マリーゴールドの軌跡陽気な音楽と色彩に溢れた町サンタ・セシリア。先祖が生者の国に帰ってこられるようにまつる死者の日の夜には音楽コンテストが開かれる。昔、そこで二人の音楽家が生まれた。そんな音楽好きの集まりそうな町に靴屋がある。靴屋を営むのはリヴェラ家だ。この店では先祖イメルダ・リヴェラが築いた伝統を家族代々で大切にしてきた。彼女の伝統には音楽の活気溢れる町にしては風変わりな伝統があった。それは音楽禁止。近所の人であれば、その周辺で音楽を鳴らそうものならサンダルや靴が飛んでくることは暗黙の了解……であった。そう、一年前までは。
死者の日の前日。リヴェラ家の祭壇の前に一人の少年がいた。少年は腕いっぱいに抱えていたマリーゴールドを祭壇に丁寧に飾り立てた。
「えほっ」
マリーゴールドの香りが小屋の中を満たす。その香りは少年がむせるほどの芳香であった。
「よし」
少年はバランスの悪いロウソクを立て直した。
「写真が燃えたら困るもんね」
少年は先祖たちの写真に対しエクボを見せた。
「今年はお供え物をちゃんと持っていけると思う。ひいひいおばあちゃんも……」
去年の死者の日を思い出し、少年は苦笑いした。考えてみれば、あの日はみんなお供え物を持っていくことができなかったのだ。骨を折るような騒ぎを起こしてしまったことを少年は改めて自覚した。
「……ひいひいおじいちゃんもね」
去年の死者の日が自分、ひいては家族の運命を変えるとは思ってもいなかった。音楽禁止を頑なに守ってきた家があの日以来変わった。この一年で楽器の練習を始めた家族もいる。いとこ二人はそれぞれアコーディオン、ヴァイオリンを始めた。
「そういえば衣装を仕立ててもらったんだ。僕だけだよ」
優越感を顔に出して少年は言った。だが、直後で彼の顔が曇った。
「ダンテは元気かな」
少年は町中で一緒に遊んでいた野良犬ダンテのことを思い出した。アレブリへになったダンテとは急な形で別れることとなってしまった。この一年間で一度もダンテを見ていない。死者とは異なるアレブリへであってもマリーゴールドの道がなければ渡ることができないのかもしれない。
「居心地がいいだけだよね、きっと」
死者の国での先祖たちの住まいを見ることはなかったが、あの美しい場所ならきっと居心地も良いだろう。食べ物はもちろん、骨にも困ることはない。あの大きなヒョウのアレブリへとも上手くやっている……はずだ。
「ママ・ココ」
少年は他界した曽祖母の名前をつぶやいた。彼女は両親と無事に会えただろうか。曽祖母にあの歌を聞かせたあの瞬間。まどろむような瞼が優しく開いたときを今でも覚えている。瞳に光が宿ったあの表情。少年は彼女がこの世を去ったことにまだ実感が湧かずにいた。曽祖母が記憶を取り戻してからの期間はあまりに短く感じた。しかしあの歌を聞かせて以来、少年は曽祖母の話を色々と聞くことができた。今まで秘密にしていた手紙や日記を見せてくれた。彼女の遺品たちは音楽家の父親の軌跡として飾られる運びとなった。その軌跡は皮肉にも、もう一人の元音楽家の悪しき軌跡としても残ることとなったが。元音楽家は『二度目の死』とはしばらく無縁の生活を送るだろう。
「写真はおばあちゃんが用意してくれるよ」
ミゲルは祭壇の頂点を見上げた。祭壇の頂点に飾られている写真には幼い日のママ・ココ、彼女を膝に乗せる母親のイメルダ、そしてママ・ココの父親であり、偉大なる音楽家ヘクターの姿が写っていた。
「でもママ・ココは小さい頃の写真もある。だから写真立てが割れちゃってもママ・ココなら渡れる……かも」
幼い曽祖母とその両親の写真を見つめて少年は笑った。
「あと、今年から会える楽しみが一つ増えるよ」
少年は先祖たちの写真それぞれに視線を合わせた。そのとき赤ん坊の泣き声が彼の耳に届いた。
「ミゲル!ちょっとお願いできる?」
「うん!」
幼い新しい家族、そして母親の手伝いを求める声に、少年──ミゲルは外へ出ようと戸を開けた。