取り戻した彼は日に日にチャクラが充実し、呼応するように腕の状態も良くなっていく。
サクラの医療術は的確で、明日にでも自分は用なしになるだろう。自分は今も彼を連れ戻すことができないでいる。無力だった。情けなくて仕方がなかった。
「サクラ」
「なに?」
「もう来るな」
「でも」
「オレは行く」
ついていく。三年前に言えた言葉が今は言えない。
戻ってきて。その一言すら言えない。
彼の眼を見るだけでサクラの心が貝になる。本当の気持ちだけが言えない。
「サスケくん」
サクラは治癒したサスケの腕にそっと寄り添った。
「今だけ」
チャクラを流し込んで、彼の無事を祈る。
あたたかな光が灯り、そして離れていった。
去って行くサスケが一瞬だけ寄越した目線。
それだけでサクラの恋は苦しみを増した。この想いはいつまでも消えないだろう。今すぐにサクラが消えてなくなっても、あの眼差しは決してサクラから消えてなくならない。
早く髪を切って、また修行に励まなくてはならなかった。
ポスター
うちは家は全員が優秀な忍びの一家である。
父サスケ、母サクラ、娘のサラダもそれぞれに忍びとしての職分を全うして里に貢献している。
特にうちはサスケは高名なうちは一族の出身で子供のころから余暇があれば修行に費やし、二十四時間己が強くなることしか考えていなかった。
大人になっても休日だからと言って特別にしたいこともない。
家でのんびりして娘と妻の行動を見守り、調べ物か武器の手入れ、よほど何事もなければ散歩をするぐらい。
流石にこの年齢で修行の必要はさほど感じないが、彼はやろうと思えば微動だにせずに集中力を高めたり精神面を鍛えることができたので、余暇も休日も必要なかった。そもそも任務に従事していない時間という感覚は彼に遠いものだ。
家のなかで家族とともに過ごす時間はリラックスすることができるが、それ以外は結局のところ彼が忍者でないときなど皆無に等しい。
つまり彼には忍者以外にできることがない。趣味もない。
休日の朝、清々しい表情で出かけるサクラとサラダを彼は特に感慨もなく見送った。
「アナタ、それじゃお昼はごめんなさいね。サラダと買い物をしてから帰ると思うから、洗濯物はそのままでいいわよ」
「気にしなくていいぞ。ゆっくりしてこい」
「ありがとう」
「じゃあパパ行ってきます」
妻と娘は女同士で仲が良い。サスケは誘われもしなかったが、目的を聞いて全く興味が持てなかったのでかえって留守を買って出た。
と言っても家にいてやることもない。自分の昼飯ぐらい、サクラは気にかけているが一食ぐらい食べなくても良いのだ。
さて、どう過ごすか――。
すぐに服を着替えて家を後にする。こっそりと二人の後をつけて行き先にやはり首を傾げる。あんなものを見に行く人間がいることが信じられないが、二人は女だ。こういう趣味もあるのだろう。
美術館などと言うモノに興味はないが、家族が好きだというなら話は別だ。理解はできないかもしれないが、どういったものか気になった。
無駄に広い空間。壁にかけられた意味のわからない大きな絵。彫刻、石や花瓶のような工芸品。何を伝えたいのかわからない。書も展示されていた。書の善し悪しならばまだわかるが、やはり無駄足だったか。何が良くて皆が金を払ってまで眺めているのかわからない。家に帰るか。
遠目からも熱心に絵の説明を読んだり、母子でひそひそと会話をする二人を眺めて、絵画よりもそれを眺める家族の姿を肴にしようかと思案した。
ふと試しに周囲一帯をチャクラで眺めた。館内に不審人物がいないかを見る心づもりだった。途端に静かであるはずの場所にざわめく渦が視えた。
芸術品、と呼ばれるモノの数々にまとわりつく思念の跡だ。
なるほど。これは面白い。
妻子の居場所だけを感知しつつもサスケは熱心に鑑賞を始めた。
「ただいまー」
「おかえり」
「パパずっと家にいたの? 今日は何してたの?」
「いや、一度外に出た。帰ってからは家にいたが」
「もう。パパってほんと無趣味だよね。散歩しかしないんだもん」
「散歩もいいもんだぞ。色々と勉強になる」
「アナタお昼はどうしたの? お腹空いてない?」
「買って食べた。少し腹は減ったな」
「本当に食べたの? お土産あるの。アナタも食べられるわ。今お茶を入れるから、一緒にいただきましょう」
「ああ、頼む」
二人は買い物を冷蔵庫にしまい荷物の整理をして居間でくつろぐ。
「ねえパパ。これ、今日はこれを見に行ってきたんだよ」
サスケは一瞬だけ眼を赤く光らせたが、娘がもらってきた記念ポスターは量産品であるためになんの痕跡もなかった。
ほっとして一言。
「良い絵だな」
「キレイでしょう!」
