三池兄弟まとめ①①絶対言わない。
「ソハヤ。今夜どうだ?」
飲み仲間の獅子王からの誘いにふいと同室の兄弟の予定を思い浮かべる。確かあっちはあっちで天下五剣同士で飲むはずだ。そっちがそれなら、俺だって。
「もちろんいいぜ!」
「この父も一緒だ。いい酒を振る舞ってやろう」
「お、そりゃ期待出来るな!」
にんまりと笑みを浮かべた獅子王に同じように笑いかけるも、なんとなく上手く笑えた自信が持てなかった。
「いや、だからな、別に駄目だって言ってるわけじゃねえんだ、な?」
「もー、わかったわかった。ほら、お冷飲めって。大典太に怒られるの、俺ヤだからな!」
「冷やなんてまだ早え〜わ!」
なんて叫んだ次の瞬間には真後ろにゴチンと頭をぶつけて倒れて寝ていた。
「はっはっは! 愉快愉快」
「どこがだ! 地獄絵図っつーんだよ!」
「そうか? 酒の力でも借りなければ貯まった鬱憤も吐き出せんとは、繊細な刀ではないか」
「はあ……、それはまあ、そうだけど」
なにが、というわけではないが、鬼丸が来てから時々ソハヤノツルキがピリピリすることがあった。戦闘中などは霊力というものが全面に押し出されるのか、それは個々人覇気のようなものがあるのであまり気にしてなかったが、本丸の中では朗らかで明るい姿が多いので余計に目立つのだ。それなりに仲のいい獅子王や物吉がコソコソと「今日は良い」「ちょっとダメ」「あ〜、めちゃくちゃダメですねー」などとやっているのにも気付かないくらいには。
理性の強さはかなり本丸上位に位置するだろう。のらりくらりと本音をなかなか言わない友にいよいよ強行手段として深酒を勧めたことに罪悪感がないではないが、小烏丸が主犯なので無視することにした。
いざ飲ませたら出るわ出るわ、兄弟が自分以外と楽しく酒を飲んでいることを受け入れられないとのたまう弟刀の拗ねっぷりが。
聞いているこっちのほうが恥ずかしい。普段は同室なだけで朝晩一緒にいるのは見るが、別段それほどべったり新撰組の刀たちのように大小でいるわけではないのに、想像していたよりも仲はいいらしい。仲間が増えるのはいいことだ、だがそれとは別に俺も構え構われるべき、と本来兄弟に向かって言いたいことをずーっと愚痴愚痴グチグチ、おそらく記憶が残るタイプだったら明日は獅子王と小烏丸には絶対に顔は合わせに来ないだろうと思うソハヤの普段の理性的な顔面を思った。
ここまで泥酔させた側が言うことではないが、本当にちゃんと酒の量の管理が上手かったんだな、ソハヤは。
「相当我慢させてんじゃねえの? 兄弟よぉ」
「……お前の兄弟ではない」
「ま、もう少し遅かったら兄弟失格だったな。及第点だ」
「手厳しいな」
はあ、と同じく酒の匂いをさせながらやってきた大典太にソハヤの飲み残しを渡す。ふん、となにか言いたげにしたものの、結局なにも言わずに飲み下した。ソハヤが弱いわけではないが、大典太のほうが圧倒的に強いのだ。ソハヤ相手だと遠慮しているが、鬼丸相手の遠慮のなさが羨ましいのだろう、と同じくらいの強さの獅子王は別に誰の弟でもないのに、なんとなく弟側についてしまう。酒は楽しく飲むものなのでどちらの気持ちもわからなくはないのだが。
「探したんだ」
「ソハヤを?」
「どこに行くとも言ってなかった。いつもは言うのに」
「ガキじゃあるまいし、本丸の中だぞ?」
「それでも、俺も兄弟も、いつもは言う。言わなかったから、どこにいるかわからなかった」
「……小烏丸」
コイツ、なにかしたな? 確かに鬼丸と呑んでると聞いていたのに想像よりも来るのが早かった。しかし相変わらず小烏丸はほやほやと笑うだけだ。
「さぁて、我にはなんのことかわからぬなぁ」
「霊力でどこにいるかは大体わかるんだろ?」
「ここまで泥酔させたらダダ漏れだ」
しかし、そういう表情は口元だけの笑みなのに眼差しの優しさがより深い。よっこいせ、と決して小柄ではないソハヤを軽々と肩に担いで立ち上がった。その体勢は、飲み潰れた奴には危険なのでは?
