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    財ユウ+女子 「財前くんは 8」 


     打ち上げ花火の音が、遠くに聞こえた。

     ドン、ドンと、胸の底に響く音が夜空にこだまする。
     どうしても人が足りないからと、そう縋られるまま、バイト先に行って、どうせ予定もなくなってしまったからと、結局夜までみっちり働いた。ホールに、キッチンに。文字通り休みなく、休憩も取らずに駆け回った。我ながらよく働いたと思う。
     花火大会の時間が近づくにつれて客足は減っていったけれども、それまでは地獄の忙しさといっても過言ではなく、おかげで何も考えずに済んだ。財前がいないあの部屋のことも、一つ二つ言葉を交わした時に見たハネザワさんの笑顔のことも、その理由のことも。
     財前が家を出て行ってから、一週間が過ぎた。
    「ハア……」
     閉店まで働いてもいいと思っていたけど、花火大会が始まった頃にはすっかり客足も落ち着いていたし、帰りの客が来る頃には店もラストオーダーの時間帯だから大丈夫だと、店長にそう言われてしまえば無理やり残る理由もない。
     ほなら帰りますって、素直に店を後にした。商業施設の裏口から外に出れば、夜だというのに昼間の熱を存分に孕んだ空気に包まれた。
     夏の夜の空気を胸いっぱい吸い込んで、それから吐き出す。それと同時、また花火が打ち上がる音が聞こえてきた。香るはずのない火薬の匂いが鼻を掠めていく。そんな気がした。
    「もう終わる頃やろうか」
     腕時計に目線を落とし、また空を見上げる。
     建ったばかりの高層マンションやショッピングビルが邪魔をして全貌を見ることは出来なかったが、建物の向こうに散っていく光の花のかけらが僅かに見えた。
     星たちは大きな音に驚き逃げてしまったのか、まるで何もない黒い空を見上げたまま、一瞬で闇に溶けて消えていく光を追いかける。
     財前は、あの子も同じ光を眺めているのだろうか。
     痛む心臓に追い討ちをかけるかの如く、ドン、ドンと、胸を打つ音が響き渡った。立ち止まり、夜の空を見上げる。
     やがて、うるさいくらいに夏の夜を賑やかせていた轟音がピタリと止み、雲の切れ端のよう夜空に白い煙の線が切れ切れに流れ出す。後に続く音も、光もない。空は、真っ暗なままだ。
     花火大会が、終わったのだろう。
    「……帰ろ」
     ぼけっと突っ立っていても仕方ない。
     普段よりも人通りが多く賑やかな街を一人ぽつぽつと歩き出す。適当につっかけてきたビーチサンダルの、ペタペタいう足音が夜の街に響く。大阪にいた頃から履いているサンダルは、そうだ、財前と一緒に買ったものだ。学校帰り、無計画に夏の海に行ったら足元が砂だらけになって、それで、シーズンをそろそろ終えようとしている寂れた海水浴場の海の家で調達した。俺が黄色で、財前が青。
    「って、これ、財前くんのやつやん」
     ふと目線を落とせば、青色のビーチサンダルが足元にあることに気づき、いや、ここまで気が付かなかったことに「ほんまにアホやなあ」と口元を緩ませ、へらっと笑う。あとで怒られるなあって思ったけど、『あとで』なんて、もうないのだから余計な心配だ。