パパにも絵画がわかるなんて思わなかった。今度はパパも一緒に行こうか。
はしゃぐ娘の笑顔を見てサスケもわるい気はしない。
「そうだな」
サスケに新しい趣味ができたが、彼があまりに熱心に眺めるので医療忍者の妻は眼が疲れないかと心配している。
梓弓 ひけば本末 我が方に よるこそまされ 恋の心は(春道列樹)
優しい甘い匂いのこもる薄明るい部屋で、サスケは安穏とした空気を味わっていた。
ここでなら安心できる。
柔らかくあたたかい体を抱いていれば、起きる気も失せてしまう。
物も言わずその抱き枕が離れゆく気配に、サスケは眼を閉じたまま腕を伸ばす。
ぐいと布団に沈まされ、サクラは声もなく夫の肉体に抱き潰された。
愛しい、と思うときは多々あれど、甘える男の態度はどうしても可愛い。ほだされてしまいそうだ。
サクラは怒るでもなく優しい声で夫に話しかける。
「ねぇアナタ、朝よ」
子守歌とでも思っているのか。彼は全く起きる気がないらしい。
堅く閉じられた両眼に眉間のしわ。やっぱり可愛い。
こんな表情が見られるのは妻の特権である。しかし主婦として断固起きねばならない。サクラは速やかに夫の鼻をつまみ、再度起きるよう促した。
「今日は良い天気になりそうよ」
それでも全く優しい声だ。本気で無理強いをする気などなかった。
サクラはぐずぐず言う夫の腕からあっさりと抜け出た。彼は朝が弱いのだ。新婚当初は驚くばかりだったが、慣れた今は幸い、ちょっとしたコツであの堅固な檻を突破することができる。
「朝ごはんができたら、また呼びに来るわね」
そっと声をかけてキッチンに向かう。旦那様がいるとどうしても甘やかしがちになってしまうけど、それと家事は別物である。育ち盛りの愛娘もいるのだ。新婚ごっこはまた今度。
サクラが静かに階段を降りてゆく気配を、布団に潜ったままの無意識にサスケは探った。
妻が部屋を出て階下に降りる。朝食の準備と化粧。数多くのするべきことを手際よくこなしていく生活音。
聞きながら、サスケの脳はゆっくりと覚醒していく。
起きなくては――起きて、彼女が洗濯した服を着て、彼女の作ったものを食べる。彼女の働く姿を見る。声を聞く。そしてまた――娘が起き出してきた。
サスケは眼を開けた。
部屋はカーテンが閉まったままで明るい日差しのなか眩しすぎることはない。のそりと身を起こし、服を探す。
袖を通してボタンを留めるころ、妻が顔を出した。
「あなた起きたのね」
「ああ」
「ご飯食べましょ。でも先に顔を洗わなくちゃね」
くすりと微笑みながらサクラが当然のようにボタンを留めていく。サスケは大人しく留めてもらう。
きびきびと快活に、優しく夫の世話をやく妻を見てサスケは夜を思う。あんな顔と声をしたくせに、この女はこんな風に何でもないような顔で自分を見る。
薄い笑みがサスケの口元に浮かんだが、妻さえ、彼本人さえも微笑は気づかれない。
娘は食事を始めていた。
「パパおはよう」
「おはよう」
ありがたいことに顔を見ることができた。
手を合わせられない代わりに軽く頭を下げて箸をつける。サスケはゆっくりと咀嚼して妻子の顔を眺めて話すことを聞く。ゆっくりと生き物としての活動を始めていく。
娘が出かけ、朝食の片付けを始める妻の背後に立つ。
そっと腰に腕をまわして、薄い腹を撫でる。
「やだ。なぁに」
やだじゃねえだろ。
「別に」
ぴたりと腰をつける。
「動きづらいわよアナタ」
妻は水仕事をやめない。サスケも離れない。
「もう……」
実に恥ずかしいことだがこのやり取りも何度となく繰り返してきたことだ。サクラも慣れてきている。サスケもぎりぎりの線をわかっていて動きをやめない。
新婚だったり、彼が任務から帰ってきた直後なんかはサクラも乗ってしまった。そうそう簡単に手管に乗っては、妻としてはともかく母として如何なものであろう。
できるだけ冷静に作業をつづけ、下手にあおらないこと。これに尽きるのだ。
「明るいから、もうダメ」
何気ない顔で、すっと振り返って彼の唇を指でつつく。彼の息づかいが耳に、首に、髪のなかにまで侵入して、彼女を根元から揺らそうとしていた。
少し頬は赤くなっていたが、意外なほど素直に夫が動きを止めてくれたので、サクラは洗濯物を干しにいった。
「ほんとにしゃんなろーよ」
わるい気はしない。しかし主婦とは忙しいのである。
とっぷりと夜も更けて、家族三人で楽しい団欒。順番に入浴も済ませ、娘からの就寝の挨拶を受ける。
「おやすみママ」
「おやすみ」
廊下からも夫と娘の声が聞こえ、サクラはリビングの明かりを消すか迷った。
その一瞬の間に、
「サクラ」
夫が傍らに立って彼女の体を抱いていた。
まさか輪廻眼を使ったわけじゃないだろうに、近い体温に鼓動が早まる。答えないでいると、