「兄弟が世話になったな。馳走になった」
「へいへい。たまにはちゃんと構ってやれよ」
「……余計な世話だ、と言いたいが、まあ、助かった」
「良い良い。兄弟仲良く過ごせば良いのだ。気をつけて戻れよ」
「ああ」
肩に担がれたソハヤの声が廊下の途中で「ヴォエ……」と聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
隣のピリピリした霊力は意外と居心地が悪くないので獅子王は嫌いではないが、それは今後も黙ったままにしておこう。
②仲直りの夜食
この本丸では遠征時には自分たちで弁当を用意する。料理が得意な刀に頼めばやってくれるし、購入しておいたり現地調達や色々な手段があるが、三池兄弟はお互いの弁当代わりに握り飯を作ることを習慣としていた。
時間が合わず作れないことはあるが、雨の日も風の日も、ただギュッギュと飯を握るだけなので相手のスケジュールを把握して作ることを続けていた。
そう、たとえ喧嘩をした日であっても。
大典太は戸惑っていた。
正直もう原因は覚えてないが昨夜ソハヤと大揉めしてお互い不貞寝のように寝てしまった。朝起きたらもうソハヤは居なかったし、自分は朝早くから遠征だ。仕方なしに自分で握り飯を用意しようとしたら、ソハヤと色違いの揃いのバンダナに包まれた弁当が用意されていた。
「あれ? 来るの早くない? 出立まだだよね?」
朝食の準備をしていた燭台切に言われ、なんとも言えない顔で弁当を指さす。
「これ……」
「え? お弁当? いつも通りソハヤくんが作ってたけど、なんかあった?」
「あ、いや、それならいいんだ」
良くない。なんにも良くないのに、その場を切り上げたくてさっさと弁当を持って出てきてしまった。
遠征は穏やかに終わった。
カンスト勢が担うことが多かったので気づけば遠征が太刀や長物ばかりということも多かったが、多くが修行に出たこともあり、現在は極と太刀勢と半々くらいである。久しぶりに縁のある平野と愛染と一緒に遠征だったこともあり、大典太は朝の戸惑いを忘れかけていた。
「じゃあ、そろそろ飯にするか」
そういう隊長の大般若の声が聞こえた瞬間、気まずさを感じた。
「大典太さん、どうしたんだ?」
「どこかお加減でも?」
短刀たちからは俯くと大典太の顔が見えてしまう。しっかりと合った目線に、慣れない愛想笑いを返す。
「いや、なんでもないんだ」
「ぜんっぜん、そんな顔じゃあねえけどな!」
「まあまあ、なにか気にかかることがあるのなら僕たちにもお話しください」
「ああ」
それ以上引き摺らないよう気遣ってくれる彼らには感謝してもしきれない。
恐る恐る開いた弁当はいつも通りの握り飯だった。
ただし、中身を食べるまでは。
一つ目、ひたすらに塩結びが減らない。食っても食っても、容量が減ってる気がしない。いや、実際には減ってるのだが、圧がめちゃくちゃに強い。
これ、一体何合分を固めたんだ……と、一つを食べ切る頃には胃もたれがしてきた。
二つ目。外側は先ほどと同じなんでもない握りだが、中を割り進めると(さすがに中身が怖くなって確認した)、なにか、どろりとしたものが入っている。
なんだ、これは。
「へー、とろろこんぶなんて入ってんの、珍しいなぁ!」
「これ、とろろ昆布か」
「そうみたいですね」
それならば平気だろうとかぶりつくと、美味いのだが、水分が無い。足りない。そして、とろろ昆布の量が多い。してやられた。
そして最後の三つ目。もう食べてるだけで疲れてきたので何も考えずにがぶりといった。
