数多の贈り物モアナの誕生日が近づくなか、島は祭りの準備で大盛り上がりだった。島にいる者たちは和気藹々と活気に満ち溢れている。今滞在している島が自然豊かな島だったことも幸いし、長い期間をかけて祭りを行うことになった。それだけに準備も早くから始まっている。モトゥヌイにいた頃よりも大規模なお祭りになりそうだ。主役のモアナは祭りの準備の監督をしている。しかしこれまでにない大規模な準備の為、彼女の両親も監督の補助を担った。
村人たちが木につける飾りの細工に工夫を凝らす。飾りは貝殻や骨を加工したものだ。完成した飾りの量がたまると村人たちは分配して担当する場所へと持って行った。飾りはあとで回収され、別の用途に活用される。アクセサリーや日用品として再び無駄なく使われるのだ。
「これを木に巻いて飾る予定なの」
女性がモアナに飾りを見せた。無数大小の貝殻が細長い縄に通されている。縄作りの苦労はもちろんのこと、縄に通すための穴開けにも苦労したことだろう。
「時間かけてたものね」
「ええ、渾身の作品よ」
女性はそう言って腕を回した。そのとき、彼女の腕の骨が大きく鳴り響いた。
「ほら、腕もそう言ってる。聞こえた?」
目をギラかせる彼女にモアナは怯みそうになった。充血した目、クマのできた下まぶたを見ると寝ていないのかもしれない。
「休憩したいのかも。無理しないでね」
モアナは女性にいたわりの言葉をかけた。
村の子供たちも大忙しだ。子供同士で贈り物の交換もする。親の仕事も手伝いつつ、それぞれ贈り物をお手製で作っているのだ。タパに絵を描いたり、植物や貝殻でアクセサリーを作ったりしている。誰に贈ってもいいように熱が入っていた。たまに今詰めすぎて知恵熱を出してしまう子供もいたが。作品を完成させた子供は袋に贈り物を詰めていた。
モアナは浜辺に向かう途中で砂の人形を作る子供達を見かけた。砂を固め、貝殻や小石、枝を使って顔や腕を作っているようだ。製作ペースは短いらしく様々な大きさの人形が並んでいた。
「お疲れ様」
モアナはサーフボードを作っている男性に声をかけた。今は木から削り出した板に油を塗っている。その腕は素晴らしく、サーフボードのツヤがムラなく光る。仕上げを一旦終えて彼はモアナに返事した。
「ありがとう。でもまだ踏ん張りどころかな」
男性が首を上げる。モアナはその先を見た。その先には仕上げが済んだ板や仕上げを待つように並ぶ板が並べられていた。祭りは長期間行われる予定だ。寄り合いで何をするか話し合った結果、波乗りや舟の競争などの競技も開催することになった。近くでは舟の競争に備えて、練習をする者や手入れに力を入れる者もいた。
「舟ならモアナが勝つだろうね」
「うーん……どうかしら?」
モアナは肩を竦め、惚けたように斜め上を見る。彼女の目には風に揺らめく植物たちの姿が映った。モアナは『船を素早く進める』だけなら誰にも負けない自信がある。しかし、『限られた距離を進んで戻ってくる』というのはなかなか難しいものだ。折り返しの舟の方向転換がいい例だ。それに、風を読み違えば遠くまで行きかねない。
「さすが未来の勝者。落ち着きが違う」
「もう」
モアナは照れくささを誤魔化すように背中を丸めた。すると浜辺から女性の姿が見えた。
「口がよく動くわねえ。手も動かしたら?」
女性が茶化すように男性に声をかけた。モアナは彼女に労いの言葉をかけた。女性は返事の代わりに籠をモアナに見せる。大きな魚たちがみっちりと籠に詰まっている。大漁だったようだ。これなら宴の料理だけでなく、干物もつくれることだろう。モアナが目を輝かせる様子に、女性は満足そうな笑みを浮かべた。彼女は籠を抱え直すと男性に再び話しかけた。
「モアナに賭けるって言ってたものね。宴の料理だったっけ?」
「あー!ごめんごめん!モアナ、引き止めちゃって悪かったね。他も見回るのに」
女性の言葉に男性は大声と早口で遮った。
「ううん、気にしないで」
モアナは納得したように目を細め、別の場所へ見回りに向かった。
