相棒の家出「うーん、まだ光ったままかぁ……」
ある日の夕方。モアナは船出から帰り、金色に輝くオールと左腕のタトゥーを眺める。新たに激しくなっている潮流の調整をしてきたのだ。続けてオールを使ったせいかタトゥーの金色の光がなかなか消えない。モアナはマウイにこの光を消すコツを質問しようと思い、最近建てられたマウイのファレの前までやってきた。モアナは帳を掴みマウイに声をかけようとする。
「ねぇ、マウ……」
「いい加減にしろ!!」
ファレの中からマウイの怒号が聞こえてきてモアナは目を丸くした。彼女は帳を下ろしたまま耳を傾ける。
「お前……火の……海が……もし顔を合わせ……ん?」
怒号以降は静かな口論が断片的に聞こえてくる。マウイがタトゥーと意見が分かれることはよくあることだが、あんなに怒鳴るのは珍しいことのように思える。帳越しのモアナの影に気づいたのか、マウイが帳を開けた。
「よぉ巻き毛ちゃん。おつとめご苦労」
「うん。……なんか声が聞こえたけど、どうしたの?」
「こいつが言うこと聞かないんだ」
マウイが左胸にいるミニマウイを指差す。タトゥーの相棒は腕組みをして顔をしかめている。モアナが呆れたように眉と口角を片方上げた。
「それっていつものことじゃない?」
「今回はひどい」
「喧嘩のきっかけは?」
ミニマウイがモアナを見て口を開こうとする。
「言うな!」
マウイがミニマウイを遮った。モアナは首を傾げる。そもそも彼は喋るのだろうか。表情豊かだが、今のところ声を出して話したところは見たことがない。彼がその言葉で耐えかねたようにタトゥーの釣り針に荷物をたくさん詰めた布をくくり始める。
「はっ、家出でもする気か?」
マウイがからかう。モアナとミニマウイの視線が合う。彼はモアナを見たまま顎に手を乗せて考え込むような仕草をとった。
「もしかして」
モアナは彼が金色に光ったままの左腕のタトゥーを見ているように思い、あることを閃いた。
「ねぇ!」
モアナがミニマウイに話しかける。
「よかったら二、三日わたしのところに来る?マウイと比べると狭いかもしれないけど」
「はぁ?どうやっ……」
マウイが尋ね終わる前にモアナはタトゥーの入った左手でマウイの左肩に触れた。ミニマウイは左肩まで飛び乗ると少し強く体を押すようにモアナの手へ移ることに成功した。
「できた!」
モアナが目を輝かせる一方で、マウイは目を疑った。
「おい、どういうことだ」
「わたしも半分神になったでしょ?なら相棒の気持ち次第で遊びに来れるんじゃないかなって!」
「そうか。いや、待て。なんでお前はこいつに遊びに来てもいいって思ったんだ?」
「喧嘩してるんだよね?距離を置いたら、また考え方も変わるかもしれないよ?」
マウイは溜息をつく。彼は人差し指と中指で自分の両目を指差したかと思えば、モアナの左肩に移ったミニマウイの両目を指差した。マウイのジェスチャーを見てモアナは不可解そうに眉にシワを寄せる。
「それどういう意味?」
「知らなくてもいい」
「もう。しばらくわたしの相棒だからね?いいの?後悔しない?」
「はいはい帰った帰った」
マウイはミニマウイとモアナを手で追い払うような仕草を見せた。
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「わぁ!すごい!半分神様同士だとこんなことができるんだね!?」
モニがモアナの左肩にいるミニマウイを見て感嘆した。
「数日はわたしの相棒だよ」
モアナの誇らしげな声を聞いてミニマウイも腰に手を当て胸を張った。
「触ってみてもいいかい?」
モニはそわそわしながらモアナの左肩を指でつつこうとする。ところがミニマウイはそれを見た途端、怪訝そうな表情で首を横に振った。
「あれ?おとといはハイタッチしてくれたんだけど」
「え?あー……なんかマウイと喧嘩しちゃったみたいで機嫌が悪いのかも」
「そうなんだ?初めて会った時を思い出すなぁ。ロトにつつかれたとき、彼オールで叩いてたし羨ましかったよ」
モアナは苦笑した。それは羨ましいと表現していいのだろうか。ミニマウイもモニの言葉に困惑している。
「あ、ごめん。子供達に話を聞かせる約束があるんだった!仲直りできるといいね」
モニはそう言ってモアナたちと別れた。
