眩い光珍しく太陽が億劫そうに落ちていく夕方、モアナは島で一番高いであろう山の頂に登っていた。ある相手と待ち合わせの約束をしていたのだ。モアナはその相手に船の修理で相談するつもりでいた。
「マウイ?」
モアナが山の頂まで登った瞬間、男が横たわっていることに気がついた。並外れた体格とタトゥーの持ち主だ。屈強な歴戦の英雄マウイだ。しかし、今の彼は険しそうに眉を潜めている。
「大丈夫?」
モアナはマウイに呼びかけた。見たところ、彼の体に傷は見当たらない。モアナは胸をなでおろした。
「みんなの英雄さーん?おーい」
しかし一向に返事はない。代わりに返ってきたのは低い唸り声だった。これは早く起こした方がいいかもしれない。モアナはマウイを起こそうと試みた。
「よし」
モアナは大きな声でマウイに呼びかけたり彼のまつげを指で撫でてみたりした。彼女はマウイの体を揺らそうとしたが、その巨体を動かすのは一人の力では不可能に近かった。もはや無理に起こさず起きるのを待った方がいいかもしれない。だが、険しそうに寝ている状態を放置させてもいいものだろうか。モアナはマウイが悪夢を見ているように思えて気が気でなかった。
ざぶん。柔らかな衝撃とともに視界が美しい淡青色で満たされる。視界とともに耳や鼻も空気から遮断される。突然のことに判断が鈍る。口や鼻から大量の空気が泡となって消える。沈んでいく体に対し、大量の泡が上っていく。焦りが募る。自分にはヒレやエラもない。泳ごうともがいたそのとき、体が何かの力で引き上げられた。じわじわ侵食するような閉塞感から解放された代わりに硬い衝撃が背中に走った。気がつけば、木でできた甲板の上にいた。舟だ。舟には既に乗船している者がいた。夕焼けのように鮮やかな装いを纏った少女と深緑色の小さな鶏だ。
「はじめまして、あなたの名前は?」
彼は少女に返事しようと口を開こうとした。
「あっ、わたしの名前言ってなかった」
少女は咳払いして顔を引き締めた。
「わたしはモトゥヌイの──」
少女が名乗ろうとしたとき、眩しい光が視界を独占した。目を開けていられそうにない。彼は反射的に目を瞑った。
「あっおはよう」
光が落ち着いて、まぶたを開ける。視界の先には先ほどの少女と同じ顔が目の前にいた。少女は笑顔を浮かべていた。
「モアナ」
マウイは少女の名前を呼んだ。夢とは不思議なものだ。見慣れたはずの彼女の名前をどうして忘れていたのだろう。モアナは巨大な葉を持って彼の頭の上に日陰をつくっていた。しかしモアナの両手に持っていた葉の位置がずれてマウイの顔に柔らかな日光が差し込んだ。
「眩しい」
「その様子なら自分で日よけできるんじゃない?」
モアナは自分の持っていた大きな葉をマウイの手に押し付けた。彼の大きな手では日よけに使っていた葉が小さく見える。モアナはマウイの険しい表情が解けて心底ホッとした。そして、彼女は自由になった両腕を組んで考え事を始めた。
「あとは……そうね、太陽に相談するのはどう?」
モアナは再び笑顔を浮かべた。マウイは横になったまま、彼女から受け取った葉を自分の顔に乗せた。
「こうした方が早い」
「そう?」
モアナの表情は分からなかったが柔らかな口調に聞こえた。
「あ、そういえば船について相談してもいい?」
「もちろん」
彼女は気づいていないだろう。マウイの言葉が太陽ではなく彼女の笑顔へ向けられていたことに。