午後になり、かまどのある方角から湯気とともに芳しい香りが漂う。ふと、豚肉の甘い匂いがモアナの鼻をくすぐった。祭りに欠かせない豚肉の蒸し料理だろう。祭りに豪華な料理はつきものだ。今回はプアを連れてこなくて正解だったかもしれない。プアは鼻が利く。きっとあの鼻なら、この匂いを敏感に感じ取るに違いない。彼女はかまどの料理番たちを見て回っていく。たまに味見をしつつ。
「あの妙な鶏はまだ生きとるのか?」
老人はそう言いながら、石のかまどをくべた。ヘイヘイを食べようと提案した老人である。あの鶏というのはヘイヘイのことだろう。
「け、今朝ならまだ……」
彼の言葉に対して、モアナは曖昧に返事した。ヘイヘイを食べる提案をまだ諦めてないのかもしれない。
「そうか」
彼はかまどの熱の加減を確認する。幸か不幸か、彼はそれ以上ヘイヘイに言及することはなかった。
「モアナ!」
子供たちが大きな袋を抱えてモアナに近づいてきた。午前中、贈り物を作っていた子たちだ。
「どうしたの?」
村の子供の一人が袋の口を留めていた紐を解いた。子供たちは揃いに揃って落ち着かない様子だ。中にはココナッツの殻と枝でつくられた人形、巻貝の飾りやヒトデの形に削られた貝殻などが入っていた。大人たちにも引けを取らない出来だ。どれが贈られても嬉しくなるような贈り物ばかりだ。
「素敵……」
「モアナのぶんもあるけど、それは秘密!」
子供の一人が嬉しそうに言った瞬間、他の子供たちの視線を集めた。失言に気づいたらしく、子供はすぐに口を覆った。
「え、あー……ないよ……モアナの、えっと」
「聞かなかったことにするわ」
モアナは笑いを堪えつつ、子供をかばった。
モアナは袋の中をもう一度見た。彼女の目線が止まる。袋の中に妙なものが入っている。それは枝のようにも見えた。しかし枝にしては随分と黄色く、その先には鉤爪が生えているように見えた。しかも同じようなものが二本あるときている。その根元は緑色の毛に覆われていた。作り物には見えなかった。モアナは黄色い枝のようなものを慎重に掴んだ。枝にしては柔らかい。彼女は手を離さず、それをゆっくり引き上げた。
「……ヘイヘイ?」
モアナはさらに引っ張り上げた。その全貌──鶏の体が見えた。見慣れた派手な鶏の姿。謎の脚の正体はヘイヘイだったのだ。少しぐったりして力がない。袋の中でもみくちゃにされたのだろう。子供たちはヘイヘイを見て、口をぽかんと開けた。
「い、入れてないよ!」
子供の一人が叫んだ。他の子供たちは口を開けたり、顔を見合わせている。何が起きたかわかっていない様子だ。
「大丈夫。ヘイヘイもうっかり入ったんだと思う」
モアナは子供たちに苦笑いを向けた。ヘイヘイを地面に下ろした。しかし、ヘイヘイの足取りはおぼつかない。彼は足に袋の縄が引っかけて転んでしまった。これでは今にでも死んでしまいそうだ。
モアナはヘイヘイを抱えて、午後の村の見回りを全て行った。ヘイヘイは途中でモアナの腕から飛び降り損ねると、どこかへ歩いて行った。彼はスタスタ歩けるまで回復したようだ。その後は夕食をかまどの料理番から一籠分もお裾分けしてもらい、家へと戻った。
「ただいま」
モアナは家の入り口に足を踏み入れた。
「おかえり。あら大漁ね」
シーナがモアナに声をかけて互いの鼻を合わせた。
「まだ始まってないのにね。お祭り」
モアナは母の鼻がくすぐったく感じた。
「こっちも大漁だったんだ」
トゥイが貰ってきたものをモアナに見せた。
「明後日までは困らなさそう」
モアナは父親と目を合わせて互いに笑みを浮かべた。大量の食事は家族で中身を確認し、日持ちのしないものから日を追って食べていくことになった。お祭りの宴はまだもう少し先だ。それまでには消化できそうな量であった。
夕食を終え、夜も更けた頃。両親が寝静まるのを確認してモアナは家から出た。向かう先はこの島で最も高い山だ。おそらく最短で行ける方法を知っているのは島でもモアナ一人だけだろう。彼女は秘密の抜け道を通り過ぎ、山へ走るように登る。彼女がバテる様子は一切なかった。