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「今度はどこ行く?シメアたちと遊……」
モニと別れて次の行き先を考えていると、モアナは突然ミニマウイに腕を引っ張られた。
「えっ?な、何……あっ」
引っ張られた方角と反対側を見るとマウイがいる。しかしミニマウイの抵抗も虚しく、マウイはモアナがいることには気づいているようだ。モアナの元へどんどん近づいてくる。とっさに相棒はモアナの首の後ろに隠れた。
「あいつは?」
「あー、えっと教えられない……」
「どうせ首のあたりにでも隠れてるんだろ」
「ち、違うよ!?」
「じゃあ髪を上げてみな」
モアナが髪を上げず無言でいると、ミニマウイがモアナの首の後ろ側から左半分顔を覗かせた。さっきの無邪気そうな笑顔から眼光を鋭く光らせている。
「やっぱり。もちろん会いたくないならそれでいい。まぁ二日も保たないだろうな」
マウイの嘲るような声にミニマウイが膨れっ面を見せる。モアナの知る限りでは、ここまで決裂してるところは見たことがない。ふたりの間に何があったのだろう。
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「シメア?あれ?いないのかな」
モアナは自宅に戻った。妹のシメアと遊ぼうかと思ったが、どうやらモニの話を聞きに行ってるらしい。
「どうしようかな。話し合いまでは時間あるし」
ミニマウイも時間を持て余したようにきょろきょろあたりを見回したあと座りこむ。釣り針にくくりつけていた荷物の袋を開け、中に入っていたオールや凧、小石などを見ている。彼がマウイの体にいる時は定位置があり動かない。しかしモアナの体に来たのは初めてで定位置もない。それにマウイの体より小さくタトゥーの少ない体では体では移動できる箇所が限られてきそうだ。自分の体に描かれたモトゥフェトゥも彼が旅するには小さいだろう。マウイも言ってたが三日保つかわからない。相棒が羽を伸ばせたらと思ったが却って気遣わせてしまったかもしれない。
「あ!ねえねえ!わたしの背中を散歩するのはどうかな?」
モアナは寝転がりながら、右の前腕にいるミニマウイに提案した。彼は一瞬目を見開いたかと思えば、目を強くつむり首を横に激しく振る。
「でも動きたいんじゃない?」
ミニマウイは気まずそうに両手の人差し指同士をつつく。
「遠慮しなくていいよ。はいどうぞ」
モアナはうつ伏せになった。彼は深呼吸してモアナの背中をゆっくり歩き始めた。
「はぁ、良かっ……んふふっ……待って……んんっ……」
モアナは笑みを堪えられず身をよじらせた。マウイは普段くすぐったくないのかな?それとも長年一緒にいると慣れてしまうものなの?モアナが身をよじらせた影響かミニマウイが足を滑らせて転んでしまった。
「あっ平気?」
彼は起き上がって申し訳なさそうにモアナの肩を指差す。肩へ戻るつもりらしい。
「いいのいいの!気をつけるのはわたしの方。くつろいでくれるといいな」
モアナは笑ってミニマウイの頬を人差し指で優しくつついた。彼はモアナにつつかれた頬に触れて口を少し緩ませた。
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「そういえば、喧嘩の原因って何だったの?言い合ってることはわかったんだけど全部は聞こえなくて」
モアナの質問に対し、ミニマウイが視線をうろうろさせて頭を掻く。さっきマウイに止められたことで迷っているのだろう。しばらくすると彼は釣り針にくくりつけていた荷物の中に入っていた小石を持って、絵を描き始めた。どうやらその小石はモニが常備しているような墨の塊みたいなものらしい。ミニマウイよりも小さな体の巻き毛の長髪の人物の形ができあがる。
「わたし?」
モアナは自分を指差す。ミニマウイは親指を上げた。さらに別の絵をふたつ描きあげる。雲や嵐の上にいる神、おそらくナロだ。そしてもうひとつの絵はマウイの腹部のタトゥーや釣り針に描かれている指に火を灯した神だろう。ミニマウイが自分を指差し次に絵のモアナ、火の神へと指差す。どうやらモアナと火の神を会わせるかどうかで揉めていたようだ。
「えっとどっちがどっちかな?マウイは……」
矢印の間が布で拭われて消える。