いきなりカツンと歯に当たるものがある。なにかと思って中身を覗くと梅干しだった。それには笑ってしまった。大典太は梅干しは好きだが、ソハヤは種入りのものは面倒くさがって食べない。梅ペーストとかつお節を合わせて梅が食べたい時はちゃんと自分で作るのだ。なんだ、一つは当たりがあったのか、とホッとして食べ進めると、またカツン、もしやと思うが他になすすべがないので次々と進めても毎回梅干しが当たる。いつもは日向が作り置きしてくれている大粒の握り飯用の梅干しを使うが、今回はすべて短刀のお弁当用の小梅だったらしい。やられた。いくつもいくつも種を吐き出す大典太を愛染と平野が呆れたように見ていた。
「ソハヤの兄ちゃん、怒らせたのか?」
「いや、そういうわけでは……」
「きちんと話し合いなさってくださいね……」
「アンタ、今日は随分面白いことになってるなぁ」
何回も水を分けてくれた大般若にまで笑われてしまった。
*
散々な目にあった。
あとは帰るだけだったところに、敵襲があり、対応は簡単に出来たものの、転送ポイントが大幅にずれてしまった。夕方よりも前に帰れるはずだったのが何回かに渡って応戦していたこともあり、怪我はほとんどないものの帰りが遅れることによる疲労が蓄積されていた。
早く帰って、兄弟と話したかった。
実際には自分から謝れたことなど数えるほどしかない。気持ちの整理をソハヤが先につけてしまうのでこちらが悪くても最終的にソハヤが話を勝手にまとめてしまう。それで円滑に回っているといえば回っているので悪いことではないのだが、違うのだ。
怒っているのはソハヤなのだ。その怒りを一人で沈めてしまう術に慣れすぎているのだ。外に向かわない怒りを一人で処理される前にいつもみたいに元気に怒ってくれればいいのだ。いや、実際そうやって喧嘩した結果なのだけど。毎回そうやって健全に自分には向かってきてほしかった。最後まで。
それが、こんな形で出たことに、少しだけ安心した。
自室に帰り着いたのはもう日付も変わろうかという頃合いだった。暗闇に弱い太刀たちのために本丸の廊下は足元に灯りがある。そのおかげで無事に部屋に入ると、部屋の中の灯りも普段より多い。喧嘩などしていなければ本でも読んで待っていてくれることの多い兄弟だが、今日はこちらに背を向けて横になっている。普段は姿勢良く仰向けで寝るので、光が入らないようにか、大典太を見ないようにか。
二人とも暗いところに長くいたのであまり完全な暗闇は好まない。そのため寝る時も豆電球は付けたままだ。豆電球と別に寝る直前まで本を読むときに使っているデスクライトと一緒に、ちゃぶ台の上に、小さな握り飯があった。それとラップのかけられたお椀である。あとは湯を注げば味噌汁になるようだ。
さすがに空腹で、別に厨に行けばなにかあるだろうし、一緒に遠征に行った連中たちも今頃風呂か厨で腹を満たすの二択だろうが、ここまでお膳立てされた夜食に胸が満たされたが、先にジャージに着替えて両手を合わせた。
小さなおにぎりの具は、焼きシャケ、タラコ、ツナマヨだった。味噌汁はインスタントだが、ワカメと花麩が追加されている。一口で全部食べてしまう。ゆっくりと喉を滑り落ちる味噌汁によって胃の腑に溶けるような、実に美味いおにぎりだった。いつもの、兄弟の味だ。
大典太がムシャムシャと食べている間もソハヤは寝返りを打つこともなく、静かだった。別に二人でいる時もうるさいわけではない。大典太と比べると元気があるということだ。それは、とても、いいことだ。
食べ終わった皿を厨に戻そうと持ち上げると、ヒラリと紙が落ちた。
拾い上げると殴り書きのような字で「わるかった」とだけ書かれている。多分、昨日の喧嘩のことではない。今日の昼の弁当のことだ。勢い余ってやってしまったものの、なかなか帰ってこない兄弟にやきもきしたのはソハヤも同じだったのかもしれない。
