旅路の証「少ししたら戻るね」
漁師たちと漁の収穫の話し合いを終えるとモアナは父親のトゥイにそう言って慌てて走り去っていった。
モアナが走り去って少しすると、子を連れた村人がモアナを尋ねてきた。どうやら村の子供たちに聞かせる物語に関して話したいことがあるという。子連れの村人を家屋へと案内し、村人の代わりにトゥイはモアナを探しに向かった。
モアナの走っていった方角はあまり人の立ち入らない小山のほうだった。
小山の山頂にたどり着くとモアナと大男が座って話す後ろ姿がトゥイの目に映った。
トゥイはとっさに草陰に隠れた。
モアナと話をしている大男はふさふさと乱れた黒髪、ロープで無数の葉を腰に巻きつけており、全身に隙間なくタトゥーが刻まれている。こちらの方を向く様子はなく、顔は見えない。
長年村長をしてきたがこのような姿の男は見たことがなかった。明らかにモトゥヌイの者ではない。トゥイは警戒した。
娘とその大男は舟や航海術について話をしていた。主にモアナが質問し、男がその質問に対して答えるといった様子だった。男はモアナの質問に対してすらすらと答えていく。ときどきモアナが詳しく疑問を投げかけても同じ様子で答える。
以前、モアナに航海術をどうやって身につけたのかを一度訊いたことがあった。
モアナは教わって覚えたのだと話した。しかし航海術を教えてくれた者の名前については、なぜか話したがらなかった。
航海術の師についてわかっていることはモトゥヌイの出身ではないということだけだった。
村の者によるとモアナは村の子供たちに言い伝えを語る際に、自分の旅の話もしているらしい。そのときに航海術の師の名前も話しているようだが、子供たちは師の名前をトゥイは教えないようにとモアナから言われたらしく、話そうとしなかった。旅の話も村の子供が楽しめるような不可思議な話らしく、旅の真相についてもはっきりしたことはわからなかった。
もしかして娘に航海術を教えたのは彼なのだろうか。
しかし、無断で島に入ってくるような男だ。そのうえ現村長である娘のモアナと親しげに話している。前村長としても父親としても油断はできなかった。
しばらく見張り続けていると、モアナと男は立ち上がった。どうやら話を終えたようだ。
そのとき信じられないことが起きた。男が大きな鉤のようなものを持つと青白い光とともに、見たこともないような巨大な鷹に姿を変えたのだ。
鷹はモアナに向き直り、顔を彼女に近づけた。モアナは鷹の顔を両手で包み込む。彼女の両手に触れると鷹は気持ち良さそうに目を細めた。モアナは自分の鼻と鷹のくちばしが触れるように自分の顔を近づけ目を閉じてこう言った。
「またね、マウイ」
その名前は母・タラから何度も聞かされた話に出てくる半神半人の名前と同じであった。
あの男が持っていた鉤は母の話で聞いた神々の釣り針を思わせた。神々の釣り針には自在に姿を変えられる力があることを母はよく話していたものだ。マウイは特に大鷹の姿に好んで姿を変えていたとも。
目の前で起きた信じられない出来事と母の話が繋がったことにトゥイは困惑した。
飛び去る鷹をしばらく見送ったあと、モアナはトゥイに気がつき目を丸くした。
「お父さん!?」
「そんなに驚く必要ないだろう」
娘の驚きぶりにトゥイは微笑んだ。
「そ、そうね、でもどうしたの?」
「子供たちに聞かせる物語について相談しに来た者がいるんだ」
トゥイは今見た出来事はあえて訊かず、用件だけ伝えた。
「ありがとう、戻るわ」
二人で村の方へ向かう途中、トゥイは言った。
「子供たちに旅の話も聞かせているんだって?」
「だめだった?」
モアナは眉をひそめた。
「いや、評判はいいみたいだ」
「よかった」
モアナは安心したように言った。
「......よかったら、旅の話を私や大人たちにも聞かせてくれないか?」
モアナは思わぬ提案に少し迷っていた様子だったが、やがてわずかに頷いた。
「でも信じてもらえるかしら」
モアナは眉間にしわを寄せた。
「たくさんの人たちに旅の話をしたいとは思ってはいたの。でも私自身でも信じられないことばかりの旅で…...」
「大丈夫だ。お前の航海の技術が何よりの証だ。どんな話でも信じたいと思う」
モアナは父の言葉を聞いて自信を持てたようだった。
「戻ったら詳しく話そう」
父の言葉にモアナはゆっくり深く頷き、より力強く村へと歩みを進めた。