「会わせたくない。あなたは……」
矢印の間が書き足される。
「会わせたい?合ってる?」
ミニマウイは首を縦に振った。荷物からタトゥーのオールを取り出して絵の火の神をつつきながら布で指の炎を消す。その動作の意図についてモアナは頭を捻らせた。
「えっと……?あ、場合によっては火の神様を海水で脅す……ってこと?」
ミニマウイは数回頷いた。
モアナは以前マウイが『近々ナロの足取りについて知ってそうな神と話す』と言っていたのを思い出す。そのときマウイはモアナと三年会っていなかったのはナロの最後の足取りを追ってたからだとも話した。さらにモアナたちがモトゥフェトゥで見た顔のある嵐はあくまでも呪いであり、ナロ本体ではないと言った。ナロの最近の動向について知ってそうな神というのは火の神も含まれているのだろうか。
「そっか……」
モアナはうつむく。
「ふたりの気持ち、両方ともわかっちゃうな。わたしはマウイと一緒に行きたい。できることはなんだってしたい。でもね、マウイの気持ちもわかるの。わたしもモトゥフェトゥへ行くとき、ひとりで行こうか考えてた。できれば誰も巻き込みたくない。プアが行きたがってたし、お母さんも止めたけどね」
ミニマウイがプアの名前を聞いた途端、舌なめずりをした。
「あ、ダメダメ!プアは食べちゃダメ!」
モアナは慌ててミニマウイに言った。
「マウイもモトゥフェトゥに着く前『死ぬぞ』って言ってたね。それで実際……」
モアナは言葉を切って左腕のタトゥーを見た。
「大切にしてくれるのは嬉しい。ナロの嵐の時もわたしが作戦を話すまで、みんなを守ってくれた。危険な思いはたくさんしてきた。でもそれはマウイも一緒。今度はわたしがマウイを守りたい。まだ半分神様としては新入りだけど、できることはあると思う」
モアナが眉を下げて笑みをこぼす。
「さて!」
モアナは眉を吊り上げ直し、腰に腕を当てた。
「マウイに話してもいい?わたしも行かせてほしいって。今日は予定あるから明日どうかな?」
ミニマウイが力強く頷く。そのとき。
「モアナ、そろそろ話し合いに出てもらっていい?海の民が全員集まったから」
モアナの母シーナがファレの帳を開けて声をかける。
「ありがとう、お母さ……」
モアナが急いで立ち上がってオールを手に取った瞬間、ミニマウイがバランスを崩してモアナの肩から服の下へと滑り落ちた。
「んっ!?」
「モアナ?」
シーナが振り返る。モアナは急いで胸元をおさえた。が、すでに手遅れだった。
「なっ、なんでもない」
「本当に?顔が赤いわ?」
「だ、大丈夫」
モアナが念を押した。しかし話し合いの途中、服で隠れた箇所がくすぐったくて吐息や声が漏れそうになる。モアナは体を震わせないように全身に力を込めた。オールを床に置いてるにもかかわらず、左腕のタトゥーが金色に輝きそうになる。モアナは焦って左腕を隠そうとしたが、海の民のひとりが「神の力を授かってからまだ日が浅くて制御するのが大変だろう」とフォローしてくれた。間違ってはいないのだが、いまそう言われると後ろめたさを感じる。海の民の話し合いが終わる頃、ようやくミニマウイはモアナの膝の辺りから肩まで登り切り、その頃にはモアナ共々に息を切らしていた。
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「……大丈夫?」
海の民との話し合いが終わり、息を整えたモアナはミニマウイに尋ねた。小さな相棒は座り込んで両手で顔を覆ったままだ。
「ほんとにごめんね。話し合い、せめて途中で抜ければよかったね。そうすれば早く手助け……」
モアナが手を合わせて謝ると、ミニマウイは顔を隠したままで首を横に振った。海の民がはるばる集まっての話し合いだ。彼もモアナが途中から抜け出すのが難しいことは理解できた。
「ちょっと早いけどマウイの元に戻る?」
タトゥーの相棒は弱々しく頷き、釣り針に荷物を結びつけた。
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モアナはオールを持ったままマウイのファレの前まで来て声をかけた。
「マウイ?入ってもいい?」
「どうぞ」
マウイの声は柔らかくモアナは安堵して帳を開けた。あぐらをかいているマウイの周辺にアヴァの入ったひょうたんが複数置かれている。今日、海の民からもらったものらしい。