静かに花びらを散らせながら、耳が赤くなっていたソハヤの明るい髪を久しぶりに撫でた。
「ただいま、兄弟」
「……もう寝てる」
「そうか」
「おう……」
「おやすみ」
明日は一緒に朝食を食べよう。そしてお前のために、いつもの握り飯を用意してやる。
③それならいい
兄弟に酒量を注意したら分かりやすく拗ねられた。おいおい、その図体で包丁みたいにプイッとこちらから顔を背ける仕草なんて一周回って呆れる。
「あのな、別に飲むなとは言ってねーだろ」
「ちゃんと自分で部屋に戻ってる」
「三回に一回は泥酔して呼ばれる俺の身にもなれ。自分よりデカい男運ぶのなんてマッジで骨折れるんだぞ」
「それは悪かった……だが、昨日はちゃんと起きてた」
「この障子の惨状を見てもか」
チラリと目線をやると思いっきり顔を背ける。おそらく覚えていないのだろう。昨日は珍しくずいぶん陽気な酔い方をしたものだ。全部の障子のマス目にボコボコと猫が通れるくらいの穴が空いている。
「非番だからってやりすぎだ。今日中にちゃんと直しておけよ」
「……わかった」
「それと、朝起こしても起きないなら、もう俺だって起こさないからな」
ただでさえ寝汚い兄弟が、酒が入るとその何倍もタチが悪い。
今日だってもう朝餉は下げられてしまった。食いっぱぐれた兄弟の分として前田がおにぎりを別に用意してくれている。全く、そんなことまでさせて情けない。俺にだけ迷惑をかけるならまだしも、他の奴らにまで害がいくとなるならそれはさすがに看過出来ない。
そう言い捨てて内番に出かけた。項垂れた兄弟の様子は見ないようにして。
日中、兄弟が愛染や信濃と一緒に障子の張り替えをしているのを遠くから眺めた。楽しそうな短刀たちの様子に少しホッとする。
「すごい有様ですな」
「だろ? さすがに今朝柄にもなく叱っちまった」
「ははは、よくあることです」
一緒に畑当番をしていた一期一振がそう笑った。
「昨日も鬼丸とだろ?」
「そのようですね」
「仲良いのはいいけどさ、強すぎるからって調子乗って。
加減ってものはいい加減覚えてほしいぜ」
「ま、それだけソハヤ殿への信頼が厚いのでしょう」
そのくすぐったい言い回しにこっちの調子も狂いそうだ。
「そんなかわいいもんかね」
「ええ、そういうものです」
だがしかし、注意したその日からいないというのはどういうことだ。
夜、飲みに行く時には大体ちゃんと伝言がある。最低でも「飲みに行く」と書き置きくらい。しかし、特になにも言われていないが夕食後に部屋に戻ってこない。あまり交流関係が広くはないが、別に厭世しているわけでもないので誰かに誘われれば飯もいくし、一緒に飲むだろう。酒は嫌いじゃないから余計だ。
もう知らん。俺は明日は遠征で早いのだ。
なんでこっちのほうが不貞寝のようになってしまうんだ。読みかけの本に雑に栞を挟んで布団を引っ被った。
朝起きたら兄弟はちゃんと隣で寝ていた。
起こさないようにそっと出て行く。いつもなら遠征だろうが出陣だろうが片方が起きる時にお互い起きる。というか、兄弟はあまり自分でちゃんと起きれないから俺が結局起きる時に起こしてやっている。自分が起きる必要がなくてもだ。それが面倒とは思わないが、習慣がかわるとしっくり来ない。
結局こないだ言った通り、少し逡巡して起こすのをやめた。いつもなら、弁当の握り飯を作ってくれるが、もういいや、と思って。
「あれ? お弁当ですか? 珍しい」
休憩になり、物吉が当たり前のように隣に座って、一緒に着いてきた後藤が自然とその向かいに座る。それぞれ自分たちで用意した弁当を持って。
