300年学ばない恋城下町に潜んでいるファウロン曰く。
イーヴは度々国を捨てるようにアストルティアに行ってはふらりと帰ってくる。
かつての家臣団は、イーヴ様は外への関心力が強くアストルティア侵攻の際はそれが役に立つだろうと特に咎めもしなかった。
迫害されたサラジャン曰く。
エルガドーラ様は基本あまり国民にも家族にも甘い顔をしなかったが。
ふらりとイーヴ様がゼクレスへ戻ってくるたびにその顔は怒りに歪んでいたという。
かつての家臣団は、国を捨てるようにアストルティアへ出かけ、思い出したように国へ戻る夫など、憎まれて当たり前だと特に気を止めなかった。
セーリア曰く。
父、ラーディスの家庭教師として度々ヴェリナードを訪れていたウェディの男がいた。
ウェディなのにやたらとアストルティアやウェナ諸島のことを聞いて、セーリアは不審に思ったこともあった。
しかし、父も娘もそれを詮索する気が起きなかった。
今思えば、あれは、まやかしの術にかかっていたのかもしれない。気がするだけだが。
「あなたは」
オーディスを自称家庭教師のウェディの男の話し相手に取られて小1時間。
男にしかわからない話ばっかで、私のかわいいオーディスを返してください!と詰め寄らんばかりの圧。
「なんでもありません」
声をかけられた男。
シリルが首を傾げると、拗ねたようにふいっと顔をそっぽに向ける。
セーリアの中に、一瞬、何か、忘れていたような記憶が蘇ろうとしていた。
そう、父と、この男のような家庭教師がいて。
自分も娘だからと、そこにいて。
「セ、セーリア…そんな怒った顔をしないでくれないか」
「ふん!私がいながら殿方だけしかわからない話で盛り上がって…城下町の美味しいパンケーキを奢ってくれるまでゆるしませんから!」
「わ、わかったって。だからそういう顔をされると、かわいくて、すまない、困るから機嫌を直してくれないか。ああ、シリル先生。今日はありがとうございました。そうだ。今母上と父上のところにヒューザが顔を出しているので挨拶にでも」
「へ」
瞬間、間抜けな声。
完全に隙をつかれましたという顔。
チラリとセーリアはその顔を見て。
掘り起こしかけた記憶が、朧げながら蘇っていく。
「先生。本日はありがとうございました。」
父が礼儀正しく頭を下げるとウェディの男はこちらこそ毎日楽しいお話をありがとうと微笑む。
「そうだ。いまリューデが先日ヴェリナード領に出た魔物の討伐報告にきてる。いまならまだサロンにいるから顔を出してきたらどうだ?憧れの友達なんだろう?」
「へ?」
「俺はリューデに褒美の品を用意しないといけない。いくよ、セーリア」
同じ。
瞬間、不意をつかれた間抜けな顔。
そのあとは、どうだったかしら。
「ああ、ありがとうオーディス!彼には滅多に会えないからね!」
「ははは、そうでしょう?僕も会うのは久々でね」
ぱっと顔を明るくして。
久々に会う友達じゃなくて。
まるで愛おしい人に会いに行くみたいに。
同じ。
「300年。」
足取りを軽くするシリルの後ろ姿を見送りながらセーリアはつぶやいた。
あれから。300年。
長かった?短かった?
「セーリア?どうしたんだ!朝ごはんのなにかがあたったのか?」
見知らぬはずの人なのに。
私は見知らぬ他人のはずなのに。
どうして泣いてしまったのか。
ナクリン曰く。
これは前王派の誰にも話してはならぬこと。
ゼクレスにエルガドーラによる結界がはられる前日。
エルガドーラの私室の前で口論を聞いた。
国を捨てたようにアストルティアへと出ていき。
思い出したように国に帰る国王。
そんな王を夫に持ち。文句が出ない妻などあり得るだろうか。
エルガドーラ様も不運な方だ。
イーヴ王の愛は確かなものだと周りが信じる中、自分の隣にいる時間など少ない。
「お前はなぜこの子を連れて行こうとする!」
「お前だけじゃない。エルガドーラ。君も一緒に」
黙れとエルガドーラの声が聞こえた後乾いた音が聞こえる。
エルガドーラがイーヴの頬をうった。
「私には、この子しかいない。貴方の帰りを待ち続ける確かな理由」
「だからもうそれは必要がない。」
ガタンと大きな物音。
いつもそう。
家臣としては無事に帰ってくるだけでも。
お姿を見れただけでも安堵する。
しかし
我々とは違う夫婦という形のお二人は違う。
それだけでは。
故にそうなるのは当たり前だろう。
「連れて行くな連れて行くな連れて行くな!」
呪詛のようにエルガドーラが言葉を吐く。
とりつくしまがなくなったのか、イーヴ王のため息が聞こえて。
エルガドーラの私室の扉が開く音が聞こえて咄嗟に隠れてしまった。