「寝るぞ」
念押しのような声。少しだけ不機嫌そうな顔でサスケはサクラの頭を己に抱き寄せる。
夫の胸元に顔をうずめながらサクラは「うん」と答えた。
断るわけがない。夜なんだもの。
月
明るい月が煌々と世界を照らす。
男は夜の闇そのもののように黒い。反対に女は髪も眼も睫毛も淡い。その肌は月光を受けて、淡く反射した光を放つ月の女神のように綺麗だ。
彼の心の深い部分はその美しさに感動し、夜の静けさ、月の光を浴びる彼女のしどけない姿にひれ伏している。
しかし彼はその心を表現する術を持たない。自分に全てを預け安心しきって眠る彼女の髪を梳いてやることしかできない。
淡い色の髪は月の光を受けて自ら発光しているかのようだ。
「ん……サスケくん……どうしたの?」
起こしてしまった。
サクラはぼんやりとサスケの名を呼んだが、すぐに表情をゆるめて男の胸に顔をうずめた。男の気持ちがわかっているかのようなサクラの行動にサスケは気持ちを和ませた。単に眠たかったのかもしれないが嬉しく思った。
「サクラ」
小さく名前を呼んで、「月がきれいだ」と告げる。
サクラはぱちりと眼を開けて、天上の月を見上げた。
「うん」
彼女は月の光のように淡く微笑んでサスケに振り返る。
すぐに、「サスケくんもきれいだよ」と言って、頬にキスをした。
「大丈夫だから、サスケくんも寝ようよ」
と言って眼を閉じる。
月など見えていないのではないか。
自分を理解しているのか、それとも全くわかっていないのか。「サクラがきれいだ」と、この一言が口に出せないはがゆい自分をどう思っているのか。
「…………」
やはり眠いのかもしれない。
久しぶりの布団が気持ち良いのだろう。自分も眠るべきなのだが、サスケはこの素晴らしい夜を終わらせてしまうのがもったいないと思った。
月は素晴らしく夜空に光り、その光を浴びて愛しい女が無防備に、裸体のまま布団のうえで横たわっている。
彼はいつまでも腕のなかの女を見つめた。
好いた女が幸福そうに眠っている。
どんな夜も素晴らしく、月はいつも彼らのうえに優しく輝いているのだ。
紅の 色には出でじ 隠れ沼の 下にかよひて 恋ひは死ぬとも(紀友則)
「サクラそろそろ黙れよ」
業を煮やした彼の一言にそっと黙った。口の重いサスケに較べ、サクラは一方的に「良かった。楽しかった」を繰り返していたが、もう一時間も話し続けていたろうか。
見かけによらず頑健なサクラの息が上がっているのを見れば、何を必死になっているのやら。それでもサクラはにこにこしていた。
「だって、本当に素敵なお家だったんだもん」
彼らは先ほどまで山奥の一軒家に厄介になっていた。
ひなびた家屋ながら行き届いた掃除に心づくしの山菜を山ほど馳走になって、サスケとサクラ、赤ん坊のサラダは連泊をさせていただいた。
目の不自由な老婆を小川のそばで助けたら、足をくじいていたらしく家まで送っていけば、老いてなお矍鑠とした家の主は飛び出てきて深々と礼を言う。
勧められるままに家に上がり、ぐずるサラダをサスケに任せて老婆の治療を始める。目はいかんともしがたいが、足はしばらく養生すれば問題のない軽いものだった。幸い周りには薬草も豊富で、無理に出かける用もない。
ただ嫁に出た末娘の里帰りが数日後にあるために、栄養のある山の幸を探しに出て転んでしまったらしい。
「ふだんから働くのが好きなやつで」
仲の良い夫婦らしく、老爺は休め休めとうるさく言うのを穏やかな老婆は「はいはい」と答えながらもサクラ達の世話を焼く。
手製のおやつをいただき、夕飯も呼ばれ、そのまま家に泊まらせてもらう。
「サスケくん、良かったねえ」
老夫婦は赤ん坊のサラダが可愛いらしく、娘のお古だがと言って山のように服や布、使い込まれたおもちゃを出して、てんで勝手にあやしてくれた。
老婆は若い母親であるサクラに子育ての話をたくさんしてくれた。娘が幼いころの、困った話、心配なこと、大人になっても変わらない癖。
翌日、翌々日にも世話になって、もう出なければと名残を惜しんでいたら、嫁に出ていたという娘が、サラダより一回りほど大きい老夫婦の孫を連れて帰ってきた。
孫も女の子で、実直そうな婿も一緒である。
サクラは同じ年頃の娘と大いに話が弾んで弾んで、娘が持ってきた土産の饅頭までご馳走になって茶を飲み、名残を惜しみに惜しんでからようやくその家を後にしたのだ。
女三人寄ればなんとやらと言うが、サスケも家主も婿も黙って女の口が閉じるのを待っていた。男は皆甘い物は得意ではなく、「いらないの?」という娘の一言に皆首を縦に振って、女の腹に収まっていくのを眺めた。
あんなに話していたのにサクラはまだ嬉しげに顔をほころばせ、
