キャビティ、其れかステージライト◆
刃物のような男だと、彼の真っ直ぐに伸びた背を見るにつけ灰羽拓真は考える。うつくしく研ぎあげられた、怜悧に光る曇りのない黒曜石。この手に余るのではないかとふいにそら寒ささえ覚える鋭さが、――歌い、演じ、踊る舞台の上で熱に打たれ磨かれことさらに輝きを増すさまが、拓真の目にときおりひどく眩しく映ってはレンズの奥の網膜を焦がした。
「なんだ」
今日もまたさんざんと焼きつけられた目を、知らずのうちに細めていたらしい。自主トレーニングを終えて事務室へ戻ってきた彼にパソコンの画面からほんのわずか視線を遣っただけのはずが、一瞬ぶつかったそれを短い言葉で捉えられてしまった。
「いえ」
今日はもう上がりですか。お疲れさまでした。すぐにでもそう続ければ、無駄を厭うたちの彼は律儀に頷いてから早々に踵を返すだろう。次回公演の内容および依頼をかける脚本家の選定、あるいは報道関係者やスポンサーとのスケジュール調整。この劇団の内外をさまざまに取り巻く現状のうち、いくつかの案件が検討あるいは進行のさなかで、今日の拓真は彼を引き止めるに足るほどの理由も緊急性も持ち合わせていない。直線の眼差しに捕まえられた視界を、拓真が不自然のない速度でほどくより先に、彼の薄い唇が開いて拓真を呼んだ。
「灰羽」
「なんでしょう」
「昨夜、お前が話していた件だが」
珍しく思案の半ばであるような響きを持って続いた声に、ああ、と頷く。その件ならば、彼がこうして口火を切るのも合点がいく。
「こちらが朝日奈の……夢色カンパニーの提案を受けることは決まっただろう」
「ええ」
「そこに、こちらからの提案を加えることは可能か?」
「……こちらからの?」
「ああ」
コツ、コツ、と、迷いのない靴音が拓真の前まで進み来る。机を挟んで真向かいに立ち止まり、彼特有の、自信とも思慮深さともつかぬ(もしくはその両方であるものか、)間を含んだ所作で拓真の事務机に手をついた。
「我々からのみ団員を出向させるのではなく、ふたつの劇団の主要メンバーをシャッフルし、六対六に分けてそれぞれが公演を行なう」
「……黒木くん、それは」
ほんのわずか身を乗り出すようにして、彼の双眸が、深い声が、彼という存在が、拓真を捉える。
「脚本家についてはあちらの座付きの彼女と、もうひとりはこちらで選定しよう。メンバーの割り振りや、総合的なプロデュースを依頼できる、信用の置ける伝手もある。――どうだ?」
……どうだ、もなにも。
彼の述べた淀みのない言葉のひとひらずつを汲み誤らぬよう咀嚼し嚥下しきってから、拓真はひと呼吸ぶんの間を置くために眼鏡を軽く押し上げる。
「もちろん、いいでしょう。我々としても、トミー賞を見据えて本格的に動き出す前になにがしかを得られるというなら迷う理由はありません」
拓真に問うまでもなく、眼前の彼にはすでに確かな道筋が見えているのだろう。彼が目指す高みへ繋がっていく、そびえ立つような険しい道が。黒木崚介というのは、そういう男だ。
拓真の答えを聞き満足げに顎を引いて頷いて、早々に踵を返しかけた彼の背に、声をかける。
「黒木くん」
「なんだ」
「いえ、大したことではないのですが」
含みのある物言いに、彼がその端正な眉をかすかに顰める。普段あまり表情を露わにすることのない彼が訝るような色をあからさまに覗かせることは珍しい――否、多少相手によるところはあるが、少なくとも拓真自身に対してのものは数えるほどしか見たことがない。
「なにやら随分と、楽しそうな顔をしていたものですから」
だから、拓真がその言葉を投げたのは、在り方ひとつで胸を貫くようなひかりを放つ黒曜石へのほんのささやかな意図の投擲、かすかな稚気を孕んだ意趣返しだった。
立ち止まり、拓真へ向き直っていた彼が、目瞬きをひとつ。
「お前もだろう」
ととのったかたちの唇が、薄くはあれどたしかに笑みをかたどって言葉を紡ぐ。
うつくしく磨かれた刃の水面に映り込んだ自身は、ひどく間の抜けた顔をしてはいなかっただろうか。ドアの閉まる音にひとり取り残されたあと、拓真は瞼の裏に残る光の痕に目を細めた。
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20180221Wed.