「いや、なんか、用意されてたんだよ今朝」
「いつも大典太さんがおにぎり作ってくれてましたよね」
「弁当ねぇ……」
心当たりがない。いつもの自分の風呂敷で包まれてるから持ってきてしまったが、弁当箱だって持ってないし、箸箱だってないのに。
中を恐る恐る開けると、曲げわっぱの弁当箱の中身は、色とりどりのカラフルな野菜や素材でギチギチに詰め込まれている。ミニトマトはプロセスチーズと一緒に串刺しにされ、ブロッコリーとの色合いが映える。アセロラベーコン巻きに、重なった色合いも綺麗なだし巻き卵。ごはんは小さな俵型に海苔が巻かれていた。その海苔は形を色々切り取られて、一つはパンダの顔を作り、もう一つは同じようになにか動物の顔だがヒゲが生えているので虎かもしれない。気の抜けるような「ニッコリ」とした表情だった。
「嘘だろ」
唐突に現れたキャラ弁に、反応のしようがなく、脱力する。
「うわ〜〜、可愛らしいお弁当ですね!」
「これ……」
後藤がふと、自分の弁当を広げて見せてくれた。
「あ、アセロラベーコンと卵は一緒ですね」
「昨日の夜から前田と平野が準備してくれてたんだ。大典太さんも一緒だったんじゃねえか?」
あ、なるほど。
じゃあ、今朝は?
「あの二人、いつも結構早く起きだろ?」
「うん。粟田口だけで数振りいるし、うちは非番の分も作るから結構量あるんだよ。なら、大典太さんも早起きしたんじゃないか?」
なら、あれは、二度寝だったのか。
「昨日から喧嘩されていたみたいですけど」
「喧嘩じゃねえ」
「全く、素直じゃないなぁ」
「ずいぶん可愛らしい復讐ですね。堀川くんもよくやってますよ」
いや、違う。これは「復讐」ではない。
「これは、仲直りのほうだよ」
弁当は全て美味しく頂いた。
*
「ただいまー」
さすがに丸一日外出してればそこそこ疲れる。すでに弁当は厨に戻して洗ってある。どうやら弁当箱は一期一振のものを借りたらしい。箸だけは割り箸だったが。サッサと風呂に入ろうと考えながら自室に戻ると、兄弟が正座をして待っていた。
「うおっ、兄弟どうした! お、何緊張してんだよ」
「……おか、えり。その、なんだ……」
その目の前に胡座をかいた。なんでもないように伝える。
「弁当あんがとな。美味かったぜ」
「! そ、そうか……」
あからさまにホッとした様子に笑ってしまう。それなりに厳しくしたのが効いていたようだ。
「その、す、すまなかった」
もう別に怒ってないのだが、兄弟はその大きな図体を半分に折り曲げる。
「今朝お前に起こされなくて、結局朝餉を食いっぱぐれた。
お前に、甘えすぎていた。前田や愛染たちにも怒られて、考えを改めた。兄弟だから、と、お前にその頼りきりだったのだと……」
「はあ」
「だから、その、頼む。
これからも、一緒に起こしてくれ」
そう言われた瞬間、堪え切れずに爆笑してしまう。
ふはっ、と声が漏れて、涙が出るほど笑った。キョトンとした兄弟が置いてけぼりになっている。
「バカだな、兄弟」
甘えてくれるのが嬉しいから、やめられないのはこっちのほうだ、とは折れても言えない。
④その声が呼ぶ限り
「兄弟!」
思った時にはもう身体は動いていた。自分よりも大柄で体力もあって屈強な男を庇う必要なんて一切感じたことはないが、この時は違った。なにか、霊力というか、何かが「おかしい」と思ってそれを解析する間も無く大典太と遡行軍の間に身体を捻り込ませたソハヤの左肩に矢が気持ち良く刺さった。
強すぎる毒矢だったのか、刺さった瞬間の痛みすらなく一瞬意識が飛んで、倒れかけたところを大典太に襟首を掴まれて踏みとどまった。珍しく我を忘れた兄弟によって毒矢はその場で抜かれ(後から薬研にめちゃくちゃ怒られたらしい)、矢を放った敵脇差は一刀両断されたらしい。
