キャラメリゼな記憶「で、アタイはダアク様と出会ったんだ!まさかキャラメルより甘くて最高な瞬間があるなんて夢にも──」
絨毯に乗った妖精ふたりが会話をしている。いや、より正確に言うと赤い髪に黒い衣装を纏った妖精が一方的に語っている。
「キャラメルが好きか?」
赤い覆面をつけたカウボーイ姿の妖精が質問した。
「え?うん。あっミルモたちだ!追うよ!」
短いやりとりだった。あっちも任務に気を取られて、とっくに忘れているだろう。それ以外は深入りする気もなかった。ただ、アクミがダアクと並べて語るお菓子となると相当好きなのだろう。記憶とは不思議なもので不要そうな情報こそ頭の片隅に焼き付くことがある。
この街を出てから何日経ったろうか。ネズミは久々にダアクの拠点だった街に戻っていた。ここにはずいぶんと長く滞在していた気がする。街に夕陽が差し、あの南楓の通っていた学校が見える。彼は笠を目深に被り直し、以前ダアクから渡された携帯電話を取り出した。もうこれは必要ない。川でも探して携帯電話を捨ててしまおうか。
「ん?」
思案していた矢先に気配を感じた。ネズミが振り向くと隣にいとこのヤシチがいた。
「まさか拙者に気づかなかったのか?」
「……気づいていたでござるよ」
「嘘をつけ」
ヤシチは長年の腐れ縁にもかかわらず、ネズミが眉間に皺を寄せてない姿を久々に見た気がした。あの嫌味ったらしく余裕しゃくしゃくに振る舞おうとしてくるいとこが心底驚いてるようにも見える。また妖精界や人間界が崩壊するような事態に関わってるのではないか?
「お前らしくもない。……もし何か思うことがあれば言うんだぞ。携帯は持ってないのか?拙者はともかくヤマネにも持たせれば連絡も……」
「拙者に解決できないことがお前ひとりに解決できるとでも?」
ネズミの皮肉にヤシチは眉をひそめた。ヤシチにはネズミの皮肉の標的がネズミ自身に向けられているように感じる。
「それに携帯なんて修行の邪魔になるだけでござるよ」
ネズミは妹をダアクに侵食されるところだった。もし自分がサスケやハンゾーといった親しい存在を闇の力の宿主として人質にされた場合、自分はどう対応するだろうか。ネズミの言う通り、自分だけなら解決できないだろう。でも。ヤシチの頭の中にミルモたちや安純たちの顔が浮かぶ。そうだ。彼はいとこの横顔を見た。自分にあってネズミにおそらくなかったのは──。
「お前、ほかに頼れそうな妖精や人間はいるのか?あ、言っとくがヤマネや拙者らはナシだぞ」
ネズミは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「ヤシチを頼る機会なんて今後早々ないでござるな」
ヤシチは腕を組んで目を瞑る。わずかに期待したのが間違いだった。旅で転々とするネズミからまともな答えが返るわけがない。こいつには今後も肉親に何かあった時にアテになりそうな存在がいるとは思えなかった。
一方、ネズミはとある妖精の姿が頭の中をよぎった。妖精忍者たちには見せてない自分の姿を知っている妖精。かつて漆黒に染まった服を着ていたあの妖精は今では夕陽のような色の装いをしている。彼女のほうは今アテになる妖精はいるだろうか。人間のパートナーはできたようだが他の妖精と信仰を深めるにはまだ抵抗もあるかもしれない。
「まぁいなくはないでござるよ」
「あー、やっぱりいな……え?」
ヤシチは目を開けて顔を上げる。しかしさっきまでいたはずのネズミは影も形もない。
「結局、いないのか?いるのか?」
ヤシチの質問は夕空へと虚しく吸い込まれた。
ドイツのとある街。長く赤い髪を結ったオレンジ色の服の妖精が絨毯に乗って移動している。彼女の名前はアクミ。かつてダアクの手先として人間界と妖精界を破滅しかけた恐るべき妖精だ。しかし今は人間のパートナーの江口沙織と暮らしている。今日は沙織が学校に残りたいらしくアクミは先に自宅に戻ることにした。
「アクミでポン!」
シタールの弦が弾かれ、窓が開く。部屋はとても静かだ。日本にいた頃はミルモや楓たちを狙って魔法で騒動を起こしていたが今の生活は騒動とは無縁だ。沙織も気性の荒いタイプではない。良くいえば穏やかな生活、悪くいえば刺激の少ない生活だった。
「あいつらがいないと静かで……退屈だな。あっ窓閉めないと」
絨毯から降りようとしていたアクミは開けたままの窓を魔法で閉め直した。ふと窓の反射で見慣れぬ小さな塊が見える。
