再会 かつてのモトゥヌイの民が海の旅人として航海を始めてしばらくしたある日のことだ。モアナは新しい島でどのような魚が獲れたか漁師たちと会合をしていた。
今日は鷹の鳴き声がしきりに聞こえる。
「今日は鷹が長居してるな」
「獲れた魚盗られないようにしなきゃねえ」
漁師たちは鷹の鳴き声の聞こえる方角を向いて次々に軽口を言った。
漁師たちの会話を軌道修正しつつ、モアナは島に着く直前に海で会った鷹のことを思い出していた。右の翼に釣り針型の模様のある巨大な鷹だ。
この島に向かって飛んでいったのは覚えているが、この島に着いてからは一度もあの鷹を見かけていない。いま聞こえる鳴き声はあの鷹と同じ個体だろうか。
漁師たちとの会合を終えると、モアナは鷹の鳴き声のした山へ向かった。
山の木を見てみるが鷹の姿は見えない。モアナは一瞬肩を落としかけたが、別の生き物が山にいることに気づいた。
その生き物は上半身はサメ、下半身は人間という奇妙な姿だった。巨大な鉤のようなものを右のヒレで器用に持っている。しかもモアナに向かって何度もウインクして左のヒレを振ってくるのだ。
初めて見た者は悪夢を見ているような気持ちになるかもしれない。しかしモアナがこの生き物の姿を見たのはこれが初めてではなかった。彼女は思わずその生き物に向かって駆け出していった。
「ようモア……」
サメ頭の姿のマウイが口を開きかけた瞬間、モアナはマウイを抱きしめた。モアナのハグに驚き、マウイはバランスを崩して彼女と一緒に倒れた。とっさに釣り針をヒレから離し、彼女をヒレで受け止める。
サメのざらざらした肌とヒレの感触がモアナの肌に伝わる。モアナはその感触で夢じゃないことを実感し、彼に頬を寄せた。
「マウイ!久しぶり!」
マウイは目を丸くしたあと、何か思いついたように、モアナに笑って牙を覗かせる。
「サメ頭になる呪いをかけられたんだ。お姫様のキスがあれば解けるとさ」
「呪いなんかじゃないでしょう?それに私はお姫様じゃないわ」
マウイの言葉にモアナは笑みがこぼれる。
「おっとそうだった。その服見てたら忘れちまったよ」
赤い羽の装束を纏ったモアナを見て、マウイはすっとぼけたように言った。
「……マウイ」
モアナが彼の名前を呼んで顔を近づけた。マウイは一瞬動きが止まった。彼はすぐさま顔を上に向けようとしたが、そうしようとした瞬間、彼の鼻と彼女の鼻が触れ合った。マウイは何度か瞬きした。
「今のは……」
「挨拶。知らない?」
鼻を離してモアナが得意げに笑う。きっと彼が島に閉じ込められてた千年間でできた挨拶なのだろう。彼の様子を見て彼女はそう思った。様々なことに詳しい彼にも知らないことがあることに彼女は優越感を覚える。
「そうか、挨拶か」
マウイは鼻をヒレで触りながら笑う。彼の腹にいるサメ頭姿のミニ・マウイがどこからともなくスコアボードを引っ張り出した。そして彼女のスコアボードに一点刻んだ。
挨拶を知らなかったのか忘れたのか彼自身も曖昧だった。だが、この挨拶を経験した記憶がないことは確かだった。なんにせよ彼女の言う挨拶とは別のことを想定したことを忘れたいと思った。
「そろそろ起きてもらっていいか?ざらざらして痛いだろ」
マウイは鼻をしきりに触りながら目を泳がせた。
「あっ起きるね」
モアナは起き上がってマウイと少し距離を取った。マウイも体を起こし、先ほどヒレから離した釣り針に触れて元の姿に戻った。
「これならスベスベ肌が傷つかないぞ。さあ来い」
「ええ」
モアナは元の姿に戻ったマウイに改めてハグをした。お互いの髪や肌の感触、体の熱が伝わってくる。前回と同じように。
「その服素敵ね」
ハグをし終えると、モアナはマウイの腰巻が新調されていることに気づいた。無数の葉をロープに巻きつけていた簡易な腰巻からモアナの先祖たちが纏っていたような腰巻に変わっている。
「お前も赤が似合ってるな」
マウイは落ち着いた表情でモアナの鮮やかな赤い装束を見てそう返した。落ち着いたマウイの表情とは対照的にミニ・マウイは歯を見せるほどの笑顔で親指を立てた。
「ありがとう」
モアナははにかみながら言った。
「そういえばこの島に来る直前に鷹に会ったの。あの鷹はあなたかしら?」
モアナは、はにかむのを誤魔化すようにマウイに質問した。
「さあな。別の鷹じゃないか?」
モアナの質問に彼ははぐらかした。
「釣り針の模様の入った大きな鷹なんてあなたしか見たことないわ」
モアナはお見通しと言わんばかりに笑う。マウイは彼女の言葉に対して片方の眉と口角を上げた。
「他にもあなたに聞かせたい話がいっぱいあるの!今日だけじゃ話しきれないかも」
モアナは言った。
「何日かに分けて話してもらえればいいさ。たくさん聞かせてくれ」
マウイはそう答えた。
その日を境に、海の旅人の行く島には巨大な鷹が頻繁に訪れるようになった。