「優しいおばあちゃんに、素敵なおじいちゃんだったね」
「おばあちゃん目がわるいのに、あんなにお料理上手だったし!」
「サラダのことも、すっごくよくわかるの。『きっとすごいきれいな子ね」って、えへへ」
「娘さんもすっごい良いひと! サラダよりちょっと年上だけど、あのこも可愛かったよね~」
「おいサクラ」
「旦那さんも優しそうな人だったけど、それはこっちも負けてないもんね。優しいもんねパパは~」
サスケが名前を呼んでも気づかないほど、何がそんなに楽しかったんだか。
彼は大きくため息をついて、休憩するよう妻を諭した。
「ありがとうサスケくん」
日陰を探して汗を拭き、サラダを抱え直してサクラは水を飲んだ。
「よくまぁ口が回るな」
「だって」
サスケが注意してもサクラの口元は笑みを湛えたままだ。
「サラダが可愛くて、サスケくんという素敵な旦那さまがいて、こんなに幸せなんですよって言えるのが、楽しくって……」
サスケは呆れた。
そんなことを言うために、汗をかくほど喋っていたのか。
「わざわざ他人に言うことじゃねえだろ」
「そんなことないよ! こんなに幸せで、幸せ一杯なのに、誰かに幸せだって言ってないとパンクしちゃいそうなぐらい、幸せなんだもの」
そうかよ。
「言わなくてもオレは十分だ」
サスケは妻のそういう単純な性分が嫌いではない。しかし彼はやはり口に出す気にはなれないのだ。妻が朗らかでいること、娘を抱いている姿を愛おしいと思っていることは、言わなくとも十分彼の心を満たすのだ。
「しゃべるのは良いが、倒れない程度にしろよ」
「はいアナタ」
つまるところ新婚とは、夫婦ともに幸せなのである。
母親のお喋りをBGMにサラダのお昼寝もつつがなく続いている。
注連縄
「あら、なつかしいわね……」
押し入れの中にしまい込んできた思い出の品を前にして、サクラは一人あの日を思い出していた。
「もう最悪……」
サスケを取り戻すためにナルトと二人で大蛇丸のアジトを探索していたときだった。
ヤマトにも黙ってツーマンセルを組んでいたのに、自然の地形を活かしたアジトのなか右も左もわからない二人は地下水でできた水路に落ちて、ナルトと離ればなれになってしまった。
サクラは一人で敵に捕まって水に濡れたまま独房に押し込められた。
窓もないたった一つのドアに鍵をかけられてしまったが、ベッドのような硬い台に簡易シャワールームがついていた。捕虜の部屋として待遇が良いかもしれない。
サクラは迷ったが、身動きが取れないほど濡れた体が冷えていたため服を脱いでシャワーを浴びた。
あのままでは体調に問題が生じそうだった。医療忍者としておかしな判断ではないと思っている。だが武器の一つ、せめてクナイを持ってシャワーを浴びるべきだった。
何も気づかなかった己の油断を恥じるばかりだが、シャワーを終えたサクラが寝台を見ると服と荷物の全てがなくなっていた。
敵地の忍者として甘かったとしか言い様がない。サクラはがっくりとうなだれながらも寝台に畳んでおいてあった毛布にしてはぺらぺらな薄い布で体を拭いて、一枚だけ部屋にあった白い着物を羽織った。
囚人用の服なのだろうか。紐もない前合わせの布地はいかにも頼りない。抑えていなければ前が見えてしまう。丈も短い。尻の下の太ももを少し隠す程度だ。ぎりぎり体を隠すことはできるが、このアジトを管理している人間はどういうつもりでサクラの服を奪い、こんな布きれを置いていったのか。
サクラは頭を抱えたくなったが、なんとしてもここから脱出しなければ。
決意を固めた途端、ドアの開く音がした。誰かが外から鍵を開けたのだ。
先制あるのみ。咄嗟に拳にチャクラを込めてサクラは敵に殴りかかった。
「いい挨拶だな」
「サスケくん……!?」
サクラの拳を受け止め、冷たい眼をしたサスケがそこにいた。
「どうしてここに……」
「それはオレのセリフだ」
サスケが投げて寄越したのはサクラの荷物であった。ポーチとクナイを見てサクラはもう一度「どうして」と尋ねた。
「おまえこそ何故ここにいる。その格好はどういうつもりだ」
サクラははだけそうな前を慌てて押さえた。
「これは、シャワーを浴びたら服も全部なくなっていて、これだけあったから仕方なく……サスケくんはどうして私の荷物を?」
「そいつを持って粋がるやつらがいたから取り上げただけだ」
「サスケくんが取り返してくれたの……?」
「サクラ、もう一つの質問だ。何故ここにいる?」
「あ……サスケくんが、ここにいるって噂を聞いたから……」
サスケはわざとらしくため息をついた。
「もういいだろ。さっさと帰れ」
「いやっ、サスケくんと一緒じゃなきゃ帰らない!」
「サクラ」