「何だ?」
アクミは窓から部屋の方に目を向けた。よく見ると妖精がひとり寝転がっている。アクミがダアクの手下だったことを考えると妖精界を混乱に貶めたことが許せない妖精がいてもおかしくはない。もちろんアクミ自身にもそれ相応のことはした自覚はある。しかし、自分のしたことで沙織を巻き込む真似は避けたい。アクミは恐る恐る絨毯に乗ったままで妖精に近づいた。
「……ラット?」
ネズミはかつてラットとして変装していた時の服を着ていた。少し帽子をずらして目や口が隠れているが、雷のような頬の印が見える。あの赤い覆面はしてないようだ。
「あっ違った。ネズミだ」
まさかラットの姿を再び見るとは思わなかった。アクミはネズミに近付いて声をかける。彼からの反応がない。アクミはかつての仕事仲間の顔を覗き込む。彼の寝息は聞こえない。アクミはネズミの帽子のつばを軽く掴み、顔が見えるように少しずらした。あの赤い覆面顔に見慣れていたので素顔の状態で寝ている様子を見るのは新鮮だった。
「おーい」
アクミはラットの耳元で呼びかける。
「んー、起きないな」
アクミはネズミの頬の右の印を指でジグザグとなぞった。反応はない。いったい何の用でここに来たのだろう。
「そうだ」
アクミはニヤッと笑ってシタールの弦に触れようとした。そのとき。
「イタズラする気か?」
ネズミの口が動き、アクミは目を丸くして飛び退く。驚いた拍子に彼女の楽器も消失した。
「お、起きてたのか?」
「『ただいま』の辺りから聞いてたでござる」
ネズミが目を開けて体を起こす。
「最初から起きてたんじゃねーか!返事しろよ!」
「相変わらずでござるな」
ネズミは瞬く間にラットの時に着ていたカウボーイの衣装から忍者の服装へと着替えた。
「で、何しに来たんだ?」
「何って、驚かせに来たでござる」
「そっそれだけ?」
ネズミの答えにアクミは拍子抜けした。
「それか『バスケ』でもやるでござるか?」
「何だよ!からかいに来ただけなら帰りな!」
アクミはバスケットボールとバレーボールを言い間違えた時を思い出して向っ腹がたった。
「耳元できゃんきゃん叫ばないでほしいでござる。拙者はそのマヌケな顔が見れれば満足でござるよ」
ネズミは肩をすくめる。
「アタイの顔がマヌケだと!?」
「ま、しおらしくいるよりはマシでござるな」
ネズミは小さく笑ってアクミに雷模様の青い包みを差し出した。アクミはその包みを手に取る。しかしその顔には不満と怪訝が入り混ざっている。
「これって、開けて大丈夫なのか?」
「さぁ?」
ネズミの意図が読めず、アクミは青い包みから手を離した。
「……アクミでポン!」
シタールの音と共に包みの結び目が解かれてゆっくり開いた。
「さあて中身を見させてもら……うん?」
アクミは包みの中身を見てネズミの方を向いた。しかしネズミの姿は既になく窓が開きっぱなしになっていた。
「何だよ!もう少し長居したっていいだろ!」
アクミはひとりで叫ぶ。ドイツにも妖精はいるのだが今の沙織の周辺には妖精とパートナーになっている人間はいない。人間同士の繋がりのない妖精に話しかけていいものかアクミは悩んでいた。
「貰ったからにはいただくけど、キャラメルでさっきの言葉が帳消しになると思ったら大間違いだよ。アタイは南楓ほどすぐに相手を許せるわけじゃないんだ!覚えてろ!」
悪態をついたところで返答してくれる妖精はもう去ってしまった。アクミは眉を下げて溜息をつくと、包みからキャラメルを取り出した。その拍子にひらりと何かが落ちる。それは黄色い小さな紙だった。
「?」
アクミはまばたきして紙を拾う。そこには、元仕事仲間の連絡先と『何かあったら呼ぶといい』という文が添えてあった。
ネズミは沙織の家から少し離れた場所まで移動していた。彼は右頬を少し掻くと、捨てようとしていた携帯電話を取り出した。以前の自分が今の自分を見たら他人に甘くなったと呆れられそうだ。ネズミは携帯電話の画面を見て目を閉じる。さすがに会った直後では連絡しないだろう。やはり修行の邪魔だ。しかし以前、南楓がミルモに連絡された場合を想定して作戦を練ったことがある。そう思うと連絡手段があるというのは強力だ。ダアクをきっかけに身内以外の他者との縁を深めるとは皮肉なものである。ネズミは携帯電話を仕舞って修行の旅へと戻った。