一緒に帰ろう「お時間です。勤務終了ですよ」
その声が、勤務終了の合図である。
「お疲れ様でーす」
「もうそんな時間かー」
「来週もよろしくー」
「おつかれっしたー」
様々な声がかけられて、それにへこへこと社会人時代を思い出しながら会釈を返しどんよりとした空気の詰まった部屋の扉に向かう。出入り口にはオレの前田藤四郎が、いつものようにスッと立っていた。
ただし、その恰好は「現世」と呼ばれるこちらで用意したもので、顕現時とは違うものだ。品のいい私立の小学生のような、ジャケットにシャツ、ベストにジャケットと揃いのハーフパンツに膝丈の靴下とローファーという出で立ちだ。普段と大きく違うのはやはりマントがないことだろう。時折翻す仕草をしては頬を染めるのが微笑ましい。
「それでは失礼いたします」
そういって前田が深く礼をすると、ほとんどの職員が同じように頭を下げる。今オレが現世にいるのは、政府機関への一時的な出向のようなもので、審神者としての見地からの意見と計画の見直しに参加してほしい、という依頼だった。適度な報酬があるが、対人関係が面倒くさいので当初は断ろうとしたのだが、先方がどうしてもというので、一か月だった期間を二週間まで縮めてもらい、その後は遠隔でのサポートを行うということで契約が取り交わされた。大体、一か月も本丸を空けることが出来ない、というのが事実だった。
ようやくその一週間が終わる。
ウィークリーマンションを借り、前田と二人で毎日出勤している。子どもの姿を連れて満員電車に乗るのは嫌だとごねた結果、時差出勤扱いになって帰りの時間が遅くなってしまったのは想定外というか、嵌められた感がなくも無い。本丸にいるとオンオフがつけづらいが、時間で区切るのではなく効率を考えてくれと苦言を呈しそうになったが、引き受けてしまった以上はやらざるを得ないと腹を括った。
当初は慣れない生活様式に前田も不安を抱えた様子だったが、金曜ともなるとすっかりいつも通りである。本当は、この後この職場での飲み会があったのだが、前田が断ってしまった。刀剣男士たちのデータの集約と、各本丸毎に回収されたデータの解析結果を見ながらの打ち合わせやら会議やらに引っ張りまわされ、久しぶりに「仕事」っぽいことをしていて大変疲れていた。普段だってあまり飲酒はしないのだ。甘い物を摘まみながらちびちびと日本酒を舐めるのが好きなので、ますます一般的な飲み会には向いておらず、どうしたものかな、と思っていたところに「申し訳ありませんが、主君は週末には本丸に戻り、そちらでの業務がございます。本来の業務に差し障りが出るため、お断りいたします」とこちらが応える前にさっさと断って反論される前に帰宅してしまったのだった。ありがとう、前田。しかし、そうか、週末にはやはりオレは仕事をするのか、とぐったりする。
「主君。夕餉はいかがなさいますか?」
「明日は本丸に戻るんだろ? それなら今日はまたコンビニ弁当でもいいかなぁ。明日は歌仙の作る出汁まき卵と吸い物が食べたい……」
「歌仙さんが聞いたら、お喜びになりますよ」
しかし、前田と手を繋いで帰宅していたら、途中のいつも寄るスーパーに立ち寄っていた。
「ですが、お食事はしっかり摂っていただきますね」
「はぁ~い」
カゴを前田が持つものの、それは奪ってしまう。いつも不服そうな顔をされるが、そもそもが子ども姿の前田を夜に連れてスーパーに立ち寄っている親子ではない男というのはいつ職質を受けてもおかしくない。カゴなんて持たせられるわけがなかった。
「なに食べたい?」
「僕は特には」
「いっつもそう言う。それが一番困るんだぞ」
料理は得意ではないが出来ないわけではない。今からなにかを作るのは正直めちゃくちゃ面倒だが、金曜だし、前田がいるからがんばってなにか腹に溜まるものでも作るか、と思って生麺を手に取った。
「うどんにでもしようか」
「はい」
