秋雨をしのぐ 気付かないでいてほしかったのだろうか。
男の双眸が眼鏡の奥で翳るのを見留めるたび、自らにふれるのを躊躇うように彷徨う指先を捉えるたび、黒木崚介は考える。
「……黒木くん?」
「いや、」
晩酌を終えて並び立ったキッチン。空いたグラスを渡した指先がふれて、頭半分ほど高さの違う視線がふいに絡んだ。この男独特の、繊細な機微を含んだブルートパーズのひとみにほんのわずか射した薄雲のような翳りをレンズ越しに辿っていると、当の本人から困惑を帯びた声が返される。緩慢に首を横に振って眼鏡に手を伸ばせば、崚介の次の行動を察してか、痩せた長躯は身じろぎはしなかった。
「ここで眼鏡を外されると、困るのですが」
眼鏡を外す崚介の指先を身じろぎひとつせず受け入れたくせ、よく言ったものだ。とはいえ崚介もそれがこの男なりの戯れであることを知っているので、誘いに乗って「なぜだ」と問い返す。それは駆け引きというにはいささか些末な言葉遊びだったが、不思議と厭わしくはなかった。
「場所を移すのに、また掛けなければいけないでしょう?」
そんな応えとともに節ばった五指がそっと伸ばされて、崚介の手首をつかむ。その手のひらが普段よりも少し熱く強いのは、つい先ほどまで嗜んでいたアルコールと、それ以外のなにかがこの男の体に巡っているからだろう。
「別に、わざわざ掛け直さなくても構わない」
「?」
「ベッドルームなら、俺でも連れて行ける」
男のシャツの胸ポケットに眼鏡を滑り込ませながらそう言うと、室内灯にじかにさらされたトパーズがちかりとまばたく。熱を含んで揺れた青から、薄雲の翳りは消えていた。
「灰羽」
「……なんです?」
「お前は、自分で思うよりも不器用だ」
「…………わかっていますよ、そのくらい」
「なら、いい」
拗ねたようにひそめられる声に、くつりと喉の奥で笑う。
――気付かないでいてほしかったのか、と、思考は巡らせども問うことはしない。それが無意味な問いであると、崚介は理解していた。
「来い」
いま必要なのは問いではなく、この男を捉え返して求めることだ。なぜなら自分たちはすでにふれあうことを知ってしまった。躊躇に一瞬の呼吸を置こうと、瞳の奥に燃える碧の温度を閉じ込めておくことなど、できないのだから。
秋の雨に似たやわい躊躇いをほどいた男の体温が、首筋に降ってくる。
***
20180912Wed.
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ふたりへのお題ったー
拓真と崚介へのお題:ひまわりのように笑って/(気付かないでほしかった)/閉じ込めておくなんて出来ないよ
より、
『(気付かないでほしかった)』『閉じ込めておくなんて出来ないよ』。