     クライマックスを迎える前に、花火大会から引き上げてきたのであろう人達が駅へと急ぐ姿が見えた。浴衣姿の女の子が楽しそうに歩いていく。それに、あの子が重なる。また、溜息が出た。納得して、覚悟して、選んだことなのに。
     この一週間、後悔ばかりしている。後悔とか、未練とか。そんなのばかりに、埋め尽くされて窒息しそうだった。
     時間が過ぎたら、後悔や未練は薄くなっていって、やがて何とも思わなくなる。淡い期待か、最後の希望か。財前がいない日々に慣れる日を指折り数えて待つ。虚しいなって、そう思いながら。
    「……夕飯どないしよ」
     コンビニで買って帰るか、家にある食材で適当に済ませるか。どうにもならないことを考えることは一旦放棄して、もっと、現実的なことを考える。食欲はない。この時間まで何も口にしていないというのに不思議なものだ。今日は食べなくてもいいくらいだ。ただ、一度でも食べないという選択をしたら、そのまま一生食べなくなってしまいそうな、そんな気がしていた。最低限のことはちゃんとやろうと、そう心がけていないと、すっぽりと何かが抜け落ちて、本当に空っぽになってしまいそうだった。
    「ん?」
     今夜はさぼってコンビニで簡単なものを買おうと、そう決めたところで、ぶるぶるとポケットが震えた。そういえば、バイトに入ってから一度も携帯を見ていなかったことに気づき、ポケットに突っ込んだままにしてあった機械を取り出した。
    「謙也?」
     携帯の液晶に表示されている名前に、首を傾げる。着信が、十件。バイト中に八件、上がってからも二回かけてきていたらしい。謙也とは今も仲良く付き合っているけれども、毎日連絡を取るような間柄でもない。
    「気づかなかった……、って、うおっ」
     言ってるそばから、また震え出す携帯を思わず落としそうになって、慌てて両手で持ち直す。
    「なんやなんや」
     なかなか出ない持ち主に焦れているみたく、普段よりも激しく振動しているような気がした。
    「あー、ハイハイ、なんやねん」
     機械を耳に宛てながら、十回も電話をかけてくる用事とは一体何だったのかと考え出す。何か急ぎの用事か。
    『ユウジ、やっと出た!今どこにおるんや?俺は先週ランチした店の前におんのやけど、人がぎょうさんおって、なんか電波悪いな……?!』
     捲し立てるような口ぶりの謙也に、「は?なんで?」と返す。
    『どこにおるん?家?駅んとこまで出てこれへん?』
     俺の質問に答えることなく、謙也が続けた。人のことはあまり言えないけれど、謙也も大概マイペースな人間だ。
    「バイト終わったとこやから、近くにおるで」
     仕方ない。まずは謙也の質問に答えようと、どうしてお前がこの街におんねん、ってツッコミは飲み込むことにした。
    「歩いて二、三分のとこ」
    『ほんまか!』
    「はいはい、ほんまほんま、ほんで、俺はそっち行けばええの?」
     携帯を耳から少し離しながら尋ねる。謙也が「すまんけど、よろしく頼むわ」と声のボリュームを変えず言ってくるのに、「ほな三分後」と通話を一度切って、ペタリペタリと間の抜けた音を鳴らしながら、駅前にある喫茶店を目指した。