「わぁ、こんなにもらったの?飲める?」
モアナはオールを柱に立てかけた。
「もちろん。どうした?」
「あ、あのね相棒と話したの。予定より早いけどマウイの元に戻ろうかって。あと火の……」
モアナの言葉の途中でマウイが話し始めた。
「思ったより早いお帰りだな、相棒。そんなに俺のムキムキボディが恋しかったか?」
「あー、それが……」
「まぁ反省してるなら許そう」
マウイがアヴァをあおり、モアナにウィンクする。なかなか本題に切り出せない。
「話すのは予定通り明日でいい?」
モアナは小声でミニマウイに話しかけると、左腕でマウイの肩に触れた。ミニマウイはモアナの左腕のタトゥーが金色に光り輝くのを眩しそうに一瞬目を細めた。小さな相棒はモアナへ視線を移して手を振りモアナの左手からマウイの肩へと移動した。その瞬間。
「ぶぉはっ!?」
マウイがアヴァを間欠泉のような勢いで吹き出した。モアナは驚いて左手を離した。
「わっ!?ま、マウイ!?大丈夫!?」
「げほっ……えほっ……」
モアナがマウイに再び近づく。マウイは何度も咳き込んだせいか顔に赤みが走っている。
「……なっ、いま……ごほっ」
モアナはマウイの背中をさすろうとした。がマウイに手で静止される。
「とっ……とりあえず、拭くものないか?あのカゴの中にあったはず」
「う、うん」
モアナがマウイから少し離れると、マウイはあぐらを組み直してミニマウイを見下ろした。生まれて三千年、この相棒を他の半神に移そうなんて考えたこともなかった。自分の分身同然のタトゥーが他者の肌へ移動してから自分の肌へ戻ってきたらどうなるかなんて、なおさら見当がつかなかった。タトゥーの相棒が家出している間、火の神に会うときに親友を同行させるかについて迷いが生まれていた。マウイとは因縁のある神だがモアナとは面識もない。場合によってはこの新入りの半神が緩衝材になってくれる可能性もある。もし相棒が戻ってきたらモアナを同行させる案についても検討しようと考えていた。
「お待たせ」
マウイはモアナが差し出したふきんを受け取った。
「……まだむせそう?」
モアナは不安げにマウイの顔を覗き込んだ。
「い、いや?」
マウイの声が上擦った。
「でも顔さっきより赤……」
そのとき帳越しから影が見えた。
「あ、開けるね」
マウイにそう伝えると、モアナは来訪者より先に帳を開けた。来訪者の正体はロトだった。
「ロト?どうしたの?」
「モアナ探したよ。お客さんが来てる。潮の流れが急に変化した場所があるってさ」
「ありがとう。すぐ行く!あっマウイお大事にね!」
モアナはマウイに手を振ると、帳を開けてロトとともに外へ出た。
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「体調悪いの?半分神様が?」
「ううん、さっきむせちゃって……」
モアナとロトの話し声が遠ざかっていく。それを確認するとマウイはアヴァを吹き出したところを布で拭いて、唸るような大きな溜息をついた。
「あの件、巻き毛ちゃんに言ったな?」
ミニマウイは得意げに笑うだけで悪びれる様子もない。マウイは呆れ返った。あれだけモアナには言うなと念を押したのに。しかも彼女は火の神に会いに行きたいと思っているようだ。
『大切にしてくれるのは嬉しい』
モアナの声や微笑む表情がマウイの脳裏に浮かび心臓の鼓動が早くなる。意図せず盗み聞くような形になってしまったので返事ができないことがもどかしいが。
「あ、そうそう。『絵で描いて説明したから言ってはいないだろ』って理屈はナシだ」
ミニマウイは荷物から取り出しかけた小石をそっと仕舞う。
「……巻き毛ちゃんの肌はさぞ楽しかったろうな?」
マウイが刺々しく言い放った。その言葉を聞くやいなや、得意げな様子だったミニマウイは一転して顔を引き攣らせた。
「お前は釣り針なくても変身できるだろ?鷹になればモアナの肩にすぐ戻れたはずだ。あちこち見回す必要はなかったよな?」
マウイの語気が荒くなるにつれて、その顔が怒りと羞恥で紅潮していく。ミニマウイはマウイの指摘を聞いてトビハゼのように目と口をあんぐり開けた。自分の能力を失念していたのか。マウイは頭をガクンと下げて唸った。