財ユウ 甘やかしてよ「財前、お前もテニス部の部長なんやから、もっと部員のこと監督せなあかんで」
(監督責任は教師にだってあるやろ)
「そうやってお前が無気力な態度でおるから、下級生たちがふざけたことをするんや」
(ふざけたことする奴は、生まれつきふざけた性格なんや、俺のせいにすんな)
「白石の時はこんなことなかったやろ、ったく、お前はアイツの何を見とったん?」
(……)
「コンビニの駐車場で大騒ぎして近隣住民から学校に苦情が来るだなんて恥やぞ、恥。いくら成績残しとるっちゅーても、それで何しても許されると思ったら大間違いやで」
(騒ぎを起こしてた集団の中に、うちの幽霊部員が一人おっただけやろ。俺はほぼ無関係やんか)
「白石部長みたいに部をまとめるんはお前には無理やったんかなあ」
(……白石白石白石白石うるさいわ、好きなんか、ホモか。無理もなにもそもそも違う人間や)
(ん?ホモて、悪口みたいに言ってしもたけど、俺もホモか?ん?)
「おい、聞いとるんか」
(っちゅーか、なんで俺? 顧問に言えっちゅー話や……って、あの人今日は研修やらでおらんのか。それで俺か、チッ)
「ハイ、反省してます。今後こういったことがないよう気を付けます。すみませんでした」
舌打ちを一つ打つことはせず、代わりに深々と頭を下げた。梅雨明けを告げるよう、窓の外から聞こえてくる蝉の鳴き声がうるさい。
八十度くらい? 身体を折り曲げ、生活指導のゴリラに向かって反省の弁を述べる。反抗的な態度をとったところで、何にもならない。ただ、説教の時間が長くなるだけだ。
(走ったところで遅刻は遅刻やな)
頭を上げるついで、職員室の壁にかかる時計をチラと盗み見る。十五時三十分。週に一回、部活が完全にオフとなる月曜日の放課後は、俺が部活を引退するまで、全然まったくヒマじゃない。月曜日の予定は全部埋まっている。
こんなところで説教を受けている場合じゃない。
理不尽な理由で三十分も職員室に立たされ説教されることも、皮肉を浴びせられることも、白石部長と比べられることも、腹が立って仕方ないし、凹むけれども、反論して更に三十分立たされるのは絶対にごめんだ。
(謝ってほしいのであれば、いくらでも頭を下げますから、そろそろ、俺を先輩のところに行かせてもらせませんでしょうか)
*
「というわけで、くだらない説教のせいで遅れました、すんません」
先輩は、一時間遅刻した俺に嫌味や文句を言う代わり、角が丸くなった氷が残る透明のプラスチックカップの底に薄く溜っていたオレンジ色の液体を、緑色のストローでズズズと啜った。
人も疎らなコーヒーショップの奥、小さなテーブルの前、横並びに座るソファスペースが、お決まりの場所だった。いつも、ここで待ち合わせをする。
「おつかれさん」
先輩がストローから口を離して言ってくるのに、「別に、疲れたわけやないけど」と、その隣のスペースに荷物を降ろした。
例のゴリラもとい教師の嫌味や皮肉がぐるぐる巡っていた頭が、先輩の姿を認識した時から、一週間ぶりに会えたことを喜びで溢れ出す。
そんな単純であってたまるかと、笑顔の代わりに眉根を寄せた。
先輩はと言えば、俺の大遅刻に対する文句や皮肉は、どうやらオレンジジュースの残骸のような液体と一緒に飲み込んでしまったようで、「走ってきたん?」と額に汗を滲ませる俺に、普段通りの口調で聞いてくるだけだった。
てか、汗かいたまんまとか、かっこわる。
でも、言われてすぐに拭うのも格好悪い気がして、そのままにしておいた。
「なんか冷たいもんでも買うてくれば?俺、昨日から発売のマンゴーのやつな」
先輩が、通り過ぎてきたオーダースペースを指差して言ってくるのに、「は?」と返す。
月曜日の午後という時間帯にも関わらずあまり混んでいないコーヒーショップは、俺と先輩の二か月間の探索の成果だ。高校一年生の先輩と、中学三年生の俺が、月曜日を(出来る限り)二人だけで過ごすための場所探しは結構そこそこ苦労した。どちらかの家が一番いいのだけれども、家族の事情というものがある。家で二人きりで過ごせない時の代替手段として、出来るだけ人が少なくて、お互いの知り合いに会う可能性が低い場所というものが俺達には必要で、それで辿り着いたのが、この店だった。