     それで。

    「ユウジ、ごめん!」
     開口一番、顔を合わせるやいなや頭を下げられた。
    「なんやねん……」
     顔の前で両手を合わせ、頭まで下げる謙也に眉を寄せる。そりゃそうだ。俺は謙也に謝られる理由がない。しかも、今は電車を乗り継がないと会えない街に暮らしている謙也が、わざわざここまで来る理由も分からない。
     あるとすれば、この花火大会に彼女(二週間前に出来た女とまだ続いてるのかは知らんけど)と遊びに来たくらいしか思いつかない。でも、こうして謙也が一人きりでいるところを見ると、その可能性は薄そうだと思った。じゃあ、なんで?
    「財前に聞いたんや。俺ぜんぜん知らなかってん、ごめん!」
     俺の心の声が聞こえていたかのように、一瞬だけ顔を上げた謙也が、俺の疑問に対する答えを口にする。
     誰に、何を、聞いたって?
     再び頭を下げる謙也についていけない。お前が一体俺に何をしたというのだ?と、そんな疑問が頭に浮かぶ。一体何があって、どうしてここにいるのか。答えの見当がつかず「全然分からん」と首を捻ると、謙也ががばっと顔を上げた。上げたり下げたり、ほんまに忙しいなって思う。
    「こ、今度はなに?」
     その勢いにたじろぎ、後ずさる。すると、それを許さないとばかり謙也に両腕をガシっと掴まれた。
     目が合う。ふざける時とは全く異なる真剣な視線を思いがけず向けられるのに、嫌な予感すら込み上げてくる。
    「……」
     なに?って、気まずげに謙也を見つめ返した。「俺、」って謙也が口を開くのに、ごくんって唾を呑む。
    「俺、財前がユウジと付き合ってるって、俺知らなくて、ごめん!」
     謙也が、言った。心臓が止まる。
     ドンって、大砲を打たれたみたいに、粉々になる感じがした。
    「……」
     なんで、知っている?
     こういう時、自分の頭の悪さを呪う。そんなわけないやろって誤魔化す言葉が一つも頭に浮かばない。そんなわけないやろってひとまず言って、それを言っている間に次の言い訳を考えればいいのに、そんな機転すらない。どうしようって、ただただ動揺する。俺と財前が付き合っていることを知ったら、みんなきっと、俺だけじゃなくて財前のことも避けるようになる。ええ奴らやから、酷い言葉を投げかけてきたりはしないと思うけど、けど今までと同じにはしてくれない。俺がいけないんだってことを言わないと。財前が、どうでもいいと嘯きながらも本当は大事にしている中学時代の思い出を、俺が壊すわけにはいかない。
     忘れていた呼吸を思い出すよう、ゆっくりと息を吸い込み、吐き出した。
    「そんなわけないやん……」 
     震える声が、踏切を走り抜ける急行電車の音に掻き消される。もう一度言わないとと口を開こうとすれば、今度は謙也の大きな声がそれを掻き消した。上手くいかない。
    「俺、まさかお前たちがそんなことになっとるなんて思わなかったし、っちゅーか自分ら一言も話さんし、そんで、無神経なこと言うてしもて……」
    「……」
     謙也が言っていることの意味が分からない。俺の頭を巡る思考は、謙也がどうして俺たちのことを知っているんだ?ってところから一歩も進まない。
    「三日くらい前にアイツが『泊めてください』っちゅーてうちに来たんや。ユウジと喧嘩でもしたんか?って聞いても別にの一点張りやってん。あんまり踏み込まれたくないんやろうなってのは俺も察したけど、せやけど、俺は財前とおんなじくらいユウジのことも心配やから、何があったんや?って、いつもよりきつい感じで聞いたんや」
     三日前。その前はどこにいたんやろ。
     考えることを放棄した頭が、そんなどうでもいいところを拾う。謙也に知られてしまったショックが、なかなか消えてくれない。
    「そしたら、アンタのせいやからなって言われた」
     そんな俺の内心などまるで知らない謙也が続ける。
    「アンタがユウジ先輩の前で、あの子のことを俺の彼女やとか、冷やかすみたいなこと言うからやって睨まれて、俺、最初意味が全然分からんくて、そしたら、付き合ってる奴がそこにおるのに別の人間捕まえてそいつと付き合ってるんやろって言う無神経さが腹立つんやって、アイツに言われた」
     なんでそんなことを謙也に話したのか。財前の言動が理解できない。
    「俺、やっぱり意味が分からへんって、そういう顔してたら」