山頂に辿り着き、モアナは空を見つめた。夜空を遮るように何かが島に近づいてくる。巨大な鷹だ。星や月の光で翼が透け、釣り針の模様が見える。鷹の足には大きな袋が吊るされていた。モアナはそれに気づいて両手を何度も振った。鷹は頂まで近づくと、袋をモアナの隣に下ろして着地した。
「こんばんは、マウイ」
モアナは鷹に声をかけた。
「いい夜だな。モアナ」
鷹、もといマウイは挨拶を返して袋に近づいた。彼は嘴で袋を閉じている紐を咥えて解き始める。紐を硬く結んでしまったのか、解くのに時間がかかっている。
「開きそう?」
モアナの動きをマウイは翼で静止した。彼は足で袋の端を押さえた。固定のためのようだ。さっきよりは結び目がゆるくなっている。
「いや、もう少……開いた」
マウイはどうにか袋を開けた。袋の中には植物の実や種が入っている。数え切れないほどに。ココナッツなどの見慣れたものから見たことのない形の種もある。大地の恵みの数々にモアナは目を見開いた。
「テ・フィティから?」
「今日のこと話したら頼まれた」
マウイは元の姿に戻って首を鳴らした。
「こんなに?あなたの分も入ってそうだけど」
「残念だが、全部お前宛だ。海に頼めばいいのにさ」
マウイは不満を漏らした。
「ヘイヘイにもあげようかな」
モアナは小さな木の実を指で摘み上げた。種なら次の島に持って行く手もある。
「女神の心を二度も守ったニワトリ様だからな」
「ええ。……ん?」
モアナは記憶を辿った。二度?一回目はカカモラのときだろうか。ヘイヘイは偶然飲み込んだだけかもしれない。それでもカカモラの手に渡るまでの時間稼ぎにはなっただろう。二回目はわかる。テ・カァの攻撃で海に落としそうになったときだ。しかし、ヘイヘイがテ・フィティの心を間一髪で拾った話をマウイに話しただろうか。
「ああ、あと」
マウイは思い出したようにモアナに何かを手渡した。モアナは掌に置かれたものを摘んで見つめる。
「これもテ・フィティに頼まれたの?」
「いいや?」
マウイは不敵に笑う。モアナもふざけて笑い返した。
「あら。じゃあ誰からかしら?」
モアナはわざとらしく、手渡されたものをマウイに掲げて見せた。
「お前のファンで、この上なく素晴らしい体の持ち主だ」
マウイは遠回しにそう言った。腕を上げて全身の筋肉を見せつけるようなポーズをとっている。ミニ・マウイも誇らしげに同じようなポーズをとっていた。もちろんモアナには贈り主が誰か見当がついている。マウイがポーズをとるよりずっと前に。
「お心遣い深く感謝いたします」
モアナは脚を屈めて、こうべを垂れる。そして畏まったようにマウイに礼を述べた。
「……なんてね。ほんとありがとう」
「礼は結構」
モアナはマウイに目配せをして、翡翠を月に重ねた。
「これ、どこで見つけたの?」
モアナはマウイのほうに顔を向けた。
「大きい鳥がいる島だ。お前の二倍はあったな」
モアナはマウイの話に目を丸くする。どれほどの大きな鳥なのだろう。モアナはマウイの腰に鳥と戦っている彼のタトゥーがあったことを思い出した。それについて聞こうとしたとき、マウイが話し出した。
「空が飛べないから食料むきでさ。鶏よりも食えるところがある」
モアナは眉をひそめて口をつぐんだ。タトゥーの中の鳥は飛んでいるように見える。話の鳥とは違う種類なのだろうか。
「行ってみたいな」
モアナは顔を上げて水平線を見つめた。海が夜空の星を照らす。日中とはまた違った光景だ。言葉に表せない光景に彼女は見入るばかりだった。
「あの星の方角だ」
マウイは両手でモアナの顔を軽く押さえて動かす。その先にも星々がそれぞれ光を放っていた。マウイは目印になる星たちを指し示した。モアナは星たちを線で結ぶようにイメージして頭に刻んだ。
「今度行ってみる」
「この島からだと遠いぞ?」
「それでも行くわ」
モアナは頷いてペンダントの貝殻を開く。翡翠と貝殻を見比べる。ちょうど入りそうだ。モアナは、長らく空だったペンダントの貝殻に贈り物を仕舞った。マウイが選び抜いた翡翠の美しい緑が青い貝殻の穴からわずかに覗いた。
