カーテンコールをアンコールS&Fにはいくつかのサークルがある。バドミントン、バレー、バスケに合唱…そして劇団だ。
団員は20名ほどで若手から定年間近の社員が年に一回小さい劇場を借りて公演を行っている。
その存在は知っていたものの、公演を観に行ったことは一度もない。
そんな東海林に劇団員の団長である古田さんから出演の打診があった。
「東海林くん、大学の時演劇サークルにいたんでしょ?ぜひ手伝ってほしいんだ」
そう言われて東海林は困惑の表情を浮かべる。
社食で昼食のフライ定食を食べていたら突然話しかけられて、そう言われたのだ。白身魚のフライを箸で持ったまま返事に困っていたら
「今回の劇にぴったりな配役が東海林くん、君なんだ。君はいい声をしているし喋りも上手い」
「いや、褒めてくれるのは嬉しいんですけど…演劇サークルも脇役しかやったことないしもう20年以上も前の話なんで」
東海林は煮え切らない返事をしてしまう、なぜなら演劇サークルにいた時、思い切りセリフを忘れてしまい袖に逃げ込んだ苦い過去があるからだ。
「あ、あと重要なことを忘れていた。うちの渡辺がもう1人出演交渉を行っているんだ、それはね、大前春子くんだよ」
「出ます!!」
東海林は春子の名前を聞いた瞬時に即答した。
「劇団の生瀬さんとは以前農産部で一緒だったんだ」
里中は洗い物をしながらカウンターにいる東海林に話した。東海林は仕事帰りによく閉店前の里中の店に入り浸り、2人で長々と話すことが増えていた。
「そうなんだ、話を聞いていたらさうちの劇団結構人気らしいな」
「そうだね、古田さんドラマにも出たことあるらしいし結構本格的らしいよ」
「マジで!?そんな人がなんで俺に打診してきたのか…しかもとっくりまで」
「で、大前さんは出演するの?」
「それがさ、意外にも二つ返事でOKしたらしい。まぁあいつ演歌歌手もやってたから本当は目立ちたがりやなのかもな」
東海林はお猪口の熱燗を飲み干しておつまみのたこわさを口に運ぶ。山葵のピリッとした辛さが日本酒に合う。
「賢ちゃんも舞台見にきてくれよな」
「もちろん、ちなみにどんなタイトルなの?」
「新解釈・ロミオとジュリエットだ」
そして1ヶ月後、日本橋の外れにある老舗の劇場でS&Fの劇団は新作舞台を上映した。
看板女優の羽野をおしのけ、主演は大前春子、そして2番手には東海林武の名前が書かれている。
「新解釈…一体どんな話だろうね」
「普通のロミオとジュリエットではないことはわかりますね、主演の2人を見たら」
里中は浅野や近を誘い最前列に座っていた。観客も会社関係以外の人も多く特に若い女性が多かった。
「みんな誰目当てなんですかね」
浅野が笑いながら近に話しかけると
「まさか東海林課長…ではないですよね?」
「しっ、もう始まるよ」
里中が言うように暗幕が開き照明が落ちて舞台が始まった。
すると突然ジュリエットの独白から始まる。春子はシルクの青とシルバーのドレスを身にまとい、髪も編み込みで綺麗に結っていた。いつもの春子とも、フラメンコを踊る春子とも少しイメージが違う。
「私はジュリエット、ロミオと恋に落ちました。けれど…私たちはハケンと社員という立場の違う人間どうし、決して結ばれることはないのです…だから、私はロミオに素直になれずいつも本当の気持ちが伝えられずにいます」
そう淡々と告げると、スポットライトがもう1箇所光り、そこには東海林が立っていた。
「ああ、ジュリエット…お前はどうしてそんなロボットのように無表情なんだ」
「ああ、ロミオ…あなたはどうしてそんなにくるくるパーマなの」
「これはパーマじゃねえ、地毛だ!!」
「生まれた時からビッグバンだったんですね」
「うるせー!このお時給ロボット!!」
そして他の登場人物も舞台へと登場し、なぜかドレス姿でパソコンを打っている。
「ねぇ、ロミオってジュリエットのこと大好きですわよね〜」
「いつも意地悪しちゃってるもの〜」
「でもこの世界では、ハケンは社員とは結婚できないルールがありますもの…悲しいですわ」
どうやら本来の話に現代的なエッセンスを加えた話のようだが、明らかにロミオとジュリエットは普段の東海林と春子で演技をしているようには思えない。
ベランダで愛を告げる有名なシーンもお互いをdisりあっていて全くロマンチックではなかった。
「ああロミオ、あなたはどうしてくるくるパーマなの?」
「だからこれは地毛だ!ジュリエット、お前はどうしていつも仏頂面なんだ」
