熱に浮かされて 夕方、モアナは新たに訪れた島で自生する植物を確認していた。
この島にはモトゥヌイに生えていた植物とよく似ているものが多い。ココナッツの木も生えている。この島では伐採や植林の手間が省けるかもしれないとモアナは思った。
ふと風向きが変わり甘酸っぱい匂いがモアナの鼻をくすぐる。嗅いだことのある匂いだ。彼女が匂いのする方向を見るとモトゥヌイでよく食べていた木の実とよく似た小さな実が生っている木があることに気づいた。
「懐かしい……」
モアナは木を撫で、実がいくつか生っている枝を折った。夕方も近く、お腹も空いている。
彼女は空腹を凌ぐために久々にその実を枝からもぎってかじった。
その実を噛んでいくとモトゥヌイで食べていた実と後味が少し違うことに気づいた。しかし、モアナは味の違いを感じた瞬間その実を飲み込んでしまっていた。彼女は引き続き、近くにある植物の確認を再開した。少しして全身の力が脱けるような感覚と熱がモアナを襲う。体が思うように動かない。意識も朦朧とし始め、彼女は気を失った。
日が沈み始めた頃、マウイは島の様子を見に訪れた。
しかし、村人の様子がおかしい。マウイは虫に姿を変え村人の話が聞こえる位置に近づいた。
村人の話を聞くと、どうやらこの島に生える植物を確認しに行ってから村長がまだ帰ってきていないらしい。
日も沈み始めている。村人たちは探すかどうかで意見を言い合っている。この島に着いた最初の夕方、ある村人が猛獣に噛みつかれたことで警戒していたのだ。
この様子では意見を言っている間に日が暮れるだろう。マウイは鷹に姿を変えて彼女を探しに森のほうへ向かった。
島を引き上げた経験から島の中で人が通れそうな場所はだいたい把握している。幸いにもすぐに彼女を見つけられることができた。しかし、彼女は開けたところで倒れていた。
「モアナ!」
マウイは変身を解いてモアナの体を軽く揺すった。彼女の体は熱く汗ばんでいる。呼吸も荒く苦しそうだ。しかしマウイの声に反応して目を開いた。口も少し開けたが声が上手く出ないようだ。
マウイはモアナの近くに落ちていた植物の枝に目がとまった。その枝にはいくつか小さな実が生っているが、実がいくつかもがれている。
マウイは木の枝を拾って木の実を観察した。その木の実が人間の間で媚薬として加工されていたことを思い出した。彼女はこの木の実を知っていたのだろうか。マウイはどう質問すればいいか悩んだ。
「……これ食べたか?」
マウイが木の枝をモアナに見せる。彼女はゆっくり頷く。頷くのも苦しそうだ。
「この実を食べると高熱が出るんだが知ってたか?」
マウイは嘘はつかないように質問した。
「モトゥヌイで食べてたのと間違えたみたいね……」
モアナはどうにか声を出して苦笑いするように言った。どうやらこの実のことは知らなかったようだ。彼女一人では動けなさそうだ。変身して誰かの気を引いて誘導させたほうがいいだろうか。しかし、村の者の気をひかせるには彼女から離れる必要がある。もう日も沈んでいる。体が動かせない状態の彼女を置いてはいけない。
その上、あの実を食べたのだ。モアナのあの様子だと村の者たちもあの実を知らないだろう。
しばらくどうするか悩んだが、答えは出ずマウイはとりあえず草原の生えている方へと彼女を抱えて移動させた。乾いた地面の上で倒れたせいか彼女の服にはところどころに砂がついている。
これからどうするか。村の者たちも今日は彼女を探すのを打ち切るだろう。
夜に備え、マウイは火を起こし始めた。
「マウイ」
火を起こしている途中、モアナは目を開けて彼の名前を呼んだ。
「ありがとう」
「今は寝てな。何か来たら俺が追い払う」
モアナは頷いた。頷くのもさっきより辛くなさそうに見える。
手近にあった枯れた植物を火にくべていく。これなら動物も近寄ってこないだろう。熱冷ましの薬草ならこの辺りにあったはずだ。
マウイは立ち上がってモアナに質問した。
「薬草ならこの辺にある。少し離れるが大丈夫そうか?」
モアナは黙ったままだ。
「……モアナ?」
不安になり彼女に近づいてしゃがむ。
するとモアナの手がマウイの指に触れた。モアナの手は火傷しそうなほど熱く感じる。
「ひとりは、だめ……」
モアナは消え入るような声で言った。彼女の顔が焚火に照らされる。顔が紅潮し、潤んだ目が焚火の明かりで輝く。初めて見る彼女の表情にマウイは生唾を飲み込んだ。
「……わかった。一人にしない」
マウイはそう言うのがやっとだった。するとモアナはゆっくり上体を起こした。
「無理に起きないほうがいい」
「へいき……」
モアナはマウイに不意に顔を近づける。マウイは仰け反るようにモアナから距離をとった。
「あのね」
モアナはマウイの目を見て微笑む。
「……あの実を食べてよかったと思ってるの。変かしら」
モアナは含み笑う。まるで酔っているかのように饒舌だ。
「熱が出てよかったなんて初めて聞くな」
マウイは大げさにため息をついて茶化すように言った。
「……あなたと一晩いられる」
モアナは笑うのを止め、マウイを見つめてそう言った。
「航海中は毎日一緒にいたじゃないか」
マウイは諌めるように言った。
「そうね、でもあの後は合間をぬって会ってたから」
モアナはマウイに会えるだけで充分に幸せだとは思っていた。しかし、マウイと再び航海ができればと何度か思うこともあった。
「私、村長失格だと思う。こんなこと言うなんて」
モアナの顔が曇る。彼女の頭の中に両親と島民の心配する姿が浮かび始める。
「熱で気分が変わってるんだろう。仕方ないさ」
モアナと自分自身に言い聞かせるようにマウイは言った。
「そうかな……」
モアナの紅潮した頬がより赤く染まり、息が荒くなる。熱がぶり返したのかもしれない。モアナは背を丸めてゆっくりと横になる。
「ああ」
マウイは念を押すようにモアナに言った。
「……とりあえず、いまは休むのが一番だ」
マウイの言葉が終わらないうちにモアナのまぶたがゆっくりと閉じる。しばらくしてモアナのかすかな寝息が聞こえ始めた。
マウイは彼女が寝たことを確認すると、自身の張り詰めていた緊張を解いて一息つく。だが、その一息の量は凄まじく、マウイが一息ついた瞬間に小さなつむじ風が起きた。彼はモアナを起こさないように手で急いでつむじ風を薙ぎ払った。
つむじ風を薙ぎ払ってモアナの様子を見る。彼女が起きる様子は見せない。マウイは胸をなでおろした。
翌朝には今夜のやり取りは忘れているだろう。
早く太陽が昇らないだろうか。久しぶりに朝がやってくる時間が遅く感じた。