「ところで」
マウイは地面に座り込んだ。モアナも続いて座る。
「主役が村にいなくていいのか?」
「本番はもう少し先よ?」
「……どうりで」
マウイは小声で呟いた。彼は夜の島を見下ろす。夜の島には楽器やサーフボード、浜辺には競走用の船が準備されていた。人の姿はなく、とても盛り上がっているようには見えない。鷹の姿で飛んでいるときには、ずいぶんと静かに思えた。日中に祭りを終わらせたのだと思っていたが、とんだ勘違いだったようだ。気難しい表情を見せるマウイを見てモアナはすかさずこう言った。
「驚かせてくれてありがとう」
数日違いだったが祝ってくれたことには変わりない。
「どうせなら月でも取ってくればよかったな」
モアナは眉をひそめた。
「島に収まりきれないわ」
モアナは真面目に返した。彼ならやりかねない。空を持ち上げ、島も引き上げ、果ては太陽を釣り針で引っ張った張本人だ。月を本当に持ってきてもおかしくない。
「海に浮かばせとけばいいさ」
「海が嫌がるんじゃない?」
「じゃあ」
マウイはまだ提案してくる。これでは埒があかない。モアナが口を大きく開けたそのとき。
「星の欠片とか」
マウイの言葉にモアナは口をすぼめた。
「それは……ちょっと気になるかも」
「島に収まるぐらいでいいか?」
マウイは歯を見せて笑った。
「私の掌に収まる大きさで」
モアナは不機嫌そうに即答した。
「冗談だよ、真面目だな」
「あなたの言うこと信じられないもの」
モアナは腕を組んで大げさに唇を尖らせた。ふいにマウイの心臓近くのタトゥーを見ると、ミニ・マウイとミニ・モアナが舟の上で本物の星空を見ていた。当のマウイも星空を眺めている。それを横目に、モアナはペンダントの貝殻を掌に乗せた。彼女はマウイの目を盗んでこっそり貝殻を開いた。中の翡翠が貝殻の裏側に反射して淡く光る。モアナはそれを見て花のように顔をほころばせた。
「お気に召して何よりだ」
マウイがモアナの顔に近づいて満足げに笑った。モアナはマウイの声に驚き、思わず貝殻を閉じた。
「……って言うだろうな、それの贈り主は。そういうやつだ」
マウイのニヤついた表情に対しモアナは小さく唸った。マウイは彼女の表情さえ意に介さず、鼻歌を歌い始める。初対面で聞かされたあの歌と同じメロディだ。それを聞いているうちにモアナの苦笑いが和らいだ笑みに変わっていく。初めて会ったときと同じように。モアナは自分の心臓近くにペンダントの貝殻を下げ戻した。モアナは彼の鼻歌に合わせて体でリズムを取り始める。彼女の髪の毛先が風に優しく撫でられる。彼女は口を開け、歌い始めた。
マウイは横になって目を閉じる。彼はモアナの歌声に合わせるように鼻歌を続けた。モアナは一度聞いただけとは思えないほど歌詞を覚えているようだった。しかし早口のところの辺りに差し掛かりモアナの歌がたどたどしくなる。マウイはそこだけ鼻歌をやめて彼女と一緒に歌い始めた。彼の助け舟だけでモアナはすんなりと歌い上げる。モアナが早口で歌いきると、マウイは再び鼻歌を再開した。モトゥヌイの外で初めて聞いた歌は、モアナの記憶に深く刻まれていた。
気がつけば、ヘイヘイが二人のそばを歩いている。あの急勾配の山頂をよく歩いてきたものだ。マウイは人差し指でヘイヘイの体を撫でる。モアナもヘイヘイの存在に気づいて羽で覆われた体を掌で撫でた。深緑の羽が月や星の光に反射して輝く。ヘイヘイは撫でられたあと二人の間までスタスタと歩いた。そして二人の隙間のところで歩くのを止める。ヘイヘイは首と体の向きを変えた。二人のわずかな隙間を埋める形で鶏が座り込む。風吹く隙間がほんのり温かくなった。
モアナは歌を続けながらヘイヘイの前に木の実を置こうとした。マウイが持ってきたテ・フィティの木の実だ。しかし、既にマウイがヘイヘイの前に木の実を撒いていた。珍しくヘイヘイは木の実に目もくれない。彼の頭は水平線の方を向き続けていた。