「だって……」
「そんな格好で何をする気だ」
「服は関係ないでしょ。サスケくんとだって戦えるんだから……!」
サクラはぐっとサスケを睨んだが、サスケは動じなかった。
ぐいとサクラの片腕を捻り上げた。
「痛っ……」
サクラは残る手で前を隠し、ポーチもクナイも取り落とした。
「どうする。色仕掛けでもするつもりか」
サクラは真っ赤になった。こんな無様な格好を一番見せたくないのに、サスケはサクラの弱い部分を容赦なく責めてくる。いや、これはサスケがわるいのではない。隙を見せたサクラがわるいのだ。そして敵であるサスケに対して、色仕掛けでも何でも攻めることこそ正しいのだ。
サクラはいやいやと首をふり、泣き真似から一転してサスケに攻撃を仕掛けた。
今度はサスケがバランスを崩して倒れる。サクラは馬乗りになってサスケ拳を入れようとした。その腕をまた捕らえられ、地面に倒れる男と組み伏せる女ががっちりと互いの手を握り込んだ。
にらみ合う眼差し。
ふいにサスケは視線を流し、
「前を隠せ」
と言った。
「いや」
「何だと」
「サスケくんも一緒に木の葉に帰ってくれるなら、言うこと聞いてあげる」
サクラは不適に笑った。くノ一なのだ。裸のひとつやふたつ。好いた男のために見せることができなくて、何が女だ。
「フン」
サスケが笑った。二人の体が反転した。サクラの細い体なぞ、簡単に組み伏せられる。女に馬乗りになった男は彼女の腕をつかみ、上からつくづくと見下ろして笑った。
「全部見えるぞ」
「なによ」
サクラは負けまいと声を張り上げた。しかしサスケの眼からすっと温度が消え、その視線が下がるのを見て、「見ないで」と言って眼を背けた。
負けだった。忍者として取り繕うことができなくなってしまう。涙が零れた。
しかしサスケは無言でサクラの上から離れた。おそるおそるサクラが眼を開けると、服の前が重ねられていた。サスケがやってくれたのだ。慌てて起き上がると背を向けて立っているサスケが見えた。
「サスケくん」
「さっさと出て行け」
「……」
優しい男だ。サクラは男の背中にすがりついた。
「サスケくんと一緒がいい」
「サクラ」
女の両腕が男の腰に回る。
サスケはその腕を解いてサクラのほうを向くと、彼女の腰に縄を巻いた。
「早く里に帰れ」
サクラはこれ以上男に甘えられないと思った。
薄着のサクラのためにサスケはマントまで貸してくれた。
外への帰り道まで教えられ、サクラは何度も振り返りながらアジトから脱出した。
サクラの細い腰に巻き付けられた彼の注連縄は強い力で締め付けられて痛いほどだったが、あの太くて頑丈な感触に若いサクラはどうしようもなく胸を熱くしたのだ。
思い出の注連縄を前に、サクラは愛しい旦那様の若かりしころの姿を思い出していた。
本当に彼は昔から優しく格好良くて、一見わかりにくいけれどいつでもサクラを守ってくれるのだ。
ちょうど娘もいないことだし、白いガウンか何かを探してあの日の格好なんて再現してみようかしら。
娘時代を思い出してはしゃぐ人妻の思い出の彼氏である旦那様が折良く任務を終えて我家に帰ってくるまで、彼女のお着替えが終わっているのかいないのか。
誰も知らない。
(企画に参加できなかったのですがお題に合わせて書いたものです)
プレゼント
サスケはサクラにものを贈ったことがない。
下忍のときに何かしらものを渡したことはあったかもしれない。だがそれはサスケの好みでなかったりして、たまたま側にいたのがサクラだった。
そういう類のもので、彼女のために考えた贈り物。というものはなかった気がする。
プレゼントは相手のことを思って悩む時間こそがプレゼントなのだ。という言葉からすれば、全くないと言っても良い。サクラのことを考えることはあったし、彼女のためを思って悩んだことはある。それはプレゼントという生易しいものではなくて、人生とか命に関わる問題だった。
つまりサスケはサクラにプレゼントを贈ったことがない。
妻になった女にそのことを詫びると彼女はきょとんとした顔をして、ついで盛大に噴き出した。
「おい、笑いすぎだろ」
詰られるよりはいいが、気まずさにサスケは妻の顔を上げさせる。
「サクラ…」
彼女は泣きながら微笑んでいた。
「ごめんなさい。サスケくんからはずっともらってばかりだと思っていたから……」
「何を」
妻はうっすらと頬を染めて、嬉しそうに夫を見つめた。
「子供のときからずっとよ」
とっても大きな愛。子供のころから、私を導いてくれるアナタ。
「アナタという愛のプレゼントをもらってるわ」
だから、「ありがとう」ちゅっと音を立ててキスをくれる妻に、それはオレも同じだとキスを返す。
「……」