ソハヤは急速に遠のいていく意識の中、自分の名を呼ぶ兄弟の焦った声に「マジで焦ってんじゃん」と笑っていた。
「ふぎゃ〜〜!! どこからどう見ても小さい子ですね〜〜!!」
そして、目を覚ますと幼児になっていた。
嘘だろ、ガッデム。蛍丸よりも小さい、ふくふくとした手のひらに、自分で触ってもわかる丸いほっぺた。簡単に両足まで指先が届く柔らかい身体と短い足。勘弁してくれ。刀の本体には異常はないというが、異常しかない。
毛利によって一通り全身を撫でくりまわされる様をどうすることも出来ずオロオロとする大典太を尻目に「もういい加減にしなさい」と一期がようやく動いてくれた。
「やっぱりあの毒矢みたいだな。大将が調べたところ、前例が何件かあるらしい。まあ大体は一日から遅くとも三日までには全員元に戻っているそうだ」
「みっか?! みっかもこんなかっこうのかのうせいがあるのかよ?!」
「可能性だ。大体眠ると元に戻るらしいから夜間の間に毒が抜けるんだろう。即効性は高いが持続性がない。明日を楽しみにしておきな。
ははは、そんな顔をするな。男前が台無しだぜ?」
さも楽しそうにニヤリと笑った薬研はそう言うが、普段ソハヤが粟田口の短刀たちを鼓舞する時に言うお決まりの台詞である。やり返すにしても嫌味な野郎だ! とまた憤慨するが、身体が急に持ち上がる。
「……とりあえず普段通り過ごしていいんだな?」
「ああ、話は伝わってるから飯も用意されてるはずだ。食ってこいよ」
もちもちとした腹を摘まれてペチンと薬研の手をはたく。兄弟に抱っこされてますます頬は膨れるばかりであった。
「くっ、はしが……使いにくい……」
「ソハヤくん、ほら、スプーンもフォークも用意したから……」
「うう〜〜!」
子ども用の器など当然ないので適当な小鉢によそわれた遅い昼食というか早すぎる夕食を癇癪を起こしながら少しずつ食べていく。いつもの大口ならこんなの一口なのに、食っても食っても減りゃしない。見かねた燭台切が手伝おうかと申し出たものの「ことわる!」と甲高い自分の声にますますショックを受けて、結局最後は歌仙によって業務的に口に突っ込まれた。毛利が狙っていた役割で歌仙の配慮に感謝した。
風呂も大変で一人で入ろうとしたら足が着かなくて溺れかけた。心配してついてきた物吉によって救出されたものの、身体も髪も洗われてしまい(しかも気持ちが良かった)「じぶんでできる!」と言い張っていたのを他の刀たちには生暖かい目線で見つめられ太刀のプライドがボロボロである。
身体の大きさの急激な変化となにも出来ないことに疲れ果て、同じく適切な対応が一切出来なかったことに落ち込む兄弟と一緒に、早いがもう寝てしまおうと意見が一致したものの、こんなサイズで普段通りの布団はいらなくないか? となり一緒の布団で寝ようとしたが、いざ布団に入ると、大典太が「無理だ……」とソハヤを抱き抱えた。
「は? おい、きょうだいどこいくんだよ!」
「すまん、俺には無理だ……。
絶対潰す! 怖すぎる……!」
そして粟田口短刀部屋に運ばれてしまい、前田と平野の間に挟まれた。自室でないのも、一人の布団でないのも、兄弟に遠ざけられたのも、不服しかない。
朝起きても、身体はまだ戻っていなかった。
他の刀たちは起きていたりいなかったり、誰にも見られていないのをいいことに誰よりも軽い足音で部屋を抜け出す。急遽買ってもらったTシャツと半ズボンのまま、三池の部屋に行く。
「きょうだい?」
いつも通り起こしてやろうと思ったのに、部屋に入っても兄弟がいなかった。
どうして? なんで?