     謙也がそこで言葉を区切る。さすがに息も切れ切れるのか、胸元に手をあて、スウ、ハアと大きな呼吸を何度か繰り返し、息が整ってきたとこで、「そしたらな」と俺の顔をじっと見つめたまま謙也が話すのを再開する。
    「俺とユウジ先輩は付き合ってるんですって、アイツ、言うたんや……」
     それから、はっきりと、そう言った。
     言いながらも、まだ信じられないとばかり、謙也は目を丸くしている。ほんまに?って、念押しするかのよう俺にも聞いてくる。そんなわけないやろって、さっきと同じように返せばよかったんだけど、否定する最後のチャンスだったんだけど、ほんまに?って聞いてくる謙也の瞳があまりに真剣だったから、「ほんまやで」と、思わず頷いてしまった。嘘を吐くことに、ちょっと疲れていた。いや、それよりなにより、謙也の口から零れた事実に、否定をすることがもう出来なくなってしまっていた。
     財前が、謙也に言った。
     俺と付き合っていることなんて、謙也だけではない、他の誰にも言ったらいけないことなのに、何でって思う。そんなことを言ったら、もう今までみたいにはしてもらえなくなるのに。
    「やっぱり、そうなんやな。いや、アイツが俺の家に来た日にそれ聞いたんやけど、それでも、やっぱり、もしかしたら俺は騙されとるんとちゃうかなーって思ってて。中学の頃から何度も騙されとるからな、神経質やねん、アイツの真面目な話には、俺は」
    「……う、ううん?」
     なんというか、謙也の喋りは情報量が多い。一気に色んなことを早口で伝えてくるから、理解が追いついていかない。昔から、よくあることだった。同級生で部長を務めていた白石なんかは、謙也のこの鉄砲のようなおしゃべりも上手く聞き取り、一度で理解していたけれども、俺には出来ない。
     今だって、財前が俺たちの関係を謙也にぶちまけたって事実にほんまかいな?ってなっちゃって、そっから先は全く頭に入ってこなかった。何を言ったんや、謙也は。
    「やっぱり付き合っとったんやなあ、ハアア、そうやったんかあ……、なんやもう、俺にも言うてやあ……」
     俺の腕に手を置いたまま、謙也ががっくりと項垂れる。
     想像していた反応と、だいぶ違う。
     こんな風に残念がられるとは思っていなかった。ドン引きされることはあっても、『話してほしかった』と悲しそうに言われるだなんて想定外もいいところだ。
    「って、ちゃうちゃう、こんなことしとる場合やない」
     呆然としている俺を置いてけぼりに、思い出したように慌ただしさを取り戻す謙也が、俺の腕を掴んでいた手をぱっと離して、今度はその手の平をバタバタさせる。喋りも動きも、本当に騒がしい。
    「ちゃうねん、財前がな、今日ハネザワさんと花火大会に行くって言うてて、」
     それを知らせにきたんや。
     やっと本題を言えたとばかり、謙也がどこかやりきったような顔をする。
    「ああ、うん、知っとるで」
     俺が、行けって言ったもん。
     そう続けると、謙也はずっこける素振りをして、「何しとんねん!」って、怒っているみたいな口調になった。なんか、よう怒鳴られるな、最近。
    「あ、すまん、いや、そうやなくて」
     その大きな声に肩をびくっと跳ねさせる俺に、謙也が謝ってきて、かと思えば、きっと目尻を吊り上げる。
    「別に、もう終わったことやから」
     謙也から目を逸らし、斜め下を向いて言い返せば、また両腕を掴まれた。
    「もう、なんでそんなん言うたんや、ユウジはそんな奴ちゃうやろ!」
     そのまま、ゆさゆさと身体を揺さぶられる。
    「……どんな奴や、」
     ぐらぐらと揺れる視界に浮かぶ謙也に、投げやりな口調で言う。
     これでよかったんだ。四年間、楽しかった。でも、現れてしまったのだから仕方ない。財前にとっての正しい相手ってやつが。俺とは違う、素直で可愛くて優しい女の子。せやから、俺はもう身を引くしかない。そういう風に出来ている。
    「小春にちょっかいかける奴がおったら、それが誰であっても正々堂々立ち向かっていってたやろ。好きって気持ちだけで小春のために人生賭けれるユウジはすごいなって、中学生の俺はひそかに憧れててたんや。あんな風に誰かを好きになれるユウジはカッコよかった!」
     謙也が言うのに、首を横に振る。
    「あんなん、ひとりよがりや」
