ちとくら 「花をわたす」 初めては十五歳の頃だ。正確に言うと、白石が十五歳、千歳は十四歳だった。
まだ出会ったばかりの頃だったけれども、植物に興味がある、ということだけは知っていたから、道端で見つけた花を摘んで、それを誕生日プレゼントとして準備した。
あまり見かけない珍しい花だったし、見た目も華やかではないが素朴で可愛らしく、何より真っ白な花びらが彼のイメージにぴったりだと思った。誕生日のお祝いをするような、ましてや贈り物をするほど親しい間柄でもなかったが、本人に隠れコソコソと誕生日を祝う準備を進める部員たちの姿を見ていれば、その日部活に参加するにも関わらず手持無沙汰で祝う気のない素振りを見せるのは薄情な気がしてきて、それで用意したものだった。
少し後悔したのは、いざそれを彼にあげる段になった時のことだ。
綺麗な顔をしていることは初対面の時から知っていたが、人間味のない、美しさに偏執的な執着を持つ職人が人生をかけて作り上げた人形のように完璧に整った顔立ちをした白石蔵ノ介と、自分の手にある野花が妙に不釣り合いに思えた。
何も用意していない。
そう言おうと思ったが、「千歳は何を用意してくれとるんやろ」と、声に出さずともその期待に煌めく瞳を向けられてしまっては、何もないと口にすることも出来ず、そっと、持っていた花を渡した。
「誕生日、おめでとう」
祝うほどの仲ではないが、これも何かの縁だ。
「……」
受け取ったそれを白石は黙って見つめた。ガッカリした様子はない。それに少し安堵して、一応、選んだ理由も言っておいた。
とは言え、それにしても。つくづく野花の類が似合わない。
千歳が渡した花を顔の前で持ち、目をぱちくりさせながら見つめる姿を見て思う。次はバラだとか、百合だとか、そういう花を渡そうと考え、しかし『次』はもうないことに気づく。来年は、一緒にはいないのだろう。まあ、仕方がないことだ。
「おおきに、めっちゃ嬉しい」
そんなことを考えていれば、白石蔵ノ介は、その怖いくらいに整った顔立ちをクシャリと崩して笑った。
「ほんまに綺麗な花やな、なんて名前やろ」
そう言って楽しそうに首を傾げる姿を見て、今度は千歳が目をぱちくりとさせてしまった。幼い笑顔は、十五歳の中学生が見せるそれと何ら変わらない。綺麗とか、美しいとか、そういう言葉しか似合わないと思っていたのに、自分が渡した花を見て笑う白石は、何だか可愛らしく見えた。
こんな顔、初めて見た。
「大した花じゃなかとよ、きっと」
そげん喜んでもらえるとは思ってなかったばい。
何せ、その辺の道に生えていた花を摘んできただけだ。あまり見たことはなかったけれども、言葉通りきっと大したものではない。それをそんな風に喜ばれては、こちらの方が気が引けてしまう。
「せやって、誕生日に花とかもろたん初めてやもん」
もう一度、「ありがとう」と言って嬉しそうな顔を向けてくる白石に、「来年は」と返そうとして、途中でやめた。来年はない。それを白石も考えたのか、「大切にするな」と、千歳が言いかけたことを聞き返すことはしなかった。
「なあなあ白石ぃ、花もろて嬉しいんか?ワイも花壇のお花摘んでこよ」
すると、隣にいた金太郎が白石の反応に、素早い動作で踵を返し走り出そうとする。
「いや、まちまちまち。花壇の花は摘んだらあかん」
その首根っこを掴んだ白石が首を横に振りながら厳しい顔をするのに、金太郎が「ワイも白石が喜ぶもの渡したいもん」と眉根を寄せて返す。
「ううーん、金ちゃんが何を用意してくれたのか分からへんけど、俺は金ちゃんが『おめでとう』って言ってくれるのが嬉しいんやで」
「ほんまに?」
「ほんまやで」
金太郎に向ける笑顔は、少し大人びている。過ぎた日々を懐かしむような眼差しを二つ下の後輩に向ける白石を眺めながら思う。それで気づいた。白石は、意外と、色んな笑顔を持っているということに。
もっといろんな表情を見てみたい。
そう思うようになった自分を自覚した時には、もう手遅れだった。大阪で一緒に過ごしたのは僅か三百六十五日に満たない短い期間だったのに、その間に知ったことは数えきれないほどあった。
来年はない、と。そう思っていた中学三年生の自分自身に教えてやりたいが、あれから七回、白石と春を迎えた。白石の誕生日に一緒にいたのは、その半分くらいだけれども、とにかく、『来年』はあった。