翌日。
国を捨てる王は王ではないと鬼の形相でサラジャンに結界を張るように命じた。
ジェグロド曰く。
イーヴ王がふらりとアストルティアに行って戻る頻度は相変わらずだが、近頃、戻ってきた直後に顔が明るくなってる気がする。
それもほんの一瞬のことだったか。
ゼクレスという狭い世界の外側に広がる世界はそれだけ広く、見聞を広めるためには魅力的な世界なのだろう。
ふと気づく。
耳元に見慣れない装飾。ピアス。
「アストルティアのお土産ですか?」
イタズラっぽく聞くと、王は一瞬何か打たれたような顔をして。
恐る恐る耳元に手を近づけた。
指先に触れる、青緑。
恥ずかしげなその顔は、幾度か見覚えがある。
城の舞踏会で、婦人方がかつて王に向けた顔だった。
恋慕。叶うことのない。横恋慕。
まさか。
エルガドーラ様がいて。
「すまない。完全に気が抜けていて外すのをわすれてしまった。それにしてもアストルティアは面白いね…。未だ外界には敵対心が多い奴がいる。秘密にしといてくれると助かる」
「承知」
エルガドーラは、イーヴが度々外に出かけること自体は許容していた。
自分の狭い容量なりで。
帰ってくれればいい。最後にはちゃんと帰ってくれれば。
愛は確かにある。愛されてないことはない。
愛されていることを勘違いだと思ったことも。
けれども、女の勘か、数々の女の戦争を潜り抜けたからこそ、わずかなことに気づいてしまった。
気づかなければ。
自分がまだ愚かな妻を演じてられたら。
夢を見る少女のままで純粋であったら。
ベラストル家のあの女のように。
もっと愛らしく愚鈍であったならば!
その口論は一体誰が聞いてしまったのか。
「愛していると言っておきながらその顔はなんだ!何を見ている!何を見て愛していると言っておるのだ!」
心ここに在らず。
というわけではないが、イーヴがアストルティアに関心を寄せる理由が好奇心以外にあるのを気づいてしまった。
「アストルティアにはもう誰も連れて行かせぬ。妾も、アスバルも…もう連れて行くな連れて行くな連れて行くな連れて行くな」
哀れな王妃様。
もっと馬鹿な女でいられたら貴方は幸せだったのに。
誰かが物陰で笑った気がする。
セーリアはふと懐かしさを覚えて王家の書庫を漁っていた。
300年前。あの日の父の日記。
本棚の高いところにあったので研究員に取ってもらって。
日付を見て、読み流す。
ああ、やっぱり。同じだったのね。
リューデの名前を出すと、あの人の死んだような顔が少し明るくなるところ。
ヒューザの名前をだすとシリルが浮ついてしまうところ。
でもあの人は妻と子供がいて。
いつか紹介したいなんて父に言ってたけど。
バサグランデのことで有耶無耶になって、結局見れなかったわ。
今年も無事に銀竜が旅立った。
最後に父と母と一緒にここを訪れたのはまだ物心着く前だったと思う。
それ以来は父も国に帰ってる頻度が少なく。
母もあまり外へ出ない人だったから。
こっそり、一人で抜け出してはここへきて毎年見送っていた。
森の風が髪を撫でる。
笑顔で穏やかな父と母がいて。
普通の家庭。のように見えたことだろう。
その時父は。
母だけを愛していたのか。
それともこの時からすでに。
恋慕に身を焼かれていたのか。
小さな手帳のような日記帳。
父の
アストルティアの滞在の記録。
いかに外の世界が美しいか。
いかに外の世界が広いか。
死後母親の部屋から見つかった小さな日記帳。
そうだよ。
外の世界は広くて美しい。
ページを捲るたびに、短い調査隊としての日々を思い出す。
アストルティアとは別の世界にも行ったんだ。
すごいでしょ。
きっとまだ生きてたら自慢したであろう話。
見つけた隙間のわずかなページに記された苦悩。
「同じだよ」
だれかがいるわけないのに。
ふと、語りたくなった。
基本、勇士であるシェルナーの伝承は
英雄譚として大々的に語られるわけではない。
伝承の昔話程度に伝わるだけの墓標のない英雄。
強さと。輝き。
死んだように職務に就き。
殺されないように媚び諂う同族を見ていた日々。
ぼんやりとした中で、一際輝いた星。
惹かれた理由も
焼かれた理由も
全く同じ。
300年たっても。
同じことを繰り返す。
隣に立てない理由も。
隣に立ちたい理由も。
お互いはっきり振られたわけじゃないけど。
身を焼かれ
こがれて
ああ、いいなあとか。
一度は手を伸ばして諦めたとこも。
父と自分は事情が違うけど。
諦めや振られる理由はほとんど同じ。
ましてやそれを誰にも語らずに静かに埋葬される。恋。
父は。
母と僕を持ちながら、勇士リューデに恋をした。
