騙す シャムロックが、出先で負傷したという。
腕を赤く染め、すまなそうに帰ってきた団長に騎士たちが騒然となるなか、ルヴァイドはすぐさま当人を医務室送りにし、同行していた部下をつかまえ事情を聞いた。もちろん状況をつかむことは留守を預かる者としての義務であるのだが、それ以上に誰がどんな状況であの男を斬り得たのか、知りたいという好奇心が強かった。
「それが―――」
部下の報告をひと通り聞き終えると、ルヴァイドは何とも複雑な表情になった。
早い話が闇討ちにあったというのだ。敵は数名。そのうち2人を捕まえたが、残りは逃げられたとのこと。
しかし、問題はそんなことではない。肝心なのは、騎士団長負傷の原因だ。
*
一行が足をとめられたのは、木の影落ちる暗い小道のうえであった。
「さて。どちら様かな……」
いななく馬のうえで、シャムロックはつぶやいた。
囲まれている。
行く手や背後に立つ黒い影はざっと8人、すでに剣を抜き放ち、殺意もあらわにこちらの様子をうかがっている。ゼラムからの帰り道、砦へはあとわずかの距離であった。
「ご用向きは、まあ、聞くまでもないのだろうね」
シャムロックは剣を抜いた。背後の部下たちもそれにつづく。空気の色が変わり、一気に緊張を帯びる。にらみあうひと時、誰かのひそめた息づかいが、静寂の中でやけに大きくひびいた。
雲が途切れた。
闇に浮かぶ剣に月の光が映えて、ひとりの顔を照らした。鋭く熱をはらんだ目。猫足で、輪を狭めるように迫ってくる。足運びからおおよその強さを読んだ。
(傭兵くずれか)
数では負けているものの、誉れたかき元トライドラ騎士が手こずる理由はなかった。
両者衝突するや否や、シャムロックは素早くふたりの敵をなぎ倒した。さらにひとり、突進してきた男の剣をはじき飛ばす。手首をおさえて逃げだしたその男を、後ろから飛びだしてきた仲間の騎士が追った。しかし、
「うわぁっ」
突如馬がつんのめり、派手な音をたてて倒れこんだ。どうやら、あらかじめ馬封じの鎖をはっていたらしい。地面に投げだされた騎士が呻いている。
「小細工を……」
シャムロックは馬から下り、向かってきた剣をかわして腹に強烈な蹴りをくれた。遠くに弾かれた敵は、そのまま闇に逃げこんで消えた。
視界の隅でよろめき立ち上がった騎士に声をかけながら、辺りで隙をうかがっている連中に、剣を向けて威嚇する。
が、そこで背後から新しい悲鳴があがり、シャムロックは振りむいた。見ると地面のうえで、部下がひとり腰を抜かしている。騎士見習いとして籍を置いている、まだ若い団員だった。
「今行く」
シャムロックはすぐさま駆けつけ、敵との間に体を割りこませた。剣戟の音とともに火花が散る。
シャムロックは受けた太刀を横になぐと、一歩踏み込んでこちらから返しを浴びせようとした。しかし、
(何)
シャムロックは抵抗を感じて踏みだす足を止めた。驚愕して見ると、自分の腰にひっしとしがみつく腕があるではないか。
そして襲いかかってくる敵の第二刀。
「団長!」
(間に合わない)
シャムロックの右手は剣を掲げる代わりに、とっさに自分の脇腹のあたりで震える頭をかばった。そして身をよじって受けた刃は右の肩にくいこみ、ひじに向かって流れた。
*
「出来の悪い笑い話だな」
表情を変えぬままルヴァイドは言った。向かい側には昨夜の騒ぎの張本人が、持ち前の人の良さそうな顔で座っている。
「呆れないでくださいよ。私だって吃驚したのだから」
「しがみついた奴を蹴り飛ばすなり何なりすればよかっただろう」
「そういう訳にもいかなかったので」
うつむきながら白い歯をのぞかせて笑うシャムロックを、ルヴァイドは観察した。
痛む素振りはない。軍服をしっかり着込んでいるので、一見すると怪我をしているようには見えない。事件から一夜明け、半日がたっていた。
昨夜の騒ぎのなか、この男はひとり平静だった。
軍医に服を脱がされた彼の、腕からあふれる血の多さに、ルヴァイドでさえ一瞬意外な気がしたぐらいだった。帰還の際まとっていた軍服に、乱れがなかったせいかもしれない。血濡れの軍服を、この男はまるで新品のように着ていた。
たとえ負った傷が死に至るものであったとしても、この男は襟を整え、背筋をのばして帰ってきたことだろう。きっと、周囲に微笑みすら振りまきながら。
ルヴァイドは、静かにため息をついた。
「どうせあれが説教するのだろうから、俺からは何も言わぬが」
「イオスにはもう、昨日のうちにたっぷり叱られましたよ」
「先程会ったとき、昨夜は疲れていただろうから遠慮したが、今日の夕方あたりにじっくり上申つかまつる、などと息巻いていたぞ」
「えっ。それでは昨日のが本番ではなかったのか……」
頭を抱える男を眺めながら、ルヴァイドは肘掛けに頬杖をついた。
「ありがたく聞けよ。あれの言うことは大概ただしい」
やはり視線は腕にいく。
つかまえた刺客は、いまだ雇い主をはかない。もしかしたら、本当に何も知らないのかもしれない。
それならそれで仕方がない。別の道から探るしかないが、まあ、どうせ「巡りの大樹」に面子をつぶされた連中の誰かだろうとルヴァイドは踏んでいた。
