Log20-4 11.**【11/2 いいタイツの日】
「――逆立ちの要領で顎を蹴りあげたんだが、入りがすこし甘かったんだと思う。男は倒れながらもナイフを振り回して、それが僕の脚を掠めた。切っ先が表面に引っかかって、履いてたタイツが一直線に破けた」
「仰向けに倒れたあと、ヨハンが一発、男の顎を力いっぱいメイスで殴った。『起きろ、我は貴様を警邏隊に差し出さねばならぬ』って言いながらむりやり立ち上がらせたとき、そいつが口の中のものを吐き出したんだ」
「僕のタイツが破けると〈星〉の歯が抜けるんだなって、しょうもないことを思った」
はじめに旅装の話題を出したユクシルは「存外、苛烈な男だな」と言って、酒のつがれたグラスに口をつける。その隣でウェズは顔を引きつらせて「そうじゃねえだろ」とぼやいていた。
【11/8 いいおっぱいの日】
やみまるのからだ、はさまった。ぴんち。
かぎりなくえきたいっぽくなってあそんでた。あとのいきさつのせつめいは、しょうりゃく。ことばがおいつかないのだ。
でも、われわれはあるじのちしきをさんしょうして、ひょうげんできる。
あるじのしってることはいえる。あるじのしらないことはいえない。
いまのかんそうは、すぐにいえる。
ふにふに。あったかい。あと、もちっとぷるっとしてる。
あ、かおをあげたら、りえらとめがあったのだ。
【11/14 いい石の日】
「これでいいや」
ところ狭しと机に並べられた中から、セスタは手近にあった水晶を取り、ろくに形や内包物をたしかめず店主に渡した。――ユクシルは彼の買いものに同行し、目眩ましの用途で投げこむための星魔石を調達しにきていた。
「たまには見た目を気にして選んでくれたっていいんだぞ」
つき合いの長い石屋の店主は、品の値段を告げてくる前にそんなことを言った。
「悪いけどしないよ」
「使い捨てるからか?」
「そう。好みのものを選んだら、いざというとき使うのを躊躇うかもしれないからなー」
「代わりに俺が選ぶか」
横から提案してみると、わかってないなぁとセスタは笑う。
「それじゃあ余計に大切にしちゃうからダメだよ」
【11/29 いい肉の日】
「女性の二の腕を語るのは、猥談のうちに入るだろうか」
喰鬼の死骸に囲まれて地べたに寝転がっていると、歳の近い同職の後輩・ユクシルがそう切り出した。
「はは、すけべな話をしてくれとは言ったが、そうくるとは!」
「やわらかい肉をほどよくまとっているのがいい」
「いや言い方」
「俺は好きだ」
「というかこの際だから訊くけど、そもそもおまえってそういう欲あるのか?」
「ある」
「へー。じゃあ魔でも勃つのか」
「子は成せないが、出るものも出る」
「ぶっちゃけすぎだろ」
「ならば、やはり二の腕のはなしを」
「そこはオカズの話だろ。あ、料理のほうじゃないぞ。なに想像するんだ? 好みの二の腕?」
「……二の腕というより、肉付きのいい女性の、非常にぼんやりとした想像だろうか」
「急に歯切れ悪くなったな」
「あまり具体的に思い浮かべないから、どう答えたものかと」
「とはいってもなんかあるだろ」
「髪が長い」
「うん」
「あとは、そうだな。胸は小さくない」
「お、ようやく俺の話ができるとこ出てきたか。やっぱ大きいほうがいいよな。わかるぞ。やわらかいのもいい」
「そういうものか」
「まあ、触ったことないけど」
「十五の〝慣習〟は」
「うまく誤魔化してすっぽかした」
「何故」
「大きい夢があったほうが頑張れるだろ? ちゃんと生きのびて、いつかそのうちド好みの女を抱くんだって思って、ここまでしぶとくやってきた」
「寝ない理由にはならないだろう」
「夢が叶ったら駄目なんだって」
「次もまたしたいと思えばいい」
「……おまえって見かけによらず前向きだよな」
「言われる」
「探しにきてくれたのがおまえでよかったよ」
気力を沸かせるために、くだらない話にも付き合ってくれる人ならざるもの。こころざしが同じであれば、モノは違えどまさしく同志であった。
傷の治りはどうなっているかと尋ねれば、後輩はしずかに「ずいぶん遅い」と教えてくれた。
――うなじには《月》を差し込んでもらっており、腹に空いた傷の痛みが小さく感じる代わりに、首から下はほとんど力が入らなかった。自力で体を起こすことさえままならならず、けがのようすは確認できない。
しかしユクシルの口ぶりからして、もう駄目なのだろう。
レシュアが誇る一族の、知恵と技術の結晶にも、不可能はあるということだ。
討伐対象の喰鬼から今際の一撃をくらい、怪我の状態を確かめるよりも早く、とっさの判断ですぐにそれを飲んだ。
己の星術が治癒系であると、一時的に「己に信じ込ませて」、世界に対して「装う」。時に命を落としかねないほどの体力と引き換えに、傷を治して無かったことにする薬。
その代償は実のところいくらか気力で補える――と討伐人のあいだでは信じられている――ため、近場で討伐を負えた後輩には、迅速な帰還よりも休憩とお喋りの手伝いを望んだ。あるいは、治らないかぎりはレシュアまではもたないと直感で理解していた。
「薬がちゃんと効かなかった理由、なんだと思う」
「おそらく、中身が減りすぎていた」
「皆にちゃんと伝えといてくれよ。こんだけ減ると間に合わないから、くれぐれもこぼすなよって」
涼しい顔でユクシルは僅かにうなずいた。表情がまるで変わらないのは、こういうときにありがたいものである。辛気臭い顔をされては堪えただろう。
……だんだんと、呼吸が浅くなってきた。
「さ、そろそろ行った行った。喰鬼が来るのも時間の問題だろ。おまえはやつらがご馳走に夢中になってる隙に、安全なところからしっかり仕留めろ」
レシュアへ遺体を持ち帰るのは厳禁である。
腐敗に関わらず、喰鬼は屍のにおいを嗅ぎつけて、必ず追ってくる。
喰鬼の巣に飛び込んだ討伐人ならなおさら、死を纏えばまちの石畳は二度と踏めない。
仲間の討伐人はその遺体を燃すか、放置するかの二択を迫られる。ただし前者は火事に繋がる可能性がない場合に限られ――林のなかでは、選択肢は無いも同然であった。
「自分の命は自分でけりをつける。術は使えそうだからな。ああ、左足のアンクレットは先に持っていってくれ。形見だ」
「確かに。……そのうえでひとつ、提案が」
「どうにかして背負ってくとか言うなよ」
「棺あれば密封して、あるいは可能だったか」
「おい笑わせるなって。もう苦しいんだから。で、なんだ」
とうに覚悟を決めた身だった。悲壮感などもはや縁遠く、普段と変わらない調子で言葉を促す。
月光を紡いだ銀糸が揺れて、右目が覗いた。
「〈虚〉に譲ってやるくらいならば――」
〝口〟を閉じて、ゆっくりと後ろを振り返る。
死のにおいに集まった無数の異形たちと目が合った。
「もう無いぞ」
間にあったところで、虚ろにくれてはやらないのだが。
――残るはずのない苦みを舌に覚えながら、〈静寂〉は闇夜の帳を下ろした。