それを悟った母は怒り、呪いをかけた。
これ以上
アストルティアに何も奪わせないと。
これは、自分自身の想像と推察。
なぜなら、そうである事実がない。
考察するだけの材料はあるが、そうだという事実がない。
「…」
名前を口にする。
かつて父が恋焦がれた勇士の子孫の名前。
300年越しの恋。
父は。
母と僕がいる手前、その恋を埋葬した。
じゃあ何者でもない自分は。
魔なるものと人は同じ場所にいられない。
輝ける英雄譚をどこかで聞ければ満足だから。
魔と人としての変わった友人のままでいて。
たまにふらりと顔を見て、元気だったなんて。
軽口を叩ける、友達。
緩む口元を手元にあった日記帳で隠す。
我ながら諦めが悪い。
意地も悪い。
だからこのままこの恋を埋葬なんてできない。
「好きでいるのは、自由だから」
言い訳。
振り向いてもらえなくても。勝手に好きだったから。で通じる。保険と強がり。
「ヒューザ」
口の中で反芻する。
その名前を意識して模る。
やっぱり。諦めたくないなあ。
「!」
至近距離の頭上を何か大きな飛行物体が掠めた。
頭がぶつかることはなかったが、舌打ちをして飛んでいくものを見やる。
銀色のドラゴン。
そういやあいつが1度だけ話したっけか。
魔界に銀竜湖という場所があって。
竜が一人前になるまで過ごす場所。
「魔界の生き物ってアストルティアにもわたるのか?」
思わず口から出た言葉は、聞かれることなく溶けて落ちる。
「そういやあいつ魔界のどっかの国の王様やってるっていったけど、ちゃんとやってんのかよ…ってなんで今更思い出すんだ」
「300年経っても同じ恋って業なのか学ばないのかどちらだと思います?」
ずずっと音を鳴らしながらジュースを飲んだセーリアがオーディスに語りかける。
「花より団子のセーリアにそんなウェディらしいとこもあっただなんて…」
音を鳴らすなんてはしたないとディオーレがいたら雷が落ちる光景だが、ここは王子の私室。
火急のようがない限り誰も来ないので多少行儀がわるくても許される場所。
「…それより質問だな。うん、まあどんな内容にもよるが」
「結末も始まりも過程も全部一緒。違うと言えば身の持ちよう。既婚者かそうじゃないか」
「独身ならやりようによってはまだなんとかなるのでは?」
「先祖としてはオーディス王子に同じようなたたらを踏ませたくないものですが」
「な、なんの話だ!」
ラーディス王のある日の日記にこのような記述がある。
多少名前はぼかされている、が。
今日はたまたま勇士リューデとあの人が同じヴェリナードに揃う日だった。
お互いの身分が身分ゆえに同じ日に会うことは少ないが、たまたまヴェリナード領にでた魔物の討伐報告に来ていたことを告げればあの人は顔を明るくした。
どこか常に諦めが浮かんでいたあの顔に少しだけ生気が戻るのはリューデの名前を出した時だった。
それだけ友人の存在が心強いのか。
こちらとしても元気つけられることができて安堵する。
いや、あの顔は友人が来て嬉しい。というわけではないだろう。
ウェディの嫌な方向としての勘繰り。
これ以上の話は日記に残すのはやめておこう。
妻子がいるあの人がリューデに恋をしてるなんて。
次に揃ったのは暴君バサグランデ討伐の時だった。
とは言えども、今のヴェリナードでは討伐ができるほどの力もなく、勇士リューデ、同じく勇士のキャット・バルバトの力を借りて無力化した上での封印という不甲斐ない結果。
許してくれ、我が娘よ。
暴君バサグランデ無力化のための最後の会議にリューデだけまだ来ていなかったので城内を探し回ったところ、あの人と二人でいた。
差し詰め無茶はするなと言いに来たらしいが、死ぬわけじゃないとリューデは笑っていた。
声をかけようとして、なんとなく、ウェディとしての勘がいまじゃないと告げる。
やましいことがないのに、物陰に隠れて二人の様子を見ていた。
死ぬわけじゃないといったリューデはあの人にちょいと手招きをして耳元に何かつけた。
思い出。そう言われたあの人は顔を赤くして、まあなんとも恋をしたての生娘のようだと思って妻子もいるのにと笑いが漏れた。
そのあと、あの人もリューデも同じ日に会うことなく。
どうなったのかは知る由もない。
不謹慎ながらできればこの恋が叶うことを。
「300年」
走って追いついたシリルの背。
セーリアは語りかける。
「その恋は、業ですか」
語りかけられた方はうすらとわらう。
その姿は、ウェディか、それとも。
「さあ?同じ間違いを繰り返してるだけかもね」
耳元の、小さなエメラルドが海風に揺れた。