15秒のジレンマS&Fが大々的に売り出そうということになった健康乳酸飲料『CHO』の試飲会が行われていた。
社員たちに500mlのペットボトルが一本配布され、各々口にする。
この商品の開発は飲料課が行ったので営業部は直接関係ないのだが、売り出すために大手スーパーや百貨店などに売り込みに行かなければならない。そのためにもどんな商品かを頭に叩き込むのは当然のことだ。
「美味しい!」
「飲みやすいですね、甘すぎないし」
そんな声を拾いながらも、東海林は諭すように立ち上がり話し始めた。
「君たち、そんな単純な感想だけじゃだめだよ?乳酸菌がどれだけ入っているかやカロリーなんかもちゃんも把握しておかなきゃダメなんだ」
そんな東海林の言葉を刀で斬るように春子は叫んだ。
「乳酸菌がなんなのかも知らないのにドヤ顔で語らないで下さい!」
「何だよとっくり、じゃあお前は知ってるのか?」
「乳酸菌は発酵によって糖から乳酸をつくる嫌気性の微生物の総称で腸内で悪玉菌の繁殖を抑え、腸内環境を整える働きがあり、人体に有益な菌のため「善玉菌」とも呼ばれます」
「お前そんなことサラッと言えるのすごいな!」
「とにかく、営業回りをするのならこのくらい何も見えずに言えるようになりなさい!」
春子に論破されて東海林はやけくそ口調で
「うるさいな、わかってるよ!!…この乳酸菌が腸に届いて…お腹も超スッキリ!!ってな」
なぜかCMキャラクターのようにペットボトルを片手で持ち爽やかに笑うと、春子は鼻をひくひくさせながら
「寒くて凍え死にそうです…」
手に息を吹きかける仕草で寒さを体現すると、東海林もまたカチンときて
「ここは冷蔵庫じゃねぇ!!」
怒りを喚く声がフロアに響いた。
周りはいつものことかと様子を伺いつつも仕事に戻ろうとしていると、奥からカツカツとハイヒールを鳴らす音が聞こえた。その音に訪問者は女性だと気がつき思わず目線を移す。
そこには12センチのヒールを履いたグレーのパンツスーツを身に纏った女性が立っていた。
首に下げたプレートが来客者用になっていたのを見るとどうやら社外の人らしい。
その女性に気がついた東海林は、用件を聞こうと近づこうとすると女性は自分から駆け寄ってきた。
そして近くまで来るとまじまじと東海林を上から下まで視線を往復させこう言った。
「私、広告代理店の102に勤める福山と申します。あなたCMに出てみませんか?」
「は?」
東海林は間抜けな返事をして、春子や周りの人間はざわつきその場はしばらく激動の渦に襲われた。
福山という女性は広告部と『CHO』のCMコンテについて打ち合わせをしていたらしい。そしてCM出演者について相談していた際に「主演は社員から選んでみてはどうですか」と話し合っていたそうで、社内を回って適任者を探していたらしい。
「どこをどうしたらくるくるパーマをCMに使おうと思うのでしょう…」
春子はまるで競馬で全部スってしまったような人のようにため息を吐きながら呟いていた。
「お前、ぶしつけすぎるだろ」
東海林は言い返しながらも顔がニヤニヤしている。今なにを言われても怒られないほど浮かれている状態だった。
「明日の夜早速の早速打ち合わせだってさ、帰りに美容室寄ろうかな〜」
浮き足立っている東海林を周りも僅か呆れ気味に見ていて、聞こえないようボソボソと
「きっと全身タイツで乳酸菌になってすべりだいを滑るとかそんな内容じゃないか?」
「いや、髪の毛を大腸に見せかけるかもしれないぞ」
ひどくぶしつけな予測を立てていた。
そして1ヶ月後、CMの完成披露会が社内で行われた。
営業部の社員たちはどんな面白CMかとワクワクしてる、もちろん春子もどんなお粗末なCMか拝んでやろうかとモニター画面を見ていた。東海林だけが満足そうな表情を浮かべて腕を組んでいる。
「俺の頑張りをみんなに見てもらえて嬉しいよ、これが地上波に流れるなんてなぁ、芸能界からスカウトでもきたらどうしようか」
そんな東海林をしらけた目で見つつも、モニター画面が光ると一斉に目線を移し映像にかじりついた。
そして、そこへ映されたものはー
「おはよう」
寝起きの東海林がパジャマ姿でリビングに入ると
「超おはよう!」
「超おはよう!」
娘と妻らしき相手役がCHOを片手に挨拶をする。
「超?」
不思議そうに顔をしかめる東海林を見つめた2人は
「そう、CHOで大腸も超いい感じ!」
声を合わせてカメラ目線で笑う。
「乳酸菌でCHOいい感じ、S&FのCHO」
東海林のナレーションが入り家族みんなで笑いながらCHOを飲む3ショットでちょうど15秒になりCMは終わった。
「………」
CMが終わり、周りから声が上がることはなく誰もが反応に困っていた。
それを見て、東海林は自分から感想を求めた。
「おい、お前たち何か言ってくれよ」
「…いや、普通のCMですね…」
「普通って、俺頑張って演技したんだぞ」
「まぁ、普通の家庭でしたね」
「CHO飲むところなんて10回も撮り直してお腹こわしたんだからな」
そう言われても、面白CMを想像していたメンバーたちからすれば、あまりにも普通すぎてコメントが見つからないのだ。
「もういい、お前たちじゃ話にならない!とっくりお前は……っていねーのかよ!!」
さっきまで横で見ていたはずの春子がいつのまにか消えていたのだった。
春子は女子トイレの手洗い場で佇んでいた。
さっき見たCMが頭の中で嫌でもリピートされていく。
「私としたことが…こんなことで」
画面上で奥さんと子供と一緒に笑う東海林の顔が、春子の胸にナイフのように刺さった感覚に襲われる。
東海林のことなんてなんとも思っていない、むしろ嫌いなはずなのに。
CMを見てどんな嫌味を言ってやろうかと意気込んで見ていたのに、まさかこんなにやられるとは思わなかった。
あの人も、そのうち誰かと結婚して幸せな家庭を築くかもしれない。その時自分は正気でいられるのだろうか。
春子は鏡に映る今にも泣きそうな弱った顔を見つめて
「情けない顔…」
そっと呟き、目を閉じて10秒心の中で数える。目を開けたらまたいつもの感情を殺した自分に戻ろう。そして東海林に悪評を叩きつけよう。
10秒後、春子はレストルームから出て真っ直ぐ営業部のフロアへと向かった。