ああ違うんだ。これじゃキスがプレゼントになっちまう。そうじゃない。いや、そうかもしれん。
とりあえずオレはキスを繰り返し、せめて愛のプレゼントを大量に贈った。
この問題は……、また今度だ。
障へなへぬ 命にあれば 愛し妹が 手枕離れ あやに悲しも(防人歌/作者不明)
夜の帳に守られて、妻のぬくもりと柔らかな空気のなかで眠ることはサスケの至福の時間だった。
安全な場所で愛しい存在を身近に感じながら横になる。それだけのことが胸を焼くほどに幸福だった。この時間を邪魔するものは誰だろうと許さない。妻の頭に頬寄せてサスケはもう一度眼を閉じた。
途端に静けさとは不似合いな呼び声がひとつ。
耳を澄まさずとも聞こえるそれに、サスケは胸の内で舌打ちを鳴らす。いや、誰もわるくない。あえて言えば自分がわるい。
「ん…」
サクラが起きてしまう。
互いを抱き枕のようにして眠る妻を起こさないよう、そっと寝所を抜け出る。
約束したのだ。朝になれば自分が務めを果たすと。
妻はなかなか肯こうとしなかったがサスケの強い意志を見て、最後は彼に全てを任せた。
昨晩の彼女はためらいながらも女の顔をして、サスケによく応えてくれた。思わず緩んだ頬になったが、気を取り直して準備をする。彼が行動を起こすのを娘が待っているのだ。
「あぶぅ」
幼い娘が父親の葛藤も知らぬげにベビーベッドから呼びかける。
サラダは食欲が旺盛だということで、母乳だけでなくミルクを飲むようになった。それならばオレも手伝える。
眼で見ておいて本当に良かった。
起きられなくなってしまうと渋る妻を説き伏せて、貪るように睦み合った。甘美な疲労のために妻は彼の腕に抱かれて眠り、自分の心身は快適だ。
「ほらサラダ、用意できたぞ」
サクラと全く同じ動きで抱いたはずが、娘はむずがり出した。何が気に入らないんだ。
愛する娘と妻のために安らかな場所を出てきたというのに、
「やー!」
娘の無垢な声が強靭な彼の心臓を打ちつける。
「そう言うな、サラダ」
弱りながらもサクラの真似をして、若い父親が苦労する。
その姿は世界で一等大切なものを抱いて幸福そのものだ。若い妻が助けに現れたとき、その表情は一層顕著になる。
さても愛おしき哉。
春雷
ナルトとサスケはこの国を治める神の一族の若者で、まだ道理も知らず弁えずただ自由に空を駆け抜けていた。
風袋を自在に操り太鼓を打ち鳴らして、二人が恐れるものは何もなかった。
「きゃあ」
高い少女の声に二人は動きを止めた。
馥郁とした香りとともに春霞がたなびく高い空、天女が空気を操るバランスを崩して四本のたくましい腕へと落ちてきた。
「すまねえ怪我はないか?」
「おい、大丈夫か」
女は薄紅の髪に新緑の瞳をぱちぱちと瞬かせ、不思議そうに二人を見た。
「……?」
言葉が通じない。
天にいる以上これは天女だと思ったが違う。これは外つ国の女神だ。
前を合わせもせず巻き付けただけの布に隠された大理石の膚。神である彼らすら見たことのない櫻色の髪。
若者は一瞬で恋に落ちた。国つ神の一族でありながら。
人懐こいナルトがあれこれと話しかけ、身振り手振りで「花を探している」ことがわかった。
花ならば爛漫と咲き乱れる常春の庭がある。
常人には踏み入れることも叶わない神域だが、
「大丈夫!」
ナルトは笑顔で請け負い、サスケも無言で彼女を伴うことにした。まるで術にでもかかったように彼らは女に手を貸していた。
庭に降り立つや彼女は正しく女神の威容を見せた。
赤や白、黄色の花々が咲き乱れるなかをするすると女が奥庭に向かい、桜のつぼみに手を伸ばす。
一厘の花が女の口元に吸い込まれ、薄紅色の髪が流れるように広がった。
同じ色の花が髪を飾るように咲き乱れ、新緑の瞳が嬉し気に二人を見た。
「ありがとう」
サクラは花のように優しく微笑んだ。
元は木の精霊であったがこのほど主にその力を見込まれ、新しい女神の序列に加わることが決まった。彼の地では守護にあたって守るべき土地やシンボルとなる武具、加護すべき草木を定めることとなっている。
サクラは木の精霊であったことから花咲く木が宜しかろうと、彼の国に住まう神々の主から勧められた。
女神として最初の仕事を行うためにサクラは一人で皆に見送られ、守護するにふさわしい花を探して遥々諸国を巡ったそうだ。そしてこの程ようやくサクラに似合いの桜木を見つけたという。
喜び勇んで特に美しやかな桜花を求めてこの国を見て回っていたところ、二人の風と雷にあてられてバランスを崩したという。
サクラの話を聞いて二人は思わず黙ったが、ナルトが疑問を投げる。
「でも、どうして急に言葉が」
「花を得て力が上がったの。二人のおかげよ」