「あなたの顔を見ていたらイライラするだけですが何か?」
「俺もお前と話してたらイライラするよ」
「だったらさっさとお帰り下さい」
「俺はここから見える星空が好きなんだ、邪魔するなとっく…ジュリエット」
これが新解釈…つまりロミオとジュリエットは実はツンデレカップルだったということか。これは果たして面白いのだろうかと里中はチラリと後ろの席をのぞく。
すると観客はクスクス笑いながらも面白く観覧しているようだった。
そして山場のジュリエットが死んだフリをするシーンでは、眠っているジュリエットの前に座り込むロミオが悲しそうな表情でジュリエットを見つめていた。
東海林の表情はなかなかの演技力で、里中も思わずドキっと胸を締め付けられた。なんだかんだいいつつも演劇サークルにいた意味がわかったような気がする。
「ジュリエット…なぜ死んだんだ?おまえは殺されても死なないようなロボットじゃなかったのか?お前みたいなバカで無愛想で変な女…俺しか好きにならないのに」
涙声でロミオが訴えると、ロミオは愛おしそうにジュリエットを見つめてキスをした。
けれど舞台上からは後ろ姿しか見えず、キスしたふりにしか見えなかった。
そして、ロミオが剣を取り出して、胸を貫こうとしている。
舞台は静寂に包まれ、息を呑みながらその後を見守っている。
鋭利な剣先がロミオの体にゆっくりと近づこうとした、その時ー。
「誰がバカですか!!!!」
眠っていたはずのジュリエットが大声を張り上げて起き上がり、ロミオは驚きのあまり剣を落として叫ぶ。
「うわぁーーー!!!!ゆ、幽霊!?」
「私は死んでいません、死んだフリをしただけです」
「そんな煩わしいことするなよ!」
「あなたと結ばれるために死んだフリをして駆け落ちしようと思っただけですが、何か?」
「はぁ?なんで俺と駆け落ちするんだよ、お前俺のこと好きじゃないくせに…」
「ハケンが社員と一緒にいたいと思ったからです。この国ではハケンと社員は結婚できないから…私と駆け落ちしてくださいますか?」
ジュリエットはロミオの胸に手を当てて悲願する。
観客はそれが好きだという意味だと理解しながらその後の展開を見守っていた。
「俺も、ジュリエットと一緒にいたいよ」
そして顔をゆっくりと近づけていくー。
観客は息を飲みクライマックスのロマンスに酔いしれていた。
ブチっ
ところが、その酔いが一気に冷めてしまうかのように、ジュリエットはロミオの髪を一本抜いた。
「頭から抜けてもくるくるなんですね」
「……お前なぁ」
「さあ、早く行きますよ」
ジュリエットはすっくと立ち上がり袖へと向かう。
ロミオは慨嘆しジュリエットのあとを追いかける
「待て!!仕切るのは俺だ!!とりあえずカブでアンダルシアに向かうぞ!!」
ーそうして舞台は幕を閉じた。
拍手の中出演者が登場しカーテンコールが始まる。里中たちは複雑な気持ちでそれを見ていた。
「なんか…カオスな劇でしたね」
「僕たち普段見慣れてるから…ねぇ」
東海林は手を振りながら上機嫌で、春子は相変わらず無表情で直立不動していた。
「…あんな舞台でよかったんですか?」
楽屋で春子が古田に尋ねると、古田は満面の笑みで
「あれこそリアリティのあるロミオとジュリエットだったよ!2人ともありがとう!!」
そして強く握手をする。どうやら今回はリアル感を求めていたようだ。
「でも…芝居のセリフほとんどアドリブですよ」
東海林はもらった台本を開く、そこにはベランダのシーンの脚本が書かれているが、ロミオ『ジュリエットに何か言う』としか書かれていない。
「いやー面白かったよ!会社で君たちのやりとりを見た瞬間からこれだ!と思ったんだ」
ジュリエットの父親役だった渡辺も絶賛している。
「それより、君たち最後のシーンで本当にキスしてなかったかい?」
皇帝役の生瀬が冷やかすように東海林と春子の間に入ってきた。
「そうやんな、あれ絶対チューしとったわ!チューチュー!!」
後ろにいたロミオの許嫁役の羽野も関西弁で茶々入れをする。
「してません、気のせいです」
「そうですよ、まさか舞台でキスするわけないじゃないですか、こんなとっくりに」
「そうです、ハエが飛んできたら当たらないようにはたき倒しますから」
「またハエって言ったな!!この電柱柱!!」
「その王子の服が死ぬほど似合ってないので早く着替えて下さい!!」
「あれ?ここでアンコール始まったかな…?」
古田は不器用な恋愛こそ真理だと言わんばかりに、その様子を興味を掻き立ててて見つめていた。