とたとたと足音をさせて、厨に行き、道場に行き、畑に行き、厠も見たがいない。誰に聞いても見ていないという。
どこに行ったのか。本丸の中じゃないのかもしれない。ブカブカの歩きづらいサンダルを引っ掛けて、兄弟が行きそうな場所を更に探しに行く。
誰にもいえなかったことがある。
この身体には「霊力」がなかった。
だから兄弟がどこにいるかわからない。お互い顕現してから身体の一部のように互いの霊力を感じて生活をしてきた。なにを考えてるかまではわからなくとも単純な感情や大まかな居場所はわかる。常に身近にその存在を感じていた。
それがなくなったことが怖かった。
兄弟。どこに行ったんだ。なあ、俺を置いていくのか? 霊力が無くなったことを、きっと大典太は気付いている。大典太もまた誰にも言わなかったのはきっと理解がされないからだろう。この感覚は霊力を有する者しかわからないと思うから。
恐怖で足がもつれる。なんにも無いところで転ぶなんてみっともない。このまま元に戻らなかったらどうしよう。なんの役にも立たないこんな小さな姿で、霊力すら失われ、「霊刀」ですらなくて、ただの「写し」だ。
しょせん「写し」。
でも、兄弟がいた。
一人ではなかった。
自分が呼んだら、「兄弟」が応えてくれたから、応えてくれるから、だからやってこれた。
家康公の遺愛刀。その願い、祈りによって得た霊力を喪った今、自分にある力は一体なんなのか。悲しくなる。俺は、なにも守れなかった。三百年。人間一人に換算したら長いだろうが、自分たち物からしたらまだまだだ。もっと出来たはず。なにがいけなかった? 俺の霊力が足りなかった? あの時の後悔を、今起きたことのように身体中に感じて声をあげて泣いた。
きょうだい! どこにいるんだ! なあ、きょうだい!
もう物になんて戻りたくない。なにも出来ない、墓守で、祭り上げられ、お飾りになって、置き物でやっぱりなにも守れなかったなんて後悔はもう嫌だ。
こんな姿で、一体なにが守れるというんだ!
俺は、まだ、戦いたい!