神々が丹精した庭に咲く山桜は彼女の力を高めるのに大いに役立ったらしい。
「これならすぐに帰れるわ」
「えっサクラちゃん」
「おまえ帰るのか?」
ナルトの驚きに、サスケの詰問。
サクラは屈託のない笑顔で応えた。
「ええ。仲間が心配してるし、もともと花を探しにきただけだから」
二人ともありがとう。
春の嵐のような異国の女神との邂逅と別れに、童子のようであった二人は一息に成長してしまった。
さても遥かなる海の向こう、我が国より遠く西にある外つ国の神が住まうある島では、今日も春雷が鳴り響くという。
その中では西と東の美男美女神が嬉しげに逢瀬を交わしている。
八百万もおられるのだから、秋津洲を越えて彼の地に渡り、春の花の女神の元へ通っては交流を深める神がおられても良いのであろう。
常ならぬ畏き天地の神々の交わりは神の矢に護られている。
(久しぶりに参加できたワンライSS)
クリスマス
「パパ、今年は楽しみにしててね」
曇りのない娘の笑顔にサスケは曖昧にうなずいた。
今年の暮れは家で過ごすと言ったサスケに妻は元より娘もことのほか喜んだ。
任務となれば長く家を空けることの多い父親が家にいることを喜んでくれる家族をありがたいと思う。
なかでもサラダはいつになくそわそわとして、サスケに隠れて妻と内緒話をしているようだ。妻と娘は二人だけの生活が長かったこともあり非常に仲が良い。サスケにとっても和む姿である。
その娘の機嫌が良いことが父として気になる。張り切っていて嬉しそうだった。
「一体なにがあるんだ?」
近頃の様子と先ほどの言葉は関係あるのだろうが、まるで見当がつかない。親として娘の動向の全てとまでは言わないが、把握しておきたかった。
サクラは娘と同じように嬉し気に迷っていたが、「あのね」と言って話し始めた。
「今度の休みにクリスマスがあるのよ」
サラダは下忍として働いており、明日は休みだと聞いている。
「それであのこが自分でケーキを作るって張り切ってるの。ほら、料理はいつも通り私が作るでしょ。だけど今年はアナタもいるから自分でも何かしたいらしくてね、アナタも食べられそうなブランデーケーキを作ってくれるんだって。楽しみよね」
ケーキと聞いて困った顔になったサスケだが、それは確かに楽しみだ。しかしわからないことがある。
「どうしてケーキなんだ。オレの誕生日とは関係ないだろ」
「ああ、えっと、そうね。誕生日とは関係ないの。クリスマスケーキだから」
「それはなんだ」
「うん。アナタは知らないわよね。なんて言ったらいいのかな……」
もともとは他国の祭りであったものが近年木の葉の里でも行われるようになった。聖人の誕生を祝う祭りであり、家族や大切なひとと過ごしてプレゼントを交換したり、楽しく過ごすことが重要なのだという。
「だからサラダにはいつも『パパが元気でいられるように、パパの分もママと楽しく過ごしましょうね。サラダが楽しいと、パパにもその気持ちがきっと通じて、パパも今日を楽しく過ごすことができるから』と教えてあったの」
妻と娘のいじらしさにサスケは表情を変えずに感動していた。
サクラの説明は続く。
「毎年クリスマスには手作りケーキとサラダの好物を作って、アナタは今どうしているのかしら、元気でいてくれるといいわねって話しながら、必ず二人でご飯を食べてたの。そしたら去年、サラダがアカデミーで『クリスマスプレゼント』というものを習ってきたのよ」
サクラは声を潜め、大切な話をするのだという顔で、夫に娘の可愛さを伝えた。
「良い子にはサンタクロースが欲しいものをプレゼントしてくれるから、自分が良い子にしていたら、アナタが帰ってくるかもしれないって」
可愛い。可愛いが過ぎる。
サスケはもはや待ったなしだ。こんな可愛い娘と愛する妻と過ごすクリスマスとやらに、二人が作ってくれる料理をただ食べるだけでいいはずがない。
「サラダに伝えておいてくれ。サンタクロースには負けないとな」
サスケの言葉に一抹の不安を覚えたサクラだが、夕食の時間だけは厳守するよう確認をして夫を送り出した。
当然サスケが正確にクリスマスを理解しているはずもなく、里長に相談役、前代火影、花屋の主人の協力を得て、彼は凱旋を果たした。
娘の作る菓子は香りのよい洋酒が効いたサスケの舌に合うものであり、妻の料理は文句なく美味い。
「これはオレからだ。サンタクロースからお前たち宛てのプレゼントを配る役を奪ってきた」
「ええっ、パパがクリスマスプレゼントを用意してくれたの?」
すごい、信じられないと言って頬を真っ赤にして喜ぶ娘の後ろでは、サクラがサスケの言葉に首を捻っていた。
サンタクロースから奪うとは、このひとったらどんな風にクリスマスを理解したのかしら……?