     中学の頃と、今は違う。財前と、小春も違う。全部違う。財前が手に入れるべき幸福を奪うことは、俺には出来ない。
    「なんでや!小春もいつも楽しそうやったぞ、俺は見てた、そんで今は、ユウジは財前のことが好きで、財前はユウジのこと好きなんやろ、それやったら……」
    「もうええんや!」
     謙也の声を遮って、今度は俺が大きな声を出した。
    「もうええの……、もう」
     謙也の胸をトンと押せば、簡単に離れていった。
     俯いて、首を振る。俺だって、もう大人だ。弁えている。ちゃんと、正しいことが何かを知っている。
     沈黙が、流れていく。
    「ユウジ、」
     前に立つ謙也が、しばらくの後、小さな子供に話しかけるように俺の名前を呼んだ。俺の方が半年も年上やぞって、心の中で毒づく。
    「一つだけ、ええか?」
     謙也の声は、先ほどとは打って変わって静かで落ち着いていた。
    「中学の頃、財前に言われたことがあんねん、ユウジ先輩って小春先輩のことで毎日怒って毎日泣いてますよねって、疲れそうやって、いつものあのテンションで、」
    「……悪口かい」
     中学の頃の話なんて今更するもんじゃない。もうええやろって、さっきの威勢を貫いて、ここから走り去ってもいい。逃げるのは得意だ。自嘲気味に思う。
    「いやいや、続きがあんねん。そのあと、アイツ言うたんや」
    「つづき……?」
     俯かせていた顔を、そっと上げる。
    「でも、あんな風に想われたら、小春先輩は幸せなんやろうなって。ふざけるユウジと小春のことぼんやり眺めながら言うて、俺、ちょっとびっくりして、ポカンてしてたら、まあキモいんすけどって、照れ隠しみたいに慌てて続けとったけど、多分、あれ、アイツの本音やったと思う」
     その頃の財前が俺たちのことをそんな風に見ていただなんて、思ったことは一度もなかった。ただ、顔を見て合わせれば挨拶のように悪口言い合って、喧嘩して、ちょっかいかけ合って。そんな関係だった。
    「せやな、幸せやろうなって、そう言った後に照れてる財前が面白くて俺は笑っちゃって、無言で殴られたけど、でも小春も、ユウジも、あの頃楽しそうやったからな」
     謙也が、そこにある思い出を眺めるよう、目を細めて続けた。
    「俺、なんでか知らんけど、ずっとそのこと覚えてて、そんでな、この前、財前にユウジとのことを聞いて、よかったなあって思ったんや」
     夏の夜に吹く風が、穏やかに肌を撫でていく。
    「今、アイツがユウジに一生懸命想われとるんやったなら、それがアイツにとってのハッピーエンドなんやろうなって思って、何が言いたいのかよう分からなくなってきたけど、ええと、せや、俺はユウジと財前が幸せやったならええなって思うんや」
     花火大会の客が、どんどん、駅前に増えていく。そのまま駅の改札を急いだ様子で通り抜けていく人もいれば、駅前の居酒屋へと消えていく人もいる。俺らの後ろにある喫茶店にも、ぞくぞくと人が入っていった。それを横目にチラと見て、謙也へと目線を戻し、「謙也って」と閉じていた口をようやく開く。
    「ほんまにええやつやな」
     その瞳をじっと見つめたまま言うと、謙也は「えええ?」と、なんだか情けない声を出した。
    「あーと、え?、あ、うん……、」
     それから、何だか照れくさそうに、それこそ照れ隠しのように後ろ髪をがしがしと掻いた。
    「……ほな、人も増えてきたし、規制かかる前に帰るわ」
     ユウジも気を付けて帰るんやで。
     そう言って、特に何か言葉を発するでもなく、黙って謙也を見上げるだけの俺の頭をポンポンと子供にするみたく軽く撫でて、駅に向かって歩き出した。
    「謙也、」
     数メートル離れたところで、今度は俺が謙也を呼んだ。振り向いた謙也は笑顔のままだった。
    「……財前のこと、好き?」
     今更だ。分かり切ったことを聞く。俺が思っているよりも、想像していたよりも、ずっと、ずっと、世界は柔らかい。いや、もっともっとしんどいこともあるに違いなくて、ただ、ちゃんと優しい人にも出会えている。
    「そんなん決まっとるやろ」
     謙也が大きく両手を広げる。
    「俺は、ユウジのことも財前のことも、めっちゃ好きやで!」
     通行人が何人か振り返るのに構わず、謙也が大きな声で言った。



