桜色舞う頃、私は。春子には叶えたい夢があった。それは家族を作ること。
もちろん眉子ママやリュートも大事な家族と思っている、でも自分が母となり夫となる人と子供を育てていきたいという平凡な夢が、心の中で花を咲かせていた。
それはいくつも資格を取っていても、相手が見つからなければ叶えることは出来ないもの。
一時は一人で生きていくと決めて、仕事や資格取得に集中していた。でも、そんな中で自分を全て受け入れてくれる人に出会えた。
この人の子供を産みたい、自分の全てを捧げてこの人を守りたいー。
そんな願いを叶えて、五年目の春。
「明日、近所の公園で桜祭りがあるんだってさ」
東海林はネクタイを外しながら春子に言った。
「それは知っています、この間回覧板で寄付を募っていましたから」
春子は背広をハンガーにかけて消臭剤をかけている。
「カラオケ大会に出てみないかって、隣の木村さんに誘われたんだけど、お前も一緒に出てみないか?」
「お断りします」
「何でだよ、お前歌うまいじゃん」
「そんな近所の祭りで披露するほどのものではありません」
「ふーん、優勝する自信がないんだな」
東海林はわざと煽って春子を挑発に乗せようとした。
すると負けず嫌いの春子はまんまと引っかかる。
「出ます!!あなたには絶対負けませんから!!」
すると、リビングの方から大きな声が響いてきた。
「おかーさーーん、お腹すいたよーーっ」
「大地、すぐ用意するから手を洗ってきなさい」
「はーい!」
息子の大地はもう四歳になり、一人でできることもたくさん増えてきた。春子は一年間育児に専念して、その後また派遣として東海林が所長を務める事務所で働いていた。
以前は事務と運転手を兼業していたが、子供が産まれてからは事務に専念している。
春子は手早く夕飯をテーブルに並べて、東海林と大地と三人で夕飯を食べる。
東海林は息子を目に入れても痛くないほど可愛がり、まさに典型的な親バカとなっていた。
「パパー、今日はみんなとなわとびしたんだよ」
「すごいじゃないか、じゃあこのあと公園でパパと一緒にやってみるか?」
「もう外は真っ暗です、やるなら明日にしなさい」
「明日はみんなで桜祭りだろ?」
「えっ!?さくらまつり行くの?やったー!!」
「二人とも、喋ってばかりで箸が進んでないですよ」
春子は時間をかけて作ったブリ大根を1人で味わいながら、はしゃぐ二人を見つめていた。
息子は東海林に似て、天パで目の彫りが深い。将来くるくるパーマとからかわれないかと少し心配だが、この陽気な性格も遺伝しているようなので、杞憂に終わる気もしていた。
翌日、さくらまつりに向かいカラオケ大会の申し込みをした。東海林は二五番で春子は最後となる四二番目となった。
「結構参加者多いんだな、でもじいさんばあさんがほとんどみたいだけど」
「高齢者をバカにしてはいけません、彼らは普段から歌を楽しんで喉を鍛えているのですから」
「バカになんてしてねーよ」
その様子を下からニコニコと見上げていた大地は
「パパとママどっちも優勝してね!」
と、応援の言葉をかけてくれた。
「大地、優勝は一人だけなの。だからママが優勝するのよ」
「こら待て、優勝はこの俺だよ!!」
そうしているうちに、東海林の出番がやってきた。
東海林がセレクトした曲は、布施明の「君は薔薇より美しい」だった。昭和感漂う名曲をチョイスするのが実に東海林らしい、と春子は思った。
少しモノマネも入れつつも、東海林はノリノリで体を揺らしながら歌っていた。悔しいが甘い歌声でところどころビブラートを聴かせるその歌声は素人とは思えないうまさだった。
サビの最後の高音も、空に舞う鳥のように爽やかに響いていた。
東海林が歌い終わると、今までの中で一番大きな拍手が沸いた。東海林は自信満々で春子の方を見つめてウインクした。
それを異臭を嗅いだような顔で返していく春子を、変な顔だと笑う大地。
「どうだ、もう優勝は決まったもんだな」
「まだ大逆転大どんでん返しが待っています」
春子は出番が近づいたので、大地を東海林に任せてステージ裏に向かっていった。
そして、四一番目の出演者が終わりついに春子がステージに立った。
「四一番、大前春子です。アカペラでちあきなおみの『喝采』を歌います」
そう言った途端、客席がざわめいた。
カラオケ大会なのに、アカペラで歌うという無謀な挑戦に誰もが優勝はないなと思った。
ところが、春子の圧倒的な歌唱力と声量に、その場にいた誰もが耳を傾ける。
遠くで遊んでいた鳥たちもステージの上を飛び回っていた。
低い声はセクシーに、高い声は切なげに歌詞の世界を繰り広げる春子を見つめていた東海林は
「…参りました」
と、結果を聞く前に白旗をあげていた。
優勝商品の電気ケトルを抱きながら春子は東海林と大地の一歩後を歩いていた。
「パパとママ、どっちも上手だったよー」
「大地は優しいなぁ、パパも奨励賞だけど紅白まんじゅうもらったからな。あとで食べようぜ」
「やったーおまんじゅうだいすき!!」
両手を上に掲げて大地は無邪気に喜んだ。
そんな姿を見ながら、春子は先がふわふわの伸びた影を踏み続けている。
すると、桜の花びらがどこからか飛んできて
春子の前にひらひらと舞ってきた。
それを手に取りてのひらに浮かべると
その花びらはまるでハートのような形をしていた。
うすくほのかに色づいたピンクはまるで今の幸せを象徴するように。
春子は優しく握りしめて、前にいる二人の間に入り込み頭をくしゃくしゃとかき回した。