しかし彼女も夫からのプレゼント(娘とお揃いのアクセサリー)をもらって有頂天だ。
「嬉しい! こんなに嬉しいクリスマスは初めてよ! アナタ大好き!」
聖なる夜に幸あれかし。
サンタクロースの無事を祈りたい。
草枕 旅の丸寝の 紐絶えば 吾が手とつけろ 此の針持し(椋椅部弟女)
サクラは夫のために準備全般抜かりなく用意をした。
サスケが使いやすいように知恵を絞り、長期保存のきく兵糧丸を作って衣服や荷物を工夫して収納できる巻物を夫に持たせた。
彼は強いので戦いについての不安はない。しかしサスケは隻腕で任務は長期にわたる。時間の許す限りの準備をしたが、それでも心配はつきない。
夫の荷物を見て「これで良し」と呟いてはもっと出来ることはないかと首を傾げる。
「アナタは強いからそこはきっと大丈夫なんだろうけど、やっぱり一人じゃ何かと不便なことがあるわよね」
サスケは娘をあやしながら妻の様子を見つめていた。
「仕方ないだろう。おまえほど器用じゃないんだ」
サスケの人生で誰かと共に旅をしたのはサクラだけだ。
かつて仲間はいた。しかし助けられたのは主に戦いに関することであって、生活を誰かに頼るということは記憶に薄い。
サクラとの道行は得難いものだった。
彼女は旅路にあっても人との接し方、食事を楽しむことや季節を感じる方法がサスケと全く違う。こんなに物事を多彩に考えていれば、なるほど話すことが多いはずだ。
サスケはサクラのそうした面を好ましく感じていた。
それに比べれば自分の一人旅など無味乾燥に等しい。
彼女が自分を心配するのも最もだ。
「器用とかの問題じゃないのよアナタ」
母親のようにふるまうサクラにサスケは耐え切れず笑った。
「なぁにアナタ……」
サスケの様子にサクラが不安げな顔になる。
「そんなことより大事なことがあるだろう」
サクラの指を取って口に含む。
「あっ」
細い指をなぶる。サラダが不思議そうに父母を見つめるがサスケはやめない。
「だめよ……」
途端に女の顔をする妻を笑って眺める。
「おまえが言ったんだろ」
寂しくなったら、思い出してね。
「あれは、夜だったから……」
サクラは妻としてできる限りのことをした。そして夫に頼んだ。
一人になっても浮気をしないで。
あなたを一番愛しているのは私。
なんでもするから、私の体も手の動きも、口の中にある舌の形も全部忘れないでいてね。
もちろん私も決してあなたを忘れない。
どんなことがあってもあなただけ……。
そう訴えてサスケに全てを明け渡し、奉仕の限りを尽くした女の顔をサスケが忘れるはずがない。
あんな真似をしておいて何食わぬ顔で心配だなどとよく言えたものだ。
サスケは妻に口付けながら、彼女の愛情と執着と惜別の寂しさを強く抱いていた。
どんな場所で眠っていてもサスケは妻を思い出す。
彼女の声を、細い指を。
その愛情の深さを。
年越し
「じゃ、せっかくだからおごろうか」
カカシはマスクで隠した顔をにっこりと緩めた。
第七班の年内最後の任務は日も暮れて、年越しそばを四人ですする。
「え~オレってばラーメンがいいんだけど……」
「なぁに言ってんの。今日ぐらいは蕎麦でしょうよ」
「なんで?」
ナルトは年越しそばを知らない。
「なんでっておまえ、ちょっとサクラ説明してやってよ」
細くて長いというのなら、なぜ蕎麦が良くてラーメンでは駄目なのか。健康長寿の説明を聞いても、それならやはりラーメンでも良いだろうと主張してくる。
答えにつまるサクラにカカシが笑ってなだめる。
「ま、こういうのは縁起物だから。たまにはおまえもラーメン以外のものを食べなさいよ」
しぶしぶといった態ではあったが温かい食べ物、それも皆で食べる食事は良いものだ。
そのまま四人は場所を変えて深夜の初詣に行った。
ナルトはこれにも首を捻ったが、寒い夜に皆と任務以外に会えるのが楽しくて仕方ない。
サスケは気が進まなかったが上司の命令には(彼ははっきりと否やと言ったが)逆らえない。
唯一家族のいるサクラはサスケも参加するという一点で顔を綻ばせていた。
深夜の木の葉神社は思いがけず参拝客で賑わっており、年中行事というものをただの一度も経験したことのないナルトは興奮していた。
「すっげー! あれって食っていいのかよ!」
サクラも夜に来たことはなかったのだろう。ふるまいの善哉を喜んでサスケの腕を取った。
「サスケくん、新年になったよ。あけましておめでとう!」
焚かれた火が頬に映り橙に光っている。
真っ暗な神社の境内でサクラは寒さに身を縮こませながらサスケだけを見つめている。
サスケはなんと返事をしただろうか。
くっつくなと言ったような気がするが、年が明けたら用が済んだとばかり家に帰りサスケにしてはめずらしく寝過ごしたことを覚えている。
一人一つと御下がりにもらった餅を焼いて遅い朝食にした。
美味いとは思わなかった。一人でかじる餅よりは温かい蕎麦の方がましだった。
あれはつまり年越しも元旦の雑煮も知らぬ子供のためにカカシが勝手な気を利かせたのだろう。どう考えてもあの男が初詣のような殊勝なことを自主的にする男には見えない。寝正月のほうがよほど似合いだ。
サスケが七班での年中行事をしたのはあの一回きりだ。
「もう起きてよパパ」
ふとんにかかる重み。また寝過ごした。
「おはようパパ。ママ待ってるよ」
「ああ」
「ちゃんと目が覚めた? 二度寝はだめだよ。お餅のびちゃう」
「わかった」
大晦日は家族で蕎麦を食べて神社に向かい、午前零時をすぎて新年のあいさつを交わす。
それから家に帰って就寝。元日はゆっくりと起きて遅めの朝食、雑煮とお節を食べる。
うちは家の年中行事だ。
「アナタ、今年もどうぞよろしくお願いします」
「よろしく頼む」
ぺこりと頭を下げる妻に、サスケも同じく頭を下げる。
朝日の差し込む食卓で顔をそろえ、改めて新年の挨拶をした後に祝い箸を手に食事をとる。
温かい雑煮、整然と並べられた朝食の膳。
こういうものをカカシがオレ達にも味わわせようと思っていたなら、あいつは良い上司だったのだろう。
妻の作った料理を家族で食べられることにサスケは心から感謝した。