     謙也を見送って、一人ぼっちの家路につく。
     コンビニの真っ白な明かりが眩しくて、目を瞬かせた。四月、大雨が降った日、財前がここまで迎えに来てくれたことを思い出せば、その景色は簡単に滲んだ。
     善哉食べたかったからどしゃ降りん中コンビニまで来るって、そんなん、絶対嘘やん。
    「どんだけ好きやねん」
     くすって笑って、ぐすっと鼻を啜る。
    「……かっこわる、俺」
     どれだけ、俺のことを好きでいてくれたのだろう。
     二人で過ごした四年間が、頭を巡っていく。たくさん喧嘩もしたし、ひどいことを言ったり言われたこともあった。でもそれ以上にたくさん笑っていたはずなのに、俺はその笑顔をたくさん見てきたはずなのに、思い浮かぶのは、最後に見た、あの悲しそうな顔だけだ。
     泣きそうな顔をしていた。
     笑った顔の方が、好きやったなあ。
     もし、また、ちゃんと好きだって言ったら、俺だって一緒に花火大会に行きたかったって言ったら、自分勝手に泣き喚いたら、そうしたらまた笑ってくれるのだろうか。
    「……」
     何を今さら。もう遅い。
     終わらせることを選んだのも、逃げることを選んだのも、俺だ。
     涙をグイと拭い、夜道をぶらぶら歩いていく。星なき夜空がすぐに滲んでいくのに、また目元を手首で擦った。
     こんな終わりを、本当に望んでいたのかな。疑問ばかりが、心を埋める。
    「ハッピーエンドって何なんやろ……」
     謙也が話していたことを思い出す。財前にとってのハッピーエンドを、俺は、そういえば知らない。
     中学時代、小春に恋をしていた頃のように、世界中を敵に回してでも俺が財前を幸せにするって、そう言い切る勇気がなかった。こんなのは俺らしくないって思う。だけど、どうしたらいいのかが分からない。
     ハネザワさんのような女の子と生きる人生と、俺と生きる人生と、最後に「楽しかったな」って思えるのはどちらなのか、散々、たくさん、飽きるほど悩んで考えて、出した結論だ。
     世界中を敵に回さない人生の方が、幸せだって。
    「……ハッピーエンドやん、」
     これが。そう呟いて、後悔と未練が雲のようにむくむくと胸を埋めていきそうになるのを振り払うよう、首をぶんぶんと横に振り、歩き出す。
    「おわっ」
     その瞬間、アスファルトの出っぱりにサンダルのつま先が引っかかって、前につんのめった。やばいって思って、ワタワタと手を振ったところで支えも何もなくて、上手い具合にバランスを取り戻し耐えることも出来ず、べちゃってみっともなく転ぶ。こんな風に俺が間抜けな感じで躓いた時は、そういえば、助けてくれたこともあったっけな。
     こんな時でも、思い出ばかりを探してしまう自分が嫌になる。
    「あでで……」
     人の通りが少ない道でよかった。さすがに、これは、カッコ悪すぎる。何事もなかったかのように、すっと立ち上がり、絶対に擦りむいたであろう膝の痛みを我慢して、傷口を見るとめげそうだったからそこを確認することもせず、その場をとっとと離れべく歩き出す。
    「あ、」
     でも、右足を一歩踏み出したところで、青いビーチサンダルが道路に落っこちて、立ち止まってしまう。
    「あちゃー、壊れてしもた……」
     中途半端に宙に浮かせたままの右足をそのままに、片足立ちで道路に転がるビーチサンダルを拾えば、その鼻緒の部分がすっぽりと外れていた。つっかかった時、つま先に必要以上の力がかかってしまったせいだろう。
     財前のやのに。
     鼻緒の部分が壊れたビーチサンダルをコンクリートの上に投げ置き、右足を乗せる。そのまま一歩を踏み出してみるものの、挟むものをなくしてしまっては、普段と同じように地面を蹴り上げて歩くこと出来ない。ジンジンと熱を持ち始める擦りむいた膝と、壊れたビーチサンダルを無理やりつっかけた足をずるずると引きずりながら、前に進んでいく。痛くて、熱くて、脛を血液が伝っていくのを感じながら、その痛みを無視して、気づかないフリをして進む。
     裸足の方がまだ歩きやすい。
     そう思ってサンダルを脱ぎ捨てようと思って、やめる。さすがに裸足で道路を歩くほど、丈夫な足の裏ではない。
     ああ、本当に。膝は痛いし、歩きづらいし、酷い夜だ。空を見上げても星はない。いつか見た、降るほどの星に埋め尽くされていた夜の空がふと頭の中に蘇る。財前と、二人で見上げた冬の空。思い返せば、変てこな夜だったなと思う。俺と財前はまだ付き合っていなくて、喧嘩ばかりしていたのに、それなのに、あの夜、二人並んで、手を繋いで星を眺めていた。
    「……」
     唇から自然と零れ落ちていくメロディは、あの夜に二人きりで聞いた曲だ。財前の携帯に入っていた、何かが突出している感じはしないのに、不思議と耳に残るロマンチックな曲。昔から好きな曲だった。不思議と、歌詞は口から零れていく。英語の意味なんて分からず、聞いたままを口ずさんでいた。分からないところは、適当に誤魔化して。
     そうやって、俺が滅茶苦茶な鼻歌を口ずさむたび、財前は笑っていた。適当やなって、ケラケラと。
    「なつかし……」
     眩しくもないのに、右の手の平を、夏の夜に向かって翳す。

     薬指には、何もない。一週間前、銀色輪っかは引出しにしまった。
     花火の後の空、こっそりと、控え目に顔を覗かせる月が、あの日と変わらずぽっかりと夜に浮かんでいるのが、指の間から見えた。


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    2019/10/22 1:12:36

    財ユウ+女子 「財前くんは 8」

    人気作品アーカイブ入り (2019/11/16)

    財前くんに恋する女の子と、財前くんと付き合っているユウジ先輩。
    #財ユウ

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