高校を卒業して、お互い大学生になって、別々の場所で暮らして。
でも、たまに会って、話をして、抱き合って、キスをして、同じ朝を迎える。
こんな関係になることを、あの頃の自分はまるで想像していなかった。何の気はなしに摘んだ道端の花を渡して、それを受け取った時に見た白石の笑顔を、もう一度見たいと、もっと見たいと思うようになって、無邪気な子供のように、珍しい花を見つけては、摘んで、持って行った。
そのたび、白石は「これなに?」と目を輝かせ、それで「おおきに」と、千歳が好きなその顔で笑った。
もう、癖だ。
癖になってしまったのだ、その顔をさせることが。
枕の横に置いた携帯電話が「四月十四日」と今日の日付を表示している。春休みはとっくに終わってしまっているが、明日から日本のちょうど真反対へと旅立つ。同年代は皆就職活動の時期だったが、大学院への進学を希望している千歳には、単位もほとんど取り終えたこの頃というのは、自由に好きなように行動できる時期であった。それで、このタイミングを選んで大阪に寄った。
空港の近くにとったホテルは、これから行く地での滞在費を考えるとかなり高額であったが、それでも大阪に一泊することを選んだ。白石との『来年』を手に入れてからも、いつもいつも放ったらかしにして、そういう自らの薄情な部分は自覚しているが、会いたいと想う気持ちを否定することもしない。
会いたいと、それだけの気持ちで大阪に立ち寄っては、待つばかりの白石に笑ってほしいとせがむのだから、自分という人間の身勝手さには呆れてしまう。
すやすやと眠る横顔を見ていることが幸せで、ずっとこの時間が続けばいいのにと確かに思っている。
ベッドの横に膝立になり、その寝顔を見下ろす。柔らかな前髪を一度撫でてから「白石」と名前を呼ぶ。遮光カーテンを閉めないまま眠ってしまったせいで、部屋はすっかり明るくなっていた。
「……一緒に行く?」
ひとりごとのように尋ねても、返ってくるのは穏やかな寝息ばかり。
二十二歳になったばかりの白石の寝顔を見つめながら、「相変わらず綺麗な顔しとっとね」と、その顔の横に、朝方部屋を抜け出して摘んでき花をそっと添えた。
「まだ、こんなんで喜ぶんやろうか」
はてと首を傾げ、顔の周りを飾るよう、白い花や、黄色い花、紫色の花を全て並べ置いた。それをしばらく眺めていたくて、マットレスに肘をつき、そこに頬を置いた。
その顔の周りを一回り、小さな花たちで囲み、余った花たちを今度は、額を覆う前髪に、朝日に艶めく白い肌の上に、そうっと、丁寧な仕草で置いた。
「……ん」
太陽の光を瞼に感じるのか、千歳の気配が気になったのか、白石の眉がピクリと動く。
起きるのかな。
「ちとせ……?」
すぐに、少し掠れた声が聞こえてくるのに、「おはよう、白石」と、その顔を覗き込んだまま言う。
「おはよう……って、ん?」
顔の上に置かれた花に気づいた白石が、緩慢な仕草で花を一つ摘まみ、それをまだ半分閉じたままの目の前に持っていく。
「……」
十五歳の頃にあげた、白い花。
「……めっちゃ綺麗」
目を細め、この世界のものとは思えないほど美しい顔で花に笑いかける。その瞬間、魔法をかけられたように、なんてことない花々が、この世で一番美しい花となる。
「綺麗?」
肘をついたまま尋ねると、白石は「うん、綺麗」とまた目を閉じて言った。長い睫毛が真っ白な陶器のような肌に影を作る。
「なあ、千歳」
薄い桜色をした唇に名前を呼ばれ、「うん?」と返せば——。
「一緒に行ってもええよ」
その唇で、夢のように美しい言葉を紡ぐ。夢のよう、ではない。それは、夢だ。
「……それは、」
白石が隣にずっといてくれたら嬉しくて幸せだ。でも、その全てを奪う勇気がない。夢を叶える代償は大きく、例えば千歳の中にある世界に対する興味も好奇心を満たそうとすれば、白石はいつだってほったらかしになる。それなのに、傍にいてほしいだなんて、自分ばかりを優先できるほどの愛を証明できる勇気がない。
「ふふ、冗談やで」
瞼を重たげに持ち上げた白石が笑いながら言う。
「うん」
いつだって。自分が白石に与えられるものは、十五の頃から変わらない。
ちっぽけな花と、それくらいと同じくらいちっぽけな幸せと。
「誕生日おめでとう」
心からの、祝福だけだ。