(それとも、この男に、かもしれんな)
ルヴァイドは目を細めた。
遠くから見ているときは、こんな毒のない男を嫌う奴などいるのだろうかと思っていたものだが、側で共に行動するようになって分かった。この男、存外敵を作りやすい。
笑顔で騙す。本人にはその気はないのだろうが、彼の素朴な人柄となつこい笑みは相手を安心させる。この騎士団長は御しやすい、自分の敵には決してまわるまいと油断させる。
そうしてまんまと得た信頼を、彼は裏切るのだ。
民の名の下に、誰にはばかることなく、自由に動く。手のひらで踊るどころか飛び越えて、邪魔をする。きわどいこともけろりとする。
相手が勝手に信じたわけだから逆恨みには違いないが、腹の立つことは確かだろう。
立場と状況はまったく違うが、ルヴァイドも彼に期待を裏切られたばかりだ。連中の気持ちは少し、分かる。
「しかし何にせよ、誰も死ななくて良かった。正直、一時はどうなるかと思ったんですよ」
何が面白いのか、目の前の男はそんなことを言って笑った。
(何をぬかす)
「ルヴァイド」
無言のルヴァイドに、シャムロックが身を乗りだした。
「何だ」
「もしかして、怒ってますか」
ルヴァイドは目をつむった。怒らいでか。
(そうか。―――お前を斬ったのは、賊まがいの三下か)
面白くなかった。
別に強敵が相手ならば斬られてもかまわん、などと言うつもりはない。
だがやはりどうせ膝をつくなら自分か、より強い者に対してであって欲しかった。このルヴァイドが好敵手と認めた男なのだ。格下に負けを許すなど、あってはならないことである。
たとえ原因が純粋な剣の競り合い以外にあったのだとしても、だ。
ルヴァイドは、真っ青になって戻ってきた騎士見習いを思い出した。彼は今頃、団長のマントを踏んで殺害しかけた咎により説教されていることだろう。もっとも当の被害者がかばいだてしているので、そう厳しい責めにはなるまい。
―――つくづく、下らぬ理由で怪我をしたと思う。
下らぬ、というのはルヴァイドが考えている話であって、他の者の中にはまた違った見方をするものもいるだろう。部下を思う気持ちを有り難がって、美談として伝える者も多いのかもしれない。
しかし、ルヴァイドは下らぬと思う。そういう行動自体が嫌いな訳ではないし、むしろ好ましくさえ思う。
ただ、この男が怪我をする理由にしては下らぬのだ。死ぬにはもっと下らぬ。
(だが、この男が死ぬのは、案外こういう下らぬ理由でこそかもしれんな)
ルヴァイドはやけに冷静に、そんなことを思った。
何があっても動じずにかまえているくせに、何でもないことに足をとられてしまう。
ずっとそこにいるような顔をして笑っているくせに、突然あっさり消えてしまう。
何となしに、この男にはそんな人生が似合いのような気もした。
(本当に、ペテン師のような奴だよお前は)
安心などという得体の知れぬものをこの俺に売りつけておきながら、笑って裏切る。
「シャムロック」
頬杖をついていた手をおろし、口をひらいた。目の前の男が顔をあげる。
「数日なら、お前がいなくとも問題はないのだぞ」
「え?」
「仕事の話だ。しばらく休め」
シャムロックは数度まばたきをすると、戸惑ったような顔になった。
「休みませんよ。何ですか突然」
「突然でもない。お前の副官には、先ほど話をしておいた」
「貴方はいつも問答無用だな」
「頑なな上司に対抗するには、これしか術がないからな」
おや、とシャムロックは片眉をあげる。
「貴方の強引さは私のせいなんですか? あとでイオスに聞いてみよう」
「あれも同じことを言うさ。あまり部下の気を揉ませるなよ」
シャムロックは口元に手をやりしばし反撃の言葉を探していたが、諦めたように苦笑した。
「大丈夫なんですよ、本当に……大して痛みもないんですから」
「意地をはるな」
断裂のあとをルヴァイドも見た。
昨夜医務室に駆けつけると、医者に傷口を縫われているところだった。シャムロックは腕をさしだしながらじっと宙を見つめていたが、ルヴァイドの姿に気づくと、首をかしげて小さく笑ってみせた。彼の足元では、あふれたものが床を濡らしていた。
「シャムロック」
いつになく食い下がる同僚の険しいまなざしに、シャムロックは溜息をついた。
「意地もはれなくなったら、私もおしまいですね」
「……」
「冗談ですよ」
そう言うと、この話は終わりとばかりに立ち上がった。椅子に座るルヴァイドの横を通り、ドアへと向かう。
すれ違う瞬間、ルヴァイドはシャムロックの右手を一瞥した。薬品と、血液の独特の匂いがほのかに漂う。
ふいに、ルヴァイドの口から言葉がついて出た。
「俺は騙すなよ」
取っ手に手をかけたまま、シャムロックが振り返った。
「他の誰を騙しても、俺のことは騙すな」
「何ですか、それ」
「お前は嘘つきだからな」
シャムロックは、遠くのものを見るような目をした。
しばし無言で立っていたが、ルヴァイドの背に笑いかけると、
「……騙しませんよ」
ばたん、と扉の閉じる音が部屋にひびく。
ルヴァイドは廊下を行く足音に耳を傾け、完全に消えたころ、ゆっくりと息をはいた。
―――この嘘つきが。