マーブル色にはもう飽きた「コーヒーなんて、お前たち人間一年生にはまだ早い!
って言って俺は止めてたはずなんだけどなぁ。マジで嗜好品の普及って一瞬だな」
「でもそう言いながら手ずからコーヒーを淹れてくれる主さんが僕大好きっ!」
「くっ! 乱、すぐにそうやって主をたぶらかそうとしてくるんじゃないよ! かわいいな!」
「相変わらず短刀に弱すぎですよ、あなた。もう少し貫禄というものが身に付かないんですか」
「主さ~ん、牛乳お持ちしましたぁ!」
「おー、物吉、ありがとな。じゃあ座って待っててくれていいから」
「はーい! ありがとうございます!」
「あと、長谷部。足を崩せ」
「はっ!」
「ねえ、そのやりとり毎回必要? 主さん、面白いから一度足崩させないでいつまでピシッとしてるか試してよ」
「僕も賛成ですね。犬でも自己判断しますよ、普通は」
「貴様らぁ!」
「全くもう。宗三殿、そうやって煽らないでください。乱、失礼なことを言うではないよ」
「仕方ない奴らだなぁ」
そういいながらも、審神者は特に誰の発言も諫めたり、止めたりしない。
そういうところが鷹揚でいいところであるが、のんびりしすぎだとせっかちな刀たちに突かれてしまう要因でもあるのだろう。急ぐだけなら、自分のような刀に任せてくれればいいと長谷部は思っているので、あまり気にしたことはなかった。
そして、今日は久しぶりの「珈琲同好会」なのだ。主手ずからコーヒーを淹れてくれる月に一度のチャンスなのだ。この日を楽しみにしていたのは、憎まれ口しか叩かないが毎回なんやかんやと参加している宗三も同様の気持ちなのだろう。面子が落ち着いたところで、全員の顔を見回した審神者が揃えのカップを出そうと戸棚をごそごそと荒らし始めて、乱が手伝いに跳び出した。いつもの流れに、一期が微笑んでいるのが見えた。
審神者がコーヒーを淹れているところに遭遇したのは偶然だった。
近侍は持ち回り制で、顕現されるとまずは近侍になり主とのコミュニケーションや本丸での過ごし方、人間の肉体の最低限の知識などを身に付ける。長谷部は、早くもなく、遅すぎでもなく、顕現した頃には、まだ本丸のルールは完成していなかった。初期刀の切国はひどく人前に出るのは嫌う性質で事前の話し合いにはいるものの、実質的にはほとんど審神者が業務連絡を行っていた。
それに気付いた長谷部が行動に移すのは速かった。審神者から刀への連絡は長谷部を通じて行うこととなり、刀側からなにかあれば長谷部を通じて切国や前田に話がいき、必要があれば審神者まで相談が行くようになった。これだけでかなり審神者の普段の雑事が減ったため、審神者の仕事の目処が立ちやすくなり、人数も増えてバタバタしていたところで、ようやく一息つくことが出来たのだった。
当然、長谷部もまた顕現当初に審神者の下で人間の動向を学んだ一振りであるが、その時は自分の主が飲んでいる黒い液体がなんだかさっぱりわからなかった。「まだ早い」と言われ続けていたが、長谷部が連絡係として名実ともに本丸に馴染んだある日、夜戦が始まり四苦八苦しながら打刀、脇差、短刀と面子の入れ替えを行いながら毎夜戦いに赴いていた頃、戦帰りで気持ちが高ぶっているところに空きっ腹で余計に眠れず、厨に来ると審神者が湯を沸かしているところだった。
「主。こんなお時間にどうされました?」
「長谷部。夜戦、お疲れ。眠れないのか?」
こちらの問いには何一つとして答えず、手元のカップの上に載せた紙に粉を振るっているところだった。長谷部が空腹で起きていることに気付いたのだろう審神者は、冷蔵庫を開けて何かないかを探し出す。
「主。自分でやりますから! 簡単なものくらいなら、自分でできます」
「へえ、すごいな。そうか、歌仙がたまに食材の減りがおかしいってぶつぶつ言ってるけど、こうやって無くなってくんだなぁ」
「ちゃんと使っちゃいけない食材は使わないですよ。他の奴らのことは知らないですけど」
ピーと薬缶が音を立てたのに、二人して慌てて手が伸びる。先に長谷部がコンロを切ると審神者が小さく笑った。
「炒飯くらいなら作ってやるよ。
あと、コーヒー、飲むか?」
初めて飲んだ日は、興奮して眠れなかった。
カフェインがどうとかではなくて、審神者が自分のためにコーヒーを淹れてくれたということが嬉しくて、朝まで眠れなくて朝一番に風呂に入った。その後、炒飯とコーヒーは長谷部の好物となるが宗三は食い合わせ悪過ぎじゃないですか? と顔をしかめた。
男士たち相手にコーヒーはいまいち受けが悪いと思っていたのだろうが、長谷部に飲まして以降、幾振りかに試していたらしくコーヒーを飲む男士が少しずつ増えてきたところで、乱が発起人となり珈琲同好会が開催されたのだった。
*
「主殿は以前コーヒーを淹れる仕事でもされていたのですか?」
一期がそう問う。彼は乱に勧められてコーヒーを飲んだが、かなり急激にハマった一振りである。他の兄弟たちはほとんどコーヒーは飲まないが、好奇心旺盛で主手ずからという部分に惹かれている乱だけはコーヒーを気に入ってるようだった。一期はブラックを好むが、乱がいる時は彼に合わせてカフェオレにするのを、長谷部は知っていた。
「そういえば、貴方、料理も適度にできますし、手際も悪くはないですよね」
そう続けたのは宗三だ。彼はどんな時でもブラックを好んだが、今の珈琲同好会では人数が増えたため、分配の都合上自動的にカフェオレになるが、それに最後まで文句をつけていた。それでも来るのはやめないのだが。
「俺のは全部人並みだよ。口に入ればいいって程度の。これくらいなら成人で一人暮らししてたら半数以上の人は出来るんじゃないか?