帰宅して並んで手を洗ってうがいをする。前田が風呂を沸かしに行ってる間にオレも湯を沸かす。作り置きの麦茶を二人分入れて、戻ってきた前田に手渡す。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
前田にエプロンを着けてやり、準備完了。おあげを買ってきたので、今日はきつねうどんだ。一期や歌仙に知られたら苦い顔をされそうだが、さすがに副菜を作るのは面倒なので買ってきた中華サラダといんげんの胡麻和えのパックを開けていく。
「主君は胡麻和えがお好きですよね」
「え? そうか?」
「ふふ、火曜日はオクラの胡麻和えを食べました」
「そうだっけ?」
湯が沸いたのでうどんを茹でる。前田がセットしたタイマーを横目に丼用の器に麺に付いてきた麺汁を開けた。あとは前田がちゃんとカップに湯を入れてつゆを用意してくれる。あまり熱すぎないうちにつゆ用に沸かした湯の火を切った。
買っておいたネギだけ切っておくと、前田がどんどん使ったものを洗っていく。まるで使っていないみたいに。
簡単だけどちゃんとした味のうどんが出来て、オレは発泡酒、前田は三ツ矢サイダーの缶をぶつけて乾杯した。
『ちゃんと飯は食っているのか?』
「切国は母ちゃんみたいなこと言うよな〜」
後を託してきた近侍の山姥切国広と連絡を取り合う。食後に少し残った発泡酒をチビチビ飲みながら本丸の様子を聞くのは気分がいい。前田がやはり食器を洗ってくれていて、すでにテーブルには食事の跡もない。確かにこれだけ見るとそう言われるのもわからなくはなかった。
「安心してください。僕がついておりますから」
『まあ、そうだな。そのために前田に頼んだのだし』
「誰連れてきても飯は食わせるよ。オレだってさすがに連れがいたらやるって」
『鶯丸や明石あたりではどっちに転ぶかわからんからな』
「でも鶯丸さんは主君の健康にはかなり気を使われてますよ」
『なんなの? お前たち、オレの母ちゃんか」
本丸内で異変はなかったか、みんなの様子はどうだったか、途中で連絡が来ていると気付いた連中が入れ替わり立ち代わりでやってきて、適当なところで明日直接帰った時にな、といって散会した。
「はあ〜、疲れた〜」
「お疲れ様です。この通勤というのは、さすがに堪えますね」
広くない風呂に無理矢理二人で入る。時間の短縮のためだったが、たしかに効率はいい。本丸ではほとんどしたことは無かったが、短刀相手ならいいかもしれない。大風呂にみんなで、というのはあまり得意でないが、こんなに狭いと自然と親密になる。まあ、元から前田は初鍛刀で特に信頼が厚いのだが。
オレは前田の髪を洗うのを楽しみ、前田はオレの背中を流すのを喜ぶ。もう眠いので適当に入って、髪を乾かしてやる頃にはさすがに慣れないことの連続で疲れが出たのか前田もウトウトしていた。
セミダブルのベッドにいそいそと入って、明日の流れを確認する。朝飯は買ってきたのでパンを焼いて、ハムと目玉焼きを乗せることにしようと約束した。こういう時でないとラピュタパンが出来ないので二人でワクワクした顔をする。
「早く帰りたい?」
兄弟たちに長い間会えないのは、前田にとっても初めてのことだ。寝入り端に聞いてみる。そうでないと前田はすぐに使命感に駆られた答えしかくれないから。兄たちと会えないこの一週間、オレに付き添うだけでジッと警護しているのはつまらなくないだろうか。寂しがらせてやいないだろうか。
「いえ、二人で、ずっと、一緒にいられて、短刀冥利に尽きます」
きっと、そういったことを覚えてないだろう。すぐにコテンと身体全体の力が抜けたから。
帰り際、東京駅にでも行ってお土産を買って行ってやろう。寂しがらせたのは、一期のほうかもしれない。前田を独り占めしてしまった礼と詫びを用意してやろうと思う。まあ、まだ一週間あるし。
優しく握られた手のひらをゆっくりと離して、ちゃんと掛け布団をかけてやる。その健やかな寝顔を見つめていたら、気付いたらオレもあっという間に眠りに落ちていた。
翌朝、いつも通りの前田が焼いた目玉焼きが固くて、ラピュタパンがうまく出来なかったと悔やむ姿は、きっとあの兄弟たちも知らない顔だろう。