チェーン展開しているコーヒーショップの一店舗に過ぎないが、いつでも人が溢れ注文にも席探しにも苦労が絶えない梅田の店舗とは、店の空き具合も客層も全く異なる。オフィスビルの一階にあり、ここにある、ということを知らなければ素通りしてしまうほどに目立たない看板が掲げられ、客層は社会人ばかり。このビルか、近くのビルにある会社で働いているのだろう、来ている客は皆一様に首からIDカードをぶら下げていた。
「トールサイズ、ホイップなしな。ごちそうさまやで〜、天才財前くん」
頬杖をついて見上げてくる先輩は、何だか楽しそうだった。
「……逆のことあった時には覚えとれよ」
負け惜しみを残し、会社員に混じってオーダーの列に並ぶ。この時ばかりは、制服姿の俺は浮いてしまう。ただ、先輩と俺のお決まりの場所は、ドリンクのオーダースペースから死角となっている。そのおかげで、注文さえ済ませてしまえば、後は人目に触れることもほとんどなく、俺たちは好き放題出来る。とは言え、俺は常識と良識がある人間なので公共の場で同性の恋人とイチャつくなんてことはしない。それは家でゆっくりするからいい。
ただ、まあ、キスくらい、いや手を繋ぐくらい出来たらいいなと思うけど、それだって、ここですることじゃない。弁えている。
「お、戻ってきた」
注文した飲み物を受け取り、席に戻る。
あの会社員たちは、オフィスに戻って自席でコーヒーを飲むのだろうか。列に並んでいた大人たちの姿はなく、ソファ席には先輩しか座っていなかった。
「はあ、理不尽な説教くらって凹んでる後輩に奢らせるとか、意地悪な先輩やな」
リクエストされた甘い飲み物をテーブルの上に置きながら言う。
「かわいい恋人を一時間も待たせたんやから当然のペナルティやで」
先輩の隣に置いておいた荷物をよけ、そこに腰をおろし、持ってきたストローを先輩に差し出した。
「おおきに〜」
それを受け取った先輩が、嬉しそうに先輩が言ってくるのに舌打ちをする。
「どっこがかわいい恋人や」
理不尽な説教を食らって凹んで不機嫌な俺とは対照的に、後輩兼『彼氏』に飲み物を奢らせた先輩は上機嫌だ。それで、俺が買ってあげたものを美味しそうに飲んでいる姿を、可愛いとか思ってしまうのが、またむかついた。
「……全然かわいくないからな」
むかついたから、口に出して自分の思考を否定した。
「なんや、いきなり」
「ついでに先輩のくせに優しくない」
先輩と同じマンゴー味の冷たい飲み物を、不貞腐れながら一口すすった後、目線だけを横に向けて言う。
「ほほ〜、ほなら、かわいい恋人?優しい先輩?とやらはこういう時に何してくれますの?」
持っていたカップをテーブルに置き、背もたれにだらりと寄りかかると、その顔を俺の方に向けて先輩が聞いてくる。どこか挑戦的な表情に、「せやな」と、俺も先輩の方に顔を向けた。
横並びに座った状態で、見つめ合う。
かわいい。かわいくない。むかつく。好きや。
顔を見ているだけで、ただそれだけで、色んな感情がぐるぐる回り出して、頭の中がそれでいっぱいになる。
「こういう時、何も言わずにやさしくキスしてくれるんとちゃいます?」
そういう一切を隠して、普段通りを装って言えば、ふと、目の前に影が出来た。
すると。
何かが、一瞬だけ、口に触れた。
柔らかくて、ちょっと冷たい。
あと、ちょっと甘い。
「……」
唇に残る感覚に、瞬きを繰り返す。
「こんなんでええの?」
小首を傾げながら聞いてくる先輩が、悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。
冷房が効いた店内で、冷たい飲み物を口にしているというのに、顔面の体温がぐんぐんと上がっていく。
「ご機嫌は直りましたか、光くん?」
上目遣いで覗き込んでくる先輩と、今ここで好き放題したい気持ちを呑み込むことで精いっぱいになる。なんて頼りない常識と良識なのだろうか。
怒られてトゲトゲしていた気持ちだって、もうとっくに丸っこくなっている。
本当に、なんて、なんてなんてなんて、俺は単純なのだろうか。
「……直ってへん」
悔し紛れ、頬を膨らませながら返すと、先輩は「舌入れなかったからやろか」とケラケラ笑った。