コーヒーも所詮は趣味の範囲内だしな」
審神者は淹れ終わったコーヒーと物吉が持ってきてくれたホッとミルクを綺麗にそれぞれのカップに半分ずつ入れていく。その手つき自体は洗練されてはいないが、確かに明らかに普段からやっている手つきであることがわかる。審神者も本来ならブラック派だ。
「あ、僕ミルク多めでお願いします!」
「はいはい。わかってるよ」
物吉だけは、砂糖も入れるし、牛乳多め。ただし、温度は高めを好む。
この中では一番新しい刀だが、朗らかな性格ゆえか馴染むのも早かったが、味覚だけは独特だった。和物が好まれがちな中でコーヒー、紅茶に惹かれる者も少なくないが、物吉はその筆頭だ。
「はい。長谷部の」
そして、長谷部はアメリカン。濃いのを飲みすぎると胃によくないから、といって審神者から出されるのはいつもアメリカンになってしまった。胃に良くないからと昔牛乳を入れたら身体に合わなかったのか腹痛が起きた。朝まで胃がもたれて気分が悪く顔色が悪いと審神者が心配しよくよく聞いてみるとおそらく食い合わせならぬ飲み合わせらしい。時々、本当に些細な食べ物の組み合わせで体調を崩す男士がいるが、他の食い合わせではなんともなかった長谷部は、乳製品の地雷があることがわかり、それからは要注意刃物となったのだ。チーズもヨーグルトも平気なのに、温めた牛乳がダメでココアも胃痛を引き起こした。考えるのが面倒になった長谷部は普段は白湯を飲んでいる。
「ありがとうございます。ありがたく頂戴します」
「いちいち大げさ。お前たちはちゃんとしたコーヒーを飲んだことがないからだよ。現世に行くと美味しい店がいっぱいある」
「いいな~。ねえ、主さん、いつか僕たちも連れて行ってよ」
「ちょうどいいタイミングがあればね」
「味の良しあしは確かにおっしゃる通りかもしれませんが、そうではありません。
乱が言うように、淹れてくださる方が重要なのですよ」
「大体、そうやってぶつくさ言うわりにそれでもこうして僕たちに振る舞うんですから、あなたもたいがいいい根性してますよ」
ふう、とひと吹き息を吹きかけマーブル色になった表面を揺らした宗三が面白そうに言った。
「そういえば、切国や前田たち初期の面々はいつも誰もいませんね」
以前より気になっていたことを長谷部が思わずといったように言うと、審神者は少し苦そうに笑った。
「第一部隊のやつらはさぁ、鶯丸の影響が強くて、みんな日本茶のほうが好きなんだよなぁ。
薬研なんて初めてコーヒー飲ませた時、苦味にでも驚いたのか噴き出してたもんな。前田のしかめっ面もかわいかったぞ」
その時の様子を聞きたがる乱と一期に促されつつ話してやりながら、いくつかの菓子袋を取り出す。物吉が大皿にバラバラと取り分けて各自が取りやすい位置に並べた。手伝いは脇差が一番頼りになると常々審神者が話しているが、それをそつなくこなすものが多いのは事実だろう。ただ、ここの骨喰はどちらかというと食べることのほうに集中は全振りされているので、もっぱら世話を焼かれるほうなので例外だが。
宗三と一緒に最近あった適当な話をしながら、先ほど感じた軽い違和感の正体に辿りついた。審神者はいくつかのチョコレートからどれを食べようか指を迷わせているところだった。
「切国は、コーヒー好きでしたよね?」
「ああ、あいつはここには来ないよ。
もう飽きてるから」
「飽きた? それはまた贅沢なことですね」
宗三のほうこそ呆れたという態度を隠さない声音で呟く。
長谷部は胸の底から沸き出る怒りを抑えるのに必死だった。
主に対し、なんという不敬な態度だろうか。臣下であるものが、主君に対して抱くには不遜なその態度、すぐにでも叩き直してくれてやりたい。そんな気持ちで胸が黒雲にでも覆われたように真っ黒に染められていく。顔つきが険しくなったのに気付いた宗三がぺしんと長谷部のおでこを叩いた。
「なにをする!」
「なんという醜い顔してるんですか。みっともない」
「ほらほら、お二人とも、こちらのお菓子も召し上がってください。主様のお墨付きですよ」
「そうそう。長谷部は常に眉間にしわ寄ってるからな。甘いものでも少しは食って気持ちをリラックスする方法くらい身に付けといてくれよ」
「は、いや、主がそうおっしゃるなら……」
「無理矢理食べさせられてるみたいですねぇ」