「ソハヤ」
身体をヒョイと軽々抱き上げられ、恐る恐るといったていで大典太がソハヤの顔を覗き込んだ。なんて目をしているんだ。初めて顕現した時のような、触れるもの全てを傷つけるのではないかという怯えた顔。霊力がなくてもわかる。
「きょうだい!」
思わずギュッと抱きつく。涙が止まらない。顕現してからこんなに泣いたことなんてなかった。子どもの姿に感化されているのか、止められる力がどこにもない。感情のままに抱きついて、兄弟の倍はあろうかという大きな目からカラコロ音を立てそうな大粒の涙が大典太の肩に染み込んでいく。
「どうしたんだ、兄弟」
「おまえが、いないから、さがしにきた」
「俺を、探しに」
「おれを、おいていくのか、きょうだい。
おれに、もう霊力がないから、おれは、もう霊刀でもないのか。なんのやくにもたてない、そしたらもうほんまるにもいられない。どうしよう、どうしたらいい。そんなのいやだ。おまえとようやくあえたのに、おれは、みいけの刀でもなくなっちゃう。
おまえが呼んでくれなきゃ、おれはみいけですらいられない。なにものでも、なくなっちゃう」
「違う」
ハッキリとした声が、ソハヤの耳に飛び込んだ。しっかりと、抱きしめ返しながら、言葉を選ぶ大典太は、ひどく落ち込んだ声だった。それでも、ソハヤのために、苦手な自分の考えを口にしてくれる。普段霊力でなんとなくわかり合ってしまっているから言葉を不要としていた二人が、こんなに言葉を交わすのは、初めてだったかもしれない。
「俺のせいで、お前を傷つけてしまった。お前のほうがいっつも行動に移すのが早いから、俺はいつも置いていかれる。置いてかれるのは俺のほうだ。
霊力がないこともすぐに気付いた。霊力がなくなったら、他の刀や人と同じようにお前を更に傷付けるかもしれないと思ったら、怖くて、昨日は眠れなかった。
お前をこれ以上傷付けるのが、怖いんだ。
お前を守ってやれなかった。こんなことになったのは俺のせいなのに」
「きょうだいのせいじゃない!」
まだポロポロと落ちる涙を大典太が震える指先で拭った。その指先を小さな手で捕まえた。
「おまえは、いてくれるだけでいいんだ。
おれをよんでくれ、きょうだい。
それだけでいいんだ。
おまえがこたえてくれるなら、おれはまだみいけでいたい」
「お前も大概バカだな」
「なんだと!」
両手を突き上げて怒るソハヤに、珍しく微笑むと、目線を合わせるために抱き上げた。
「霊力があろうがなかろうが、お前が俺を「兄弟」と呼んでくれるなら、お前がそう呼ぶ限り俺はお前に応えよう」
「霊力がなくても、お前を必ず探し出すさ。
今のお前が、俺を探しにきて、ちゃんと見つけ出したように。
だって、俺たちは、兄弟なんだから」
大きく息を吸い込んで、子どものような発音で「うん!」と返事をした。
いっぱい泣いたら腹が減ったと喚くソハヤを抱えて大典太が自室に戻る。布団に下ろすとアッサリ寝た。まだ早い時間なので寝かせておく。朝食の準備を手伝ってソハヤの分は手掴みで食べれるようなものにして、自室で食べた。今度は時間をかけても何も気にしなくて良かったので最後まで自力で食べ切った。
移動は面倒なのでもう全部大典太に運んでもらった。どうせ明日か明後日には戻るのだ。しょっちゅう誰かがシャッターを切る音が聞こえた。毎回仏頂面を作ってやる。
その日は穏やかに過ごして、布団は念のためソハヤの分をちゃんと引いて一人で寝た。ふくふくとした指先をその三倍くらいありそうな大典太の指先が撫ぜる。
唯一大典太が小さな姿に浮かれてしまったのは、同じ色の瞳の色がクッキリと見えたことだった。
「おはよう、兄弟」
翌日、ソハヤが目を覚ますと、既に起きていた大典太がそう声をかけた。ああ、これは寝てないな、とその顔色を見て思う。
「……おはよう、兄弟」
聴き慣れた、男の声。どこも痛くも無いし、痒くも無い。キョロキョロと全身を見回す。見慣れた大人の身体である。
「大丈夫そうだな」
「はあ〜〜、マジで焦ったな、さすがに」
「そうだな」
そう言って大典太が着替えを寄越す。見慣れた揃いのジャージを着て、ようやく隣の気配のわさわさが普段の何倍にもなっていることに気付く。
「浮かれすぎだろ……」
「お前だって……」
言わなくてもわかってしまう。
今日も霊力は好調のようだ。