ついった小ネタログ■140字
【響いお/フォロワさんよりお題】
「伊織」手首を掴む五指の強さに伊織は思わず顔を顰めた。こうも強く手や腕を掴んで寝台に組み敷かれるのは、逃げ出すと思われているからか。腹立たしい。「俺は別にどこにも行かん」不服の声を上げ膝頭を男の下肢へ押し付けると、小さく揺れた榛色から余裕が消えるのが見えて、少し溜飲が下がった。
【カイいお/フォロワさんよりお題】
「いーか、先に押し倒したほうが負けだからな」「……ふん、いい度胸だ」視線を噛み合わせ牽制するように頬にふれてきた男の指先はひどく熱い。明日の予定は動物園か、コラボレーションカフェか。足を運べば日がな一日入り浸るのは明々白々、譲れない戦いの火蓋が今、切って落とされようとしていた。
【カイひな】
そっけなく後ろを向いて寝転んだままの華奢な背に、「だからなんで怒ってんだよ」と、カイトは今夜何度めかになる問いを投げかける。なぜだかこの男は、ことを終えてからずっと機嫌が悪いのだ。途方に暮れて名を呼ぶと、聞こえよがしな溜息とともに幼い顔がようやくこちらに向き直る。「……あのさ、カイトくん」
「通り過ぎてっただけのオンナノコと、ボクを一緒にしないでよ」
鋭く細められたヘーゼルの瞳が、ゆらりと揺れてカイトを射る。
「ボクはカイトくんの『オンナノコ』じゃない」
そうでしょ、と続ける声のかすかなふるえに、思わず手を伸ばしていた。
■春手袋(仁いお)
「手袋が」
変わった、と、ふたりきりのロッカールームでふいに彼がそう言った。物静かで実直な意思を感じさせる深い青の双眸が、じっとこちらの手元を見つめているのに気が付いて、仁は小さく顎を引いて頷いた。
「ほとんど同じデザインだけど、春ものに変えたんだ」
ここしばらくで朝の冷え込みもずいぶんと穏やかになり、普段着はもちろん、コートや手袋も薄手のものに変えはじめている。一見して目立つコートはともかく、あまり目にふれない手袋の変化に、彼に真っ先に気付かれるとは思っていなかった。感心を含めて「よく気付いたな」と返すと、彼はわずかに視線をうろつかせてなにやら小さな声でぽそりとつぶやく。
「それは、……その、見ているから、気付くというか……」
聞こえたそれに、思わず目を丸くする。さてこの奥ゆかしい日本男児になにを返そうかと巡らせた思考が結論を弾き出すより、当の本人がロッカーを勢い良く閉めるほうが早かった。ぱたん!
「よ、よく似合っていると思う。……かっこいい、」
「え」
「……ッ、なんでもない!」
じゃあ、俺は先に行っている!
もはや投げつける勢いで続けざまに投げられた言葉を受け止めているうちに、彼はぱっと駆け出すようにしてロッカールームから出ていってしまった。まっすぐに伸びた美しい姿勢の後ろ姿を、不覚にも呆気にとられたままに見送って、数秒。
「……若いって、可愛いなあ、本当に!」
仁は小さく肩を揺らして笑いながら、彼につられてほんのりと温度を上げた額をロッカー扉にこつりとぶつけたのだった。
***
20170402Sun.
■11:00(いおカイ)
午前十一時。伊織の認識では朝食には遅く、昼食にはいささか早い、そんな時間帯だ。そしてまた、一般的にも概ねはそうだろうという確信めいた自信もある。
ではなぜまさにその時間のいま、自分は事務所の机上に小さな山脈のごとく連なったチョコレートやデザート類を眺める羽目になっているのか。問いの答えを求め、伊織は甘味の山々の向こうに座している男の名を呼んだ。
「カイト」
「あ?」
「まさかとは思うが、それが昼食か?」
カイトの前にはコンビニのものと思しき生洋菓子やリボンの掛かったチョコレート、あるいはその空容器が並んでいる。よもや昼食ではないにしろ、少なくとも、間食どきとするには早すぎるのは確かだ。
「ンなわけあるか!メシの前にデザート食ってただけだろうが」
「……デザートとは食後に出てくるもののことではなかったか?」
「細けぇことはいいんだよ。夕方からオーケストラのやつらとの打ち合わせもあるし、先に糖分摂り溜めとかねーとな」
伊織の向けた訝しみの声に、男はさも当然かのようにそう応える。何食わぬ顔でプリンの蓋をかぱりと開けるすみれ色の双眸は、すでに掌中のプリンに釘付けである。
小さな透明のプラスチックスプーンを、ピアニスト然とした大きな手が持つと、どこか玩具じみた稚気を醸す。揚々とプリンを口に運ぶ男を眺めながら、伊織は小さく息を吐いた。
伊織とこの男はあと三十分もしないうちに出版社のインタビューの仕事のために外へ出て、そのついでに伊織の気に入りの和定食屋で昼食を摂ることになっている。
けれどもこの様子では、その約束をすっかり忘れているのかもしれない――どう考えても、昼食前に摂る糖分の量ではないだろう。伊織が呆れ混じりに巡らせた思考を遮るように、ふいに男がもう一度口を開く。
「だいたい、昼はお前の好きな和食屋に寄るっつってたじゃねーか」
プリンもチョコも、和食屋にはねーんだからこれくらいいいだろ。
「……、」
続いたそれに、目瞬きをひとつ。
「んだよ」
「……いや。なんでもない」
この男の糖分の許容量を、どうやら未だに見誤っていたらしい。むすがゆい心地を持て余しながら、伊織は取材用の事前資料の最終確認をすることにした。
***
20171226Tue.(きれはし供養)