このあと食事でもいかがですか? 鷹の目でなくともわかる。片側三車線の大通りを挟んだ先にいる男はアーチャーだ。
ランサーの目に
留まった
白髪頭は少しだけ下向きに傾いていた。その顔が向けられた先には小柄な──一八〇を超える身長と比較すればほとんどが小柄な部類だが──初めて見る女が一人。
リンやサクラ、あるいはよく三人一組でいる少女たちとは違う、ランサーの知らない顔だった。年齢は彼女たちよりも上だろう。六車線と行きかう車を挟んだ場所からはその
造作までは窺えないものの、服装や雰囲気から推察した。
「へえ」
ランサーに横顔を向けた二人は和やかに談笑しているようだった。車のエンジン音といった雑音に紛れて会話は欠片も届かない。
すぐ近くにある横断歩道がその信号を青にした。気の抜ける
電子音があちら側へ渡るよう袖を引く。
ランサーとアーチャーの直線上に車が停車。視界の大半を遮った。
日差しが暑い。
雲の散った空には遮るものがなく、日影はランサーから十メートルほど離れた
建物脇にしかない。じりじりと上がる気温が肌を焦がす。
ランサーは乗用車の
屋根越しに眺めたまま動かない。アーチャーは、信号が点滅から赤に変わったところで背を向けた。ランサーから遠ざかる。
彼我のあいだには交通量の多い道路しかないのだから当然だ。横断しない限りは、左右と後方──今のアーチャーからすれば前方──にしか道はない。
駅に向かうのだろう。バスロータリーをぐるりと迂回するように二人が歩く。
アーチャーと、ランサーの見知らぬ女の姿は、割りこんできたバスによって遮られた。
半日が過ぎた。昼間に見た男を、場所を変えてまた見かける。
太陽の沈みかけた夕刻は物淋しさを連れた。商店街の店先に明かりが灯り、影を薄める。
日が伸びたところで開店時間は変わらない。氷だけになったスチロール箱を積んでいると、魚屋の店主からアガリの声を受けた。返事をするために振り返る。その際に、昼間に見かけた男がまた目についた。
アーチャーは、今度は男と話をしていた。
男は見たことのある顔だった。黒髪に眼鏡。姿勢のいい立ち姿は、そうだ、
坊主と並んでいた。いつだったかは忘れたが、記憶にある。
長靴と
前掛けを店に戻す。
明日もまた頼むよとの言葉に「おう!」と答える。
ランサーは大股で店を後にした。ぐんぐん離れて、代わりに白髪頭との距離を縮める。
並べようと努力した後だけは窺える自転車の群れを通り過ぎて「──よお!」黒服の背中に平手打ちした。
「
痛っ──、ランサー!」
「何やってんだ、買い物か?」
アーチャーの首を絞めるように腕を回す。
「では、失礼します。重ねてありがとうございました」
「あ、ああ。いや、気にしないでくれ」
相手の男はランサーの突然の介入に驚いた表情を浮かべたものの、すぐに取り繕って礼を告げた。アーチャーも特に長引かせず会話を締める。
離れていくその背を見送る。
「用件はなんだ?」
並んだ隣の頭から低い声が吐き出された。
アーチャーの視線も顔も、立ち去る男の行く先を向いたまま動かない。男の背を見送って、ではなく──鷹の目の視力ならば判別つきづらい薄暗さの中でも見逃すことはないだろうが──これは、単に、意地を張っているだけだ。ランサーを見ない。
ランサーはしっかり横を向いた。弓兵の顔が近い。
「あ?」
「……何か用があるんじゃないのか?」
私に、と言った。ようやくその目だけをこちらに向ける。
肩を組んで密着しているため、僅かに揺れた
様が感じ取れた。近すぎるから、だろう。視界を占有するせいで、離れた男の背中よりも見えづらい。
ランサーは片眉を上げた。問いかけへの疑問を示す。
「オレが?」
「そうだ」
「おまえに?」
「そうだ」
二度目は強めに肯定された。眉間の皺も一段深い。不審がられている。
組んだ肩から腕を落とす。離れて立つことで向き合った。
訝しがられたところでしかし、出せる答えは決まっている。
「別に用なんざねえが」
〝用件〟と言うからには頼み事の有無を問われたとみていいだろう。ランサーに思い当たるものはない。
「……昼間、熱烈な視線を感じたんだが」
疑問の
出所は
己自身だった。
気づかれていた。別段隠すつもりもなかったため、驚きはない。アーチャーと六車線越しに目があった覚えはないが、サーヴァントはサーヴァントの気配を感知できる。
まあな、とランサーは頷いた。ただ見ていただけで他意はない。用もない。
返事を聞いたアーチャーは妙な
表情をした。無理やりに物を食わせられたような、何かを含んで飲みこみにくくしている顔だ。
「なんだよ」
「……、いや」
顎を撫でた。手を下ろす。
上下ともに黒一色の男は、すっかり暮れた世界で影のように浮いていた。
「さっきの野郎は」
もう見えない背中に向けてちらりと目をやる。
「いっせ、……彼は、ドミノ倒しになった自転車を一人で起こしていたからな。見かねて手を貸したんだ」
「はー」
「なんだその返事は」
睨まれた。
いんや、と肩をすくめて返す。
「ナンパは失敗か」
「は? ……邪推も甚だしいな。昼間の彼女はヒールが折れたところを助けただけだ」
ナンパではない。君じゃないんだ、と
一言多い。
遠目に見た女は歩き方がおかしかった。どうせまた人助けに手を貸しているのだろうとは予想していた。改めて言われなくとも思ったとおり。
ランサーは昼間のことを言ったのではなかったが、誤解されたままでも支障はないと放置した。
アーチャーが歩き出す。誘う気配につられて隣に並ぶ。
「飲みにでも行くか」
「お、なんだ。珍しいこと言うじゃねえか」
「おごらないぞ」
「おまえさんが
金持ってるほうが意外だね」
「人聞きの悪いことを言うな」
商店街から飲屋街はほど近い。込み入った路地に足を向ける。
これはナンパされたことになるのかね、とランサーは胸中でひとりごちた。