「主君。そろそろ、業務再開のお時間です。この場の片付けは僕にお任せください」
「え? もうそんな時間?」
「おや、本当ですね。乱、我々もこれを頂いたら片付けをしようか」
「はーい」
「僕もお手伝いします。食器は厨にお持ちしますのでこちらに集めてください」
「宗三、余った菓子は短刀たちにあげてきてくれ。小夜も食べるだろ?」
「なら、ありがたく頂きます」
それぞれが飲み終わったカップを盆に載せたり、余った菓子を一つの皿に集めたりとしている中、最後まで物吉から分けてもらったマフィンと冷めたコーヒーを飲んでいるのは長谷部なのだった。
長谷部が飲み終わると、この会は終了となる。味わいすぎて、冷めたコーヒーになってしまうと風味も情緒もないだろう、と審神者はいつも笑うのだった。
*
丑三つ時。
夜戦帰り。戦装束、着の身着のまま、他の仲間たちが真っ先に風呂に向かったのに対して、長谷部は非常に喉が渇いていたので、先に厨に向かった。厨には灯りがついている。誰かの消し忘れか、どこかの呑兵衛がつまみでも物色している最中なのか。比較的、主が仕事が詰まっている月末の繁忙期以外は規則正しい生活をするほうなので、本丸全体としても夜戦組以外は就寝が早いほうである。珍しいこともあるものだと、中に足を踏み入れた。
「誰かいるのか?」
「長谷部か。出陣おつかれ」
「切国か? 珍しいな」
兄弟刀の堀川がこの初期刀や相棒に夜食を作っているのはよく見かけるが、本刃がいるのは長谷部の記憶にはあまりない。
昼に感じた怒りは、先に喉の渇きに上位を譲っており、今は布に隠された美しい顔の半分が見えても奥歯を噛み締めてグッと堪えることが出来た。長谷部とて、初期刀には色々と世話になった、否なっている身。審神者の一番近いところにいる好敵手であり、先輩であることは事実なのである。
そしてあの時審神者が深く語らなかった「飽きた」の意味を知りたかった。切国がわかるとは思えなかったが。
「どうしてこんなところにいるんだ」
とりあえずなにをしているのかと切国の手元を見ると、かつて審神者が使っていたコーヒーを入れるセットが用意されている。普段は審神者の部屋に置いてあるカップと、厨で誰でも使えるマグカップが並べておいてある。カップの上に載せたドリッパーに香ばしいコーヒー豆が既にセットされていた。
「普段は主の部屋の備え付けの設備で淹れてるんだが、今日の昼の珈琲会で菓子のストックを使ったらしくてな。追加を買うのをすっかり忘れていたらしい。何かつまめるものを探してこいとご所望だ。
ついでにコーヒーも淹れたてがいいとな」
「コーヒー? お前が淹れているのか?」
「ん? そうだが」
「主は、ご自分の分を、自身で淹れられるのに……?」
「ああ、そういうことか。
主の分は今は俺が淹れてる。もう、自分の味には飽きたんだそうだ。他人が淹れたもののほうが、美味いとかよくわからんことを言ってな」
そういう切国の手つきは、昼間に見た審神者の手つきとよく似ている。
きっと、いや、当たり前だが、審神者以外に教えられる者がいないのだから、当然の話なのだ。だが、インスタント以外でコーヒーを淹れる者はここにはいない。切国だけが、教授されていたのだろうか。
あまりにもジッと見つめていたせいか、ふと顔を上げた切国が少し困惑した顔で長谷部に問うた。
「ついでに、飲むか?」
「……ああ、もらおうか」
わかった、といってもう一つ適当なカップを用意する写しに、審神者の姿がダブる。
そういえば、背格好は少し似ている。当然切国のほうが体格はいいが、身長は確か審神者のほうが少しだけ高かったはずだ。その普段はどこか頼りなげな口調も、態度も、得意なことや、自覚のある事柄についてはことのほか声が気持ち大きくなって早口になる。そのあと、そんな自分に気付いて二人とも、顔を背けるのだ。相手から。
こんなに、自信がつくほど、審神者にコーヒーを淹れてきたのだと思うと、心底羨ましくなった。
審神者が言っていた「飽きた」というのは、あれは切国のことではなかった。
主自身だ。
主は、主自身が淹れたコーヒーに、本当は、飽きてしまっていたのだろう。
黙って座って切国の手元ばかり見ているのを長谷部が疲れていると思ったのだろう。
思ったよりも手早く出てきたコーヒーは、昼間飲んだものよりも、美味く感じた。